― 奪われる』―

331話 預言は現実に

嫌…嫌…嫌…! 信じられない…信じたくない…! さくらはへたり込んだまま、自らの胸に湧き上がってくる感情を散らそうとする。


だが無情にも、彼女の目には事実が突きつけられる。竜崎の白く綺麗なローブを赤黒く濡らし蝕むのは、身代わり人形の黒い靄ではない。


疑う余地など、存在し得ない。それは、竜崎の身から噴き出し続けている血。彼は、さくらを守るために身代わりとなり、腹を貫かれたのだ。




「さ…くら…さん…。 無…事…?」


血を吐きつつも、後ろに隠れるさくらに問う竜崎。その喉は既に血濡れ、いつもの通る声は完全に失われている。


「ぁ……」


だが、さくらはもはや声を出すことはおろか、首を動かすことすらもまともに出来ないほどに虚脱していた。受け入れ切れていないのだ。大切な人が、刺されてしまったという事に。



その様子を見た竜崎は、襲い来る激痛を堪え、


「よかっ…た…怪…我…なく…て…」


「りゅ…竜崎…さん…」


彼のその顔で、ようやくさくらは僅かに正気を取り戻し、名を呼べた。と、その時だった。



―清人!!!―


弾き飛ばされていたニアロンが戻ってきた。彼女は目を強く震わせ、竜崎の元に戻ろうとする。だが…それを竜崎は、諫めた。


「来るな…ニアロン…! さくらさんを…連れて離れろ…!」


―…!なにを言って…!―


「早く!!」


血の唾を飛ばし、一際強く竜崎は吼える。ニアロンはビクッと身を竦め、それ以上動くことはできなかった。



今、狙われているのはさくら。もしニアロンがさくらを離れたら、その隙を突かれるのは必至。だからこそ、竜崎はそう頼んだのである。


ニアロンもそれはわかっていた。…そうだとしても、彼女は竜崎の元に戻りたかった。彼の身に戻り、治療をしなければ、死ぬのは明白。さくらなぞ、放っておきたかった。



だが、竜崎の目がそれを許さなかったのだ。睨むような彼の瞳には、「絶対に来るな」という言葉がありありと浮かんでいた。それに、ニアロンは逆らうことができなかった。


故に彼女に出来たのは、手と唇を血が出るほどに握り食いしばり、竜崎の意を汲むことだけであった。




―さくら! 早く立て! 急げ!―


茫然としているさくらの頬を叩き、ニアロンは彼女を無理やり立ち上がらせる。背を向けた竜崎へ、振り返りたい気持ちを必死に押し堪えて。


「は……はい……」


やっと思いで足を動かし、バッグを抱えたまま立ったさくらは、促されるまま距離をとる。それと同時に聞こえてきたのは、竜崎がドッと膝をつく音と、魔術士の高笑いだった。




「ハッハッハッハァ! ガキを守るために飛び込んでくるとは、とんだ大馬鹿野郎だ! マヌケとしか言いようがないな!」


膝を折り沈黙する竜崎をそう嘲笑い、魔術士は槍をに再度力を籠める。そして―


「そぅら!」

グリィ!


竜崎の腹の中をねくるように捻じり引き抜いた。



「ゔああっ…!!」


悲鳴をあげ、悶える竜崎。瞬間、彼の身に開いた穴からはとめどなく血が溢れ出す。


服へと勢いよく染みわたるそれは、布が保持できる許容量を超え、竜崎の足元に大きく血だまりを作っていく。



―清人…!!―


耐え切れなくなったニアロンは叫ぶ。だが…。


「く…るな…!」


歯を食いしばり、そう返す竜崎。魔術士の手では、神具ラケットが竜崎の血飛沫を弾き煌めいていた。



―くっ…! あれさえなければ…!―


ニアロンは顔を歪め、先程吹き飛ばされた腕を抑える。既に再構成こそ済んで元通りになっているが、あの衝撃は彼女の身にも堪えていた。


竜崎の治療をしようとも、近づけばあれの餌食になる。動けぬ竜崎、戦えぬさくら、どちらが一撃でも殴られたら、即死であろう。


だが今、勝ち誇った魔術士はラケットを使おうともしない。嫌な話だが、それで竜崎の命は繋がっている。つまり、彼の…いやこの場全員の命は全て魔術士の手中にあるといっても過言ではないのである。



ギリッと歯を軋ませるニアロン。一方で、さくらはとある文言を頭に巡らせていた。


『何かに襲われ、大切なものが、奪われる』―。それは、数日前に竜崎達に下った『予言』であった。



かの恐ろしい一文を実現させぬため、竜崎は色々な手を打ってくれた。


だが、この現状はどうだ。身代わり人形は砕け、ラケットは盗られ、あろうことか、竜崎は命を奪われかけているではないか。


予言は、的中してしまったのだ。大切な道具神具ラケットが、そして大切な人竜崎が、奪われてしまう。そして、それを引き起こしたのは…。


「全部、私のせいだ……」



小さく、しかし自らへの呵責の念が籠った言葉を漏らすさくら。あの時、恐怖に負けずに動けてれば竜崎が刺されることはなかったのだ。


それよりも前に、バッグを取り返そうと飛び出さなければ身代わり人形は壊れなかった。スライムに喉を埋められた時、ラケットを手放していなければ奪われることはなかった。


いや、そもそも全ての始まりは…あの時、竜崎の部屋から見つけたノートを読んだこと。読んで、竜崎に「元の世界に帰りたい」とねだらなければ…!



惨状の発端、それはさくら自身の我が儘であったのだ。それを優しく受け入れてくれた竜崎を、あんな目に遭わせてしまうなんて…。


あれさえなければ、あんなことを頼まなければ…。今頃今まで通りに学園で楽しい異世界生活を送れていただろう。竜崎と共に。


ごめんなさい…ごめんなさい…!私があんなお願いをしなければ…! そうさくらがいくら後悔しようが、過去も今も変化することは無い。ただ、時が流れていくだけである。


と、涙を浮かべるさくらの耳に、ニアロンの声が入ってきた。




―クソッ…!どうにかして魔術士に隙を…!―


焦りが極まり洩れた必死の声。そんな彼女の言葉に、さくらはハッと胸を見る。そこに掛かっている御守りの中には、ラケットと連動する指輪が。


先程はバッグを回収するため、使えなかった。しかし今こそ…!魔術士がラケットを持っている今こそ!


震える手を無理やり抑えるようにしながら、さくらは御守りの封を解く。中からコロンと出てきた指輪をぎゅっと握りしめた。その時であった―!




「無様だなぁ…リュウザキ…! 『予言に選ばれた者』とちやほやされたお前が…そうだあの時…お前さえ…テメエさえいなければ…!」


突如、激昂する魔術士。妙な台詞を口にしながらも、ラケットを高く掲げたではないか。それは、真っ直ぐに竜崎の頭をかち割らんと…!



「駄目ッ!!」


さくらは叫び、指輪へと力を籠める。伝えるは―、緑の輝き。風の魔術。



ゴオッ!


さくらの握る指輪が光ったのと同時に、ラケットの緑の精霊石が輝く。それは風の奔流を生み、ラケットの動きを弾き返し相殺した。


「なっ…!?」


突如発生した局所風に、身をぐらつかせる魔術士。そして…それを見逃す竜崎ではなかった。


「――。――。―――!」


血が溢れ出る傷口を押さえながら、彼は自らの血だまりに手をつき何かを詠唱する。瞬時に現れた複雑な魔法陣は、まるで血を吸いとるように妖しく蠢き―。


「行け…!」


直後、幾体もの赤い中位精霊達が飛び出した。しかし、それは火属性の精霊ではない。



正確には、水。いやもっと正しく言うのならば『血属性』とでも言うべきか。


彼らは呼び出された精霊ではない。竜崎によって、竜崎の血からその場で作り出された精霊達。目前に迫るそれを見た魔術士は、目を強くおののかせた。


「『禁忌の精霊術』…だと…!?」

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