330話 窮地。そして―

「いっ…」


さくらは恐る恐る目を開ける。槍が突き刺さった痛みは…ない。だが、自らのお腹からは黒い靄が大量に生まれていた。


『身代わり人形』―。竜崎が作ってくれたキーホルダーサイズのそれは、対象の身にふりかかるダメージを肩代わりする魔術道具。その発動の際、どこからともなく吹き出した黒い靄が、襲い来る凶刃を防ぐといった反応が見られる。



さくらも人形を貰った際、その様子を目にしていた。だが、あの時とは違う。ピンポイントの鎧のようにでるはずの靄が、今や次から次へと溢れ出しているのだ。


まるで身体から大量に漏れ出る血液のようなそれは、身に突き刺さりかけた槍を直前で抑え続けている。そして…


ボムッ

「…うぁっ…!」


一際強く靄は放たれ、槍は強く押し返される。その勢いに魔術士はよろけ、後ろに下がる。ホッとさくらが息をついた…次の瞬間だった。



パキ…パキキッ…

「え…?」


首元からの異音に、さくらはようやく気付く。見ると、御守りの横にぶら下げてあった身代わり人形の様子が変貌しているではないか。


人形のお腹の部分、そこにはまるで槍で穿たれたかのような穴が開いていた。そして、そこから全身に渡って、無数のヒビ。直後…


バキッ


人形が、砕ける。胴、手足…そして頭部も、竜崎が刻んでくれた桜の模様を散らすように粉となっていった。



身代わりの効果切れである。さくらを守るものは何一つなくなってしまった。もはや、彼女はただの街娘にも等しい。


「ッチ…! 忌々しい!!」


そうこうしているうちに、再度槍を構え直す魔術士。さくらが兵士のような戦いの心得があれば、その場から逃げ出すことも可能であったのだろう。だが背後は岩場で、そもそも足も強張って―。



「さくらさん…!!」

―さくら!―


「待て待て兄弟!」


と、その場にほぼ同時に駆け付けた二組の影。竜崎達と獣人である。竜崎達はさくらを庇うように立ち塞がり、獣人は魔術士を無理やり止めた。




「お前、せっかく俺が取引しようとしてんのに…! いやまあ流れたけどよ…! あー…と、あのガキはなんかに利用するとか言ってたろ? 殺すのは止めとけって…!」


断ち切られた以外の3本の腕を使い、力ずくで魔術士を抑える獣人。それでもなお、魔術士は怒り狂ったまま。


「放せ!獣風情がぁ!」


子供の癇癪を数倍にしたかのようなそれを警戒しながら、竜崎はニアロンをさくらに憑りつかせる。少し逡巡するような素振りを見せるニアロンだが、既にさくらには身を守る術はないようなもの。結局は竜崎の言う事を聞いてくれた。


「さくらさんを…頼むぞ…ニアロン…」


キッと前を向く竜崎。だが、彼には既に余裕がなかった。魔力を大幅に失い、立っていることがやっとの程度。加えて、魔術士達はたった数mほどしか離れていない位置にいる。


もし力を振り絞り精霊を召喚したとしても、瞬く間に消し飛ばされてしまうだろう。魔神とも呼ばれる高位精霊達ならばチャンスはあろうが、魔力消費量を犠牲にしたどんなに早い詠唱でも、確実にバレて止められるだけ。


更に、周囲には魔獣が唸りをあげながら迫ってきている。『窮地』。まさにその言葉が当てはまる状況であった。


かくなる上は……。 竜崎が内心で何かの決意を固めた、その時だった。






「放せと言ってるだろうが!」


一際強く、魔術士の罵声が響く。そして、幾つかの黒刃を空中に召喚したではないか。


来る…! さくらに触れさせまいと身構える竜崎達。が、魔術士は思わぬ行動をとった。


ドスッ!

「がぁあっ!?!?」


悲鳴をあげたのは…獣人。なんと魔術士は自分を抑えつける彼の、腕の傷口を突き刺したのだ。






仲間を刺す、しかも大怪我をしているところを狙うというまさかの暴挙。その行動に、竜崎達は言葉を失った。


当然予想なんてしていなかった獣人は痛みに悶え、反射的に力を緩めてしまう。魔術士はその隙を突き、拘束から脱出。


「よこせ!」


そして神具ラケットを奪い取り、槍を片手に、獣人の腕から抉り取った黒刃と共に竜崎達へと襲い掛かってきた。




「くっ…!」


たった数m、数秒の暇しかない中、竜崎は対抗せんと詠唱する。 が、その瞬間…。


ふらっ…

「……!」


竜崎の視界が、歪む。目が、回る。全身を、抗えぬ虚脱感と嘔気が包む。それは、魔力不足の症状であった。


詠唱途中の術式は止まり、途中まで出来かけていた障壁や魔法陣は全て消える。魔術士は目の前まで迫り―!


―清人!―


刹那、竜崎を庇うようにニアロンが前に出る。そして、即席の障壁を張った。




ガガガガガッ!


先行してきた黒刃達は、その障壁へと突き刺さる。急造品ながらも、なんとか阻止は出来た。が…。


「邪魔だ…! 幽霊が!!」


間髪入れずに飛び込んできた魔術士は、手にしていたラケットを全力で横薙ぎに振る。それは、割れかけの障壁ごと砕き…。


ボッ!

―うあっ…!!―


ニアロンの片腕を千切り、その身体を遠くへ叩き飛ばした。




幸い、ニアロンは霊体という特殊な身体。例え頭を消し飛ばされようが、魔力さえあれば復活は可能。加えて彼女は、宿主さくらとのリンクがギリギリ切れない位置で体勢を立て直すことが出来た。


…問題なのはそこではない。ニアロンが、現状唯一まともに戦える彼女が、竜崎達の元に戻るまで数秒は確実にかかる位置に飛ばされてしまったということである。



そしてその数秒が、





「ニ…アロン…! くぅっ…!」


歯を食いしばり、まともに動かぬ身体で魔術士に立ち向かおうとする竜崎。しかし、その時であった。


「リュウザキィ…お前に…!」

フォンッ


魔術士の身体が、消えた。 



(転移魔術…!!)


寸秒の思考の間に、それを理解する竜崎。だが、それでも遅かった。


「絶望を味わわせてやる!」


直後、魔術士が姿を現したのは…竜崎の背後。さくらの真横であった。




竜崎を直接狙わず、彼が大切に守るさくらを殺し絶望を与える―。それこそが魔術士の考えた『仕返し』。


既に魔導書の駆け引きは眼中になく、ただの復讐心からの行動。だが、それを…。


(止めきれない…!)


竜崎は歯噛みする。既に魔術士は手にした槍を引き、今にも刺し殺さんという勢い。魔術の詠唱は間に合わず、道具を取り出すことも体術で凌ぐことも何一つ叶わない。


さくらは悲鳴をあげ地に身を縮こまらせ、ニアロンは未だ遠い。この状況下、竜崎に残された選択肢はしかなかった。


彼はそれを果たすため、力を振り絞り、地を蹴った。 そして―



ドッッ






「……?」


さくらは思わず瞑ってしまっていた目を開ける。身体に痛みは走らない。しかし、身代わり人形は既に無い。


まさか、もう死んでしまったのか。そう思い、彼女はゆっくり顔をあげようとする。


ピシャッ

「…!」


と、何かが降りかかってきた。生温かいそれを、さくらは思わず手で拭い―


「―っ!?」


…息を呑む。濡れた手は、赤に染まっていた。絵の具のはっきりとした綺麗な赤ではない、黒く、毒々しさすらある…。瞬間、そこから香ったのは、鉄の香り。



「………………え……」


弾かれたように顔をあげたさくらは、声とも取れないそんな微かな音しか漏らせなかった。手の…否、全身の力が溶け消え、垂れ下がる。


目に映った光景を、彼女は信じることができなかったのだ。理解が、拒んでいた。


何故ならば…。




「がはっ……」


さくらの前に立ち塞がった竜崎の身を、黒き槍先が貫いていたのだから。

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