269話 白猫、急を告げる
「―てなことになっているだろうな」
シベルの解説に、一同苦笑い。唯一エーリカだけはフフンと鼻を鳴らした。
「良い気味ですわ!あの方達も兄様と同じようにリュウザキ先生に叱られて丸くなって欲しいものです!」
その言葉に渋い顔を浮かべるハルム。さもありなん。さくらは彼と顔を合わせられなかった。
「さて、戻るか。いくら助手達に任せておけるとしても、メイン講師の俺らがいないと意味がない」
講義に戻ろうと踵を返すシベルとマーサ。さくら達もそれに続こうとした時だった。
「あっ!丁度いいところに!」
彼らの前にスタンと降りてきたのは巨大な白猫。タマである。どうしたのかと問う前に、彼は焦った様子で口を開いた。
「馬車の事故のようです! 恐らく先程帰った参加者達が巻き込まれていると思われます!」
公爵邸がある街からそこそこ離れた道。森に囲まれる中、数台の乗り合い馬車がぶつかり合い壊れている。中に乗っていたのは先程まで魔術教室に参加していた、帰宅途中の村人達である。
「う…うぅ…」
打撲、傷、骨折…。衝撃で様々な怪我を負った彼らは動けずにいた。もうじき日が暮れる。森に棲む魔物がいつ血の匂いを嗅ぎつけ襲ってくるかわからない。痛みと恐怖が彼らを覆っていた。
「誰か…来てくれ…」
御者を務めていた男性は血が漏れ出る肩を押さえながら喘いでいた。身体が馬車に挟まってしまっているのだ。必死の思いで緊急信号は打ち上げたが、もう動けない。救援が来るのにはまだかかるだろう。もしかしたら、このまま魔物の餌となるかもしれない…。彼は顔を歪ませ空を仰ぐ。と―。
ボッ!
彼の上空を巨大な何かが通過する。その次に、微かな声が。
「いたぞ!」
「タマちゃん!戻って!」
すると先程通過していったであろう巨大な何かが身を翻し、身体が挟まれた御者の近くへとスタンと着地した。それは大きな大きな白猫。御者が苦痛に顔を歪めながらそちらを見やると、その背から降りてきたのは
「教えた通りだ!無理に全員の怪我を治そうとするな、まずは重傷者を探し出し俺達に伝えろ!」
「応急処置にはシベルが渡した回復薬と私が渡した聖水を活用してください!消毒効果がありますから!」
生徒4人に指示を出し、シベルとマーサは片っ端から怪我人に治療を施していく。患部を水精霊で洗い、消毒を施し、治癒魔術を詠唱…一連の動作は流れる水の如し。掠り傷程度ならば一秒掛からずに傷口を消滅させ、骨折した者には土精霊によるギプスまでもが施された。
そして馬車の残骸に挟まれた御者には―。
「マーサ、頼んだぞ!」
「えぇシベル!」
自らに強化魔術をかけ、馬車の残骸を持ち上げるシベル。その隙にマーサが御者を引きずりだした。
「下半身の感覚はありますか? …大丈夫そうですね。水精霊をお渡ししますので、お水の補給をして呼吸を落ち着けてください」
「何か身体に異常を感じたらすぐに言ってくれ。マーサ、次に行くぞ」
一方のさくら達も微力ながら奮闘していた。
「うっ…」
血を見て思わず顔を顰めるさくら。こういった事故が元の世界でないわけではないが、自身は見たことがない。特に傷口を見るのなんて、精々が紙で指を切ってしまった時程度である。それは貴族であるエーリカ達も同じ。寧ろ、さくらよりも血を見た経験が少ないかもしれない。
だが、彼らにとってあの授業…回復魔術及び聖魔術の授業を受けたことが幸いした。あれを受講してなければ、恐らく傷を見ることすらままならなかったであろう。授業で血を見たことは、覚悟を決める手助けにもなったのだ。
「ありがたや…ハルム様」
「エーリカ様…!なんとお礼を言って良いか…!」
「確かさっきのシルブを呼んだ子達…流石リュウザキ様の愛弟子だ…ありがとう…」
泣き叫ぶ子供をあやし、習いたての治癒魔術で怪我を治していくさくら達。回復魔術の詠唱呪文が繰り返し口ずさまれ、聖魔術の光が注がれる。怪我は次々と癒え、村人達は安らかな表情を取り戻していった。
「これで全員か?」
「御者の方々に全員の無事を確認してもらったわ。あまり大事じゃなくて良かった…」
全ての怪我人の治療が終わり、シベルとマーサは一息つく。幸いにして死者はなく、行方不明者もいなかった。後はタマが呼びにいっている救援馬車を待つばかりである。
「疲れた…」
そして地面にへたり込むように座るはさくら、ハルム、エーリカ。メストもまた、少し疲れた表情を浮かべていた。魔力を大量消費したという疲れより、怪我人への対処に寄る気疲れが彼女達の疲労を占めていた。医療職ではないのだ、当然である。
「先生達、凄いなぁ…」
治癒した人々に問診を行い、守りやすいように一か所に移動させるシベル達を見て、さくらは感嘆の息をつく。彼らは全く休むことなく作業を続けているのだ。しかも、一切喧嘩をせずに。
「お二人とも、いつもああだったら良いのですけど…」
エーリカが思わず零したその言葉に、さくら達はくすりと笑ってしまう。いがみ合いこそすれども、相手をリスペクトし合い、必要な時には迷うことなく協力する。憎めない彼らである。
そうこうしているうちにある程度の区切りがついたらしく、シベルとマーサは休憩しているさくら達の元に寄り、全員の頭をポンポンと撫でた。
「お前達、よく頑張ったな」
「おかげで助かりました」
褒められ、照れるさくら達。と、また…。
「お前達が居ればマーサが居なくても良かったかもな!」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわよ?」
始まった…。開戦する彼らに、さくら達は顔を見合わせ肩を竦める。止めようと口を挟もうとしたその時だった。
クンクン…
「待て、マーサ」
鼻をフンフンと鳴らしたシベルは、マーサを止める。彼の口調から何かを感じとった彼女は、シベルを追撃することなく辺りを見回した。
「まさか…」
「あぁ、その通りだ。チッ…!面倒なことになったな」
なにが起きたのだろうか。さくら達が詳細を問う前に、周囲の森から嫌な音…声が響いた。
「「「グルルルル…」」」
唸る魔物の声。いつの間にか、さくら達は魔物に囲まれていたのだ。
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