45話 図書館逃走
アリシャバージル図書館、この世界最大の所蔵冊数と広さを持つ図書館である。
増改築が繰り返されたせいで内部は縦横無尽に広がっており、歩き回るには地図必須。毎日閉館後には感知魔術を使えるゴーレムや魔術士司書が総出で迷子の確認をするほどに入り組んでいる。
ちなみに勤めている魔術士達もたまに迷う。まるでダンジョンのような複雑な構造になっている奇々怪々なる図書館なのだ。
…ということは逃げて隠れる側には好都合。さくらは右へ左へ上へ下へ、階段を駆け上り駆け下り、無我夢中で走っていく。
それを必死で追いかけるハルムの取り巻き達。閲覧に来ていた人々は走り去っていく彼女達を何事かと見送るしかなかった。
「どこいった!」
「あっちだ!」
「いやこっちだ!」
「別れて探せ!見つけたものはハルム様から褒賞を賜れるぞ!」
わっと散開する取り巻き達。その様子を、さくらは隠れて見ていた。
「どうしよう…大変なことになっちゃった…」
結局、恐れていた事態になってしまった。加えて、闇雲に走り回ったせいで、今いるところがどこかわからないという始末。
撒くことだけを考えて、帰り道のことなんて考えてなかったのだ。内部構造を知らないため、スパイのように見つからずに脱出するのは至難の業だろう。…いやそもそも、帰れないかもしれないのだけども…。
最悪見つかり次第吹っ飛ばせばいいのだが、ここは図書館。館内で乱闘騒ぎを起こすのは流石に気が引けた。
さくらは、今自身が隠れている部屋を見渡してみる。そこには誰も折らず、それどころか時計も窓もなく、少々暗めの灯りがついているだけ。
完全に迷子となってしまった…。どう状況を打開しようか、彼女は必死に頭を巡らす。と―。
「あっ、指輪…!」
ようやく、竜崎との約束を思い出した。これで竜崎さんに迎えに来てもらえばいいのでは!そう考え、さくらは御守りから指輪を取り出した。
だが焦ったせいか、それは手から滑り落ち、床に転がり落ちてしまう。そして、カツンと音を立てた。
「おい、こっちから物音が聞こえたぞ!」
人がいないのが災いしてしまった。指輪の落ちた音は意外にも響き渡り、追っ手を呼び寄せてしまう結果となった。
ドタドタと足音が近づいてくる。焦ったさくらは指輪を拾う暇もなく奥の本棚に身を隠す。
「ここか?」
「しらみつぶしに探せ!」
部屋へと入ってきた連中は、じわじわと近づいてくる。絶体絶命…、もう仕方ない…!とさくらは背中に背負っていたラケットに手を伸ばす。
―その瞬間だった。
ズォオ…
さくらは気づかなかった。袋に入れ背中に持っていたラケットの鏡部分が仄かに発光したことに。それと同時に、背にしていた本棚に真っ黒な穴が出来上がったことに。
「きゃっ…!」
そして無意識に背を壁につけようとしたさくらは―、その穴の中に吸い込まれてしまった。
すっぽりと彼女を包み込んだ黒い穴は、また普段通りの本棚に戻る。小さな悲鳴を聞いて辿り着いた取り巻き達はそんなことを知る由もない。逃げられたと勘違いし、別の場所を探しにいってしまった。
「痛った!」
べちんと尻もちをつくさくら。前にもこんなことがあった気がする…。と痛むお尻を撫でながら立ち上がる。
「どこ、ここ…?」
先程までいた図書館内とは全く違い、周囲は岩壁、まるで洞窟のよう。目の前にあった扉を開けようとするが、びくともしない。
「どうしよう…」
反対側を見ると、地下に続いていく階段があった。幸い壁に灯りがついており、先は見通せる。仕方なしにそちらに向かうことにした。
時は同じくして、職員室。ようやく、先の騒動についての話が持ち込まれた。
「走り回ってた生徒?そんな子いつでもいるでしょ」
「でも女の子が追いかけられていたんですよ、大丈夫かな」
「図書館の方に走っていきましたよ」
話合う教員達。丁度授業から戻ってきた竜崎はそれを耳にし、思わず手を見る。しかし指輪は発光することなく沈黙していた。
―清人―
「あぁ、万が一ということもある。探しに行ってみよう」
再度、さくら側。彼女は謎の空間をこわごわ進んでいた。
「すみませ~ん…。誰かいませんかー…?」
階段を降り通路を進む彼女。歩く先は照らされており、そこまで恐怖ではない。ただ、誰からの返答も帰ってこないのが不安を煽った。
と、少し先の側面から、一際強い灯りが漏れている。どうやら何かの部屋らしい。そこに辿り着いたさくらはこっそりと中を覗いてみる。
「…!?」
内部の光景に、彼女は唖然とした。声が、出なかった。
壁に張られた大きな紙に書かれているのは魔獣達の図。棚にあるホルマリン漬けのような入れ物には、魔獣のものだろうか、目玉や内臓、胎児等が詰められ幾つも並べられている。
端ではコポコポと大釜が音を立てており、別の端には封が厳重にされた、図書館内でも見られないような古ぼけた魔導書が幾つも重なり合っている。
まるで悪い魔女かマッドサイエンティストの研究部屋…そんな風体を醸し出していたのだ。
明らかにヤバい、直感的にそう判断したさくら。何も見なかったことにして先に進もうと思ったが、ふと目に入ったものがあった。
部屋の中央の机に置かれていた書物、というより手製の紙束。その表紙には見たことのある紋様が描かれていた。
前に賢者に見せてもらった鑑定品、そしてさくらが貰った鏡にも描かれていた紋様。確か魔界のものだったはず…。
ということはここは魔界の魔術士の秘密工房…? 魔界での一幕を思い出したさくらは誰もいないことをいいことに足を踏み入れ、その紙束の前に立つ。
付箋が貼られたページを開いてみる。そこには紙一面丸々使い、謎の魔物の姿が描かれていた。
巨大な女体を中心として、鱗や獣毛、羽が至るところに生えている。さらに節々から人のと獣のとが入り混じった何本もの手足が伸びているが、それらは地には届いていない。
女体の背からは別途に腹が伸びており、大きく膨らんでいる。それはまるでシロアリの女王のような見た目。
また、その腹部側面からも腕やら爪やらが何十本も伸びていた。そちらは地に接しており、それで移動をしているかのような図だった。
キメラというよりも、生き物を全てごちゃ混ぜにして作り出した芋虫のようなグロテスクな生物図。さくらは思わず吐き気を催してしまう。
ふと、彼女は端の方に小さく文字が書いてあるのに気づいた。『獣母』―、と。
それは太古に獣人達を作り出していた禁忌魔術の産物。そして、先代魔王が復活させた存在であり、竜崎含む勇者一行が打ち倒したという生物だったはず。
こんな異様な姿をしているとは…。この魔物から獣人や亜人の大元が作り出されたと考えると、さくらは何とも形容しがたい気持ちになってしまった。
ギィイイ、ガチャン
そんな折、遠くの方で扉が開く音が聞こえる。さくらが来た方向とは真逆、こちらに向かってくる足音が聞こえ始める。
こんな研究をしているなんて間違いなく危険人物。さくらは慌てて紙束を閉じ、元来た道を走り逃げる。
入口まで戻ると、先程まで開かなかったはずの扉が何故か開いていた。彼女は安堵の息とともに、その場を飛び出した。
「…とっとと…!」
外に出ると、そこは先程まで隠れていた図書館の一室。後ろを振り向いても本棚が佇んでいるだけ。ペチペチと叩いても、何冊か取り出して開いてみても何も起きなかった。
「なんだったんだろ…?」
またもや異世界転移でもしたのかな、それにしては獣母のことが書かれていたし…。首を捻るさくらだったが、指輪を落としたのを思い出して捜しに向かう。幸い部屋には誰も残っていなかった。
「あれー?どこいったのかな…」
机の下に潜り込んで、四つん這いになりながら探す。何も装飾がついていない指輪、見つけるのには少々手間がかかった。
「あ!見つけた!」
ようやく発見、拾い上げ御守りに入れる。良かったこれで一安心…
「見つけたぞ!」
…ではなかった。戻って来たハルムの取り巻き達に見つかってしまったのだ。
入口を封鎖され、逃げ場を失うさくら。じりじりと壁に寄せられる。
「何をする気なんですか…?」
「それはハルム様が決めることだ。俺たちはお前を連れて行くだけだ」
手が伸びてくる。さくらはそれに立ち向かうようにラケットを取り出した。一瞬たじろぐ取り巻き達だったが、剣でも弓でもない、およそ武器には見えない謎の道具に嘲笑の声が漏れる。
「そんなわけのわからない道具でどうする気だ?」
ムッとしてしまうさくら、ここで力を解放して吹っ飛ばしたい気分である。しかしそんなことをすると本ごと薙ぎ払ってしまうだろう。むやみやたらと大技を使うわけにはいかない。
「イチかバチか…!」
ウルディーネを呼び出し、脅してもらおう。それなら本に被害はない。ただ、まだ上位精霊の術式は教わっていない。精霊石の力を使えば無理やり普通の水精霊召喚で呼び出せないものか。
賭けに出るようにラケットを構え、詠唱を開始するさくら。水精霊石が青色に輝き、準備は整った。
「来て、ウルディーネ!!」
ラケット上に魔法陣が出来上がる。…あれ、ウルディーネの巨体を呼んだら建物壊れるのでは?慌てて止めようとしたがもう遅い。魔法陣は光り、精霊が呼び出され―!
「…! …へ?」
…出てきたのは…、妖精のような可愛らしい青色の精霊。じーっとこちらを見てくる。どうすればいいかさくらが戸惑っていると、精霊は頬を膨らませて魔法陣の中に帰っていった。
ウルディーネと聞いて逃げ腰だった取り巻き達もそれを見て大爆笑。
「あっはっは!なにがウルディーネだよ。特待生といっても呼び出せるわけないだろ!仮に呼び出せたとしても暴走させるのが関の山だぜ!」
そう吐き捨てた彼らは再度じりじりと近づいてくる。仕方ない、一発ラケットで張り倒すしか…!
さくらがそう覚悟を決めた時だった。
カッとラケットが勝手に動き出す。先程と同じように水の精霊石が輝く。さくらがはっと気づくと、御守りも青く光っている。どうやら中に仕舞った指輪が発光しているようだ。
先程より大きな魔法陣が展開し、強く輝く。そこからぬうっと顔だけをのぞかせたのは、頭頂部に赤い角がついた水竜、ウルディーネだった。
「ギャォオオオオオオッッ!!」
ウルディーネが、吼える。ビリビリと空気を震わすその咆哮は、周囲の本の幾つかを棚から落下させるほど。勿論、取り巻き達を縮み上がらせるには充分だった。
「「「ひいいいいぃい!!」」」
彼らは思わず部屋から逃げ出す。仲間を押しのけ、転びながら這う這うの体で散っていく。が―。
「コラァ! ガキ共騒いでんじゃねえ! 学園に突き出してやる!」
逃げ出した先で、大人の声が響く。彼らは司書達に捕まったようだ。
「助かった…の…?」
へたり込むさくら。そんな彼女の元に、男性が駆け寄ってくる。竜崎だった。
「大丈夫?さくらさん。ごめんね遅くなっちゃって」
「連絡してないのに…どうして…?」
「色々と騒ぎになってたから気になってね。途中で精霊達に聞いても場所がわからないから焦ったよ」
ほっと息をつく竜崎。それで先程のことを思い出したさくらは、興奮気味に説明した。
「「変な空間?」」
「はい、なんか如何にも危ない魔術の研究してそうな…」
さくらが先程見た謎の空間について聞き、竜崎達は首を傾げる。と、ニアロンは一応の納得を示した。
―なるほど、その部屋に入ったことが原因か。魔術の干渉遮断とは…危険だな―
その言葉に竜崎は立ち上がり、さくらに示された本棚に触れる。が、やはり何も起きない。
「とりあえず、上に報告してみるよ。もしかしたらお手柄かもね」
そう言い、はにかむ竜崎。と、そんな折、司書の一人が部屋に入ってきた。
「リュウザキ先生、ご協力ありがとうございました!」
「はーい。あの子達に私の事、内緒にしてくれました?」
「はい、指示通りに。ウルディーネに吼えられたから皆震えあがっていましたよ」
したり顔の司書、それでさくらは理解した。指輪を通じてウルディーネを召喚させたのは竜崎だったようだ。戻っていく司書を見送り、竜崎へさくらは問いかけた。
「どういうことですか?」
「ちょっとズルい方法だけど、これでさくらさんが上位精霊を使えることはハルムも知るはず。一流の精霊術士でも難しい技だ、認識を改めるはずだよ」
少しして、職員室。捕まった取り巻き達は、主はハルム・ディレクトリウスと口を割ってしまった。学園では貴族も王族も普通の生徒扱い、彼は呼び出されコテンパンに絞られた。
「まさか…まさか上位精霊を扱えるとは…。リュウザキ先生が連れてきた子というのは伊達じゃないのか…」
たっぷり叱られ、解放されたハルムはやつれ気味。ふらふらと廊下を歩く。
―と、そんな彼に声をかけた者がいた…なんと、竜崎である。
「やあハルム、随分と怒られていたね」
先程まで追いかけさせていた女の子を連れてきた本人を前に、身を竦ませるハルム。しかし竜崎は彼をちょいちょいと手招き、近場にあった椅子に座らせた。
もはやこれまでと悟ったハルムは、竜崎に全てを話した。
「なるほど、親に怒られるのが怖くて、か。だからって追いかけるのは野蛮すぎたねぇ」
「う…はい…」
「さくらさんに聞いたよ、原因は君の一言だって。普段の喋り方を柔らかくしてみたらどうだい?」
「で、ですがもう癖みたいなものでして…」
苦しい言い訳をするハルム。しかし竜崎は小首を傾げた。
「そうかい?先生方には普通に話せているじゃないか。私にも」
「そ、それは先生ですし…、特にリュウザキ先生は、英雄で、異世界の方ですし…」
「私は向こうの世界だと、ただの一般人だったよ。権威も何も無かったさ」
言葉に詰まってしまうハルム。竜崎はそんな彼を、優しく諭した。
「ハルム、今回の一件でわかったろう?余計な言葉は争いの元だって。不必要な悪言は関係を壊し、君を狭い世界に追いやる。厳しいことを言うようだが、君を守っているのは親である公爵様の威光だ」
ハルムはうっ…と声を漏らす。竜崎は、彼と目を合わせながら続けた。
「その輝きがなければ、君は『ただの嫌な奴』認定され、従う者はいなくなる。このままだと、威光すら無意味となるほど敵を作りすぎて、殺されちゃうかもね。それは君だけではなくディレクトリウス家の汚名にもなってしまうよ」
自分が殺される、そして家名に傷がつく。戦争を収めた英雄からのその言葉は重くハルムにのしかかった。彼は、思わず乞うていた。
「ではどうすれば…」
「簡単だよ、どんな相手にも敬意を示せばいい。どんな相手でも自分とは別の人生を歩んでいるんだ。当然君が知らない、わからない経験を積んできている。そこに敬意を払えばいいさ」
竜崎の提案に、ハルムはまたも言葉を詰まらせる。なにせ今まで威張ってきたのだ、敬意の払い方なんてわからない…。
「なに、最初から敬語を使えとは言わない。一言一言、相手の尊厳を傷つけないか考えながら話してみればいい。いずれ慣れたら、君は立派な公爵の跡継ぎになれるよ」
ポンと彼の肩を叩き、手を振り去っていく竜崎。その直後、別途に叱られていた召使達が、主を見つけ走り寄ってきた。
「ハルム坊ちゃま、ここにおられましたか! 申し訳ありません…」
謝罪を口にする彼ら。しかし当のハルムは上の空で、一言呟いた。
「敬意を…」
「? 坊ちゃま…何か…?」
こわごわ問う召使達。ふと、ハルムは不意に立ち上がる。そして、言葉を選ぶように、口を開いた。
「…無茶をさせてしまって…すまなかった…」
いつものように罵詈雑言が飛んでくると身構えていた召使達は、目を丸くし顔を見合わせる。そして揃って、ハルムの顔を見た。彼は、少々気恥ずかしそうに顔を背けた。
―あれでいいのか?―
「あぁ。既に叱られているからな、そこで俺が怒っても追い詰めるだけだよ。公爵様からも性格を直してくれと頼まれていたことだし、これを機会に自分を見直してくれればいいんだけどね」
物陰からその様子を見ていた竜崎はクスリと笑う。そして、呟いた。
「さて、あとは…あっちのほうだな」
深夜、図書館はとうに閉じ、館内は暗くシンと静まり返っている。
カツン カツン…
誰かが、歩いている。灯りを片手に持つその影はとある部屋に入っていく。そこは、昼間さくらが逃げ込んだ部屋。
人影は、さくらが謎の部屋へと入った本棚へ手をかざす。そして、何かを詠唱する。すると黒い穴ができ、影はその中に入っていった。
階段を降り、道を進む。辿り着いたのは、やはりさくらが迷い込んだあの部屋。そこには…老爺が一人待っていた。
「来たかの、リュウザキ」
「はい、お手数をおかけしました。ミルスパール爺さん」
―まさかさくらがここに迷い込むとは…。鏡を鍵代わりにしていたことを忘れていたな―
やれやれ、と溜息をつくニアロン。賢者ミルスパールも同意した。
「ほんとにのぅ。侵入者の知らせがあったから来てみたらさくらちゃんだったとはのう。もう取り消したから、鏡で勝手に入ることはないじゃろう」
「精霊が彼女を見失ったからもしやと思いましたが…。なんとお詫びするべきか…」
「まあまあ、隠し通せたから良いじゃろう。獣母のスケッチ程度ならば問題ない」
謝る竜崎を手で制する賢者。ニアロンはさくらも見た紙束を持ち上げ、パラパラと捲った。
―危ない魔術の研究をしてそうだとさくらは言ったが、大当たりだな。なにせここは、『禁忌魔術』関連を隠し、研究するための穴倉なんだから―
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