2話 竜崎清人

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目を開ける

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また目を開ける―


いくら瞬きしても、念じても、目に映るのは見慣れぬ天井。電灯は存在せず、ただ屋根を支える梁が見えるばかり。少女はため息をつく。


雪谷さくらは先程からベッドに寝ころび、この行動を繰り返している。異世界と思われる世界に転移してきて何時間が経ったろうか。こちらの世界にも夜は訪れるらしく、日は既に沈み、周囲は夜の帳に包まれている。


幸いにしてどこかに明かりがあるのだろうか、窓の外から仄かに光が入ってくる。それに部屋にも、ランプらしき灯りをつけて貰っている。


更に窓から見える空には今までみたことのない満天の星空が広がっているが、今の彼女にそれを楽しむ余裕はなかった。



クレアと名乗る女性と、その息子と思しき男の子はとても世話を焼いてくれた。見たことのない食材が使われていたが味は抜群な食事を提供してくれたり、飲み水だけではなく、ジュースと思われる甘い飲み物も幾つか持ってきてくれた。また、話し相手になってもくれ、「大丈夫」と何度も励ましてくれた。


男の子のほうも、大切なものなのだろう、頁がよれるほど読み込まれた図鑑や絵本、綺麗に磨かれたオルゴールのようなものを持ってきてくれた。しかし、描かれている動物や人物、流れた音楽は見知らぬものであり、別世界に居るという事実をより鮮明にしてしまった。


「寝れない…」


そう呟き、また先程の行動を繰り返す。スマホをいじろうにも、当然の如く圏外、保存してある音楽をかけても気持ちは晴れず、ただ悪戯に電池を消費してしまうのを恐れ使うのを止めた。いつもは開くだけで眠くなる教科書類を読んでも、こういう時に限って眠気は襲ってこない。


疲れはしている。全く知らない町に飛ばされ、言葉も通じず、極めつけに世界すら違うと言われれば体力を使っていなくとも精神がやられるだろう。まだ正気でいられるのは私が強い子だからだ。そう自分自身に言い聞かせ、少女は得も言われぬ不安を無理やり抑え込んでいた。


結局眠ることができず、白みはじめた空を力なく見つめていると―


ブワッ! ガタガタ…


突風を起こしながら、何かが窓の外を通り過ぎた。窓枠が揺れる音が響くが、すぐに収まった。


突然の出来事に驚いた少女が体を起こすと、呼び鈴が鳴った。パタパタと誰かが走り、扉を開ける音が聞こえる。来客のようだ。さっきの物体は何だったのか、眠れずボンヤリする頭を振り考えていると―。

 

トントン  


部屋がノックされた。クレアさんかな、と思い掠れ声で返事をする。それを聞き、部屋へ入ってきたのは灯りをもつクレアと、見知らぬ男性だった。


「だ…だれ…?」


男性の身長は高めで、白くゆったりとしたローブを身にまとっている。髪は白髪に黒髪がところどころ混じっている。肌つきから若くはなさそうだが、髪色のせいで正確には判別不能。優し気な顔をしており、一目で善人とわかる出で立ちをしていた。


クレアは男性を案内すると、彼に後を託すように部屋を出て行った。すると、男性はようやく空地を開いた。


「ハジメマシテ、ユキタニサクラ、サン。デ、オナマエアッテイルヨネ?」


彼の口から出たのはクレアほどではないが、かなりカタコトの日本語。反応に困りつつとりあえず頷くと、本人もうまく喋れていないのがわかったのか…。


「チョットマッテテネ…エット、ナマムギナマゴメナマタマゴ」


突然早口言葉を始めた。


「アカマキガミ、アオマキがみ、キまきがみ…。とうきょうとっきょ許可局…あれ、なんだっけ…」


と、どうやらその先が出てこないらしく首をひねる男性。恐る恐るさくらが続ける。昔、それで友達と盛り上がったことがあったから覚えていたのだ。


「許可局長…でしたっけ?」


「それだ!」


それを聞いた男性は目を輝かせながら手を打った。





「東京特許許可局許可局長…そうだそうだ、そうだった」

嬉しそうに頷く男性は、趣旨からずれていることに気づいて、少し照れながら話し始めた。


「えーと、これで聞き取りやすくなったかな?」


半日ぶりに聞く流暢な日本語に思わず何度も頷く。すると男性はにこやかに笑った。


「よかったよかった。改めまして、雪谷さくらさん。私は竜崎清人、あなたと同じ国の出身です」


「は、はい!初めまして!」


さくらは慌てて立ち上がろうとする。しかしそれを竜崎が優しく止める。


「大丈夫、座っていて。ところで、体は異常ない?」

そう言われ、さくらは自分の体を確かめる。特に怪我や体調不良はない。強いて言えば―


「ドキドキが止まりません…」

さくらは未だ興奮と不安冷めやらぬ胸を押さえる。竜崎は同情するように頷いた。


「そうだよね、来たばかりだもんね。大変だったでしょう。 ちょっと深呼吸してみようか」


とラジオ体操のような身振りで促した。さくらもそれに従い、大きく深呼吸を行う。


「どう?少しは心音落ち着いた?」


「はい、ちょっとだけ…」


それを聞き、うんうんと頷く竜崎。するとどこからか声が聞こえてきた。


―もうそろそろいいかい?私もお目見えしたいんだが―


クレアとは違う女性の澄んだ声。思わず辺りを見回すさくら。一方、竜崎は複雑な顔をしており…。


「あんまり畳みかけたくないんだけどね…もう少し落ち着いてからで良くないか?」


と自らの背後に向かって話しかける。だが変わらず女性の声は響く。


―確かめなければいけないこともあるだろう?いつ彼女に限界が来るかわからないんだ―


その言葉を聞いた竜崎は渋々承知、申し訳なさそうにサクラに話しかける。


「ごめんね、ちょっと紹介したいやつがいるんだ。あんまり驚かないでね?」


「え…?」


さくらが自然に扉に視線を移すと、楽しそうな笑い声が響く。


―そこじゃないぞ。こっちこっち―


そんな声と共に、竜崎の背中から何かが立ち昇る。それは空中で静止し、金髪碧眼の童女の形を成した。


―こんにちは、さくら。声の正体は私だよ―




「ゆ、幽霊!!」


目の前に現れた浮遊する人物をみてつい叫ぶさくら。それに不満なのか、推定幽霊は頬をむくらませた。


―失礼な、私はまだ死んでいないぞ―


そのやりとりを見ていた竜崎は言わんこっちゃないと手を顔に当て、ため息をつく。


「だから後にしろって…。ごめんねさくらさん、これ飲んで」


口をパクパクさせているさくらに竜崎はそっと水筒を渡す。竜崎の飲んで、という手ぶりを見て、さくらはこわごわと口をつける。


「あ、おいしい…」

水筒の中身は丁度良い温度の柔らかな味のするハーブティーだった。落ち着きを取り戻したさくらを確認して、竜崎は説明をする。


「ちょっとした薬草茶なんだ。リラックス効果もある。どうだい?こいつの姿、落ち着いて見れる?」


竜崎に促され、再度浮遊する人物を見る。バツが悪そうにしている彼女に幽霊のような恐ろしさはなく、先程よりすんなり受け入れられた。


「だから落ち着いてからにしろって言ったろう。余計なストレスをかけるな」

竜崎に怒られ、「悪かったよ…」と反省する女性。さくらはいたたまれなくなり、謝罪する。


「あ、あの幽霊なんて言ってごめんなさい…」


「いや本当にごめん、悪いのはこっちのほうだ。さて、改めて―」


―改めて。私の名前はニアロン。先程は驚かせてすまなかった―


と、竜崎の言葉に食い気味に被せつつ、霊体少女は威厳たっぷりと自己紹介を行った。


「あっいえ、私の方こそ…」


慌てて頭をぺこりと下げるさくら、その間にニアロンと名乗る浮遊体はふわふわと近づき、さくらが顔を上げると同時に頬を支えるように触れてきた。


―さあ、少し失礼するよ―


そういうが早いか、ニアロンの目が光り、二人の周りの大気が渦巻き始めた。状況が理解できず目を白黒させていると、ニアロンは落ち着かせるように優しい声で説明をした。


―心配するな、ちょっとした身体検査さ。気を楽にして…―

そう言われ、さくらが強張った肩から力を抜くと、渦巻いていた大気がさくらの全身を包んだ。


「ひゃっはは!く、くすぐったいです…」

体の隅から隅まで撫でるような感覚を感じ、思わず笑い転げる。10秒ぐらいだろうか、渦はいつの間にか治まっていた。


―うん、特に異常はない。やはり清人と同じ出身なんだな、魂が似ている―

ニアロンは振り向き、竜崎に結果を報告する。それを聞いた竜崎はホッと胸をなでおろした。


「良かった。魔力酔いやアレルギー反応がなくて」


―とりあえず関門は一つ突破だ。さて、次はこの子の意思確認だな―


「ああ。さくらさん、一つ提案があるんだが、私達と共に来てくれないか?生活の手助けになれると思う」


竜崎の言葉に思わずうなずきかけるさくら。しかし慌てて首を振り、意思を伝える。


「私、帰りたいんです。学校もあるし…夏休み入ったし…友達との約束もあるんです!お願いします、帰らせてください!」

思わず必死になるさくら。それを聞いた二人は残念そうな顔をする。そしてニアロンが絶望的な事実を突きつけた。


―すまない、さくら。その『元の世界』に帰る方法はわかっていないんだ―





その一言に顔が固まる。理解するのに数秒を要し、涙が溢れてくる。


「なんで…せっかく夏休み入ったのに…楽しみにしていたのに…なんで…」


涙を手で拭っても収まらない。その様子を見て竜崎はハンカチを渡す。


「…ありがとうございます」

礼こそ言えたものの、絶望感は消え去ることなく心にのしかかり、涙は止まらない。


と、竜崎は意を決したように床に正座をし、頭を下げた。


「本当に申し訳ない。帰還方法を見つけられなかったのは全て私の力不足が原因だ。自らの至らなさが恨めしい…」


大の大人が床に座り込み、ベッドに腰掛ける少女に謝罪をする絵面はあまりにも特異。さくらも泣いている場合ではないと思い、無理やり涙を止めようと目を押す。


竜崎は正座をしたまま、言葉を続ける。


「私一人では力不足だった。だから君の力を貸してほしい。昔の私のような状況に置かれた君を、このまま放っておくわけにはいかない。君の身の安全は私達が全力で守る。そして、帰る方法も必ず見つけ出そう。どうか、私と来てほしい」


さらにもう一度、深々と頭を下げる竜崎。ニアロンも続く。


―私も全身全霊をかけて助力させてもらう。だから私達を信じてくれ―



赤くなった目をこすり、さくらも意を決する。彼らの『帰る方法がない』という言葉を信じるならば、このままここにいてもクレアさんに迷惑をかけるだけ。ならば事情を知っており、ここまで言ってくれている二人についていったほうが…


「わかりました…お力になれるかはわかりませんが…」


さくらの涙を堪えた返事を聞いた竜崎は立ち上がり、優しい顔をして礼をする。


「信じてくれてありがとう。異世界に飛ばされ不安な中、よく決断してくれた。君は強い子だね」


―案外、清人より性根は強いかもな―


とニアロンが茶化した。





―さて、そうと決まれば出立しようか。さくら、すぐ出られるかい?―


「早くないか?この子は疲れているんだ。少し休ませてからでも…」


―ナディが心配するだろう?色々と向こうのほうが都合がいいしな。大丈夫さ、さくらの体は私がしっかりと支える―


またもニアロンに説得され、竜崎は申し訳なさそうにさくらに向き直った。


「忙しくてすまないが、今の私達の住処がある街に移動したいんだ。荷物をまとめてくれるかい?」


「あっ、はい。…とはいっても荷物ってあのバッグとラケットだけですが…」


さくらが指さした場所に置かれたテニスラケットを見て、竜崎は思わず目を細める。


「へぇ、テニスか。懐かしいな…。 あぁ、失礼。じゃあ行こうか」


さくらが立ち上がるのを確認し、荷物を率先して持つ竜崎。ついてきて、と目配せをして先に外に出る。さくらがその後を追い外に出ると、クレアと大きな白い毛玉がいた。


なにこれとさくらが訝しんでいると、竜崎が何かを毛玉に向け言葉を発した。


「タマ、”$”!#」


すると毛玉は動き出し、伸びをする。猫のように。


「おっきい…」


ふわふわの長い毛を揺らし、四本足で立つ獣は、動物園でみたゾウより体高はないものの、人が数人は乗れそうな体の長さをしていた。


「この子はタマ。色々と力を貸してくれる子なんだ。この子に乗って移動するよ」


「えっ、でも私動物に乗ったことないですよ!?」


―心配はいらない。私が体を固定する。寝ながら乗っても構わないぞ―


自信満々に胸を張るニアロン。大丈夫なのかなと不安そうな表情を浮かべるさくらの元にクレアが近づいてきた。


「サクラ、コレアゲマス。アナタノブジヲ ワタシモイノッテイマス」


と何かを手渡す。


「これは…?」


「オマモリデス。テヅクリデスガ、ワルイモノカラ アナタヲマモッテクレルデショウ」


「あ…ありがとうございます!クレアさん。お世話になりました!」


クレアはギュッとさくらを抱きしめる。

「モシ、ナニカアッタラワタシヲタヨッテクダサイ。ワタシモ、アナタノミカタデス」


「はい…ありがとうございます…!」


さくらはまた涙を少し流してしまった。




先に跨っていた竜崎の手を借り、タマに乗る。するとニアロンがなにかを口ずさみ、さくらを囲むように障壁ができる。


「これって…?」


―魔術製の揺り籠のようなものだ。この中ならゆっくりできる。目的地までかなり距離があるから、寝ててもいいぞ?―


同じく何かを詠唱していた竜崎も唱え終わったらしく、さくらに問う。


「空を飛んでいくけど、高いとこ怖かったりする?」


大丈夫です、と答えるさくらに対し、ニアロンはやけに楽しそうに話す。


―空の旅とは豪勢だな!いいのか?―


「大切なお客様だ、あまり揺れないほうがいいだろう。 タマ、疲れているだろうけど、もう一回頼む!」


―その言葉じゃ伝わってないだろう―


ニヤニヤと笑うニアロンの声に竜崎はハッとし、再度指示を送る。


「そうだった。タマ、%)”!#=!」


するとタマと呼ばれた巨大な白猫は空高く飛び上がり、空中を駆け出す。手を振り見送るクレアはどんどん豆粒のようになっていった。

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