1話 転移

「じゃーね、また今度!」

「夏休み、存分に楽しもーね!」


雲一つない快晴、しかしうだるような暑さもなく、意外と心地よいとある日、とある場所。


明日から夏休みらしく、浮かれながら帰路につく女子中学生たち。楽し気にお喋りしつつ、皆でお出かけ計画を練っている。それが実行されるかは本人達にも曖昧だが、そんな話をするのが楽しいと言わんばかりだ。


「あ、私こっちだ、じゃーね!」

「あ、そっか。じゃーね!次いつ遊ぶか考えといてねー!」

「「「またねー!」」」


姦しい集団から一人抜け出す。どうやら家の方向が他の子と違うようだ。抜け出した女学生は栗毛のポニーテールを揺らしながら軽やかな足取りで別の道を進む。持ち帰りの教科書が入ったバッグや、部活で使用したと思われるテニスラケットの野暮ったさを感じていないかのように歩いている。


「ん?」


ふと、大通りから外れた細道が目に入る。毎日見ているが興味すら抱かなかった道。今日は不思議と見つけてしまった。


「…なにか面白いものあるかなー?」

終業式で学校は昼間終了、天気は抜群、明日からは夏休み。ウキウキが止まらない彼女に少しの冒険心が芽生えた。念のためスマホをすぐに取り出せる位置に入れ、心配性な父親から渡された防犯ブザーを手にふらりと細道に吸い込まれる。



「なにもないなぁ…」


道を進めども進めども何もない。隠れ家的な喫茶店とかあれば、とも思ったが、あるのは誰かの家と廃墟、茂みだけ。途中猫が日陰で気持ちよさそうに伸びていたため、友達に見せるために写真を撮ったが収穫といえばそれぐらい。不満が残る結果となった。


せめてどこか大通りに繋がるまで歩いてやる!と多少ムキになって歩くも束の間、鬱蒼とした林に当たり、そこで道は途切れた。


「ちぇー…」

渋々と引き返そうとしたが、ふと今いる場所がどこかを知りたくなり、地図アプリを開こうとスマホをとりだす。すると…


「ん?まだ道が少し続いてる?」


地図に映る現在位置から少し先まで道が伸びている。表示のミスかなと疑いつつ、念のために森の奥を窺ってみると―。


「あれ…なんか光ってる」

林は鬱蒼とはしているが、日光が入らないほどではない。それゆえにぱっと見では気づかなかったが、少し奥の大きめの木の裏でなにかしらがほんのりと輝いている。


そう遠くもない、ちょっと確認するだけなら…。 不安よりも興味が、あるいはせめて何か見つけなければ帰れないといった気持ちに背を押された彼女はテニスラケットを構え、防犯ブザーの紐を張り詰め、恐る恐る進んでいく。出るのは鬼か蛇か、人かゴミか―



パチ…パチ…


「なに…これ…」

光の正体は小さくパチパチと音を立てながら輝く小銭サイズの小さな穴。しかも、空中に浮かんでいる。


「えっ…こわ…」

とりあえず写真に収め、距離をとろうと振り向く。その瞬間だった。


「きゃあ!」


シャッと足を掠めるなにか。どうやら寝床を荒らされた野良猫が逃げ出したようだが、正体を知る由もない彼女は驚き、足を滑らせる。そして、あの穴にぶつかる。


バチ…グオン!


瞬時に穴は広がり、彼女を飲み込む。そして、パチンと軽い音を立てて、あたかも何も存在していなかったかのように消え去った。その様子を見ていた者は誰もおらず、ただそよそよと風が吹き木々を揺らした。





「あうっ!」


少女は尻もちで着地する。が、予想以上に痛い。地面は土のはずなのに―


「あれ、石…畳?」

手の感触に違和感を感じ、見やる。そこには綺麗に広げられた石畳が地面を作っていた。


「えっ!なんで!」

慌てて顔を上げてみると、周囲は林ではなく、どこかの広場。人で賑わい、人で…人…


「…!」


思わず息をのむ。人間だけじゃない。全身獣のように毛に覆われていたり、肌が青かったり赤かったり、角が生えている人型の存在がそこかしこに混ざっている。


着ている服も違う。少なくともスーツや洋服を着ている人は存見受けられない。皆、見たことのない服や、一目で民族衣装とわかる服をまとっている。


建物も違う。石や木でできていることがわかる外観で、さっきまで見てきた住宅とは何一つ違う。海外の観光地にこんな街並みあったような気がする。


今までと全く違うその景色に、少女は尻もちをついたまま目を白黒させるしかなかった。




「#$%(!)?」


ふと、横から誰かの声が聞こえる。少女が弾かれたように声の元に目を向けると、心配げな顔をしている人が何人かこちらに近づいてきた。


「%(&&”~?」


「えっと、ないすとみーちゅー…」


確実に日本語ではないその言葉に、少女は反射的に英語で答える。こんなことなら英語をもっと勉強しておけばよかったと内心考えながら。しかし、相手は困ったように続けて言葉らしきものを発する。


「==-”#%<+ #$!””」


なにもわからない。わたわたしていると、手を伸ばしてきた。捕まれという意味だろうか。恐る恐る手を伸ばし返し、手を握る。すると引っ張りあげ、立たせてくれた。


「あっ、ありがとうございます…」

 状況が全く読めず、頭が混乱したままだったが、お礼は言えた。


「<*+*”、%&&=~?」

「&&%”)(&)?」


相手も知らない言語を使う子だとわかったのか、ゆっくりと何かを尋ねてきた。が、わからない。次第に責められている感覚に陥った少女は縮こまってしまう。


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


少女の口からは誰に向けているかわからない謝罪が漏れる。相手も質問攻めで困らせていることに気づいたのか、申し訳なさげに何かを喋る。だがそれは彼女をますます強張らせてしまうだけだった。


ふと、散らばった荷物を集めてくれていた一人が防犯ブザーを拾い上げ、裏を見る。そこには剥がすのが面倒で貼りっぱにしていた使い方説明が書いてあった。それを見るとなぜか驚いたような声をあげた。


それを不審に思い何人かが防犯ブザーをのぞき込むと全員が驚いた表情をし、俄かにざわつき始める。女学生も流石にその様子に気づいたのか、顔を上げる。すると、一人が慌ててどこかへと走り出した。防犯ブザーを手に持ったまま。


「あ…私の防犯ブザー…」


人混みに消えていった防犯ブザーを追いかけようと反射的に体が動く少女だが、他の人に静止された。手のひらを前に突き出し、何かをお願いしているようだが、やっぱりわからない。そんな間に騒ぎは広がり、いつの間にか彼女を中心としてざわめきの輪ができていた。


「どうしよう…」


好奇の目に晒され、少女の心が不安で押しつぶされそうになった時。防犯ブザーを持って行った人に連れられ、母親のような優しい雰囲気を湛えた女性が走りこんできた。女性は上がった息を整えつつ、話しかけてきた。


「コトバ、ワカリマスカ?」




日本語覚えたての外国人のようなカタコト具合。だが、ここに来て初めて聞き取れる言葉にすごい勢いで頷く少女。すると相手の女性はホッとしたような顔になり、会話を続ける。


「ワタシハ クレア トイイマス」


「ゆ、雪谷さくら っていいます」


「サクラ。キレイナハナノ ナマエデスネ」


「あ、ありがとうございます…」


女性はにっこり笑い、少女の手を優しく握った。


「サクラ、ワタシトキテクダサイ、イエニショウタイシマス」


「え、あ、はい。お願いします…」


その返事を聞き、女性は近場にいた人に何かを指示し、女学生の荷物を運ばせた。


「サ、イキマショウ」




流されるまま手を引かれ、少し離れた住宅に案内される。


「コノヘヤヲツカッテクダサイ。ゴハン、ホシイデスカ?ミズ、ホシイデスカ?」


客間のような一室に通され、もてなしをうけるさくら。彼女の質問より、兼ねてからの疑問が先にでる。


「あ、あの!ここってどこなんですか!?」

つい焦って声が大きくなってしまう。しかし、彼女は驚かず、こう答えた。


「ココハ、『イセカイ』デス。アノヒトガイウニハ、デスガ」


「イセカイ…異世界? 異世界!!?」


少し予想はできていたが、それでも実際に現地人から聞くとリアリティが増す。無論これがドッキリの可能性はあるが、大掛かりすぎるし、自分が標的なのもおかしい。芸能人や読モに行うだろう。私はそんなお洒落な子じゃないし。そんな謎の自覚が彼女にはあった。


混乱が極まり、目の前がぐるぐると回り始める。クレアもさくらの様子がおかしいのを感じ取ったのか、多少強引に腕を引き、備え付けのベッドに腰掛けさせる。


「オチツイテ、サクラ。イマハヤスンデ。センセイガクルマデ」


「せんせい…?お医者さんのことですか…?」


「イイエ、アナタトオナジ、 ヒト デス」


その言葉に驚いていると、部屋の扉がノックされる。クレアが声をかけると扉が開かれ、小学校高学年ぐらいの男の子が姿を現す。その横には男の子の身長と同じぐらいの大きさの鳥が控えていた。男の子から紙とペンらしきものを手渡されたクレアはいそいそと何かを書き込み、折り畳み、鳥の足に取り付けられた容器に入れた。


クレアは振り向き、申し訳なさそうにさくらに話す。


「イマカラ センセイヲヨビマス。ハヤクテアシタノアサニナルデショウ。ソレマデハ、サビシイデショウガ、タエテクダサイ」


そうクレアが話している間に男の子は鳥を引き連れ、外にでる。そして、空に放った。鳥は大きく一声鳴き、どこかへと飛び去って行った。


さくらはただそれを目で追う事しかできなかった。






所変わり、王都アリシャバージル。 かつての戦争を終結させた預言神託の地である。


都のシンボルでもある巨大図書館。世界中の書物がここに集められていると言われており、古文書、魔術書、研究書、伝記、小説、各国政府広報、絵本等、所蔵数は職員でも把握しきれない量である。それらの本を収めるために館は増設、複雑化を繰り返しており、通路を知らずに歩くと端から端まで到達するのは数時間は優にかかるというほどの巨大さである。


その左右に付帯する2つの施設がある。片方が研究施設、通称『学院』。もう一つが養成施設、通称『学園』である。図書館と合わせて「アリシャバージルに知恵あり、技あり、力あり」と他都市に知られるほどに名高き施設群である。



鳥が飛んでいる。優に男の子ほどあろうかという巨大な鳥だ。鳥はアリシャバージル空中に来ると急降下、『学園』に降り立つ。伝書鳥担当の職員がそれを見つけ、手紙を取り外す。手紙の宛名を確認し、「緊急」の文字を認め配達に走る。



学園内、とある教室。50人ほどの生徒が教師の解説に耳を傾け、メモをとっている。教師はいつものように、弁舌を振るっていた。


「火精霊のうち、上位存在であるサラマンドは基本的に火山内に生息しており、外部で活動することはほぼありません。そのため、もし火山外で発見された場合、それ相応の問題、例えば火山噴火が起きる可能性があります。もし観測した場合は近場の村に避難通達を行い、調査隊に要請を行ってください。余談となりますが、使用済み精霊石に再度力を吹き込むのに効率がいいのは高位存在の近くです。サラマンドの生息場所は火山であり、そこいらにポンと存在しているものではありません。ゆえに火の力の込め直しは火山を保有する国家の権益になっています。近場だとゴスタリアがそうですね。そのため火の精霊石は、他精霊石に比べ価格が高くなっています。しかし家庭用、商業用のものは武器用、祭事用のものより価格が抑えられています。その理由は、出力の差もありますが、世界暦3547年に行われた各国王会議により価格改定が協議され―」


その時、教室の扉がノックされ、息せき切った職員が入ってくる。手渡された手紙を読み、教師の顔色が変わる。


「ごめん、ナディ。緊急事態だ。講義から離れる」


「えっ!先生!どうしたんですか?」


近場に控えていたナディと呼ばれた教師の助手らしき女性は、突然の授業放棄宣言に驚き戸惑う。


「本当すまない、説明は後でする。あと、恐らく明日いっぱいはお休みを貰う」


「えっあっはい!通達しておきます。あっ、この講義は…」


「少し早いが自主練に移らせてくれ。なんならナディが講義をしてもいい。大丈夫だ。君は優秀だ。問題なく進行できるさ」


そういうか早いか、先生と呼ばれた男性はあたふたしているナディを横目に生徒達に講義離脱の旨と謝罪を簡単に行い、教室を走り出ていく。


「タマ!」


男性の呼び声に反応し、教室内で寝ていた長毛種の白猫のような小型獣が走りついていく。一人と一匹が近場の庭に出ると、獣はみるみると大きくなり、人を背中に乗せられるほどに大きくなった。男性は背中にまたがり指示を行う。


「エアスト村だ、タマ。全身にありったけの補助魔術をかける。全速力で向かってくれ」


すると、タマと呼ばれた獣は流暢に言葉を返す。


「承知、ご主人。ご主人が最初に降り立った村ですか、何があったので?」


詠唱に移った男性の代わりを務めるように、今度は女の声が響く。


―同郷の子が来たとさ! 『異世界』からのな!―


「なんですと!では急がなければなりませんね!」


男性の詠唱完了を確認すると、獣は大きく飛び上がり、一足飛びで都の外に出る。そして突風の如く駆け出して行った。

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