第14話 ソウルストーンの条件

 ゼオンの繁華街にある高級タワーマンションの一室で、ルシエンは座ったまま、テーブルに置かれたティーカップを見つめている。カップの中から湯気が立ちのぼり、華やかな花の香が漂ってくる。

 ジョーはすっかり元気を取り戻している。主の首元に巻き付きつながら、スカーフから少しだけ頭を出して、いつもと異なる風景を興味津々に眺めている。精霊の怪我はエーデルさえあればすぐに癒えるのだ。

 駄々広いリビングだ。50坪程だろうが、舞踏会を開いても余裕だろう。ルシエンが腰かけている六人掛けのテーブルもちっぽけに見える。壁の一面がガラス張りで、最上階であるこの部屋からはゼオンの街を形作るコンクリートの森が一望できる。見上げれば、緻密な装飾パターンの施された天井が視界を埋め尽くした。これ見よがしにぶら下がっている巨大なシャンデラ、その投影が磨かれた大理石の床を豪華絢爛に染め上げていた。

 ルシエンはひっそりと舌を打った。まさしく贅を尽くした空間だ。華美な装飾以上に広さが受け入れ難い。狭い部屋と細い露地に慣れたせいで、壁が遠いことに不自然さを覚えるほどだ。人口過密で限られたスペースしかないゼオンにとって、広い空間に居ること自体、罪深いほどの贅沢なのだ。

「この建物は、元々帝国ホテルだった。数年前、大不況により帝国はゼオンから資金を引き揚げた。ここはその時に分譲マンションとして裕福層に売り裁かれた」

 ルシエンの考えを察したように、フルスが淡々と説明した。

 小さく鼻を鳴らし、ルシエンは茶を啜った。

  

 すべてはフルスの予想通りだった。LOHで優勝を果たし、ルシエンが訪ねてきた。フルスは素っ気なく振る舞う彼に目を細めた。条件が何であろうと、飲み込ませてやると言わんばかりの、自信満々な表情だ。


 カップを置くと、ルシエンの視線はある一点に吸い寄せられた。ソウルストーンの入った箱だ。蓋を開けられたままテーブルの隅に置かれている。パンフレットにあった写真と少しも違わない、まさに母ベアトリーチェが持っていたものだ。不揃いの柱状結晶が結合した形で、夜空色の晶体の中心から青白い光が滲み出ている。

 ルシエンはソウルストーンを見つめたまま、また茶を啜った。向かい側にはフルスが座っている。テーブルの上に肘をつき、顔の前で指を交差させたまま、こちらの動き一つ一つをじっと見つめている。なにか珍しい生き物でも観察しているようだ。長い金髪は滝のように肩を流れ落ち、窓からの日差しを受けて濡れた輝きを含んでいる。まめに手入れされた肌はしっとりと艶やかで、透け通るように白い。性別が分からなくとも、フルスの佇まいはただ美しく、些か直視し難い。

 二人はしばらくの間、見つめ、見つめられた状態のまま、会話は無かった。話しを切り出したのはフルスの方だった。

「初めて会ったとき、あなたは私のことをあんぐりと見つめていた。ちょっと失礼だと思うが、なんでだ」

 ルシエンは素早く弁解を始めた。

「何でもない。あれはただ、知人と見間違えただけ」

「ほう。私とよく似ている者がいるのだとしたら、それは姉のことだな」

 ルシエンはようやく視線をフルスに向けた。フルスは彼の反応を確かめながらゆっくり続けた。

「姉の名前はアリス。彼女を知っているのか。あなたの銃、クリスタル・ベインも彼女のものだった。そうだろう」

 フルスの言っていることはすべて正しい。ルシエンの脳裏に師匠アリスの姿が鮮明に浮かんでいた。しなやかな曲線を描くタイトな革装、男のように短く散髪したヘアスタイル、麗しくも凛々しい顔つき。長い歳月を経てもなお、目の前に居るかのようにリアルだ。

「……そうだな。君の言う通りだ」

 ゆっくりと話すルシエンにフルスは遠慮なく問い詰めた。

「彼女とはどんな関係なのか」

「僕の師匠、だった」

「それでは、あなたは姉の弟子というわけだね」

「弟子、だった。ぼくはもう彼女から離れて長い」

「なぜ」

「破門された。遠い昔に」

 二人の会話がしばし途切れた。

「彼女の居場所はまだ分かるのか」

 フルスは再び話を切り出した。なぜ破門されたのかを問い詰めるつもりはないようだ。

「大昔にぼくが修行していた道場のことなら知っているが、そこに彼女が居る保証はできない」

「そこの住所を教えてくれ」

「彼女を見つけてどうするつもりだ」

「それはあなたとは関係ない話だ」

 ルシエンは頭を大きく振った。

「いいや、関係ある。ぼくはこれ以上彼女を困らせたくない。師匠は帝国の連中が大嫌いなので、絶対に会いたくないはずだ。例え弟だったとしても。実のところ、師匠は君の名前なんて一度も口にしたことがない。帝国出身であることも、知ったのは今日が初めてだ」

 「弟」と言ったのは語弊があったかもしれない。ルシエンはまだフルスの性別を識別できずにいるのだ。

 フルスの口から長いため息が漏れた。

「私はあなたから“男”に見えるのかね。まあ、それは置いといて、あなたが教えたくないのなら連れて行ってもらうまでだ」

 フルスが立ち上がった。片手で箱の中からソウルストーンを取りだし、もう片方の手で腰に付けていた黄昏の刃を抜き取ると、切っ先を結晶の表面に突きつけた。光の刃から発する熱量に晒され、ソウルストンがミシミシと音を立てている。

「私に協力してくれたら、この石ころはあなたにあげてもいい。協力しないなら今ここで壊してやる。さあ、どうする?」

 ルシエンは慌てて立ち上がり、フルスを止めようと両手を伸ばした。ジョーはびっくりして頭を引っ込めた。

「わかった。道場に行きたいんだろ、案内するよ」

「それだけではだめだ。姉本人と会うまで案内してもらうよ」

 オリーブの双眸から迸る鋭利な眼差しに貫通され、ルシエンの表情が渋る。このエルフは人の弱みを握ることが上手い。LOHで敗北を喫したことに対して悔しく思うのは山々だが、ここでまた一本取られたのだ。 

「分かったよ……」

 不承不承な返事にフルスの口角が吊り上がった。気高く挑発的な微笑みだ。

「話が速くて助かったよ」

 そう言うと、フルスはソウルストーンを箱の中に戻し、武器をしまって椅子に腰掛けた。その取り澄ました仕草に沸き立つ苛立ちを抑え、ルシエンは可能な限り平なトーンで話した。

「それで、もう君の正体を明かしてもいいのかな」

 フルスは胸ポケットから名刺を一枚取り出し、テーブルの上で滑らせた。手に取って見ると、それにはエルフ語で書かれたフルスのフルネームと、赤い鳳凰の模様が箔押しされている。鳳凰の紋章は、ゼオンでも一度は聞いたことがある、帝国の名門貴族の家紋だ。

「フルス・デオ・ジェネシア。執法官だ」フルスはさらりと自己紹介した。

(どうりで、あんなに強かったのか)ルシエンは思わず納得してしまった。

 帝国の中に保管された豊富なエーデル、それを独占的に使用できる貴族家門に属する覚者は、日ごろから体内にエーデルを詰め込んでいる。優れた訓練環境と質の良い装備もあり、彼らの戦闘力は常にアウトランドの覚者よりワンランク上だ。そもそもアウトランドの覚者と競わせること自体、反則なのだ。その上、執法官は特務を専門とするエリート警察で、帝国の覚者の中でもほんの一握りが就けるものだ。

 つまり、フルスは強者の中の強者だ。

「これはちょっとずるくないか」ルシエンは思わずつぶやいた。

「ずるいのはあなたもそうだよ。野良が手にするはずもないエーデルウェポンを使っているじゃないか。それもまあ、姉のお下がりなのかな」

(野良、野良、とうるさい奴だ。)ルシエンの奥歯が軋んだ。フルスの言葉はどこまでもチクチク刺してくる。

「それで、下々の者どもに強さを見せつけるためにやってきたのか。わざわざご苦労だったな」

 たっぷり皮肉を込めた言い方にルシエン自身が驚いた。感情を表にすることは苦手なはずだが、なぜフルスの前ではこれほどムキになってしまうのか。

 フルスは鼻で笑った。

「LOHなど野良のじゃれ事に興味などないよ。私の目的は家出した肉親を見つけること、それだけだ。姉はハンターとして生計を立てていることはわかっている。アウトランド中からハンターが集まるこのイベントで当たりを付けるのは当然の流れだ」

 ルシエンも鼻で笑った。

「残念だったな。見つかったのが僕で」

「いいえ、収穫は大いにあったよ。破門されたとはいえあなたは彼女と繋がりがあった。そしてこれらか、私の捜査活動に付き合ってくれるのだからね」

 フルスはまた、あの挑発的な笑顔を浮かばせている。ルシエンの拳に力が入った。スカーフの中で、ジョーが頭を優しく擦り付けている。「落ち着け」という意味だ。

「まあ、まずはその道場とやらの所まで案内してもらおうか」フルスは話題を逸らした。

 ルシエンは窓の外を眺めた。西の空はすでに赤く染まっていた。

「今日は無理だ。ゼオンからだと、飛行バイクでも丸一日かかる」

「では明日の朝、またここにきてくれ。道の支度はしておく」

 フルスは手を一振り、すると部屋のドアが自分から開いた。貴族たちは些細なことでも魔法を使うようだ。一方、アウトランドの覚者にとって、魔法とはエーデルを浪費する贅沢な行為だ。

「どうぞお引き取りを」

 フルスは椅子から再び立ち上がり、嫌みなほど礼儀正しくジェスチャーをした。ルシエンは無言のまま、つかつかと部屋を出た。玄関を出て扉が閉まるまで、フルスの張り付くような視線を背中で感じていた。

 

 マンションの入口近くで、アンナは停まっているバハムートに腰かけている。ルシエンを見るとすぐに跳び下りて駆け寄ってきた。

「どうだった? ソウルストーンは手に入りそう?」

 期待に目を輝かせている彼女にルシエンはため息で返すしかなかった。

「それが、面倒なことになってしまった。ぼくはあのムカつくエルフとしばらくお付き合いをする羽目になった」

 アンナは口を「ヘ」の字に曲げた。

「えー、それはいやだね!」

 ルシエンは頷いた。アンナの言葉はいつも彼の気持ちを素直に代弁してくれる。彼は黙々とバハムートに跨り、エンジンをかけた。アンナも後ろに乗り込んだ。二人は日が暮れる前に家に戻った。

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