第13話 帝国の来訪者

 列車が通る轟音とともに天井が振動し、剥がれたペンキがパラパラと落ちてきた。

 ルシエンはようやく目を覚ました。瞼を開けると天井に張り巡らされたパイプラインが目に飛び込んだ。鼻を突くオイルと鉄の匂いで、ここが家ではなく、病院でもないことに気づいた。ぎごちない動作でベッドから体を起こしてあたりを見回す。自分の胴体はいま、ミイラの如く何層も包帯が巻かれていることに気づいた。

 どうやらここはビクターのカスタムショップの中のようだ。ただしよく訪れる店のフロントではなく、裏にある寝室だ。ジョーは枕の側で丸くなり、すやすやと眠っている。ルシエンと同じく、甚だしい量の包帯にくるまれている。

 ルシエンは固められた上半身を探り、包帯の先端を見つけるすぐざまに剥がした。しばらく包帯を解いてからようやく、自分の体を確認できた。筋肉質で引き締まったお腹周り、麦色の肌はいつものように艶やかで健康的だ。あれだけ大きく切り裂けられたのにも関わらず、傷跡の一つも残っていない。

 驚異的な治癒力にルシエンは少しも驚きを示さなかった。ベッドを降りて寝室を出る前に、何か身に着けるものがないのかと辺りを見回した。下着一丁だけの男が店内を歩き回っては、お客さんが逃げ出すのだろう。幸い、ベッド横のテーブルにバスローブが折りたたまれて置かれていた。ルシエンはそれを手にとって大雑把に着た。

 

 寝室の扉を開けると狭い廊下に出た。左手の先はカウンターのあるロビーに繋がっている。ロビーの扉は締まっており、曇りガラスの上窓から光がやんわりと透け通っていた。近づくと話し声が聞こえてくる。ビクターと、LOHで対戦していたエルフのものだ。 

「帝国からきた覚者とはフルス、お前のことだったのかい。少し痛ましい結果になったが、ルシエンからワシの言葉はうまく伝わったようだ」ビクターの低くてかすれた声だ。

 フルス、それがエルフの名前だ。エルフ語についてルシエンは少しだけ知っている。「滞りのない、流麗な」といった意味合いだ。ルシエンは鼻で笑った。人を小馬鹿にした偉そうな奴に、よくも綺麗な名前を付けたものだ。

「ええ、あいにく彼と当たりまして」

 フルスの言葉遣いはルシエンと話したときよりもずっと礼儀正しい。それに、二人は互いを知っているようだ。盗み聞きは趣味ではないか、どういうことなのかが気になり、ルシエンはしばらく扉の側で耳を立てることにした。

「残念だったな」と溜息をつくビクター。「あいつは優勝景品のソウルストーンをすごく欲しがっていたようだったが」

「ソウルストーンで何をするのでしょうね。希少価値はあるものの、これと言った使い道は無いものです。コレクターなのですかね」

「さあな」

「ルシエンと知り合って久しいですか」

「ああ、昔からな」

(大昔から?)

 ルシエンは思わず眉を潜めた。同じ認識はなかった。

「それで、私を呼んだ用事はなんでしょうか、ビクター殿」フルスがどこか取り澄ました口調で尋ねた。

 帝国の者がアウトランド民に敬称を付けるのは珍しい。ルシエンは再び眉を潜めた。ごった返しの店で様々な機械や器具を作る変わったおじさん、そう目に映るビクターに隠された正体でもあるのか。

「アウトランド中で覚者が失踪しているそうだ。探偵からの情報だ。大物が動き出している。仕留めるのなら、特務で行動制限が解除されているフルス、君が適任だ」

 失踪、その言葉が不意にルシエンの注意を引いた。かつてアンナの家で出くわした、覚者を捕まえようとする甲兵魔に、何か関連があるのだろうか。

 会話がピッタリと止まった。

「そこにいるだろう、入ってきな」扉の向こうでビクターが呼んだ。

 しまった、と思ったが、バレている以上言う通りにするしかない。ルシエンは扉を開け、ゆっくりとロビーに入った。

 

 玄関に掛かっている札は“開店中”の文字をこちらに向けている。店内にいるのはビクターとフルス、そしてルシエンの3人だけだ。ビクターとフルスはテーブルを挟んで面向かって座っている。

 フルスはルシエンを見ると些か目を丸くした。

「もう立てるようになっているのか。あなたをここに運んできて一日も立ってないよ」

「こいつの治りの速さが一般覚者の比じゃねえぞ」

 ビクターはそう言いながら、ルシエンが歩き寄ってきたところで背中の儀手を伸ばし、バスローブの襟は掴んでぐっと広げてみせた。

「ほら、傷跡のひとつものこっちゃいねぇ」

「驚いたね……」フルスはまじまじと露わになった胸元を見つめた。

 何となく頬が熱くなるのを感じ、ルシエンは俯いた。襟に引っかかっている鉄の指を無理矢理剥がすと、開いたバスローブを素早く直した。

 ビクターは呆れた表情で彼に振り向いた。

「何を恥ずかしがっておる。女でもあるまい」

 フルスは短い含み笑いを聞かせた。

 ビクターはルシエンに自分の隣に腰掛けるよう促した。フルスの射抜くような視線に目を伏しながら、ルシエンはおずおずと従った。

「腹減ったか? 昼飯の宅配を頼んでおいた。もうすぐ届くぞ。もちろんお前の分もある」

 ビクターは生身の手で、テーブルに置いてあったピッチャーから水を一杯注ぎ、ルシエンの前に置いた。

 ソファーでテーブルを囲んだ接客用のスペースは、店の中で唯一整理整頓されている場所のようだ。テーブルの真ん中には、カラフルな飴玉が入ったミニかごが置いてある。ピンポン玉大の、かなり食べ応えのありそうな飴玉だ。それを見つめるルシエンはほんのりとした懐かしさを覚えた。

 コップの中で揺れる水面を目にすると堪えがたい渇きが襲ってきた。失血のせいなのか、怪我をした後はいつもそうだ。喉を鳴らして一気に飲み干すと、ビクターがピッチャーごと目の前に置いてくれた。

「二人は知り合いですか」コップに再び水を注ぎながら、ルシエンはさっきから気になっていることを訊いてみた。

「おや、話したことなかったかな」ビクターの義眼がギョロっと回った。「ワシはこう見えても覚者の端くれでなあ。覚醒したのが年取ってからなので、このさまだ。昔、正確的には100年もの前だが、壁の中側に居たぞ。そこに座っているエルフとも何度か会ったことある」

 ビクターが帝国出身だったこと、それからフルスが自分と同じ年ごろに見えても百歳を超えていることにルシエンは衝撃を受けた。彼はちらちらと、自分よりどれほど年長かも計り知れない帝国の来訪者たちを見た。

 フルスはスラっとした脚を組み、膝に両手を重ねたまま視線を返した。柳のような細くてしなやかな体だ。護身具を外した装束から、流れるようなラインが見え隠れしている。

 エルフは男も女も皆、華奢な体つきをしている。ところがフルスの場合、男なのか女なのかまるで見分けがつかない。胸のふくらみが全くないので女には見えないが、腰のくびれや丸みのある骨格は男にも見えない。好奇心とどこか釈然としない気持ちで、ルシエンは視線をコップに戻した。 

 フルスが口を開いた。

「お礼の一つくらい無いかな。倒れているあなたをいい加減な競技場スタッフに任せても良かったんだけど。傷の治りもこんなに綺麗にならないよ」 

(お礼だと?! 傷を負わせた張本人が言うことか)

 水を飲んでいるルシエンはそう言いかけたが、喉がむせて咳き込んでしまった。

 ビクターは察したように声高らかに笑った。

「まあ悔しいだろうがしゃーない。お前がフルスに勝てたら、ワシは驚きのあまり心臓発作を起こしそうだなあ」

 それから穏やかな表情でフルスに向き直った。

「ソウルストーンは譲ってやれよ。お前にはガラクタ当然の物だろ」

 フルスは目を細めた。オリーブ色の瞳はルシエンを捉えたまま微かに光った。

「たしかに、景品には興味がないが、敗者に情けをしない主義でね」

 無表情に睨み返すルシエンに、フルスは付け加えた。

「ただし、条件付きで話を聞いてやっても良いよ」 

 明らかに、試されている。ルシエンはそう確信した。男か女かもわからない奴にポーカーフェイスを向けられると、どうもモヤモヤした気持ちに胸が騒ぐのだった。

「まるで優勝が確定しているような言い方だな」ルシエンはコップに唇をつけたままぶつぶつと呟いた。

 フルスはまた含み笑いをした。

「優勝するしかないじゃないか。一番手応えがあった相手はすでに負けたからね」

 自分の敗北をほのめかした言い方に、ルシエンは顔をしかめ、コップの縁を噛んだ。フルスは平然とルシエンを見つめている。彼がお願いをしてくることを待っているようだ。

 ルシエンは頑として沈黙を守った。心のどこかで、くだらないプライドは捨てろという囁きが聞こえる。その囁きに従わないのが彼の常だ。

 フルスは致し方がないというふうに肩をすくめてみせた。

 「まあ、無理強いはしないけど。少しでもソウルストーンのことを諦めきれないのなら、LOHの閉会式の後に私のところに来ると良い。住所はビクター殿に訊いてくれ」

 ルシエンはビクターをちらりと見やった。ビクターは至ってリラックスした顔で頷いた。

「よし、決まりだね」フルスが立ち上がった。

(何が?)

 と、聞く間もなく、フルスはすでに玄関の前に立った。ドアノブに手を掛けると、また何かを思い出したように振り向き、ルシエンに向かって念を押した。

「必ず一人できてね」

「僕が君を訪ねるとでも思っているのか」

「そうだよ」軽やかに言い残し、フルスは扉を開けた。

「飯はいいのかい」ビクターが呼び止めた。

「今日はパスしておきます。ルシエンがあまりにも気まずそうにしているから」

 フルスはにっこりと笑顔を見せて店を出た。

 ルシエンはただ黙々と水を飲み続けた。扉の向こうに消えた、あの済ました笑みがやけに印象に残った。そして数日後、フルスの滞在先をのこのこと訪れている自分自身を呪った。

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