第12話 謎のエルフ

 次の日、ルシエンとそのエルフは対峙した。コロッセオの空中に浮かぶ円盤状のステージから、ナレーターの声が高らかに響いた。

 「左側に立つ選手はアウトランド中にその異名を馳せる、『デス・エンジェル』! 17戦連勝中!」

 ルシエンが片手を上げると、観客席から忽ち喝采が上がった。

 「右側に立つ謎の紳士は仮名『黄昏の刃』、何と、23戦連勝中!」

 エルフは小さな会釈を見せた。観客席から更なる喝采が轟いた。

 そんな馬鹿な、とルシエンが思わず口ずさんだ。自分と同じ連勝無敗は予想内だが、6回も多く試合をしてるというのはどういうことなのか。場を盛り上げるためのナレーションが少しも耳に入らず、そのことが頭の中から離れなかった。

 「優勝候補の二人は早くも対決することになりました!さあ、今期の最初にして最大の盛り上がりを、とくとご覧あれ!」

 ナレーターの締めくくりに、コロッセオが熱狂的な歓声に包まれた。 

 ルシエンとエルフは競技場の両端に立ち、互いを見つめあっている。遠すぎて表情まで見えないが体の動きは分かる。

 エルフは両手をクロスさせ、右手から左側、左手から右側、腰に縛りつけた鞘からレイピアを抜き取った。燦々と降り注ぐ太陽光の下で、それらは一対の光の筋に見えた。

 ルシエンも銃を構えた。コートの裾が横風に流され、なびく度にジョーの鱗が光を反射して艶めく。

 相手は2刀流、素早く連続した切込みを繰り出せることが最大の特徴だ。ルシエンのできることはいつもと変わらず、間合いを保ちながら弾を当てることだと思えた。最悪切りつけられてもジョーの硬い鱗が防いでくれる。

 ピストルの銃声が宙を反響する。審判の合図とともに、試合が始まった。

 エルフはこちらに向かって全力疾走してきた。足音一つ聞こえない軽やかさ、まるで水面を走っているようだ。白い人影が弾頭の勢いで迫ってくる。地面から足跡を追うように小さな土煙が立ち上がる。 

 敵が向かってくる間はルシエンにとって絶好の攻撃チャンスだ。クリスタル・ベインのマズルから光の連弾が射出し、接近する敵に向かってまっしぐらに飛んでいく。

 ところが、全く当たらない。

 光はいつもエルフの脇を擦れ擦れに通過している。ルシエンは目を見張った。戦いの緊張で手がぶれたのかと思うと、気を取り戻して撃ち直してもやはり当たらない。ルシエンは戸惑い始めた。一直線に走ってくる敵など、この上ない当てやすいターゲットはない。なのにどうして間抜けな照準ミスを繰り返しているのか。

 エルフとの距離がどんどん狭まる。今度はルシエンが遠ざけなければならない状況になった。彼は素早い足取りで相手の突進を交わし、地面の上で円を描くように立ち位置を変えていく。

 エルフも彼の動きを緊密に追っている。ルシエンが一歩下がるのとほぼ同時に一歩踏み出して距離を詰める。二人はまるで同じ極の磁石を突き合せたように、付かず離れずの追いかけっこを続けている。閃光の中で繰り広げられる緊迫した動きの読み合いに、誰もが固唾を飲んで見守っていた。 

「その銃はクリスタル・ベインだね」

 エルフが喋った。激しく動き回っているにも関わらず、息遣いの荒さは微塵もなく、平然でかつ淡々としている。

「よくご存じで」

 ルシエンは短く応じた。戦いの最中に会話をすることに慣れていなく、注意力が分散しそうだ。

「しかも旧型だ。そんな燃費の悪いものを撃ち回していたら体内のエーデルが尽きるのではないか」

 迫る光の弾を巧みに避けながら、エルフはすらすらと言葉を並べている。その余裕さにルシエンは苛立ったのと同時に、胸の底から薄々と悪い予感が湧き上がった。

「どうして、僕より6回多く戦っている」

「対戦相手が棄権したからだ。あなたの前に、私と手合わせするはずのが6人もいたんだよ」

 エルフの口角が微かに跳ね上がった。危険な笑みと共に危険な一撃がルシエンを見舞う。ルシエンは後方に大きく飛び退き、切りつける刃を躱した。不覚にも、喋っている間にエルフの接近を許してしまった。

 しつこく詰め寄りながら、エルフがまた何かを言っている。ルシエンはこれ以上耳を貸さなかった。気を逸らせるための手口だと分かっている。動きの異様な俊敏さに加え、なかなか小賢しい奴だ。先ほどのやり取りで、すでにルシエンの弱点を見つけたようだ。

 次第に、ルシエンは距離を保つことで精いっぱいになった。弾が当たらない以上、もはや逃げ回っていると解釈してもいい。ただし、彼は狼狽えることを知らない男だ。

 敵の動きを注意深く観察していると、ルシエンはあることに気付いた。エルフはただ反射的に弾を避けているのではなく、銃口の向きで予め着弾する場所を予測しているのだ。なぜなら、エルフが動き出すのはルシエンが銃を向けた瞬間、引き金を引くタイミングよりほんの少し前だ。

 ルシエンの心の中でようやく合点がついた。それと同時に驚かずにいられなかった。このような高度な技ができる覚者は彼の知る限り、かつての師匠以外に誰一人居なかった。師匠でさえも、かくも頻繁かつ正確に避けられなかった。

 エルフという種族はもともと人間よりも身体能力が優れている。しかし微かな銃口の傾きと角度だけで、目にも止まらない光弾の軌跡を読むことは、気が遠くなるほどの訓練と実戦経験の積み重ねがあって初めて為せる技だ。この帝国から来たらしいエルフの覚者はいったい何者だろうか、考えずにはいられなかった

 エルフは食い入るようにクリスタルベインを見つめている。

「どこで手に入れたのかな。エーデルウェポンの製造と流通は帝国領域内に制限されているはずだが」 

 エーデルウェポンとは、覚者だけが扱える特別な武器だ。銃、刀剣、弓など形態は様々だが、仕組みは同じ。覚者の体内にあるエーデルをエネルギーに変えて標的を破壊する。物理武器よりも破壊力が格段と高く、かつて神魔大戦で使われていたことを起源とし、現在では帝国部隊など壁の内側メインで使用されている。高価でかつ高度な技術が必要であるゆえ、製造ライセンスは少数の帝国企業が寡占している。 

「君には関係のないことだ」

 冷たく言い放つと、ルシエンは両脚を力いっぱい踏ん張り、エルフから可能な限り跳んで離れた。着地すると、間髪入れずに次の攻撃を仕掛けた。

 ガードに指を引っかけて銃をクルっと回す。それと同時に、両腕の構えを素早く変える。ルシエンはその両手で、手品師が小道具を扱うようにエーデルウェポンの拳銃を扱った。キレのある動きに魅せられ、観客席から歓声と口笛が飛び交う。

 すべては銃口の向きを読まれにくくするためだ。回転が止む僅かな隙で引き金を引き、すぐにマズルの向きをシャフルする。それがルシエンの戦略だ。 

 エルフの顔色が変わった。光弾を辛うじて避けながらも、その動きは少しあたふたしている。ルシエンの思惑通りだ。ようやく勝機を掴めたようだ。

 彼は両腕の動きを巧みに調節し、銃口を向けるタイミングをうまく揃える。左右から、それぞれ異なる角度で、同時に光弾を放つ。エルフは一発を避けたが、もう一発まで躱しきれないように見えた。

「パキィイイン」

 金属が砕ける鋭い音が鼓膜を刺す。エルフは咄嗟に左手に持っていたレイピアを盾にし、飛んでくる光弾と胸の間を遮った。細い剣身はあっけなく折れ、飛び散った破片の一つがエルフの顔にあたり、陶磁の仮面がひび割れた。

 エルフは小さく舌打ちした。使い物にならなくなった仮面を脱ぎ捨て、フードを降ろした。顕わになった全貌で対戦相手と対峙するその顔には傲慢と不遜が混じっているように見えた。

「やるじゃないか。褒めてやろう。もう少しで私の顔に傷がついたところだ」

 ルシエンは歯を食いしばった。謎めいたエルフの顔立ちから視線を離せなくなっていた。何もかも、師匠だったエルフの女性とそっくりだ。目尻が吊り上がった鋭い目とオリーブ色の瞳、緩く束ねた金の糸を集めたような髪、透き通るような白い肌色まで、瓜二つだった。混ざり気のない髪色はまた、このエルフは何世代も純血の同族と婚姻を重ねてきた家系からの、高貴な生まれであることを物語っている。

 観客席がざわつき始めた。強い日差しの下で、エルフの白い装束と純金の髪が眩しく輝き、より一層異質な存在として人々の目に映っている。 

「どうやら、あなたは他の野良たちのように、一筋縄ではいかないようだね」

 エルフのオリーブ色の瞳は微かに揺れ動いた。両手に持ったレイピアを地面に捨てると、腰の後ろから更に2本、細長い柄のようなものを引き抜いた。エルフはレイピアを握るのと同じように構えた。すると柄の先から忽然と細長い光が伸び出た。

 それらはエルフが隠し持っていた、光の刃を持つ一対のレイピアだ。光の剣身は付け根の部分から先端に掛けて、黄、赤、紫へと色のグラデーションを呈し、まるで夕暮れの空のように鮮やかで美しい。ルシエンはふっと、エルフの仮名『黄昏の刃』を思い出した。それは、これエーデルウェポンの名前だった。

 見惚れている暇はなかった。エルフは黄昏の刃を振りかざし、今までにない気迫と速さで襲いかかってきた。

 ルシエンはすかさず銃撃を放つ。エルフは避けようともせず、光のレイピアで軽々と弾いていく。砕かれた光弾はいくつもの光の粒となり、ポツポツとの宙に飛び散っては消えていた。観客の誰もがこの美しく熾烈な戦いに熱狂し、競技場の空気が歓声で轟いている。

 エルフの足裁きも先ほどより一段と素早い。瞬歩と呼ばれるスキルで、足の動きに合わせて魔法を用い、一歩で二歩分以上のペースを進めてくる。ルシエンの距離計算が狂い始めた。気が付けば視線をエルフの姿が遮っていた。

 エルフはルシエンに得意げな笑みを見せつけた。

「エーデルウェポンを扱えるのはあなただけではないよ」

 言い終えるや否や、掬い上げるように左腕を一振り。刃先は光の弧を描き、ルシエンの股下から胸元に向かって切り上げる。ルシエンは体をのけ反り辛うじて躱すが、勢い余って体勢を崩した。エルフは振り上げた左腕の反動を利用して体を一回転、立て直す隙を与えることなく右手のレイピアを振り下ろす。 

「スパーーーーーン」

 宙を切り裂く光のラインと共に、嫌な音が衝撃波となって、体を伝って耳に雪崩れ込んだ。光りの刃はルシエンの右肩から左の脇腹に掛けて大きな切口を描いた。切り裂かれたジョーは痛みに震え、ルシエンの体をギュッと締め付けた。刃は精霊の鱗を貫通し、容易くも肉体に達した。焼き爛れたような強烈な痛みとともに大量の血が流れ出す。あと少しで内臓にも届くところだった。血は一瞬だけ銀色に輝き、すぐに赤色に戻って地面に吸い込まれた。

 観衆は絶叫しながら躍り上がった。アンナはぐっと息を飲んだ。ひしめき合う人々を押しのけながら闘技ステージの縁に駆け寄り、ルシエンの名前を懸命に叫んだ。

 ルシエンの両手から、クリスタルベインが滑り落ちた。傷口を抑えると、掌があっという間に赤く染まった。すっとジョーに守られていた彼にとってこれは久々の大怪我だ。エーデルウェポンが繰り出す攻撃は物理的なものではなく、実体のない純粋なエネルギーだった。ジョーの鱗はそれを防ぐことができなかった。

 痛みと失血が戦い続ける気力を素早く打ち消していた。ルシエンのできることは何とか立っていることだけだった。

 エルフは武器をしまい、数歩下がったところで彼を眺めている。倒れるところを待っているようだ。表情はなく、流し目で見下ろしている。冷ややかで挑発的な目線に、ルシエンは悔しさではらわたが煮えたぎった。大切な母の形見を取り戻せないどころか、ここでバカにされながらくたばるというのか。彼は自分の不甲斐なさが耐えられなかった。

 あのエルフが、憎い。今すぐ、全身全霊に掛けて、その驕った顔に一撃を喰わせたい。心の絶叫に反して、体は否応なしに限界を迎えた。視界が霞み、両足から力が抜けていく。ルシエンは膝をつき、そのまま地面に突っ伏した。砂埃が舞い上がり、口の中で土の味が広がった。

「勝者、『黄昏の刃』!」

 ナレーターの叫びと轟く観衆の喝采がどんどん遠のいて聞こえる。ルシエンは目を閉じ、そのまま意識を失った。

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