第11話 LOH -リーグオブヒーローズ

 ゼオンには5年に一度開催される一大イベントがある。アウトランドの覚者を対象とした闘技コンテスト、リーグ・オブ・ヒーローズ(LOH)だ。第28シーズンが今年の春に差し掛かっている。覚者たちが決闘を繰り返してトーナメント方式に頂点に登り詰めていく形式だ。優勝した者にはシーズン替わりの特別景品と莫大な賞金があたえられ、スポンサーの目に留まれば帝国の中へスカウトされる。このイベントには、栄誉と名声と富を求めて、ルシエンのような個人行動するソロハンターに限らず、アウトランド中から様々な流派のハンターギルドが人員を派遣している。強くなりたい者たちにとっても、LOHは長年の間ハンターの登竜門となっている。

 ルシエンは優勝を狙っている。金や名誉のためではなく、帝国に入って豊かな暮らしをするためでもない。たった一つの狙い、それは今シーズンの特別景品である『漆黒のソウルストーン』だ。 


 ソウルストーンとは魂が封じ込められた不思議な鉱石だ。『魂器』と呼ばれるものの一種で、亡者の記憶を保存している。

 特別景品のソウルストーンは一際大きく、どす黒い色をしている。パンフレットの写真を目にしたとき、ルシエンの胸が強く締め上げられた。それは亡き母が持っていたものと疑いの余地がないほど、そっくりだった。どういういきさつでLOHの景品になったかは分からないが、長年の失物が持ち主を呼んでいるように感じ、久々に胸が高鳴った。 

 家から逃げ出したあの日、母が持っていたソウルストーンをうっかり置いて行ったことにルシエンは後悔している。母はいつもそれを子供の手の届かないところに仕舞い込んでいた。また時折こっそり取り出して懐にかかえ、ボソボソと独り言を呟いていた。いったいどんな大事なものなのか、ルシエンは好奇心を抱かざるを得なかった。


 LOHの開催日時が公式発表された日、ハンターの集会場はいつにない賑わいを見せていた。ひしめく人の群れを押しのけながら、ルシエンはアンナを連れてカウンターに向かった。 

 スタッフはルシエンを見るや否や、すぐに背筋を伸ばした。

「なんの要件でしょうか」

 ルシエンはスタッフを一瞥した。ちくはくしたセンスのないコーディネートから腕時計がやけに悪目立ちしていた。大振りなケースに煌びやかな装飾が施され、文字盤には大きなブランドロゴがあった。

 スカーフの向こうでルシエンが冷笑した。彼が全額受け取るはずだった貪魔の報酬金は、金属と機械仕掛けの寄せ集めに変わったようだ。

 ルシエンは鉄柵の小窓に手を差し出した。

「LOHのチケットを2枚」

「チケットは本人にしか引き渡しできないが、もう一人は……」

 アンナはつま先立ちになり、カウンターの下から顔の上半分を覗かせた。

「未成年は保護者の許可が必要だ。あんた、この子の親権者か」

 事務的に言葉を並べるスタッフに、アンナは眉をひそめた。

「未成年じゃないよ!」

 その姿を観て信じる者は居ないだろう。

「未成年には販売できない。お引き取りを」

「ちょっとは融通効かせてよ〜! 私、観るだけだから」

 スタッフの目が泳いだ。

「観客席専用券は追加料金がかかるよ」

 金をくすめるいつもの手口だ。ルシエンが会話に割って入った。

「いい時計だ」

「あ、はい……」はにかむスタッフの目が泳いだ。

「あとどれくらい、持っていられるのかな。 十年? 二十年?」

 スタッフは戸惑いと畏怖の眼差しでルシエンを見上げた。

「君のような寿命ある者は、本当に浅はかだ。死んだらすべてを手放せなければならない。そうとも分からずに、ひたすらモノを欲しがって、そのために金を騙し取る」

 スタッフの額に大量の冷や汗が噴き出た。

「なっ、何がしたいの……」

「僕の報酬金をくすねたことをハンター協会にバラそうか? 他のハンターにも同じことをやっているだろう?」

「何のこと」

 とぼけるスタッフにルシエンは手を差し出したまま、何も言わなかった。凍てつく青の瞳がすべてを語っていた。少しでも長くその高級腕時計を所有していたければ、言うことに従え、ということだ。

 スタッフはそそくさとチケットを2枚取り出した。料金さえ要求してこなかった。


「それで、私も一緒に戦うの」

 集会場を去りながら、アンナはルシエンに聞いた。

「いいや、戦うのは僕一人だ」

「え〜、つっまんない」アンナは口を尖らせた。

 ルシエンは横をつかず離れずに歩く少女に目をやった。

「そもそも君は覚者じゃないだろ。見た目の年齢や魂を喰うか喰わないかの問題以前に、出場者の資格さえ有していない」

「別にいいじゃん」

「よくない。正々堂々と勝負して勝たなければ、簡単に出場権を剥奪される。それじゃあ優勝景品は手に入らないよ」

 アンナは何かを探るようにルシエンを覗き込んだ。

「あのソウルストーン、そんなに大事なんだ」

「今は亡き母の形見だ」

「亡くなったのに、気にするの」

 ルシエンは呆れた目つきでアンナを見下ろした。

「死神がどんな神経しているか知らんが、生きている者は死んだ者を追悼する。当たり前のことだ。忘れられないから」

「ふーん。よくわっかんない」

 これ以上説明する意欲が起らず、ルシエンはいつもの無言無表情に戻った。

 

 待ちに待ったLOHのトーナメント戦はゼオンの中心部にある巨大なコロッセオで開始された。この盛大なイベントにアウトランドから観客が集まり、ゼオンの街中はいつに増してごった返していた。屋台がひしめき、土産や限定グッズであふれかえっている。コロッセオの周囲を色鮮やかな照明が取り囲み、壁一面にスポンサーのポスターが張り出された。盛大に上がる花火とともに、開催式の幕が閉じ、熾烈なトーナメント戦が始まった。


 『デス・エンジェル』の異名にふさわしく、ルシエンはさっそく連勝を繰り広げた。彼の対戦相手たちは戦いが始まって程なくして、体に数カ所の風穴を開けられ退場を余儀なくされた。

 ルシエンは2丁拳銃を自由自在に操り、敵の攻撃をかわしながらありとあらゆる角度と体勢で発砲する独特のスタイルをマスターしている。それにプラスして、彼は覚者としての年齢以上に熟練だ。

 アンナもまたルシエンに負けず劣らずの勢いではしゃいだ。ルシエンが勝利する度、彼女は自分が勝ったかのように大喜びし、歓声を上げながら観客席を飛び跳ねていた。また、リンクから降りたルシエンにいち早く駆け寄り、汗拭きシートとお手製のスポーツ飲料を渡した。誰もが一目置く凄腕ハンターと元気闊達な少女、この不思議な二人コンビは次第に覚者たちの間で知り渡っていった。 


 優勝への道のりは明るい、と誰もが思っている時だった。ビクターが言っていた、帝国の覚者らしい人物は忽然とルシエンの前に現れた。

 初めてその覚者が目に留まったのは、他の出場者を観戦しているときだった。その者はフードを深く被り、顔の上半分をマスクで隠している。膝丈の長さがある東洋風の装束を身に纏い、肩と胸、それから腕の三か所に金属の護身具を着けた、重装と軽装の中間をとったスタイルをとっていた。装束の色は真っ白で、日の光に照らされると浮き出るように輝いた。仮面舞踏会から来たのかと思わざるを得ない、小綺麗でミステリアスな姿だ。地味で野暮ったい野良ハンターたちからやけに目立っていた。

 その戦い方も周囲から一線を画していた。両手にそれぞれレイピアを握った二刀流。目にも止まらない素早い斬撃を繰り出し、軽やかな足さばきで敵の懐に踏み込む。動きに無駄はいっさいなく、バレエのようなしなやかさと優雅ささえ感じる。

「あの人、何なの」隣の席に座っていたアンナが思わず口を開いた。

 ルシエンも気が付けばとその動きの一つ一つを目で追っていた。

「どう見てもアウトランドの者じゃないな。動きがきれいすぎる。まるで貴族たちが見世物にするパフォーマンス用の剣術か何かだ」

 程なくして、白装束の覚者は勝った。対戦相手は圧倒的な速度で切りつけられるレイピアを避けきれず、全身に血しぶきを吹きながら倒れた。覚者が勝利の合図として片手を掲げると、競技場は盛大な歓声と拍手に包まれた。

「その“パフォーマンス用の剣術”、めちゃくちゃ強いじゃないの」

 アンナの声に些か皮肉が混じっている。

「ああ、すごく手強い相手になりそうだ」

 ルシエンはしぶしぶ認めた。それから何か思い出したように目を見開いた。

「ひょっとしてビクターさんが探していたのはその人じゃないのか」

 アンナがゴクリと頷く。

「絶対そうだ。捕まえて話をしよう」

「行こう」

 ルシエンも頷くと、二人は素早く席から立ち上がり、競技場の縁に向かった。


「すみません!」

 ルシエンは退場しようとしていたフード姿の覚者を呼び止めた。

 近くで見るとその身なりの良さに舌鼓したくなった。厚みのある絹製の布地は上品な光沢を帯び、返り血を一滴も浴びることなく純白のままだ。光の加減によって、表面から繊細な模様が浮かぶ。金属の護身具はどれも傷一つなく、クロムの施された表面が磨かれた輝きを放っている。アクセントになっているのは翼をモチーフにした肩甲だ。2枚重ねの構造で、付け根の部分から放射状に羽の紋様が刻まれている。戦いに着ていくのに勿体ないほど、美しく上品な格好だ。

 ルシエンの声に覚者は振り向いた。顔に掛かった布地が首の動きに歪められ、奥から尖がった耳がちらり。どうやらビクターの探している覚者は人ではなく、エルフだった。

 目元は仮面に隠れて見えないが、整った鼻や口の形にほっそりとした顎のラインから麗しさと凛々しさが滲み出している。その面影に、ルシエンは言葉に表しがたい懐かしさを覚えた。孤児となって流浪していたルシエンを拾い、ハンターとして育て上げた恩師、あるエルフの女性の美しい輪郭が脳裏に浮かび上がる。

(師匠……)

 もう二度と口をすることがないと思っていた、懐かしい呼び方がルシエンの喉から出かかっていた。

「何でしょうか」

 ポカーンとしているルシエンにエルフは首を傾げた。

 声が違っていた。

 高くて澄み切った音調は性差の範著を越えている。大人にしては、なんとも珍しい声だ。声変わり前の子供、もっと言えば少年合唱団のソプラノにも聞こえる。

「ああ、えっと」ルシエンは慌てて言葉を考えた。「ちょっとお聞きしてもいいですか」

「何を?」エルフはさらりと言った。マスクの奥から興味深そうな視線が零れる。

「あなたは帝国の者ですか」ルシエンは単刀直入に話を切り出した。初対面の人と世間話できるコミュニケーション能力はなかった。

 エルフの口角が微かに上がったが、答えは返ってこなかった。

「そうですよね?」ルシエンが念を押した。

 エルフは値踏みするように彼を見回してから、ようやく口を開いた。

「私のことが気になるようだね」

「あなたに会いたい人がいるんです。一緒に来てもらってもいいですか」

「私に会いたい人はたくさんいる。どうしてその人を優先しなければならないのか、教えてもらえないかな」

 ため口の冷たい口調から、返事はすなわち「嫌だ」のようだ。 

 ルシエンは途方に暮れた。自分の拙い話し掛け方に後悔した。どうすればこのエルフを説得できるのか、懸命に考えていたところに、アンナが口を挟んだ。

「カスタムショップを開いているビクターというおじさんよ。ご存知ないかしら」

 エルフは一瞬だけ表情を固めたが、すぐに肩をすくめた。

「人違い?じゃなくてエルフ違いか」

 アンナは大げさにため息をついた。そしていかにも困ったような顔をして、ルシエンと目を合わせた。

「すごく大事な話があるって言っていたのに、私たち力になれなくてどうしよう」

「そうだな。申し訳ないな」アンナの意図を理解したルシエンも、わざと悲しそうな表情を作った。

 傍らで聞いていたエルフは再び口を開いた。

「話は聞いてやってもいいけど、まずは私と勝負をしてからだ」

 きょとんとするルシエンをエルフは真っすぐに見つめた。

「あなたのことは知っているよ。ルシエン。私の次の対戦相手だ」

 ルシエンはすっかり固まってしまった。早くもこの強者と当たるとはまったくの予想外で、心の準備が出来ていなかった。

 彼の表情を楽しんでいるかのように、マスクの向こうでエルフは目を細めた。

「噂は聞いているよ。あなたもここまで連勝できているでしょう。私をがっかりさせないように祈るよ」

 そう言い残すと、エルフは軽く手を振り、踝を返して競技場を立ち去った。 

 悠然と歩くその後ろ姿に、アンナは人差し指で下瞼を引き下げ、「ベー」と舌を出した。

「私、あいつ嫌い。何よ、偉そうに!」

「その偉そうな態度から、帝国の覚者であることは確かなようだ」

「どうしてアウトランドに暮らしていると帝国の連中に見下されないといけないの。私からしたら皆、ただの魂だ。死神の食糧―」

 ルシエンの冷ややかな目線を感じ、アンナは慌てで口を噤んだ。

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