第10話 共同生活

 頬のくすぐったさにルシエンは目を覚ました。見慣れた寝室の風景が目に飛び込んだ。ジョーは枕の側に寄り添い、舌先でチロチロとルシエンを舐めている。頭を指先で撫でてやると、精霊は嬉しそうな吐息を漏らした。

 日はすでに高く登り、いくら寝たのかは見当がつかない。愛用の銃は何者かによってベッド横の机に無造作に置かれている。リビングのほうから何やら美味しそうな匂いが漂ってくる。

 起き上がって寝室を出ると、ルシエンの視線はすぐにダイニングテーブルに吸い付けられた。バスケットいっぱいの食パンに湯気が立ち上がるスープ、それから美味しそうな焼き色がついたステーキが盛り付けられている。

「あら、もう起きたの」キッチンからアンナの声がした。

 

 (死神が、僕の家の中にいる……)

 

 ルシエンの背筋に冷たいものが走った。しかし空腹感が一秒も早くご馳走を口に運ぶように彼を促した。覚者は肉体の修復に多くのエネルギーを必要とする。恐怖心をそっちのけ、ズキズキする頭を抑えながら、彼はテーブルに向かった。

「私が作ったの。食べて、毒は盛ってないから」

 ルシエンがテーブルに座ると、アンナは「にぃ」と歯を見せた。

 ルシエンは死神の様子を気にしながらスプーンを手に取った。スープを掬って口に運ぶと、煮込まれて凝縮された具材の旨味が忽ち舌に染み込む。続いてステーキを切る。ナイフを入れた途端に肉汁が溢れ出す。火加減は丁度よく、プロの料理人が作ったものに引けを取らない。

 気が付けば、ルシエンはガツガツと料理を平らげていた。アンナは目を細めた。

 

「ありがとう。ご馳走さん」

 ルシエンは口を拭いた。彼の美味しそうな食いっぷりを見守っていた死神は嬉しそうだ。

「それで、私のことは見直したかしら」

 ルシエンはしばらく黙り込んだ。ハンターとして独立して30年近く経つが、誰かと同居するつもりは全くなかった。ましてや彼女は魂が大好物の死神だ。しかし助けてもらった以上、追い出すのも忍ばない。では一緒に居るのか。危険な仕事をしていることに加え、危険なプライベートを送ることにもなりかねないと思うと、それもまた気が進まない。アンナは彼の考えを見透かしているようだ。

「私が怖いの。まあ無理はないね」

「そうだな……助けてくれたことに関しては礼を言う」ルシエンはぎごちなさそうに口を動かした。「ところで、あの3人、まさか魂を喰われたのか」

 アンナは頭を横に振った。

「そこはしっかり、自制できたよ」

「ならよかった。今のところ、病院のエーデルカプセルのなかで蘇生治療されているだろう。君が魂を食べてしまうと、本当に死んでしまう」

「よかったよかった」アンナは胸をなでおろした。「それで、一緒に居てもいいの」

 依然と目を輝かせている彼女を直視するのがどことなく気まずく、ルシエンは目をそらし、しばし沈黙した。

「どうだろうなあ。危険すぎる気がする。僕は24時間君が禁断症状出るかどうか見張ることはできないし、寝首を掻かれると大変だからな」

 『寝首を掻かれる』という言葉にドギマギするのを必死に隠し、アンナは如何にも寂しそうで可哀想な振りを見せた。

「本当にダメ? 何かいい方法がないの?」

 ルシエンはしばらく考えてからアンナに尋ねた。

「君は確かに、ぼくに撃たれると禁断症状が治ると言っていたよね。もっと具体的に聞かせてもらってもいいかな」

 アンナは大きく頷いた。

「その銃からでる光に撃たれると、何かが体の中に流れ込んでくるの。温かくてじんわりとした何かが。そうしたら、全身がウジに喰われているような、禁断症状の痛みがすうっと治っていくの。本当に不思議な感覚だったよ」

「ふむ……僕の銃、クリスタル・ベインは覚者の体内にあるエーデルを光の弾丸として撃ち出す仕組みなんだ。君が言っているのは、覚者がエーデルを体の中に取り組むときの感覚によく似ている。つまり君は、エーデルに治されてたのかもしれない」

「そうなのか」

「だとすれば……」ルシエンがひらめいた。「銃で撃ちこまなくてもエーデルを絶えず注入すればいいんだな」

「そんなことできるの?」

「可能にしてくれるアイテムがある。それを作ってくれる人も知っている」

「じゃあ、さっそく手に入れなくちゃ」

 アンナは嬉しそうに舞い上がった。

 

「フゥ~」

 寝室から微かな息遣いが聞こえた。溜息に似た微弱な音は、ジョーの何かを欲しがるときにだすサインだ。ハードワークの後に美味しいご馳走を期待するのはルシエンだけではなかった。 

「ちょっと待って」

 ルシエンは空になった食器をシンクに運ぶついでにキッチンの棚を探った。取り出したのは銀紙に包まれた数粒のチョコレートだ。彼は寝室に戻り、包装を剥いてからジョーの前に置いた。ジョーはすぐさま食いついた。

 アンナはいつの間にか寝室の入り口に立ち、興味深そうに覗き込んでいる。チョコレートを無我夢中に齧るジョーに思わず目を丸くした。

「その子、食べるのか。精霊ってエーデルだけで生きていると聞いていたけど」

「甘い物だけは食べるようだね」

「うんちもするの」

「しない。ぼくにとってもずっと謎なんだ。ただ食べると―」

 ルシエンの話を遮り、「プププ」と勢いの良い音がした。口いっぱいにチョコを頬張りながら、ジョーは尻尾を上げてオナラをしていた。甘いカカオの匂いが瞬時に当たりを包んだ。

「ガスが出るんだ」ルシエンは言いかけた言葉を補った。

「面白い子だね!」


 ルシエンはアンナを連れて下町の工房、『カスタムショップ』を訪れた。ショップはレールが敷かれた大きな橋の下にあり、ちょうど列車が轟音を立てて通過していた。ミサイルのような形をした先頭に繋がれて、タンク型の貨物車両がずらりと並んでいる。車輪がレールの上を転がり、金属と金属の鋭い摩擦音を奏でた。

 車台の上、銃を構えた兵士たちが通りかかった景色に目を光らせている。列車の揺れに微動もせず堂々と立っている。まるで何かに固定されているかのようだ。軍服を潔く着こなし、胸元につけた仮面形のバッジが光に反射して煌めいている。

「ねえ、あれ帝国軍じゃない」アンナは目の前を過る列車を指さした。

「ここは帝国領の入口に近いからよく見かけるよ。あれは回収したエーデルを運んでいるようだな」

「あのタンクの中に全部エーデルがはいっているの」

「そうだよ。帝国は全世界のエーデルを管理している。そのせいで、アウトランドに対して厳しいエーデルの使用制限を設けている」ルシエンは淡々と説明した。

「覚者って体内にエーデルが入っているでしょ、それ以外にもエーデルがいるの」

「ああそうだ。例えば酷い怪我をしたときや、仮死状態になったときに、治療の術として体内に直接注入する。強大な魔法を使うときにも必要だ。覚者の体内には常に一定の量が保たれるが、急に消耗してしまうと再生が追い付かなくなる」

 そう説明しているうちに、二人はショップの入口の前に立った。


 重い鉄扉を開けると、様々な機械と工具にあふれ返った店内が目に飛び込む。まるで廃品回収スタンドのような場所だ。空気にオイルの匂いが染み渡り、床の上や棚の上に堆積されているのは売り物なのか作業中の未完成品なのか全く見分けがつかない。

 電子ガラクタに埋もれるカウンターの向こうで、背中に機械の腕を2本付け、合計4つの手で作業をしている初老の男性が居る。時折白い火花がバチバチと飛び散り、電動ドリルの音が響く。ルシエンとアンナが近寄ると、男は作業を止めて二人に振り向いた。汚れた作業用エプロンの上には「ビクター」と書かれた名札が斜めにつけられている。

「いらっしゃい」低く掠れた声だ。 

 男の顔の左上半分は金属で覆われ、左目も義眼になっている。こめかみのあたりに小さなつまみスイッチと丸いジョイントが取り付けられている。ジョイントから細いアームが数本伸び出し、扇子の要に似た格好で重なっている。アームの先端には丸いレンズが数種類取り付けられている。

「こんにちは、ビクターさん。お元気ですか」ルシエンは挨拶をし、下手クソな愛想笑いを見せた。

「ワシは元気だぞ。儀手も義眼も調子が良くて仕事が進む」

 ビクターはルシエンに機嫌の良い微笑みを返した。隣に立つ少女に気付くと、カウンターから身を乗り出し、彼女を無遠慮にじろじろと見回し始めた。動き出す義眼の前に、側頭部のアームがレンズを順番にかざしている。

「これはこれは、ルシエン君。ややこしい奴を連れてきたようだ」

「ご覧の通りですよ」ルシエンはアンナを指した。

 レンズに拡大された金属の目玉がギョロギョロと蠢く。アンナは気まずそうに視線を逸らした。こんなにあっさりと正体を見抜かれるとは、この変わったおじさんは透視能力でもあるのかと思っているようだ。

「それで、今日はどんな入用かい」

「この“お嬢さん”にエーデルを与え続ける物を着けてほしいです。例えば、魔除けリングとか」

「魔除けリングなら簡単だ。しかしこいつにはうんと強いやつが必要だ」

 ビクターは禿げた頭を儀手の爪先で掻いた。僅かに残った髪の毛は指先に絡められて今にも取れそうだ。

「そうだなあ、ちょうどいいものがある」

 彼はそう言いながら、カウンターの奥でガサゴソと何かを探り始めた。

 しばらくすると、ビクターは一対の腕輪を持ってきた。魔晶石で出来た透明なリングで、上下左右に計4つの穴があり、それぞれ長くて鋭い針が通っている。

「これはかつて魔人たちを拷問するために考案された器具だ。ワシがちょっと改造した。このなかにエーデルを溜め込み、腕に着けると針から体内に少しずつ注入する。魔除けリングのエーデル量じゃあ死神の力は封じられないぞ。これを使え」

 ビクターはカウンターの上に腕輪を差し出した。アンナは針先を見てたじろいだ。

「これってちょっと痛くないかな」

「平気さあ。そもそもお前は“生身”じゃあないだろ。人間に化けすぎて痛覚までコピーしているのかい」

 アンナは口を噤んだ。ビクターは彼女の正体を見抜いているだけではなく、死神のことについてもかなり詳しいようだ。

 ビクターはまた小さなナイフを取り出し、ルシエンに渡した。

「貯めるのにお前のエーデルを使おう。他の覚者なら試験管一本分は必要だが、君なら数滴で十分だ」

 ルシエンはナイフで指先を切り、ぽたぽたと血を指輪の上に垂らした。魔晶石の表面に触れた途端、血の雫は水銀の色になり、素早く吸い込まれた。透明だったリングはたちまち銀色の染まった。

「これほどエーデルが濃い血が存在するとはな。長老たちに知られればさぞ嫉妬されるだろう」

 ぶつぶつと呟きながら、ビクターは腕輪を儀手で持ち上げ、アンナの前に突き出した。

「さあ、腕を出してごらん」

 アンナはおずおずと手を伸ばした。腕を通すと、腕輪は彼女の手首の太さに合わせて縮み、四本の針が自動的に差し込んだ。

「どうだ」

「ちょっとじんじんする」

「ちゃんと効いている証拠だ。すぐに慣れるだろう」

 ビクターはまたルシエンに向いた。

「月に一度程度でいい、腕輪の色が薄くなってきたころでエーデルを充填して」

 ルシエンは頷いた。

「わかりました。それで、代金はいくらですか」

 ビクターは軽く頭を振って見せた。

「金は要らん。それよりも頼みがある」

「いいですよ。狩りの依頼なら喜んで」

 ビクターはまた頭を振った。

「君はリーグオブヒーローズというハンターの力比べ大会に出るんだな。今回の出場者の中には、帝国から来た奴が混じっている。そいつを見つけ出し、ここに連れてくるんだ。話したいことがある」

 突拍子もない話にルシエンは目を剥き、思わず聞き返した。

「帝国の覚者がこのイベントに出場するなんて、聞いたことないです」

「今回は特別だ。詳しいことは言えんが、手合わせすればすぐにわかるだろう。そいつは野良と呼ばれるお前らよりもずっと強いからな」

「情報はそれだけですか」

「ああ。健闘を祈るよ」

 そう言い残すと、ビクターはルシエンに背を向け、一心不乱に作業を始めた。その背中はこれ以上の質問を受け付けないと言っているようだ。ルシエンとアンナは仕方なく店を後にした。


 安全の保障を手に入れ、ルシエンと死神の共同生活が始まった。魂を喰われそうになることもなく、思ったよりもずっと平凡な生活だ。始めのうちに張り詰めていた神経も、やがて変わりのない日常の中で緩んでいった。

 数週間に渡る注意深い観察のもと、ルシエンは死神、少なくともこの死神は、危険ではないと結論付けた。腕輪を嵌めている限り、死神はアンナという名の少女だ。その上、家事と狩りの手伝いを両方できる万能メイドだ。料理の旨さに加え、戦いの腕も申し訳分のない。死神の大鎌を一振りしただけで逃げ出す魔さえいるほどだ。

 唯一の不満はその口の多さだ。気を許せば昼夜問わず彼女は喋り通す。ルシエンは生まれて初めて耳栓を買った。死神は話すために無尽蔵のネタと気力を持っている。そのことがむしろルシエンを怖がらせた。

 アンナはおかずに魔の魂を食べて気紛らわしにしていた。物質界で肉体を滅ぼされた魔の魂は魔界に戻り、また魔として蘇る。そこで彼女に魂を食べもらえば、確実に魔を消滅させられるのだ。死神はある意味、魔を滅ぼす本物のハンターだ。ルシエンは少々悔しく思いながらもその事実を認めていた。

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