第15話 ジェンダーレス

 次の日の早朝、朝霧がまだ乾かない中、ルシエンはアンナを乗せて家を出た。タワーマンションの前に到着すると、バハムートに乗ったまま入口付近で待機した。

 

 程なくして、フルスが右脇にヘルメットを抱えて出てきた。豪勢な装束ではなく、動きやすいジーンズとジャケットを着ている。

「おはよう」フルスはルシエンに挨拶をした。

「おはよう」ルシエンが乾いた声で答えた。

 フルスはすぐに後部席に視線を移した。

「そちらのお嬢さんは……娘さんかな?」

 アンナは思わず吹き出しそうになり、慌てて口を塞いだ。

「ああ、失礼。彼女なんだね」フルスは意味ありげな笑顔を浮かばせた。「未成年と付き合うのは、アウトランドでは違法じゃないのか」

 勘の鋭い執法官が、的外れな憶測を二回も繰り出した。ルシエンはほんの少しだけ面白おかしく思ったが、無表情を崩すほどではなかった。傍らでアンナはバハムートから転がり落ちる勢いで笑い出した。

 すっかり困惑したフルスに、ルシエンは手短く事情を説明することにした。

「彼女はアンナ。ぼくの……」ルシエンは言葉を探した。「弟子だ」

 アンナは爆笑をぴったりと止め、真面目な顔をルシエンに向けた。

「今なんだって?」

 ルシエンはアンナに振り向いた。

「ぼくの弟子だと言った。精進しろ」

 アンナの目が輝き始めた。弟子になったというのは、ハンターの慣例に従えば、今後師匠であるルシエンと一緒に居ることが保証されるわけだ。

「イエッサー!」アンナは朗らかに返事した。

 ルシエンは短いため息をついた。

 

 師匠アリスを探すということ、それはルシエン自身の過去を辿ることになる。人に知られたくない、忘れてしまいたいつらい過去だ。だから道中の同伴は少ないほうが良かった。アンナを連れていくことについて、ルシエンは渋い決断を下した。というのも、人間に化けたおっかない死神を留守番させることに、嫌な胸騒ぎがしていた。もしもルシエンが長い間帰って来なかったら、腕輪のエーデルが切れ、死神は禁断症状で暴れ出すかもしれない。それで無差別に人の魂を食べてしまったら、彼女を匿ったことでルシエンも重い罪に問われるのだ。 

 フルスはアンナの腕に嵌められた銀のリングに気付いた。一瞬だけ目を見開いたが、またすぐに凛とした表情を取り戻した。ビクターと同じく、目の肥えた覚者がアンナの中身を見抜くのにさほど時間がかからなかった。


「あ、そうなんだ。若いのに偉いね。」

 よそよそしく言い残し、フルスはマンションの裏側に回った。しばらくすると、ルシエンと同じタイプの飛空バイク、バハムート07式に乗って出てきた。ただしボデーカラーはパールホワイト、微細な金属粉を練りこんだような上品な輝きがある。

「さて、先頭を走ってもらおうか」

 フルスの指示に、ルシエンはエンジン音を唸らして応じた。走り去る黒のバハムードの後に続き、白のバハムードが発進した。

 

 ゼオンの市街地を抜け、さらに農業地帯を飛び越えると、果てしない荒野が目の前に広がった。所々、低木が黄土色の大地に根を張り、乾いた枝葉を雲一つない青空に突き立てている。枝と枝の隙間から覗かせる空を、二艘のバハムートが縦列をなして縫うように飛んでいく。

 道場の所在地は、ゼオンから遠く離れた内陸の街、セルベラにある。砂嵐が一年中吹き荒れる不毛な場所だが、点在するオアシスに集まるようにして人の集落が息づいている。 

 情報と物質に乏しい環境はハンターの修行にとって最適だ。優れたハンターになるためには、戦いの技だけではなく、己の内より湧き上がる欲望と雑念に打ち勝つための、強靭な精神力も鍛えなければならない。魔の最も恐ろしいところは、人の心の弱さに付け込むことだ。外界との接触を遮断されるなか、若いハンターの卵たちは修練と瞑想を重ね、心身ともに鍛え上げられていく。 

 荒野を過ぎ去ると、今度は波打つ砂漠が果てしなく広がった。見渡す限り白い砂丘が繋がる変化の無い風景、遠い彼方の地平線が世界を青と白に二分割している。

 

 焼き付ける太陽に滲み出る額の汗を拭こうと、ルシエンはヘルメットを脱いだ。忽ち銀髪が溢れて風に踊り出し、髪筋に宿る光の粒が一斉に跳躍する。

 ここからはひたすら一直線に飛ぶだけだ。操縦をすべてバハムートのオート機能に任せ、軽く伸びをして体をリラックスする。早春の風はまだ冷たく、汗で湿った地肌に当たるとひんやり気持ち良い。 

 後ろに座っているアンナはすでに退屈していた。ルシエンが操縦を辞めたのを見るとすぐに話しかけてきた。

「ねえ、あのエルフって結局誰なの」

 そういえば、まだ彼女に説明をしていなかったことを思い出した。ルシエンは後部座席に声が届きやすいよう、体を横に向いた。

「フルスという名前だ。帝国の執法官だそうだ」

「執法官?!」アンナは驚きのあまり目が皿になった。予想通りの反応だ。

「姉を探しているらしい。僕の師匠だった人だ」

「へー、そうなのか」

 アンナは振り向き、後ろを飛んでいるフルスを見た。フルスもまた暑さにヘルメットを外しており、ジャケットのチャックも開けている。風で胴体に押さえつけられたシャツの下から、両脇のしなやかな曲線が浮かび上がる。

「綺麗な見た目をしているけど、男? 女?」

 アンナの質問はルシエンもずっと気になっていたものだ。

「さあ。外見では分別が付かない。声も、どちらともいえないね」

「聞いてみようか」

「やめようよ。かなり失礼だぞ」

 バハムートのスピーカーからフルスの声が流れ出した。

「どちらでもないよ」

 ルシエンとアンナは一斉にフルスに振り向いた。フルスは不快そうに眉を潜めた。

「あのねえ、他人の噂をする前にまずは無線を切っておこうか」

 無線は切っていたはずだが。ルシエンは慌ててバハムートのインストルメントパネルを覗いた。ディスプレイの上でいつの間にか、ジョーが気持ちよさそうに横たわっている。日向ぼっこをしているようだ。シールドガラスに遮られたその位置は、風に飛ばされずに日光を楽しむ絶好の場所だ。お腹辺りがちょうど、無線機の操作ボタンに当たっている。

「お前の仕業かよ」ルシエンは顔をしかめた。

 ジョーは少し首を傾げただけで、ゴロンと体を転がしてお腹を見せた。

 スピーカーからフルスの声がまた流れた。

「あなたたちが可笑しな憶測を始める前に説明しておこう。エルフは人間のように性別が分かれて生まれてくるのではない。思春期に入る最初の誕生日に、特殊な薬を飲んでから初めて体が変化し、性的特徴が出る。男になりたいなら青い薬、女になりたいなら赤い薬を、一度だけ飲むんだ。私の場合、どちらも飲まなかった。だから生まれたときのまま、性別のない体で大人になった。お分かりいただけたかな」

「つまり男と女、どちらにもなりたくなかったってことなの」

 無頓着に掘り下げようとするアンナに対し、スピーカーから「ぷつっ」と音がした。フルスの方から無線を切ったようだ。三人の会話はそれきりだった。

 

 夕暮れにさしかかったころ、砂漠の地平線の向こうから、青いオアシスの湖をドーナッツ状に囲んだ家屋の集まりが見えた。セルベラの村だ。強い日差しを跳ね返すために、淡い色のレンガで建てられた家は小さなキューブのように並んでいる。オアシスの水辺から拡散するように緑の絨毯が広がり、ラクダの群れが悠々と草を噛んでいる。

 二艘のバハムートは共に高度を下げた。村を囲む土塀の外に着陸すると、通りかかった村人たちの物珍しそうな目線を全身に浴びた。ここに住む人々は風通しの良いローブを緩く身に纏い、色は白がメインだ。褐色の肌は照りつく太陽からの贈り物で、労働に慣れた体に無駄はなく、スリムでありながら強靭だ。乾いた砂とラクダの糞の匂いにルシエンの郷愁が湧き立つ。

 道場は、村の入口から少し進んだところにある。ベージュ色のレンガの、広い敷地に囲まれたひときわ大きな建屋だ。レンガを網目状に積み上げて作ったひし形の窓の向こうに、稽古をする若いハンターたちの姿が見える。勢いのある掛け声が耳に飛び込んでくる。


 一同が入り口まで来ると、一人の老女が出迎えた。グレーの髪を団子状に丸め、着古したエプロンを腰に巻いている。老女はルシエンを見ると息を飲んみ、手に持ったつかえ棒が地面に転がった。

「ルシエン、ルシエンなのかい……」

 老女はよろめきながら駆け寄り、ルシエンの両手を掴んだ。

「まあ、こんなに良い男になって!」老女は目尻に皺をいっぱい寄せ、瞼の奥に涙を巡らせている。

 ルシエンはすこしだけ戸惑ったが、老女が誰なのかすぐに分かった。この道場の管理人で、ベロニカという女性だ。ただしルシエンの記憶の中では三十歳足らずの気丈な人だ。彼女は覚者ではないため、ルシエンが道場を離れた数十年の間、ずっと歳をとってきたのだ。

「お久しぶりです。ベロニカさん」

 ルシエンは改まった表情で彼女の手を握り返した。ほころぶベロニカの顔に沢山の皺が浮かんだ。

「また会えるなんて、すごく嬉しいよ。お友達もつれてきたのかい」 

 興味津々な婆さんに、フルスは簡潔に事情を説明した。

「私は同族を探してここに来た。ルシエンはその道案内をしてもらっているだけだ。アリスという女性のエルフ、彼女はまだここにいるか」

 さっきまで温かみに満ちたベロニカの表情が冷たくなった。彼女は悲しそうにため息をついた。

「闇夜花舞の副団長をお探しなのかね。あのギルドは十年前、解散したんだね。よその都市ではかなりのニュースになっていたよ。アリスさんは、その前からもうここを出て行った」

(まあ、そうだったな……)ルシエンは心の中で頷いた。

 彼がかつて所属していたハンターギルド、「闇夜花舞」はアウトランド屈指の規模を誇っていた。アウトランドの優秀な覚者たちを抱え込んだ巨大組織で、彼の職場であり、コミュニティーであり、家のような場所、そうなるはずだった。

 解散のニュースを耳にしたとき、ルシエンはかつてない安堵を覚えた。記憶を巣食う過去の亡霊、意識の奥底に横たわるどす黒い塊が分解されて消えゆくように感じた。ここに来られたのも、ギルドが解散したおかげだ。さもなければ、彼は生きたままここにたどり着けないだろう。

 ルシエンは道場の中を覗いた。かつて彼自身も、ここで修行をしていた。何か懐かしむ光景はないかと密かに念じながら丹念に見回す。フロアは新しく敷き替えられ、壁には見たこともない装飾が掛かっている。若者たちが木の剣で稽古をしている。銃を主に扱う闇夜花舞とは全く別の流派だった。

 不意に、もどかしさがこみ上がる。

「師匠は今どちらに?」ルシエンは思わず尋ねた。

「話せば長い。さあ、ちょうど夕食の準備をしていたところだ。一緒に食べながらでもどうだい」

 ベロニカはルシエン一同に道場の中へ入るよう手招いた。ルシエンは頷き、ベロニカの後に続いた。フルスとアンナは彼の背中を追った。

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