第8話 禁断症状

 階段下の絨毯を捲ると、地下室への隠し扉を現れた。古い鉄錠はつい最近使われていたようで、所々錆びが剥がれ落ちていた。

「開けてみよう」アンナは目を輝かせた。

「鍵がかかっている。壊しても構わないなら」

「どうぞ」

「ちょっと下がってもらおうか」

 ルシエンはアンナに手ぶりし、自分も扉から数歩離れた。それから銃を取りだし、錠前に向けて一発放った。金属が赤くなって砕き、高熱を帯びた破片が周囲に散らばった。二人は破片が靴に触れないように気を付けながら近づき、重い扉を一緒に引き上げた。

「うわ、くさっ」アンナは鼻をつまんだ。

 ぽっかりと空いた闇の空洞から、カビと腐敗臭が混ざった生温い空気が吹き上がった。

「家にこんな隠し空間があったなんて、今まで知らなかったわ」

「じゃあ、なぜここだと分かった?」

「死神の能力だよ。霊眼を使えば魂がものに透けて見えるの。だから地下に人がいると分かった」

 訝しげなルシエンに死神は簡潔に説明した。便利な能力だと内心関心したが、ルシエンは表情に出さなかった。

「先に入って」

 アンナは悪臭漂う地下室の入り口を見下ろすと露骨に嫌な顔をした。

「えー、大人が先じゃないの」

「先導して」ルシエンは繰り返した。一歩たりとも足を動かかさなかった。

「しょうがないわね!」

 頬を膨らませるも、アンナはふわっと地下室に飛び降りた。ルシエンは下ろしていたスカーフを鼻と口に当て、彼女の後に続いてはしごを降りた。 

 灯りを付けると、地下室自体が大きなダンジョンであることが分かった。鉄柵に囲まれた牢屋が並び、中にはやせ細って息絶え絶えな男たちが閉じ込められている。すでに死んでいる者を除けばおよそ十数人。まだ意識がはっきりしている者はルシエンと少女を見ると死に物狂いで助けを叫んだ。

 一番奥にある牢屋に、パジャマ姿の中年男性が一人うずくまっている。彼は他の囚人たちよりも健康状態が良く、監禁されている期間がまだ短いようだ。

「アンナ! 私の娘よ!」

 男は少女の姿を見つけるとしわがれた声で叫び、大粒な涙を溢した。娘の名前が既に死神の名前になっていることも知らずに。

「お父さん!」アンナも嬉しそうに答えたが、牢屋に向かって一歩も出ようとしなかった。彼女は足が地面に張り付いたかのように、梯子の側で棒立ちしていた。

「早く私を助けて!」男はせがんだ。 

 泣きわめく男立ちを気にもとめず、ルシエンはダンジョンをざっと見渡した。

「ふむ、魅魔インキュバスの中には新鮮な食事をするために人間を飼うものがいると聞いたが、こういうことなのか」

 至って平然としているルシエンに、アンナは苦しそうに顔をしかめた。

「ねえ……お願いだから早くお父さんを出して」

「君の"お父さん"だろう。助けに行かないのか」

「だからそれが……」アンナの語尾が濁った。

「具合でもわるいのか」ルシエンは彼女をしげしげと見回した。

「いいから早く!」アンナが叫ぶ。表情に俄かな殺気が立つ。


 ルシエンはアンナの様子を気にしながら、男の居る檻に向かった。鉄錠を壊して扉を開けると、男は礼を言いながらよろよろと立ち上がった。

「待て、そこに居ろ」

 ルシエンは開けた扉を再び閉めた。男は怪訝そうに彼を見つめた。

 ルシエンの視線は男から離れてアンナに集中した。数メートル先にいる少女は頭を抑えながら、何かが憑りついたかのように体を揺すっている。

「うぅ……」彼女は歯を軋ませ、苦しそうに呻いた。

 ルシエンの指が反射的にクリスタル・ベインのグリップを捉えた。

「うわあああ!!」

 甲高い悲鳴を上げ、アンナは狂ったように体を掻きむ始めた。引き裂かれた皮膚の下から死神の黒い表皮が現れ、指先から黒い爪が突き出る。

 ルシエンは銃を構え、アンナに照準を合わせた。牢屋の中で男はあんぐりと仰け反った。

 

 少女の姿はいよいよ崩れた。鮮やかな魂火が目と口からから吹き出し、どす黒い体の関節がワンピースから突き出た。

「早く私から逃げて、今禁断症状がでているの!」アンナは外れかけた顎を動かした。

 と、言われても、君が地下室の唯一の出入り口の前に立ちはだかっているようでは、どこにも逃げようがないじゃないか。

 ルシエンは心の中で苦笑した。どうやら厄介なことになったようだ。この死神は死んだ者と死に際の者から魂を喰うのなら、密閉した地下室には溢れんばかりのご馳走があるということだ。 

 食欲に興奮した死神は大変危険で、ルシエンは昔、歴史書で読んだ一節を思い出していた。狂った死神が無差別に魂を喰らい、街一つを丸ごとゴーストタウンにした話だ。 

「ダメ……食べちゃダメ……」

 そう呪文のように唱えながら、アンナは頭を壁に打ち付けている。どんどん強くなっていく衝撃に壁がひび割れ始める。彼女は今、必死に自分と戦っているのだ。ただしさほど長くもたないだろう。見るに痛そうな自傷行為はしばらく続いてから、ふっと止まった。少女だった者は完全に死神になっていた。

 髑髏の頭がぐるりとこちらに向いた。

「魂食わせろ!!」

 死神はルシエンを睨みつけ、凶暴な雄叫びを上げた。その姿に愛らしい少女の面影はどこにもなく、恐怖をもたらす死の化身となっていた。閉じ込められた男たちは一斉に悲鳴を上げた。

(やっぱりこういう展開になるのかよ。)

 心の中で愚痴りながらも、ルシエンはすかさず引き金を絞った。死神を相手にするのは初めてだ。魔でもない人間でもない敵に、いつもの攻撃が効くかどうかまったく予測ができない。

 

 光弾は死神の胸部を貫通したように見えた。背中を突き抜ける光が尾を引き、それを追うように細長い紫の焔が噴き出した。死神は唸り声を上げ、のけ反って倒れた。そしてしばらく横向けになったまま動かなくなった。倒されたように見えた。それなのに手応えがまるで感じられなかった。

 ルシエンは銃を構えたまま息を潜めた。魂火は依然と勢いよく燃え上がり、湿った石壁に紫色の光を塗りつけている。牢屋に閉じ込められた者たちは恐怖と驚愕に凍てつき、あたりは静まり返っていた。

 

 一分も経たないうちに、死神は何事もなかったようにむっくりと起き上がった。引き金に掛かるルシエンの指にまだ力が入る。 

「き……気持ちよかったわ……」

 死神はクリスタル・ベインの銃口を見つめながら呟いた。声のトーンからして明らかに恍惚としている。

 発砲の寸前、ルシエンの指がピタッと止まった。銃を構えたまま、自身でも信じられないほど滑稽なことが頭をよぎる。

(この死神は倒せないどころか、撃たれるのが好きなのか)

 彼の思惑は的中した。

「もう一発撃ってよ! さっきの一撃で大分禁断症状が良くなったわ!」

 死神は先ほど撃たれたところに指さした。穴は見る見るうちに塞がった。

 ルシエンは言う通りにした。一瞬気の毒に思う気持ちもよぎったが、好奇心に打ち負かされた。死神は再び倒れ込んだ。しばらくして起き上がると、興奮した様子でピョンピョンと飛び跳ねた。

「これだ! どうしていままで思いつかなかったのよ! 覚者の力で禁断症状が治せるんだわ!」

「禁断症状だと」

 恐る恐る尋ねるルシエンに、死神は大きく頷いて見せた。

「うん。死神は飢え死にすることはないけど、魂を食べないと禁断症状が出て大変なの!倒すには魂を食べるしかないのよ」

「つまりどんなに“良い死神”でも、たまには魂を食べなきゃならないってことか」

 死神は申し訳なさそうに俯いた。

「でも、食べたあとは時々すごく苦しくなるの。これが“罪悪感”、というものかな。耐えられずに何度も自分を殺そうとした。でも百回も千回も生き返ってくるの! 死神に死は存在しない。これは私の呪いだ。魂を食べることでしか苦痛を和らげられないのに、魂を食べると更な苦痛を味わう負のスパイラルよ。でももう恐れなくてもいいの、あなたは私の救世主だわ!」

 死神がふわっと宙に浮いた次の瞬間、もうルシエンの間近まで飛んで行った。逃げる間も与えず、死神の両腕が力強く彼を捉えた。

「ありがとう!」

 死神は腕の中の覚者を力いっぱいに抱きしめた。

 ルシエンは短い悲鳴を漏らした。恐ろしくて手強い甲兵魔を相手にしても狼狽えることなかったのに、今はすっかり青ざめている。足裏が地面を離れた。ものすごい腕力に圧迫されて息ができない。けたたましく異質な存在に密着され、ジョーが恐怖に震えているのが肌を伝わってくる。死神の体は線香と焦げ臭さの混じった臭いがする。燃え盛る魂火の熱量が頬に伝わる。

(締め殺される)

 ルシエンは懸命にもがいた。本気で死を恐れたのは何十年ぶりだ。

「あ、ごめんなさい」

 死神はバッと両腕を開いた。ルシエンはバランス崩し、地面にへたばりこんだ。茫然としている頭は、死神に殺意がなかったことを認識するのにしばらくかかった。

「怪我はない? 私ったら嬉しくなってつい……」

 死神は心配そうに身を屈め、ルシエンに手を差し伸べた。しばらく息を整えてから、ルシエンは自力で立ち上った。


 一部始終を見ていたアンナの父親は、弱々しい悲鳴を上げその場で意識を失った。娘の正体を知ってよほどのショックを受けてしまったようだ。死神は悲しそうに項垂れた。 

 ルシエンは牢屋の鍵を次から次へ開け、まだ歩ける男たちを外に逃がした。彼らは死神の恐ろしい佇まいに怯えながらも、ありったけの力を振り絞って梯子を上り、地下室を抜け出していった。残った重体の者たちについて、ルシエンは通信機を通じて救助を呼んだ。死神はテキパキと働く彼の姿を寂しそうに見つめながら、ボッソリと呟いた。

「もうおしまいだ。私がここで人間のように暮らせるのも……」 

 救助隊が到着したころ、空はすっかり闇に包まれ、無数の星が瞬いていた。

 傷病人たちが運ばれるのを確認してから、ルシエンは地主の家を後にした。意外な展開が色々あったとはいえ、仕事はこれで片付いた。後は家に帰ってゆっくり休みたい。夕飯もまだ食べておらず、空腹感が相まって疲労困憊だ。


「ちょっとまって!」

 家の外を出ようとするルシエンの背後で、アンナの声が響いた。振り向くと、彼女はいつの間にか傍まで駆け寄っていた。

「お給料忘れているよ」アンナは封筒を一つ差し上げた。

「ありがとう」

 渋い表情でルシエンはそれを受け取った。封筒の中身は思ったよりも厚い。中身を覗くと、報酬金よりずっと多くの紙幣が束になって入っている。

「これは多すぎないか」

「いいの。私の全貯蓄をあなたにあげる」

「そんなに要らない」

 ルシエンは頭を揺すり、封筒を押し退けようとした。何が裏があるに決まっている。少女は力づくで封筒を突き返した。

「受け取ってよ」

「なんで?」

 アンナは懇願するような眼差しでルシエンを見上げた。

「この金額と引き換えに、私を一緒に連れでって」

「え」ルシエンはにわかに目を丸くした。

「ここに私の居場所はもうないし、あなたと一緒に居れば禁断症状に悩まされなくてもいい。私がおかしくなったらその銃で撃ってくれればいいの」

 ルシエンは思わず顔をしかめた。

「君に殺されかけたぞ。自分の正体をなんだと思っているんだ」

 その言葉は少女のメンタル的要害を捉えた。アンナの顔が酷く歪み始めた。

「うっ、うぇええええん!」

 響き渡る甲高い泣き声に、救助隊員たちの目線が一斉に集まった。事情をしらない彼らにとってルシエンは幼い子供を泣かせている悪い大人のように見えた。

 途方に暮れたルシエンは声を押し殺した。

「……ちょっと! 落ち着け」

 死神は本物子供が癇癪を起したように泣いていた。

「い、家が滅茶苦茶になった……めっ、面倒を見てくれよ……」

 嗚咽交じりに死神が懇願した。ルシエンの中に一筋の最悪感が芽生えたが、すぐにかき消された。

「僕はハンターだ。君の面倒なんて見れないよ」

「代わりに、たっ、助けてあげるから!」

 ルシエンは白けた。

「助け? 僕の魂を食べないことで精いっぱいになるのではないか」

 アンナは力いっぱいにかぶりを振った。

「ちょっとそこ、何があった?」

 救助隊員の一人がこちらに歩きよった。関係のない者に口を挟まれることはルシエンにとっても死神にとっても面倒だった。

「何でもないわ!」

 ぴしゃりと言い放ち、死神は泣き止んだ。

「親御さんは? この家の子?」

 死神の偽りの姿である少女アンナに対し、なだめる口調で救助隊員は事務的な質問をはじめた。アンナはさっとルシエンの後ろに隠れた。

「この人の連れなの! 関わらないでくれよ」

(えっ!)ルシエンは心の中でぼやいたが、何も言わなかった。

 救助隊員は訝しそうにルシエンを見て、またアンナを見た。

「わかりました。もう夜遅いから、早く帰ってくださいね」そう言い残し、救助隊員は立ち去った。

 アンナはルシエンに向き直った。

「禁断症状が出なければちゃんとう自制できるから! そうじゃなかったら、この家いる全員、とっくに食べられているわ。私はこう見えて、何でもできるのよ。家事だって料理だって、魔だって倒せるし、それに……」

 就職活動をしているように一生懸命自己アピールをするアンナ。しかしルシエンの脳裏には死神のおぞましい姿がこびりついていた。恐怖から生まれる不信感だけでも断るのに十分だが、それ以上に、ルシエンは共同活動に対し抵抗があった。

 たとえ複数で狩りをした方が安全で成功率が高くても、ルシエンは敢えてそうしない。難しいタイミング合わせやかばい会いなど、他人を気にするより一人で戦ったほうが気楽なのだ。まして、単独で狩りをする彼はチームを組むハンターたちよりもずっと業績がいいのだ。 

 ルシエンは躊躇いもなく決意した。

「すまないが、ぼくは“ソロ主義”なので、助けはいらないよ」

「……冷たいのね」アンナは肩を落とし、再び瞳を湿らせた。

 ルシエンは泣き出しそうな彼女に背を向けると、素早く立ち去った。狩りの報酬を受け取ることさえ忘れていた。とにかくこれ以上関わるのはご免だった。冷たいと言われても仕方がない。彼は冷たくなることによって生き延びてきたのだから。

 

 バハムートに跨り、飛び立つ準備をしているときに、アンナがまた駆け寄ってきた。今度は背中に大きなリュックサックを背負っている。ルシエンはため息をつき、なるべくきつく聞こえるように声を低くした。

「もう言ったはずだ。ぼくはソロだと」

「それはわかっている。だから“一緒に居る”とは言ってない」

 アンナは遠くに見えるゼオンの町の光を指した。

「あなたはゼオンに戻るんでしょ? 私もそこに行きたい。だから乗せていって」そして深々と頭を下げた。「お願い!」

 ルシエンについて行きたい本心は丸見えだが、救助隊員たちが見ているなか、未成年に夜道を歩けと言い難い。しばらくためらってから、彼はは渋々バハムートの後席を顎でしゃくった。

 アンナは大喜びで返事をし、そそくさと乗り込んだ。

「ゼオンまでだけだぞ」ルシエンは念を押した。

「わかっているわよ」

 アンナがルシエンの腰に手を当てると、コートの表面がもっこりと隆起した。ジョーが頭を現し、その手にがぶりと噛みついた。

「ん?!」アンナは驚いて手を離した。噛まれたところに綺麗な歯形が残った。

「こら、ジョー」ルシエンはさりげなく注意をした。「正体が分かっていても、いまは女の子と一緒に居るふりをしなさい」

 ジョーは「フシュー」と噴気音を立ててアンナを睨みつけた。

「ほう……その服は魔衣精霊だったのか!」

 アンナは興味深そうにジョーを覗き込んだ。大きな瞳にぐいぐいと迫られ、ジョーは気まずそうに頭を引っ込めていった。しまいにはコートの表面に目だけ残した格好になり、ちらちらと彼女を見返した。

 アンナが再び自分に掴まると、ルシエンは黙々とアクセルを回し、農園を飛び去った。

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