第7話 死神

 ルシエンは目の前で起こった一幕に驚愕した。どのように解釈すればよいのか、自分の知識と過去の経験を懸命に探っていた。少女は明らかに人間ではない、しかし魔でもない。もし魔だったらジョーが教えてくれたはずだ。それとも彼女もハンターか。いや、魔に「喰ってやる」と言うハンターはいない。色んな疑問がルシエンの脳裏を飛び交っている間、少女は立ち上がり、「ベッ」と舌を出して苦い表情を作った。

「うわ……不味い! こんなもん喰うんじゃなかった」

「いま、何をした」ルシエンは恐る恐る尋ねた。

「え、食べたけど」少女はきょとんとルシエンに振り向き、すぐに気まずそうに俯いた。「あ、しまった……」

 ルシエンの銃を握る手に再び力が入った。

「正体を現したらどうだ、怪しいのはもうとっくに分かっている」

 少女は少し考えてから、肩を軽くすくめた。

「まあいいや。見せてあげるよ」

 少女の顔から血色が引き、眼窩と頬が陥没した。「メキメキメキ……」と骨の軋む音を弾ませながら、背丈と手足がぐんぐん伸びていく。急に引き延ばされた肌は包装紙のように破れ落ち、床に触れるとすぐ紫色の焔を煌かせて消えた。すべての皮膚が剥がれ落ちた次の瞬間、少女の全身が紫色の炎に包まれた。やがて、消えゆく炎の向こうから黒い影が浮かび上がった。ルシエンよりも一頭分高く、骨ばった人型が現れた。ミイラのような様相が見る者をゾッとさせた。黒いタールのような皮膚に、骨の一本一本、筋肉の一筋一筋がはっきりと浮彫になっている。首はなく、髑髏の頭部が浮かんでいる。肩と肩の真ん中、首の付け根に当たる部位に穴がぽっかりと開き、中から不思議な焔が吹き上がっている。炎心は黒く、外側になればなるほど明るい紫色に変わっていく。頭上からはみ出して燃え盛る様はまるで揺らぐたてがみのようだ。あばらの所々に隙間があり、そこからも小さな焔が零れ出ている。

「死神、グリムイーター、ソウルリッパー、呼び方は色々あるけどお好きにどうぞ」

 死神は繋がっていない顎骨を動かした。男とも女とも分からない幽幽とした声が頭蓋骨の中をこだまし、ルシエンの全身に鳥肌が立った。

 

 死神は魔でもなく神でもない、とても珍しい存在だ。そして、魔界と天界のどちらにも属さず、どちらからも忌み嫌われ、恐れられている。魂に対して飽くなき食欲を抱き、命あるものなら無差別に食い尽くす。死神がどうして魂を食べ続けるのかは、人はおろか神も知らない。ただし死神自体が、永遠に満たされることのない魂器として捉えることができる。その根拠は死神の体内で燃え続ける紫色の焔、「魂火」だ。魂火は多くの魂が凝縮してできるもので、凄まじいエネルギーを秘めている。かつて魔神エゼキルガーも、究極の武器を動かすために魂火を作ろうとしていた。

 

「ぎゃあ! 服忘れちゃった」

 咄嗟に悲鳴を上げた死神は胸と股を手で隠した。

「も~、この姿になるの、久しぶりすぎて」

 再びきょとんとするルシエン、黒いミイラにしか見えないその体を思わず凝視してしまう。死神にも恥ずかしがるような部位があるのか、そもそも死神にそんな羞恥心があるのか。

 目をそらさないルシエンに死神は眼窩を三角にした。空洞の向うで燃える魂火により、光を放つ双眸に見えて迫力満点だ。

「見ないで、ってば! 今の私は裸なんだから」

 ルシエンは慌てて視線を逸らした。この死神は、まだ少女で居るつもりらしい。

 死神は体を撫で回した。体から零れ出る魂火が指先に纏わりつき、手の動きに広げられるように肌の表面を覆っていく。しばらくすると焔は黒いローブに変化して、ゆったりと死神の体を纏った。

「これでよし。もう見てもいいよ」

 死神は自分の身なりに軽く頷き、ルシエンに声掛けた。そしてルシエンが口を開けるのを待たずに色々話しだした。

「大丈夫、あなたの魂は食べないから。死神でも手当たり次第に魂を食べるってわけじゃないよ。私は死んだ直後か死にかけている奴以外食べない、“食べ頃”をわきまえている“いい”死神だ。それに、罪のない生者の魂を食べると罪悪感で死にそうになるのよ。私は稜界で暮らすのが好きなの。死神を見ると皆逃げちゃうから人間に化けているのよ。今は地主さんの娘だけど、昔は調理人など色々やったことあるわ。でもお金持ちのお嬢さんでいる方が一番楽だね。彼女は病で死んでいた。それに付け込んで私は彼女に化けた。もうお父さんったら、本当の娘が生き返ったかと思って私をすごく可愛ってくれるよ。綺麗な洋服と沢山のお小遣い、美味しい食べ物もいっぱい。それに、彼女の見た目もすごく気に入っている。この家での生活は最高だ。でもバカなお父さんは新しい妻と間違って魅魔インキュバスを連れ込んだから、彼女を滅ぼす必要があったの」

 ペラペラと喋る死神にルシエンは微かに首を傾げた。

「それで、ハンターを雇おうとしたのか」

「そう。私が食べちゃってもいいけど、不味くて食えたもんじゃないから」

 死神は崩れた家を悲しそうに見渡した。

「あ~あ、ここお気に入りだったのよねー。本当にあんたたち派手にやらかしたね」

 ルシエンはまたため息をついた。警戒心が少しばかり緩んだ。見た目はおぞましいが、この死神からが不思議と殺気を感じない。それどころか、少しおどけているようにさえ見える。

「まさか僕に建て直させることは考えていないだろうね」

 死神はルシエンに眼窩を細めた。

「幸い、ジャックスに仕事の依頼をしたときにサインした契約書に、『狩りによって生じた一切の物的・精神的損害に対する責任を負いません』って書いてあったの。あなたにそんなお金があるようにも見えないし」

 歯に物を着せぬ喋り方にルシエンはまゆを潜めた。死神は床に転がる魔の死体を矯めつ眇めつ見回し始めた。

「でもこいつはなんだ? 全然、魅魔インキュバスに見えないじゃん」

「太古の品種だ。僕も実物は初めてだ。まあまあ手強かったよ」

 静かに言いながら、ルシエンは銃をしまい、服についた埃を払って身なりを整えた。「では、僕はそろそろギャラをもらってお別れしても良いのかな」

 髑髏の頭が横に傾いた。

「ギャラ? それはないかも。大体魔一匹でこれほどの大破壊をするなんて下手くそすぎるだろう。それに、私が依頼したのは魅魔よ」

 下手くそ、そう言われるのは久しぶりだ。ハンターのプライドが傷つくよりも、むしろ初心に帰ったような新鮮さが胸の中を湧き立った。ルシエンは久しぶりに早口になった。

「いいえ、ギャラはもらう。しかも2倍だ。狩った魔は2匹、一匹目は依頼にあった魅魔、その死体は瓦礫の下に埋まっている。2匹目は床に転がっているこいつ」ルシエンはブーツで亡骸を軽く蹴った。「全部君の家から出た」

「え、なんで2匹もいたの!」死神は眼窩を丸くした。

「魅魔と一緒に、君の父親に成りすましていた。もしかして、ぜんぶ君が仕込んだことなのか」

 死神は慌てて手を振った。

「そんなことはしていない! でもおかしいね。じゃあ私のお父さんはどこ」

「君の成りすましていた女の子のお父さんだね」ルシエンはさり気なく訂正した。

 死神はほんの一瞬考えた。そでから目を紫色に光らせて辺りを見回した。

「地下室だ。もっと早く気づけばよかった。そこに人々が閉じ込められている。一緒に見に行こうよ。お金はその後ね」

 どうして分かったか不思議に思ったが、ルシエンはとりあえず頷いた。

「構わないけど、まずはそのおぞましい姿を何とかしようか」

 髑髏頭が上下に揺れた。死神は再び魂火に包まれ、次の瞬間にはワンピースを着た少女に戻っていた。可愛らしい笑顔を見せ、長い睫毛の瞼をパチパチさせた。誰もがうっとりするような純真な笑顔に、死神であることを見抜ける人はいないだろう。

「私はアンナ。よろしく」

 軽い自己紹介をし、アンナは小走りで階段下に向かった。

「ルシエンだ。先導してくれ」

 ルシエンは彼女の後に続いた。今は危害を加えてくる気配はないが、死神は死神だ。背後を掻かれないために、決して彼女を背中に回してはいけない。また、不審な動きを一つでもすればすぐに銃を突きつけるつもりだ。

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