第5話 ゼオン

 バハムートは込み入った路地裏を俊敏にすり抜けている。街の風景は混沌とした色彩となって後方へ素早く流れてゆく。まだ日は沈んでいないとはいえ、ゼオンの下層はいつも薄暗い。ひしめき、連なる巨大なコンクリートの塊たちが太陽を遮り、路面に届く光を絞っているからだ。それらはゼオンを構成する高層ビル群で、ビルと呼ぶには大きすぎて、無骨すぎた。根元を通る者を押しつぶすように迫り、複雑に結合したり別れたりして蟻地獄のような路地を作っている。壁はコンクリートそのもの色で、ところどころ鉄骨が剥き出しになり、窓が密集して並んでいる。街の大部分は蜂の巣のようにひしめく居住空間だ。限られた面積で人口が爆発的に増えたことに合わせ、ビルが無秩序に増殖した結果このような有様になった。

 縦横無尽に交差するパイプラインと電線は、壊疽した組織に張り巡らされた血管のようだ。無造作に干された洗濯物、そしてこれ見よがしに突き出るカラフルな看板。コンクリートと鉄の世界には生活感と経済の匂いが漂っていた。

 見上げれば、逆光になった屋根の輪郭が細長い青空を描き出している。その彼方で、白く輝く巨大な城壁が聳え立っている。


 ゼオンは、帝国連盟の盟主エリュシオンと辺境を接し、壁の内側から流れ出る富を養分にして栄えた、アウトランドの中心と言わている。また、過密する人口と最悪の治安で有名だ。皮肉なことに、欲と犯罪の蔓延るこの都市には多くの魔が集まり、ハンターにとって格好な稼ぎ場になっていた。仕事の依頼が他の都市よりも数倍多く、報酬金の相場も高い。アウトランド各地から様々な流派が集まり、中には大物を狩って一獲千金を狙う者たちも居る。ルシエンは20年以上に渡り狩りで稼ぎながらアウトランドを放浪していた。その日暮らしの厳しい生活を捨て、安住を手に入れたのもここゼオンだ。

 

 市中心を離れると、ディプレイに「高度制限解除エリア」の表示が光った。ルシエンがギアを踏むと、バハムートは尾翼を広げて素早く上昇した。 

 上空から見たゼオンは大地に覆い被さる鼠色の瘡蓋に見える。細かく凹凸し表面を、無数の道路がひびとなって走り、複雑に交差している。都市の四隅を、筒状の巨大建造物が等間隔に取り囲む。人工雨を降らすための、雲の吐き出し口だ。

 ゼオンの郊外はアウトランド随一の生産量を誇る農作地帯だ。ここは大陸の中央部分に位置し、乾いた風と照り付ける太陽に晒される不毛の大地だったが、帝国から伝授された人工雨の技術により年中に雨を降らせることが可能になった。絶え間ない豊作により、ゼオンは何世紀もの間アウトランドの台所と呼ばれている。新鮮で多様な食材を生かし、豊かな食文化も醸成されている。裕福ではなくともゼオンの民は大変グルメと知られている。ゼオンに生まれてゼオンで暮らすルシエンも自ずと舌を肥やしてきた。

 

 夕日が空の彼方をだいたい色に染め上がっている。しばらく飛行していると、パッチワークのように縫い合わさった田んぼや畑の先に、一際大きい赤い屋根の家屋が見えた。ディスプレイに表示される地図に赤いピンが光った。今回の依頼主の家だ。ルシエンは素早く高度を下げた。 

 地上に降り立って見ると、この家は地主が住むのに相応しい立派なものだとわかった。三階建ての母屋が広い庭園を「コ」の字に囲み、赤い絨毯の敷かれた玄関が来訪者を待っているというばかりに大きく開かれている。

 ルシエンはバハムートを停め、ヘルメットを外してトランクにしまった。視界の妨げになるので、狩りの時だけは何もかぶらない。露わになった銀髪は夕日を受けて燦々と輝いている。彼は辺りを適度に見回しながら庭の中に入った。

 

「あれ、あなたがジャックスの寄越したハンターなの?」

 家のロビーに入ってすぐ、少女のみずみずしい声が響いた。

 声のする方法に目線を移すと、小さな人影が階段の後ろから、ルシエンを待ち構えていたようにひょっこりと現れた。歳は10歳ちょっと過ぎ当たり、この家の娘と思しき女の子だ。華奢な体をふんわりとしたワンピースで包み、頭上にはリボンのカチューシャがついている。まとまりのある黒い髪はちょうど肩に掛かる長さで、前髪は眉毛の高さで切り揃えている。丸い顔、大きな目、丸小さな鼻、ふっくらとした唇。おとぎ話に出てくるお姫様のように可愛らしい姿だ。 

 遠慮のない口調に少し戸惑いながらも、ルシエンは礼儀正しく答えた。

「はい、こんにちは。」

 少女のバイオレッドの虹彩に謎めいた光が過った。ルシエンを頭のてっぺんからつま先までざっと見回すと、呆れたように声を伸ばした。

「はぁ~、あれほど男じゃなくて女がいいって言っておいたのに。これじゃあ狩れないわ」

「何を、ですか」ルシエンは静かに尋ねた。答えは分かっていたが、変わった口の利き方をする少女を試してみたかった。

魅魔インキュバスよ。しかも“女”の。魅魔インキュバスは異性を誘惑してしまうから、同性でしか狩ることができないのよ」

「これはこれは、お嬢さん詳しいね」

 年の割には、と言いたかったところだ。魅魔インキュバスのことについて詳しいだけではなく、自分からハンターに依頼を出すことも、子供が容易くできることではない。

 ルシエンの目線に些か鋭さが帯び始める。それを感じ取ったかのように、少女は口をつぐんだ。

「ご心配なく。僕は男でも、あらゆる種類の魔を倒せるように訓練してきた。魅魔インキュバスの女性体でも男性体でも、倒してみせよう」

「……わかったわ」

「それで、詳しいことを聞かせてくれるか」

 少女は頷き、事情を話した。

 彼女は母親と死別し、家主の父親と二人で暮らしている。最近嫁いできた継母がどうも怪しいようだ。家主がいないとき、よく男を連れてくるという。そして連れ込まれた男たちが出ていくところを、彼女は見たことが無かったそうだ。

「なるほど。君の継母が本当に魅魔インキュバスかどうかを確かめるためにも、張り込みをするのが良さそうだ。差し支えなければ、寝室まで案内してもらっても良いかい」

魅魔インキュバスにきまっているわ。寝室でいいの」

「はい。隠れる場所があるとなお良い」

「いっぱいあるわよ、ベッドの下やタンスの中とかね」 

 少女はルシエンを連れて2階に上がり、廊下の端にある部屋の前まで来た。ドアを押し開けると、豪華なキングベッドと壁際の大きなタンスが目に飛び込んだ。ルシエンは寝室に入り、迷わずタンスの扉を開けた。中には衣服が何着か掛けてあるだけで、思った以上に空きが広かった。この中なら立ったまま待機し、いざとなったらすぐに行動に移せる。そう思いながら、ルシエンはタンスの中に足を踏み入れた。扉を閉める前に、彼は少女に忠告した。

「もう自分の部屋に戻って。これから起こることは見ない方がいい」

 少女はクスクスといたずらっぽく笑った。

「どんなこと? 魔物がバラバラにされるの? それとも人間たちの繁殖行為?」

 年不相応でおかしな物言いにルシエンは微かに眉を潜めた。魅魔に対する警戒心よりも、目の前にいる少女に対する不信感が彼を掻き立てていた。

「魔物のおぞましい姿とお父さんが貪られる様子のことだよ。早く部屋に戻って」

「わかったわ」

 開き直ったように少女が言い残すと踵を返して寝室を出て行った。その表情に恐れや父親への心配は微塵もなく、まるで他人事のように見えた。

 ルシエンはタンスの扉を閉めた。暗闇に包まれながら、彼はコートの裾の下から2丁の拳銃を抜き取り、胸元でクロスして構えた。そして深呼吸をし、目を閉じた。狩りの前の、束の間の休息だった。

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