第4話 狩りの準備

 1LDKの簡素なアパートの一室。昼下がりの陽光が明るく照らし出す窓辺を背に、ルシエンはベッドに腰かけている。手には古い本が一冊、黄ばんだページを一枚一枚、ゆっくりとめくっている。 

 それは『ハンター教典』の要点を抜き取った携帯版だ。かつて魔と戦う術を教わった師匠がくれたものだった。彼はいつもそれを汚れないようにハンカチで包み、雨風の当たらない旅袋の一番奥にしまい込むのだが、今日は珍しく、手に取って読んでいる。

 帽子の中に収めていた銀髪はうねりながら首元まで垂れ下がり、日差しを反射して白い輝きを放っている。長い前髪の下に隠されたのは人間離れした美貌だ。顎のラインから五官の形まで、顔のすべてのパーツがまるで計算されて作られた人形のように端麗で、無機質な冷たささえ感じる。誰もが一目を見れば忘れられないのだろうこの見た目が、ルシエンが外出時に顔を覆う原因だ。

 

 ベッドの上に無造作に置かれたスカーフの下で、何かがモゾモゾと動いている。程なくして、小さな精霊がのそのそと這い出た。それは手足がなく、頭から尻尾まで同じ太さで、ヘビよりも太くて短く、ツチノコよりも細長い。表皮は紺青色の細かい鱗に包まれ、光に当たるとつやつや光る。背中には不思議な象形文字を縦並びにしたような、銀色の紋様が見える。先の丸い尻尾には青白い縞模様があり、シーツをポンポンと音を立てて叩いている。

 ルシエンは開いているページから音のする方向に目をそらし、首をもたげて自分を見上げている精霊を捉えた。精霊は何かを訴えているかのようで、円な両目が黒曜石のように輝いている。

「そろそろ時間か、ジョー」ルシエンは優しく語り掛けた。 

 ジョー、彼は精霊をそう名付けていた。

 一人と一匹が一緒に居るのはもう大昔からのことで、ルシエンもいつからなのかははっきりと思い出せない。稜界の精霊たちのほとんどは小さくて可愛らしく、見る人を喜ばす素敵な姿をしているが、ジョーのような奇怪で、爬虫類に似たものは稀だ。

 お金持ちの間では精霊を愛玩ペットとして飼うことは流行りだが、ジョーはその世界観と相いれない性質を持っている。ルシエンという、危難な仕事と質素な暮らしをする人間に寄りそうことを選んだ。そして、ジョーにはルシエンと運命を共にするのに素晴らしい能力、即ち何に襲われても一緒に戦える能力を持っていた。 

「一稼ぎしに行こうか。」

 そう言うと、ルシエンは教典を閉じて身支度を始めた。 

 クローゼットから使い込んだガンベルトを取り出して腰に着け、それから銃器の鞘を太ももに固定した。鞘は細長い三角形で、収めるべき物を待っているかのように入り口を開けていた。 

 部屋の一角にある机の引き出しを開けると、そこにはスリムなデザインの拳銃が2丁、左右対称になるように置かれていた。“クリスタル・ベイン”という名のそれは、実弾を必要とせず、覚者の体内にあるエーデルを光の弾丸に変えた射出する仕組みだ。金属の塊から削り出されたような銃身は、ブロンズ色の濡れた輝きを帯びている。銃口の部分を深い溝が分断し、奥にキラキラした鉱石が少しだけ見える。引き金の部分は透明なクリスタル出来ており、光が屈折して虹色の煌めきを宿している。ルシエンはそれらを手に取り、慣れた動作で鞘に差し込んだ。銃身はすっぽりと収まり、柄はちょうど手の届く位置に突き出した。

 一連の動きを見ていたジョーは興奮して体を膨らませ、小さく尖った歯がずらりと並んだ口を開けた。肉食なのかと思いきや、ジョーは糖分以外まったく口にしない。ルシエンが狩の報酬金で買ってもらえる飴玉やチョコレートが大好物なのだ。

 ルシエンはジョーの前まで歩き寄ると、誰かに服を着せてもらうように立ったまま両手を横に広げた。そのポーズを見るやいなや、ジョーはふんわりと宙に浮かびあがり、背中の模様が光を放ち始めた。続いて、体が薄く広がり、「シュルシュル」と音を立ててルシエンに巻き付いていく。上半身をすっぽり覆うと胴体のサイズに合わせて収束し、襟元から肩、胸、腰へと、きつすぎず緩すぎずぴったりと引き締まっていき、腰より下は銃器が隠れるように裾を作った。

 程なくして、ジョーは美しい紺色のロングコートに姿を変えた。それだけではなく、銀色の飾りボダンまでリアルに再現し、いかにも布地の上に縫い付けられているようだ。目を凝らせば、コートの表面は小さな鱗に埋め尽くされ、裾の端には白い縞模様があり、さりげなく精霊に特徴を残している。ジョーは最後の仕上げとして、首元の部分をクルッと折り曲げ、洒落た外巻き襟を作った。端にある幾何学模様はジョーの拘りで、汚されるとちょっと不機嫌になるのだ。

 

 ジョーは「魔衣精霊」、精霊の中でもレアな部類だ。愛好家たちは積極的に彼らを収集しているが、ジョーは変わった見た目のせいで気に掛けてもらえなかった。結果が良い方に転じ、能力を最大限に活かせてくれるルシエンに出会えた。ジョーの鱗はダイヤモンドのように硬く、刃物はおろか銃弾も通さない優れものだ。身に纏えばすなわち無敵な鎧となり、危険な仕事のお供として大変心強い。


 ルシエンはフィット感を確かめようと軽く腕を回した。ジョーもそれに合わせて皮膚を伸び縮みしたり皺をよせたりし、本物の衣服を着ているかのように全く違和感がなかった。散らばる銀髪をヘアゴムで一つに縛ると、くるりとひと捻じりして帽子の中に隠した。最後にスカーフで顔を隠すと、狩りの準備は完了した。ミステリアスで小洒落た紳士に見える着こなしから、これから起こる血生臭い展開は誰も想像できないだろう。

『デス・エンジェル』

 ハンターたちの間で囁かれるルシエンの異名だ。「穢れの子」の済ました美貌には死の影が纏い、残忍で無情、見つめられたら不幸が降りかかるとさえ噂されていた。

 

 アパートの裏口から出ると、そこには「バハムート07式」が待っていた。質素な暮らしをしているルシエンが持つ最も高価なもの、飛空バイクだ。

 漆黒な車体は横に倒した細い三角錐の形をしており、先端は細く、中央部には凹んだスペースがあり、シートが二つ縦に並んでいる。後方から戦闘機に似た短い尾翼が突き出て、車体の後ろ真ん中にエンジンの射出口がある。3本のアームに支えられ、バハムートはフロントをやや斜め上に突き出した格好で持ち主が乗り込むのを待っていた。 

 ルシエンが近づくと、低い轟音を立てながらエンジンが自動的に始動し、サメの鰓を思わせる青い光の斑紋が側面に現れた。何度見ても男心をくすぐる格好よさだ。操縦席に跨ると、格納されていたハンドルが両側に飛び出し、大型ディスプレイにマップとメーターが現れた。シールドガラスの向こうに、バハムートのピンと伸びたフードが見える。その下は広いトランクで、一人旅の殆どの荷物を積み込める。ルシエンはトランクからヘルメットを取り出し、帽子と取り替えた。シールドが顔をすっぽりと覆った。

 地面から車体を支えていたアームが格納された。アクセルを捻るとエンジンは低い唸り音とともに光り出し、バハムートは地面の少し上を滑るよう進み出した。

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