第2話 神魔大戦

 世界はサンドイッチのような構造になっている。一番上にあるのは神の住む世界である天界と、一番下にあるのは魔の住む魔界、そして真ん中の具にあたるところが人間とエルフの住む世界、稜界だ。天界と魔界は精神次元で、稜界は物質次元。相容れない性質を持つ別々の世界なのに、神も魔も、一番おいしいところである我々の世界に手を出したがる。

                     -ハンター教典序章の一節より


 『ハンター教典』の一ページ目に書いてある言葉だった。魔狩りを生業にする者なら一度は読んだことあるその書物は、酔っ払いが書いたようなくだけた言葉遣いと不真面目なジョークに満ちている。それでもハンターたちはこの教典をバイブルのように扱っているのは、稜界に侵入してきた魔の種類や特徴などについて、最もリアルな情報が記されているからだった。どんなタイミングでどのような攻撃を仕掛けてくるのか、得意不得意は何なのか、まるで筆者自身が魔と戦ったことをそのまま書き綴っているような内容は、安全な研究施設で死体サンプルを弄る研究者たちが書いたものよりずっと実戦で役に立つのだ。


 最初の魔が稜界に現れたのはおよそ500年もの前だと言われている。天界と魔界の狭間にある稜界は二つの世界が交わるのを防ぐ境界線の役割も担っているゆえ、天界に侵入しようとする魔たちが手始めに征服する世界となってしまった。


 魔の中には5つの王があり、魔神と呼ばれる。第5の魔神、支配と略奪のエゼキルガーは天界侵攻の首謀者として、魔界と両手で綾界を隔てる次元の壁を引き裂き、おぞましい魔の大軍を引き連れて物質次元である綾界に受肉した。彼らはその時代に散らばって存在していた国々を次から次へと征服し、その民たちを邪悪な魔法と独自のバイオ技術により半人半魔の存在、「魔人」に変えて僕や奴隷として従わせた。かくして、魔による最初の国、「パンデモニア」が大陸の南端に誕生した。

 エゼキルガーの次の目標は、天界を破壊するための究極の武器を作ることだった。ただしその武器を完成させるためには莫大な資源と労働力、そしてそれを動かすためのエネルギー、すなわち無数の魂を集めなければならなかった。これが、パンデモニア軍による20年にわたる魂狩りという殺戮の始まりだった。

 大陸の南の端から北の端まで、半人半魔の兵士たちはまるで軍隊蟻のように通りかかった都市や村を後型もなく破壊し、男と子供と老いる者を皆殺しにした。女は囚われ、赤子を生ませる家畜のように扱われ、生まれた子供もまた魂を剥奪された。世界は恐怖と混沌に陥り、死と絶望がすべてを支配していた。


 このことが天界に知らされると、神々は魔の侵攻に対処するべく稜界に君臨した。神々の中にも王が5つあり、主神と呼ばれる。第一主神、そして主神の中でもっとも強大だとされる者、法と秩序のアークは先頭にたち、大勢の神兵たちを率いてパンデモニアに宣戦布告した。それから、100年にもわたる神と魔の熾烈な戦いが始まった。


 主神アークの絶大な力のもと、戦いは神兵の優勢であった。しかしエゼキルガーには奥の手があった。彼の僕である魔人たちは、稜界において神にできない唯一のこと、繁殖をすることができたのだ。

 天界で神が誕生することは創物主が無より創ることであり、1人につき100年掛かるとされる。しかし繁殖となれば話は別だ。十数年すれば大人が出来上がり、彼らがさらに交わるとまた子供ができ、掛け算方式で際限なく増えていく。エゼキルガーはその数の力を狙っていた。


 無敵とされてきたアークの神兵も、消して消してもまた現れるエゼキルガーの軍勢に疲憊し始めた。戦が泥沼化するなか、第5の主神、学びと叡智のイデアが一つの策を画した。

 エゼキルガーが稜界の者たちを都合よく作り替えるのなら、神々も同じことができる、と。天界に満ちているエーデルというエネルギー、神々の生命の源でもあるそれを人間の体に宿らせる、という方法だった。

 アークは初め反対した。彼曰く、人間のような不完全な精神をもつ者は誤った使い方をし、神の力を堕落させる恐れがあると。しかしエゼキルガーに勝つために他の選択はなかった。五つの主神が集う五塔の会が天界で開かれ、神々は天界から稜界にエーデルの泉を流し込むことを取り決めた。


 泉は光の雨となり空から10日間ものあいだ降り続いた。エーデルは稜界に入った途端、物質次元に適した形に変わった。薄めれば気体になり、濃縮すれば液体にもなる、無臭無色で、活性化すると銀色に輝く物質になった。そして雨水に混じり、土の中、大気の中、水の中など、稜界にある自然万物に宿った。


 アークは辛抱強く待った。二十年ほど経ったあと、ようやく期待していた結果が生まれた。大地を歩き、空気を吸い、水を飲む人間とエルフたちのなかから、体内にエーデルを宿した者たちが現れた。彼らは神々と同じように、魔力と老いることのない強靭な肉体を手に入れ、同胞たちから覚者と呼ばれた。

 しかしイデアにも、アークにも、一つ誤算があった。それは、覚者となる存在を選択することができなかったことだ。エーデルがどのような仕組みで、いつ、どんなきっかけで人間やエルフたちの肉体に宿るようになるのかは、主神たちでさえその仕組みが分かっていなかった。また、覚者と覚者の間の子供は必ず覚者になることはない。つまり、すべてにおいて覚者の出現はランダムだ。


 各地に散らばった覚者たちをかき集め、共にエゼキルガーと戦うよう意思をまとめるのに、アークと神兵の主将たちは大変苦心した。それでも最終的に、エゼキルガーの軍勢に匹敵する規模の軍隊を結成することができた。神と覚者たちが心を一つに力を合わせ、厳しい戦いの末、とうとうエゼキルガーを打ち破った。エゼキルガーはパンデモニアを捨て、残党たちとともにきに侵入時に通った次元の狭間に逃げ込んだ。後の世で「神魔大戦」と呼ばれるこの戦いは100年余り続いたのち、ようやく幕を閉じたのだ。


 あれからまた400年以上の歳月が経った。世界はまだその傷跡から癒えずにいる。神と魔によって掻き乱された次元の秩序は精神次元と物質次元の望ましくない交わりをもたらした。塞がることのない次元の狭間から魔界の者たちが絶えず稜界に侵入し、そこに住む者たちを惑わし、貪り、魂を堕落させては魔界に引きずり込んだ。

 エーデルも地上に残ったまま、新しい覚者を誕生させ続けていた。力のあるものと無い者、寿命のあるものと無い者、圧倒的な格差が社会を混乱させ、様々な内紛をもたらした。かつて神と一緒に戦った覚者たちも、共通の敵を失ってからは自分たちの利益に力を行使するようになり、各地で王と名乗って自分たちの領土を築き始めた。一つの大陸で様々な国が乱立し、国境を巡る争いが絶えなかった。


 主神アークはこのことをすでに予見していた。神魔大戦後、彼は天界に戻る前、腹心の一人で神魔大戦の英雄の一人でもある、主将エンドラを稜界の支配者に指名し、神の法と秩序に守られた強大な国、エリュシオンを創らせた。

 そこに暮らす人々は魔と紛争の脅威から守られる代わりに、アークへの絶対的信仰と法の絶対的遵守を約束した。いくつか他の国もエリュシオンの元に応じ、かくしてできたのが帝国連盟だ。盟主国エリュシオン、ガリオン、アイデン、オーロランドがそれぞれの領土を構え、外周に敵の侵入を拒むための、雲にも届きそうなほど巨大な城壁が築かれた。


 アークはまた、稜界に散らばったエーデルを回収し管理するようエンドラに命じた。神魔大戦が終結した時代に、覚者が増え続けることは返って混乱を生む種だと考えていたからだ。果てしない時間と労力を必要とするが、エンドラはこのことを自らの宿命として取り組むことを誓った。かくして長い歳月をかけて、世界全体のエーデルは少しずつエリュシオンの中心ある貯蔵空間に集められ、新たに誕生する覚者の数も徐々に減少した。今では非覚者がメインであり、全体の8割ほどを占めている。


 ただし、アークの加護を受け、壁に守られた地域はごく一部にすぎなかった。壁の外側はひっくるめてアウトランドとよばれ、そこに小さな国や都市規模の自治体が入り混じって存在している。神の力でもエーデルでもなく、人間とエルフの力、そして稜界に元から存在する資源に頼って築き上げられた社会だ。

 そこに暮らす人々はアークの法に縛られることがない代わりに、魔の侵略と権力者たちの紛争に絶えず晒されていた。それゆえ生活水準も技術的・産業的発展も帝国連盟よりかなり後れをとっている。それでも、人々は自分の身は自分で守るようにして頑強に生き延び、しっかりとした文明を築き上げてきた。魔を狩るハンターという職業もそこから生まれたものだ。


 アウトランドにも覚者は存在する。そのほとんどは残存エーデルによって神魔大戦後に誕生した若い者たちだ。数も壁の内側より少ない。帝国の覚者はアウトランドの覚者を「野良」と蔑んで呼んでいる。神の力を授かりながらも、神を信奉しない、主無き連中というニュアンスだ。

 ハンターに務まるのは生身の人間ではなく、魔と有利に戦える野良の覚者たちだ。彼らは街を魔の脅威から守る代わりに、一般市民をはじめとする様々な依頼主から金銭的な報酬をもらう。アウトランドの小さな国や自治体は、一つ一つをとって帝国連盟の国々に比べると規模はとても小さい。その上、内紛や派閥戦争に明け暮れることが多い故、魔に対する防衛は常に手薄であった。それどころか、魔と結託し私利を肥やす脱落した権力者さえいるのだ。このような情勢のなか、ハンターたちはアウトランドで暮らす人々にとってなくてはならない用心棒だ。

 ルシエンもそんなハンターのうちの一人だ。彼には幼少期の記憶がほとんどなく、思いだせる一番古い記憶は、7歳の時に生まれて初めて自分が覚者であることを知ったときのことだった。

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