第44話 由希の本当の気持ち

 せっかく時間を取ってもらったのに、こんな湿った、グズグズした話になってしまって情けない。


 雰囲気を変えようと私はわざとらしく明るい表情を作って、前から興味があったことを尋ねてみた。


「ところでさ、宏樹くんは付き合ってる女の子いないの?」


「実は、いる」


 即答だった。


「え! そ、そんな話、岩崎くんにも聞かなくなくない?」


 予想外の展開に動揺と興味が混ざってしまい、カミカミを通り越して言葉が怪しくなってしまった。


「あいつにもまだ秘密なんだから、絶対に口外するなよ」


「わかった、約束する。それで?」


「近所に住んでる、保育園から中学校まで一緒だった幼馴染」


「高校は?」


「地元高そのまんま」


「そうだったんだ……」


「ま、そういうことだ」




 宏樹くんに彼女がいるのはある意味で当然と思えたけど、それを親友である岩崎くんにも教えていなかったこと、そして岩崎くんも由希について宏樹くんに話していなかったことは、意外としか言いようがなかった。


「男同士って、そういうのもっと開けっぴろげに話をするって思ってた」


 思っていたことがそのまま口から漏れてしまったことに気付き、私は慌てて口を押さえる。 


 私の反応に苦笑いを浮かべながら、宏樹くんは少し遠いところを見るように話し出した。


「クラスの誰が可愛いとか、そういうお約束の話題は俺もあいつも嫌いじゃないんだけどな。でも彼女だとか好きな相手とか、そういうのは話が別だ」


 私は首を少しかしげて、続きを促す。


「俺たちくらいの年代だと。どうしてもすぐヤりたいだのヤッただのって話になるだろ? 俺らそういうの好きじゃないんだよ、口に出すのも聞かされるのも。大切な相手をバカにしてる、バカにされてるみたいでさ」


「そっか」


 なんというか、こんな男の子に愛される相手は幸せなんだろな、羨ましいなって思う。




 そんな宏樹くんと彼女の将来を漠然と想像していて、ふと気になったことがあった。


「あれ、でも宏樹くんって、大学はたぶん仙台行くんだよね? 彼女さんは地元で就職? 大丈夫なの?」


「なにが?」


「いや、その、遠距離恋愛……」


 絶対このまま結婚するんだろうなって確信していた、高校時代のお姉ちゃんたちの姿を思い出しながら、私は心配になる。


 でも、宏樹くんは全然気にしていないようだった。


「俺、県庁か市役所志望だし、どっちみち卒業したらこっち戻ってくる予定だから。その辺はあんま心配してねえよ」


「強いんだね。私はそこまで強くなれないや」


 そんな私を見ながら、宏樹くんはこれ見よがしに大きな溜息をつき、


「ひとつだけアドバイスな」


 そう言って、じっと私の目を見る。


「怖がってるばかりじゃ、なにも変わらないぞ。自分から一歩踏み出さないとな」


 それは知ってる。お姉ちゃんにも言われたし、自分でも頑張ってる、つもり。


「いいか? あいつと共有した時間と、自分の中の想いを信じろ」


 力強く言い切ったあと、宏樹くんは「まあ、これは岩崎にも言えることなんだがな」とひとりごちる。


「なにそれ?」


「いや、ひとりごとだよ」


 そう言ってから彼は腕時計に目をやり、時間を確認した。 


「悪い。俺、そろそろ電車の時間だわ」


「あの……。今日は本当にありがとう。私、片付けとくから」


「助かる。じゃあまた、明日な」


 そう言って席を立った宏樹くんは、数歩足を踏み出してから「そういえば」と、こちらを振り返った。


「あいつのことだから、お前にもまだなにも言ってないかもな。こうして古川と二人きりで話をする機会なんてあまりないだろうし、念のため伝えとく」


 あいつって誰? 私の中に不安が広がる。


「由希の本当の志望校。この街の大学、夜間部だ」


 言葉を失った私を残して、彼は駅の改札の方へ去っていった。




 すっかり暗くなった街の中を、家に向かって一生懸命に自転車を漕ぐ。


 ふと岩崎くんが住むマンションの近くに差し掛かったことに気付いた私は、幹線道路越しにマンションの明かりに目をやりながら、宏樹くんとの会話を振り返る。


「共有した時間と、自分の中の想いを信じろ」か……。


 毎日辛そうにしていたお姉ちゃんの記憶が頭をよぎる。遠距離恋愛でも関係を支えられる、信じられる強さが欲しい。


 いやそれ以前に私は彼と、岩崎くんと本当はどういう関係になりたいんだろう。


 宏樹くんはどうして「岩崎はまずお前に連絡入れると思うけどな」なんて思ったんだろう?




 でも、それよりも。


 私は宏樹くんが最後に言い放った由希の本当の志望校、その理由をめぐって頭がパンクしそうになっていた。


 その気になれば(医学部とか特殊なところを除いて)国内の大学ならどこにでもストレートで合格できそうな由希が、地元の、それも夜間に行くってのはいったいどんな事情なのか。


 言われてみれば、思い当たる節がなかったわけでもない。


 夏休み、岩崎くんと図書館で予期せぬデートになってしまったあの日の帰り道、由希はこう言ってた。「あの頃は毎日楽しかったなあ……なにも心配なんかなくて、いつも明日が楽しみだった」。


 勉強会の夜も、宏樹くんの家の手伝いに来る理由について「でもまあ、他にもいろいろとね」と言葉を濁していた。そう、私は自分のことばかりに気を取られていて、由希が出しているサインに全然気がついていなかった。


 いや、きっとそれだけじゃない。


「本当に今年の秋でお別れなのかな」と岩崎くんの転校予定を気にしていた由希。「私も、高校生活の楽しい思い出が欲しかったの」と涙声で言った由希。


 私に気を使って伏せていたに違いない、由希の本当の気持ちは……!


 親友だなんて自惚れていたけれども、私は由希のことを、ちっともわかってなかったのかもしれない。


 悲しさ、悔しさ、そして情けなさ。いつの間にか涙が頬を伝っていたことに気がついたのは、文知摺橋に向かう坂道を登り始めたときだった。

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