第42話 九月突入

 とうとう九月になった。


 八月の最終週だけを残して夏休みが明け、新学期早々に開催された席替え大会。


 まさかの二回連続で岩崎くんの隣の席ゲット(ただし左右の関係は逆になり、席も窓側の前列に近い位置に変わったけれど)という偉業を成し遂げたこともあり、学校生活には何の不満もない。


 岩崎くんとの関係も、進展がないようなあるような、相変わらずの関係を保っている。


 一部のクラスメイト(というか、香織と宏樹くんだ)から夫婦呼ばわりされているのは嬉しくもあるけど、そういうのを嫌がる岩崎くんが学校では私と微妙な距離を取りたがる理由にもなっていて、痛し痒しというところ。


 でもそんなことより、私にとっていま一番大切で、気がかりなこと。


 それは、そろそろ十月を迎えるというのに、岩崎くんの去就が相変わらずはっきりしないこと。


 何も決まっていないのかもしれないし、今秋の異動はナシと決まったのかもしれない。いや、ひょっとすると「もう転校は決まっているけど、まだ言いたくない」という、私にとって最悪のケースすらあり得る。


 でももう少し経ったら、きっと岩崎くんから教えてくれる。少なくともそう思えるだけの関係を、私はこの半年弱で築いてきたつもりだ。


 男女関係では引っ込み思案だった私だけど、後悔しないように頑張ってきた。


 でも、岩崎くんには迷惑だったのかな……。


 思い悩みながらも、「岩崎くんが言ってくれるまで待とう」と私は決めた。




 そんなことを考えているうちに、さらに一週間が過ぎた。


 何も変わらない、普段通りの生活。登校して岩崎くんの隣の席に座り、挨拶を交わす。昼休みは彼と宏樹くん、香織と机を囲んでお弁当を食べて、くだらない世間話を楽しむ。


 水曜日は彼の家の前まで一緒に帰って、そこから二人で(ちゃんと別の)自転車で移動して、そのまま文知摺観音の掃除の手伝い。そして、終わったらなにか飲みながら一休みをして。


 本当に、夏休み前と同じ生活。


 彼の一番の親友である宏樹くんも、表面上の振る舞いはこれまでとまったく変わっていないように見える。彼もこの十月で岩崎くんが転校する可能性があることは熟知しているはずだけど、岩崎くんとの関係に、特に変化があるようには見えない。


 それとも私や他のクラスメイトとは違って、宏樹くんはすでに話を聞いていたりするのだろうか。


 学校で彼が岩崎くんと話している姿を見たときに思いついたこの発想から、みっともないことに、私は抜け出せなくなっていた。




 宏樹くんに話を聞いてみよう。


 そう決心した私は、オケの練習が終わると同時に下校準備を整えて、ハンドボール部の練習が終わるのを待った。といっても、オケの練習が終わるのも似たような時間だったから、あまり待たずに済んだのは助かったのだけれど。


 ちなみに、いつも途中まで一緒に帰る由希には、用があるといって先に帰ってもらった。岩崎くん絡みでごまかすような嘘を親友につくのは、胸がざわざわするような心苦しさがある。


 待つこと数分。


 練習を終えて体育館から部室に移動するハンドボール部員の中から宏樹くんの姿を見つけ、私は声をかけた。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


「古川? こんなときに珍しいな」と宏樹くんは驚いた顔をしたけど、「いいよ。すぐ終わる話?」と了解のポーズをとる。


「んー、少しだけ長くなるかも」


「わかった。電車乗り遅れたくないから、先に駅に移動しておきたいな。駅前のハンバーガーチェーン店でいいか?」


「うん。これから着替えたりするでしょ? 私、先に行って席取っておくから」




「悪い、遅くなった」


 お店で席を確保して、ちびちびとアイスコーヒーを啜りながら待つこと約十五分。


 宏樹くんの声に振り向くと、学校指定のシャツ代わりの白いポロシャツに制服のパンツという出で立ちの彼が、意味深な笑みを浮かべて立っていた。


 と言っても、どうやって彼に話を切り出せばいいのか考えているうちにあっという間に時間が経っていたみたいで、「え? もう来たの?」というのが正直なところ。


「俺、アイスコーヒーとポテト頼むけど、古川はなにも食わなくていいのか?」


「ありがと。でもなんか食べると、うちで夜ご飯食べられなくなっちゃうし」


 以前お姉ちゃんか誰かに聞いたことがあるような気がするけど、高校生男子の食欲って、本当に凄まじいよね。一日五食でもまだ足りないって話だから、きっと胃がブラックホールみたいになってて、食べ物を無限に吸い込んでいるに違いない。


「お前はもう少し、食べる量を増やしたほうがいいと思うんだがなあ」


 そりゃもちろん私だって食べたい気持ちはあるけど……と思いながら、自分のお腹のあたりに目をやる。


 きっちり人並み以上の脂肪はついているはずなのに、肝心な部分に蓄積しない自分の体型。毎日のお風呂上がりには、鏡を見るたびに絶望感を覚える。


「じゃあ、注文行ってくるわ」


「いってらっしゃーい」


 しばらく経って、宏樹くんがトレイを持って戻ってきた。アイスコーヒーと巨大なポテト以外に、バニラアイスが乗ってるのはどういうわけだろう? 


「アイスは俺の奢りな。いらないなら、俺が食うけど?」


「え。じ、じゃあ、ありがたくいただきます……」


 食べないって決めてたのに、甘物の魅力には逆らえない自分が情けない。


 そのまま食べるべきか、それともいっそ、コーヒーフロートにしちゃうのはどうだろう? そんな風に甘物の魅力と格闘している最中に、宏樹くんがいきなり核心をついてきた。

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