第41話 漠然とした不安
いろんな出来事があったような気がする夏休みも、あっという間に明けた。
秋に転校があるのかどうか、父親からの話はまだない。
なんでも、この種の連絡はギリギリまで引っ張る、というのが最近の流れらしい。そうは言っても、本人はともかく、周囲で影響を受けるだけの家族はたまったものじゃないな、と思う。
「岩崎くん、どしたの? 箸が止まってるよ?」
いつもの学校生活、いつもの昼休み。
「いつも」が続いていく日常がこんなに貴重なものだなんて、最近になるまで意識すらしなかった。
「古川さんはいつもマイペースで羨ましいよ」
「そんなことないですよーだ」
古川さんがほっぺを膨らませる。
宏樹はそんな俺たちをいつも通り面白そうに見ていたけど、前から気になっていたんだけど、という顔をして疑問を挟んできた。
「そういや、お前らなんで敬称呼びなんだ?」
「は?」
「え?」
「岩崎くん、古川さんって」
「それ、私も気になってたんだー」
一緒に弁当を食べるメンツとしてここ数ヶ月固定されてきた、佐藤香織まで口を挟む。
「クラスの連中、みんな呼び捨てだろ? なんで? お互いに意識し」
「違えよ!」
「違うってば!」
最後まで言わせるものかと、二人揃って宏樹の発言を遮る。古川さん、ナイス判断。
「転校してきたばかりで、いきなり呼び捨てって抵抗あるだろ。田舎に来たの初めてだし、馴れ馴れしく入るのはあのころ少し抵抗があったんだよ。だからって、いまさら呼びかた変えるのも気持ち悪いし」
「ど田舎で悪うございましたね」
「ど田舎なんてひとことも言ってねえだろ!」
「『周りが山に囲まれてるのって新鮮だよな』って、前に言ってたじゃない」
「盆地暮らしの事実を、ありのままに描写しただけじゃん……」
「ほんっと、お前ら仲良いのな。付き合っちゃえば?」
だから宏樹、そういうんじゃないんだって。
「ほら、古川さんだって嫌がって……」
俺はそう口に出そうとしたけれど、彼女の表情を確認するのがなんとなく怖くなって口をつぐんでしまった。
「ところで」
そう切り出したのは古川さん。
いったいなんだと集中した三人分の視線を意識してしまったせいか、「いやそんな、大したことじゃないんだけど」と照れて恥ずかしがる姿は、可愛らしいものがある。
「前から気になってたといえば、岩崎くんって『じゃん』って使うよね。ときどきだけど」
「俺、そんなに『じゃん』って言ってる?」
「言ってるな」
「言ってるー」
同じように頷く宏樹と佐藤香織。
「前にどこかで、『じゃん』は神奈川の方言だって読んだぞ」
「心当たりないんだけどなあ……。周りに影響されたのかな」
「仕方ないよ。岩崎くん、神奈川から引っ越してきたんだし」
「はあ?」
「え? 町田から引っ越してきたって言ってたじゃない。神奈川県の」
「おい、町田は東京都だぞ」
「もちろん知ってるよ?」
しれっと反応する古川さんを見て、もう我慢の限界とでもいうように、宏樹と佐藤香織が大声で笑い出す。
神奈川県町田市というのは東京神奈川あたりじゃ鉄板ネタだけど、お前らよくそんなことまで知ってんな。ここ、福島市だぞ?
「くそ、馬鹿にしやがって!」
宏樹は目尻に涙まで浮かべている。咎めるような俺の視線を大笑いで跳ね返して、
「お前ら息が合いすぎだろ」
「カップルの痴話喧嘩、毎日ごちそうさまって感じ」
「だよな。さっさと結婚しちまえよ」
お前らの息のあったツッコミこそ容赦がなさすぎるわ!
ほら、古川さんなんて耳の先まで赤くなっちまってるじゃねえか(さすがに今度は怖がらずに表情を確認した)。
そんな彼女を見ながら、夏休みのあの日のことを思い出す。
疲れ切っていたとはいえ、帰りのバスの中で無遠慮に彼女に寄りかかって、寝入ってしまったこと。いままでの人生で、そんなことは一度もなかったのに。
あれ以来、あの件についてはお互いに触れないようにしているけれども、なにかの拍子にお互いの身体が触れ合ったとき、目が合ったときとかに、あのときの感触が突然戻ってくることがある。
小柄な彼女の身体は柔らかくて、暖かかった。そしてあの不揃いの前髪パッツンのショートヘアからは、シャンプーの良い香りがして……。どんなに頑張ってみても、意識してあの記憶、あの感覚を思い出すことはできないのに。
楽しい時間は終わり、午後の授業が始まった。
顔を黒板の方に向けたまま、横目で古川さんの様子を伺う。授業に集中している彼女の真剣な横顔を見ながら、最近になって感じる、漠然とした不安について考える。
彼女は俺にとって、どんな存在なんだろう。彼女にとって、俺はどんな存在なんだろう。
──この街での生活が残り少なくなっていく中、このままでいいのだろうか。
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