第37話 勉強会本番は地獄の様相
さてまた勉強時間に戻ったものの、数学地獄から解放されるという触れ込みの蜘蛛の糸に、なんの疑問を抱かずにすがりついた俺がバカだった。
というか、この勉強会に関しては始まる前からここまで(そしてきっとこれからも)、とにかく予想の斜め上に行くことが多すぎる。もちろん、俺にとっての容赦のなさの面で、だけどな。
次に始まったのは、その場で配られた長文読解問題を一文ずつ代わる代わる読み上げて、その場で日本語訳するという、別の地獄だった。どうも俺とその他の参加メンバーとの間では、恐ろしいことに「和気藹々」という言葉がなにを意味するのか、共通の認識が確立されていなかったらしい。
英語の授業と違って予習なし、初見での対応を強いられるから、基本的な構文理解力と語彙力がないと話にならない。単語さえ推測できれば、俺の国語力を持ってすれば論旨を推測することなど、造作もないはずなのに(ちょっと盛っちゃったのは謝るから、許してほしい)。
二十分ほどかけてようやく問題文の日本語訳がひと通り終わったところで、「やっぱりそうじゃねえかと思ってたけど」と、宏樹が重々しく宣言する。
「岩崎、構文と単語のストックがまるで足りてねえな」
「高校の英語、特に模試とか入試はそのときまでに授業で習った単語しか出ない、公立中学の試験とは違うんだから。やっぱり、ねえ?」
古川さんもなにか言いたげに俺を見る。
「お前雑学とかどうでもいいことには滅茶苦茶詳しいから、記憶力の問題ってわけでもなさそうだしな」
「あー、岩崎くんってそういうの強いもんね」
「夏休み前のいつだったか、ターボチャージャーとスーパーチャージャーの違いについて、延々と説明されたことがあったぞ。いきなり車のエンジンの話なんてされても、わかんねえよ」
「私も『なんで空は青く見えるんだろ?』ってひとりごとに、すぐに反応されたことがあるよ。なんだっけ、なんとか散乱」
「空が青く見えるのは、レイリー散乱」
間髪入れず、五十嵐さんが補足する。流石だ。
「って、岩崎くんが中学のときに言ってた」
そうだったっけ? そんな昔の、ちょっとした会話のことまで彼女が覚えていてくれたのは本当に嬉しいんだけれど、正直そのネタはあまり引っ張って欲しくない。
「いや、あれは昔、深夜アニメでやってたやつの受け売りで……」
「受け売りでも、記憶力がいいことには変わらないよ。それに、受け売りの知識を受け売りだって素直に言えるのは、岩崎くんのいいところだろ思う」
予想もしないタイミングで五十嵐さんに褒められて、天使に導かれてそのまま昇天してしまいそうな状態の俺。
その一方で、
「自分の失敗を認めるくらいなら死ぬって勢いの大人、世の中に多いからなあ」
と、うんうんと深く頷く宏樹と古川さん。お前らまだ高校生なのに、これまでどんな人生経験積んできたんだよ。
こんな俺好みの、いい感じに弛緩した空気が続いてくれれば……という期待を無情にもピシャリと引き締めたのは、古川さんだった。
「要するに。単なるサボりというか、努力不足なんだよね、岩崎くん」
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
という俺のボヤキに対して、三人がいろいろ勝手な案を出してくる。
どれが手っ取り早くて効果があるのか議論になったんだけど、その中でもっとも単純だけれども凶悪な方法を、とりあえず試してみようということになった。
「とにかく、一日に単語を百個覚える。三十日で三千個」
言い出したのは、五十嵐さんだった。
「いやそれ、かなり無茶だと思うんだけど」
「その日だけ覚えていればいいから。次の日になったら、忘れてても気にしない」
「ねえ由希、それだとあまり意味ないんじゃない?」
五十嵐さんの肩のあたりを人差し指でつつきながら、古川さんが当然の疑問を差し挟む。その通りだと頷く俺と宏樹を一瞥した五十嵐さんは、涼しげな顔で言い切った。
「次の日に全部一気に忘れることなんてできないから、大丈夫。そうやって毎日とにかく百個ずつ詰め込んで、次の日まで忘れずに残った単語を少しずつ増やしていけば、そのうち全部網羅できる」
マッチョ志向というか、スパルタ式全開とでもいうか、あまりのアイディアに俺たち三人は絶句する。これが学年トップクラスの発想なのか……。
いや、たぶん五十嵐さんはもっと別の方法で語彙力増やしてて、この方法はステータスが記憶力全振りの俺向きにアレンジしてくれてるんだとは思うんだけど。
「俺もそれやってみるかな」
「私も」
「試しにちょっとやってみようぜ、いくぞ岩崎」
その後夕食までの間、「和気藹々」とした雰囲気の中で(ただし俺を除く)俺の記憶力がギリギリまで試される戦いが続いた。脳それ自体は痛みを感じないって話を聞いたことがあるけど、脳があげる悲鳴が俺には聞こえる気がする……。
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