第34話 保原へ

  そして勉強会の当日がやってきた。


 待ち合わせ場所に現れたのは、例によってまともな車とは思えないような排気音を奏でる、白い軽自動車だった。夏の日差し対策と思われるような大きめのサングラスをかけた女の人が、運転席の窓を開けて顔を出す。


「岩崎くん、お待たせ。今日はよろしくね!」


「お姉ちゃん、もう一回受験勉強したいの? 付いてこれるの?」


 クリティカルなダメージを与えられそうなキツい言葉で姉を黙らせた古川さんが、車から出て、俺の方に向き直る。黒っぽい太めのパンツに、少しルーズな、ライトグレーの七部丈カットソー。


 いつもながら身体の線が出にくい露出控えめの服装だけど、暑くないんだろうか。今日の予想最高気温、三十五度を超えてるぞ? まあ、パンツは麻素材っぽいし、暑さ対策は考えてるのかもしれないけど……。


 少し恥ずかしそうに、何か文句ある? とでもいうような目で古川さんは俺を見て、あらかじめ伝えられていた注意事項を確認する。


「岩崎くん、ちゃんと朝ごはん食べた?」


「ああ」


 なんでか理由は不明だけど、事前の注意事項に「朝食をしっかり摂ること」って書かれてたから、意識していつもより多めに食べてきたけど……。毎度のことながら嫌な予感しかしない。


「それなら、いい。じゃあお姉ちゃん、お願い」




 車は一路、保原方面に向かう。


 保原というのは伊達市の一部で、市町村合併するまでは独立した町だったらしい。地区名だけでなく、宏樹が電車通学に使っている阿武隈急行の駅名としても、その名を残している。


 ちなみに保原駅から福島駅までは、阿武隈急行で七駅、二十分前後というところ。ただ、福島駅からはうちの学校まで十五分近く歩くことになるから、阿武隈急行を使った電車通学生はそれほど多くなく、男子生徒は自転車通学派(気合いを入れて一時間前後)の方が多い。


 とはいえ、荒天時のキツさや、アップダウンあり人家が少ないエリアありといった道中の条件を嫌って、全体的には女子生徒を中心にバス通学派が多いのが実情だ。そうは言っても、実際にはバス通学の場合でも、二十五分程度の乗車時間に加えて、バス停から学校までさらに十五分は軽く歩くことになるんだけどな。


 宏樹から昔聞かされたそんな情報を思い起こしているうちに、車はちょっとした坂を登って、一昔前は廃墟マニアにかなり有名だった(らしい)遊園地跡地を横目に見ながら、ゆるやかに右にカーブする。


「いいなあ、お泊りで勉強会。私にも高校時代、そんなイベント欲しかったなあ」


「お姉ちゃんには彼がいたでしょ」


 妹に一発で粉砕されても、見習いたいと思うくらいの打たれ強さで、姉は続ける。


「いい? 岩崎くん。大人がいないからって、お酒はダメだからね」


 うちは両親とも飲まねえし、酒に手を出す理由はないかなあ……。父方のおじさんが酒で失敗しちゃったのを見て決めたらしいんだけど、反面教師ってやつだろうか。


「あと、若い衝動に身を任せちゃダメだからね。もしどうしても我慢できなくなった場合でも、ちゃんと避に」


「お姉ちゃん!」


 強烈な意志が込められた言葉と視線は、場合によっては物理的に人を傷つけることすら可能なのでは? ありえないことだろうけれど、そんなことを俺は思わずにはいられなかった。




 車内でそんな馬鹿話を続けている間に、車は事前に宏樹から連絡のあった住所付近に到着した。


 農地がほとんどで、家がまばらにしか見えねえ……。これ、事前に地図アプリで調べておかなかったら、間違いなく迷子になってるパターンだ。


「ナビありがとね。わかりやすかったし、私の専属コドラにならない?」


「岩崎くん、コドラってなに?」


 古川さんがヒソヒソ声で俺にたずねる。なぜか車内で十分に効いているはずのエアコンに勝る冷気が、俺を包み込むような錯覚を感じる。


「コ・ドライバーっていって、ラリーのとき助手席に座って、ペースノート読み上げたりしてナビする人のこと。まあ、案内人みたいなもんかな」


「よくわからないんだけど」


 古川さんは俺の説明を途中で引き取って、車外の熱気すらかき消すことができそうな視線で、姉を睨んだ。


「とにかく、お姉ちゃんがよこしまなことを考えてるのはわかった」


「じゃ、勉強頑張ってね。岩崎くん、智佳をお願いね。智佳は岩崎くん困らせちゃダメだからね?」


 状況の不利を察した古川さんのお姉さんは、意味深な笑顔で最後にそう付け加えてから俺たちを車外に放り出し、爆音を残して走り去ってしまった。


「どういう意味だろ」


「たいした意味なんてないから、取り合っちゃダメ。行きましょ」


 古川さんは、お姉さんに対してはやっぱり徹底的に冷たいようだ。いいコンビに見えるんだけどな。




 念のためにと送られていた家の周囲の画像を頼りにして、俺たちは宏樹の家に到着した。


 自然な生垣に囲まれた、かなり大きめの和風建築。敷地の一角に農機具置き場が用意されている。そういえばあいつの家、農家だって言ってたっけ。


 玄関ドア脇のチャイムを押すと、待ち構えていたかのようなタイミングで、Tシャツに短パンという出で立ちの宏樹が現れた。


 さすがに今日は古川さんが一緒ということを意識してか、しっかりした生地、デザインの物を選んでいて、それほど雑とかだらしないといった感じは受けない。まあ格好については、Tシャツにルーズなクライミングパンツ合わせてる俺も似たようなもんだろうし、そこは良しとしよう。


 でも一つだけ言わせろ。


 お前が首から下げてるの、どう見てもスポーツタオルじゃなくて、ただの手拭いだろ?




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