インターミッション

第31話 彼女の日常

「ただいま」


 疲れきって帰宅した彼女を迎えたのは、弟の元気な声だった。


「姉ちゃん、おかえり!」


「夜ご飯は?」


「姉ちゃん待ってた」


「すぐに準備するから、冷蔵庫に入ってるもの出しといて」


「わかった、やっとく!」


 自室で制服を脱いだ彼女は、着替えを探しながら、台所にいる弟に声をかける。


「お母さん、どうだった?」


お医者さんせんせいには会えなかったけど、相変わらずだって。看護師さんが」


「そう。ありがとう」


 脱いだ制服にブラシをかけてから、シワにならないよう丁寧にハンガーにかける。


「そういえば、姉ちゃんに電話あったよ」


「誰から?」


 何かを期待したのか、台所からの声に大声で答える彼女。


「おばさん。今年もそろそろお願いしたいから連絡してって」


 大きく溜息をついた彼女は、机の上に放置されたままの、書きかけの暑中見舞いに視線を移した。


 最後なんだし、今年こそ出さないと……と意気込んだものの、どうしても筆が進まない。

 本当に、これが最後のチャンスなのに。去年も今年も、年賀状すら出せなかった。電話番号もアドレスも知ってはいるけれど、彼にわざわざ連絡するだけの理由が見つからない。


 余計なことを考えずに、気軽に出せればいいのに、と彼女は思う。


 中学のときから、私はいつもこうだ。勝手に余計な意味を付け足して、自分で自分を雁字搦めにしてしまうこの性格。いい加減、本当にどうにかしたいのに。


「ごめん、先におばさんのところに電話するから、もう少し待って」


 軽い室内着に着替えた彼女は、面倒な用件を先に済ませてしまおうとスマホを持った。


 発信ボタンをタップしてから、たった2コール目で相手が出た。


「もしもし、五十嵐ですが」


「おう、由希か。休み中にわざわざ何の用だ?」


「貴方に用なんてないの知ってるでしょ? おばさんに代わって」


「冗談だよ、怒るなって」


 電話口の向こうから、茶化したような明るい声がする。


「実は、俺の方が由希に用があってな。ちょうど良かった」


 ──電話が終わる頃には、疲れきっていたはずの彼女の足取りは、すっかり軽くなっていた。

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