ずっと一緒だよ

大堂 真

ずっと一緒だよ Forever with you

 夫が死んだ。急性心不全だった。

 ドレッサーの鏡に映る自分の姿を見ながら、私はこれまでの事を思い返していた。


 私と夫が初めて出会ったのは、私が銀座の店で働いていた時だ。夫はその店に客として通っていた。

 彼は先祖代々の大地主で、相当な資産を持っていた。「俺はよ、万札でケツ拭けるくらい金持ってんだぞ」と言うのが口癖だった。羽振りもよく、いつも高い酒を私の為に入れてくれた。

 出会ってから一年程経った頃、私は彼に見初められた。

 客の男に見初められ、水商売から足を洗う――ホステスには珍しくない話だし、私自身もこれまでそうやって商売から上がるホステスを何人も見てきた。それが今度は私の番になったと言うだけの話だった。但し、相手は七十に手が届く老人で、私とは五十近い歳の開きはあったが。

 今でも思い出すのは、彼からのプロポーズの言葉だ。

「俺と一緒の墓に入ってくれ」――脂肪で弛んだ染みだらけの顔に満面の笑みを浮かべながら、彼はそう言った。

 これから結婚しようと言うのになんてロマンの欠片も無い言葉なんだろう。どうせ私の若いカラダ目当ての結婚だろうに。尤も、私もあなたのお金が目当てなのだけど。カラダ目当ての男と、お金目当ての女の結婚……これって立派なギブ・アンド・テイクよね。

 私が「いいわよ」と返事をしてあげると、彼は子供の様に喜んだ。結婚の決め手は、彼の差し出した指輪にあしらわれていたダイヤの大きさと、「俺が死んだら、遺産は全部お前にやるからよ」と言う彼の言葉だった。

 そう言えばプロポーズされた時も結婚してからも、彼はしきりにこんな事を言っていた。

「これからもずっと二人は一緒だよ。ずっと俺の傍に居ておくれ。お前はずっと俺のものだ、俺だけのものだ。もし俺が死んでも、お前を他の男に渡したくはないんだ」――私はその言葉に適当に相槌を打ち、頷くだけだったが。


 結婚してから一年、夫はあっさりと死んだ。あんなに私に執着していた男には相応しくない、実にあっさりとした死に様だった。

 結婚しても直ぐにお金が自由になる訳じゃないだろうし、最低でも数年間の忍耐を強いられる事を覚悟していた。それだけに夫の急死は私にとって有り難い出来事だった。

 この日の為に、この一年余りあんな醜い老人の慰み者としての生活を耐えてきたのだ。私には、夫の遺産を手にする権利がある。

 ふと左手に視線を落とすと、そこには夫からもらったダイヤの指輪があった。あの時あんなに心魅かれた指輪が、今の私には汚らわしく見えた。私は左手の薬指から指輪を引き抜こうとした――。

 その時だった。後頭部に強い衝撃が走り、私は床に膝を突いた。背後から頭を殴られたのだ。薄れゆく意識の中で、私はドレッサーの鏡の中に襲撃者の顔を見た。襲撃者は、夫の忠実な側近だった片岡と言う初老の男だった……。


 私は何処かの森の中で目を覚ました。土を掘って作った大きな穴の中に私は横たえられていた。穴の大きさは一畳程だが、穴の深さは二メートル以上はある。穴の縁の近くに掘り返した土が盛られているのが見えた。

 ――此処は何処なの?

 私は起き上がろうとしたが、手足が拘束され身動きが取れなかった。

 周囲は闇夜で包まれ、人の気配や車の音さえしなかった。何処かは分からないが、人里離れた場所であるのは間違いなさそうだった。私は「助けて」と叫んだ。だが、その声は闇夜に虚しく響くばかりだった。

 不意に穴の縁から人間の顔が覗いた。仕立てのいいスーツに白髪頭……片岡だ。

「……お目覚めになりましたか」

 片岡は、穏やかだが感情を滲ませない声で私に呼びかけた。

「片岡さん、これは一体何の真似!?」

 私は片岡を睨みつけた。しかし片岡は少しも動じなかった。

「奥様、どうか御無礼をお許し下さい。しかし、これも旦那様の“遺言”なのです」

「主人? 主人が何なの!?」

 片岡はすっと息を吸うと、宙を見つめて意を決した様に話し始めた。

「旦那様は生前私にこう申し付けられました。。自分の死後も、他の男に奥様を奪われたくない。だからそうしてくれ。

 片岡の言葉に私は絶句していた。そんな馬鹿な。夫はそんな狂った事を考えていたと言うのか。

「片岡さん、何を馬鹿な事を言ってるの!?」

「いえ、全て真実で御座います」

 その時、私は夫の言葉を思い出した。

 ――俺と一緒の墓に入ってくれ

 ――これからもずっと二人は一緒だよ。ずっと俺の傍に居ておくれ。お前はずっと俺のものだ、俺だけのものだ。もし俺が死んでも、お前を他の男に渡したくはないんだ

 そして私は気付いた。あの言葉は愛情表現などではなかったのだ。文字通り、死して尚私を独占したいと言う歪んだ欲望の表明だったのだ。

 言葉を失くした私に、片岡が声をかける。

「奥様、そう落胆なさらないで下さい。奥様と旦那様はこれから永遠に一緒なのですから。

 片岡が私の背後に向けて手を差し出した。私は首を回して背後を見た。。私は半狂乱になり絶叫した。

「それでは、これより“遺言”を執行させていただきます」

 半狂乱の私をよそに片岡ははっきりと宣言すると、穴の縁から姿を消した。すると、けたたましい音を立てて何かが近付いてくるのが聞こえた。やがて穴の縁から巨大なショベルカーが姿を現した。

 運転席には片岡が座っていた。片岡は器用にレバーを操作すると、盛られていた土にショベルカーのバケットを突き刺した。駆動音を轟かせ、土を満載したバケットが私の真上にやってきた。

「やめて! 片岡さん、やめて!!」


 私の悲鳴は、降り注ぐ大量の土に掻き消された――。

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