詩集(あなたへ)

シュート

第1話 詩集(あなたへ)

                  わが娘へ


一面の銀世界が夜のしじまを際立たせている

街灯に浮かび上がった雪道を

一歩一歩踏みしめながら

私は残りの人生を歩く


生きるということは

決して解けないパズルのようなものであり

幸せと不幸せは、いつも隣り合わせ


愛情の陰には憎しみがあり

信頼の後ろに裏切りがあり

哀しみの果てに喜びがあり

絶望の淵に希望がある


そんな荒野にいる君に

離れて住む私は、今は何もしてあげられないけれど

君に伝えたい


君の、その繊細で優しい心が

深く傷つき、辛く、苦しい思いをした時

私は命を賭しても君を守る


だから

自分を信じて

ただ、ひたむきに生きて欲しい





                 永遠


雨上がりの清々しい朝


海沿いの小道を歩く


銀色の波がキラキラと反射し


おだやかな風が辺りを包んでいる


旅先で見つけた原風景に


私は無彩色の自分の過去を


スロ-モ-ションのように浮かび上がらせる


寿命が尽きた後の自分が


時空を超えて向かう先は


こんな風景の中だろうか





                   朝陽


朝陽の差し込む旅館の部屋の窓を開けると


凪いだ海に浮かんだ小さな漁船が


今昇ったばかりの太陽を目指して


一生懸命に走っている姿が見える


間もなくやってくる春の匂いが


潮のツンとする匂いとともに


私の鼻を刺激する


音のない静かな世界に


私の疲れ切った心は


少しずつほどけて行く


当たり前の幸せを取り戻すために


私は過去の自分と向き合う






                   別れ


川沿いの満開の桜の花を


ゆっくり愛でながら歩く二人


時々吹く風に花びらがひらひらと舞い降り


辺りは幻想的な空間へと変わる


別れることを決めてからは


楽しかった思い出だけが蘇る


別れることを後悔していないけれど


お互いに無理してはしゃいでいるのは


なぜだろう


この道の尽きたところが


二人で決めた別れる場所


ふいに私の手を握ってきた


あなたの手が熱い







                 静かな一日


窓の外では冷たい小雨が降っている


私は


暖房のきいた室内で


レモンの香り立つ紅茶を静かに飲む


私に与えられた限りある一日の


でも、平凡な一日が終わろうとしている


何もなかったことの幸せは


何もなかったことの寂しさに似ているけれど


こんな何の音もない日が


どれだけ贅沢かを噛みしめ


「明日」という日に


優しく口づけしよう






                希望(のぞみ)


暗闇の道が続く中


街灯は弱々しく宙を照らすだけ


遥か先で明滅している


点のような希望を


ただただ信じて


ひたすらまっすぐに


進んできた


振り返ると


後ろには折り重なった小さな自分の


哀しい残骸しか見えないけれど


きっといつか


希望の中に自分が溶け込める


そんな気がする






                  さようなら


別れるために出会った人は


本当に大切な人だから


哀し過ぎて


「さようなら」


なんて言えない


だから


病床の母さんには


「ありがとう」


って言った






                   それでも生きる


いっぽんの線が


途中で切れたとしても


つなげればいい


つなぐための


鉛筆さえ持っていればいいだけのこと


何があっても


それでも生きるという


しぶとさだけが


ぼくの唯一の長所だから






                  素直になれなかった恋


素直になれなくて喪った恋は


悲しい味がして


いつまでも心に残っている


古いアルバムの中で見つけてしまった


まだ終わりを知らぬ二人は


楽しそうに微笑んでいて


洗い流したはずの思い出が


鮮やかに色づき出す


巻き戻した時は


切なく、すぐに消えてしまったけれど


心の中を爽やかな風が吹き抜ける






                   街の意思


いくつもの時代に亘って


多くの人の人生を飲み込み


饒舌になった街に


ひとしきり雨が降り


後には、湿り気を帯びた空気が流れている


克明に記された街の過去帳には


果てしない野望と、夢と、嫉妬と、絶望が渦巻いている


薄汚れた闇が明け


ビルの谷間から昇った朝陽が街を照らす


まだあどけない顔をした少女が1人立ち


その鋭い眼差しで


おぼろげな未来を


たぐり寄せようとしている






                 春の恋(青春)


冬をすり抜けてやってきた春は


まだ、どこかぎごちないけれど


恋人たちに優しく微笑みかける


メ-ルから始まった恋は


さわやかな風に押され、すくすくと育ち


ともに時を過ごす大切な人となる


春の野を走る二人の愛を乗せた


鈍行列車の旅は始まったばかり


車窓から見えるのは、二人を祝福するかのような


一面の菜の花畑


気紛れな陽気のように揺れ動く日もあるけれど


淡い恋は二人を輝かす


手と手が触れ合えば、心がトキメキ


目と目が合えば、喜びを感じ


会っているだけで幸せになり


会えないだけで切なくなる


何気ない一言で傷つき


何気ない一言で仲直りする


抱きしめ合うことで初めてわかることもある


喪うことで初めてわかることもある


壊れやすい恋のはなびらの


ひとつひとつを繋ぎ合わせて


咲いている花は


永遠に美しい




                     家事


西日がレ-スのカ-テンを抜けて部屋に差し込む


夕食の準備の前の水底にいるような静かな時を


一人コ-ヒ-を飲んで過ごす


子供たちの心はすでに私から離れ始め


夫には女が出来た


それでも、私は毎日家事をする


掃除機で家中を掃除し


米をとぎ、炊飯ジャ-のスイッチを入れ


おかずの用意をする


誰のため?


家族のため?


間断なく襲ってくる、この虚しさは


重いしこりとなって、胸を塞ぐ







                 小さな疑問符


多少の不満はあるけれど


平凡で楽しい私たちの夫婦生活に


ある日突然舞い降りた


小さな疑問符


「これで良かったのだろうか」


一度湧いた疑問符は


私を大きく支配する


走馬灯のように浮かぶ過去は急に色褪せ


未来は不透明になる


だが、結局


疑問符の正体を追い求める勇気はなく


自分の思いを封じ込めた


心がチクリと痛む






              人間、この不可解な生き物


心地よい風が頬をなで


春の光は黄金色に輝き


生気が細かな波のように広がる中


この不可解な生き物たちは


歪な道理に惑わされ


欲望への呪縛と懊悩にはまり


どうにもならない泥沼に自ら追い込み


暗い影に怯え


ものわかりの良い自分を演じて


悲しい嘘をつき


祝福の表情の裏に嫉妬を込め


感情の糸をもつれさせ


目に見えない愛情に悩み


不必要なまでに神経を尖らせ


自ら傷口を広げる


浅はかな人間の理性と英知など


どれほどの意味があるというのだろう


心を解き放ち


自然と同化し、美しさを取り戻そう







                  悲しみの底


悲しみを


じっと我慢していても


一粒零れ落ちた涙は


海へと続く川の水のように


とめどなく流れ


ほんの少し身体を軽くするが


頭の中は空っぽとなり


もっと深い悲しみに襲われる


でも、もう涙は出ない


そこが、悲しみの底だ






                     緑の大地


陽春のさわやかな風を受け、旅に出よう


君の乗る列車は草原を走り抜け


神様の用意した


未来への入り口まで誘う


どうでもいいことで思い煩うことは止め


苦しみや悲しみからも自由になろう


暗い闇を見つめていても


何も解決はしない


言葉を捨て


つまらぬ分別も捨て


生まれたままの自分に戻ろう


緑深い大地が


ありったけの愛情で包んでくれる






                 田園風景(旅立ち)


執拗な寒さをもたらしていた冬の隙間から


春がやわらかな顔を覗かしている


甘い匂いの春風がのどかに流れ


辺り一面に田園風景が広がる


これまでもそうであったように


これからも


あなたを輝かすことができるのは


あなた自身


夢と希望と愛情を味方につけ


この田園風景のような、おだやかで


豊かで、大きな心を持って


ゆっくりと歩いて行こう





                 正気と狂気の境


目をつむると


遠くの方で、海岸線に打ち寄せる波の砕ける音が聞こえる


もう長い間、私は正気と狂気の境を行き来している


のめり込んだ仕事の中で


悪意に満ちた言葉の渦に飲み込まれ


ささくれ立った神経はいつも血で濡れていた


傷ついた正気から身を守ってくれるのは狂気でしかなく


私は、静かに、静かに狂っていった


海の見える丘の上で


廃船のようになった自分の心の中を覗く


わずかに残った正気が


無表情に光っている





                  和み地蔵


喜びも、悲しみも


楽しいことも、苦しいことも


愛することも、憎むことも


幸せであることも、幸せでないことも


全てを飲み込んだ


ただ、ただ、穏やかで、にこやかな


そのお顔は


本当に大事なものは見えないことを教えてくれている






                悲しみの通り道


都会の外れの小さな病院で


静かな朝に溶け込むように


何も言わずに息を引き取った母


手を握っても、頬をたたいても


もう目を覚ますことはないけれど


まだ、その場にたゆたう母に


伝えきれなかった感謝の言葉を言う


悲しみは胸の中で徐々に広がり


私を押しつぶそうとするけれど


いつも私のことを案じてくれていた母を安心させるために


病室の窓から見える群青色の空に向けて


悲しみの通り道を開ける





                   片思い


幾重にも連なる山の見える町で


偶然出会ったあなたに


私は震えるような片思いをし


たんたんと過ごしてきた日々を


仄かにピンク色に染める


相容れない地図を持つ私には


所詮は届かぬ恋の物語


心の風船を空中に


ふんわりと浮かべて


自分で破裂させる






                一生懸命な君へ


太陽に向かって可憐に咲く花のように


何事にもひたむきで


一生懸命な君は


自分の進む道を


まだぎごちなく歩いている


季節が移り変わるように


天候が急に変わるように


君にも暗い影が覆う時もある


たとえば、自分の力不足に、挫けそうになったら


自分の最初の志を思い出そう


きっと誰かが君の努力を見ていてくれる


たとえば、仕事に失敗し、俯きたくなったら


ただ青い空を見上げよう


君の真摯な姿は、きっと人の心をとらえている


たとえば、困難に負けそうになったら


大切な人のことを思おう


きっと、君を支えるたくさんの人が君のために微笑んでいる


たとえば、仕事に辛くなり、泣きそうになったら


持ち前のとびきりの笑顔を振りまこう


きっと涙を越える勇気が満ちてくる


君は


世界中でたった一人の君であり、自分だけの人生を手に入れ


幸せになるために生まれてきたのだから






                いつか見た空

          ~東日本大震災地の、ある女性の生き様~



清らかな水の流れる川沿いの


桜の木々が美しく花を咲かせている


一瞬にして消えてしまったふる里は


復興という名で少しずつ形を変えているけれど


悲しみは決して癒えることはなく


一人一人の心の底に今でも深くとどまっている


救えなかった息子の命の重さに


時に苦しめられ


自分を追いつめた日もあった


それでも生きているのは、「強い」からではなく


ふとした瞬間に、その場にくずおれそうになる「弱さ」と


必死に闘っているだけ


「前を向こう」と自分に言い聞かせ


あなたが天国から私を迎えに来てくれた時


「母さん、頑張ったわよ」と言えるように


生きていく覚悟をする


風に煽られ、桜の花びらが


はらはらと舞い降り


辺りを薄いピンク色に染めていく


生きていたら、高校受験を迎える


あなたへの合格祝いのようだ


空には


いつかあなたと見た


どこまでも透き通った青い空がある





                   失意


埃のかぶった思い出をバックに詰め込み


列車を乗り継いで


見知らぬ駅に降り立った


小雨のけぶる街は


しんと静まり


そこはかとない寂寥感が満ちている


探し求めていたものは


理不尽な手によって摘み取られ


一縷の望みさえ消え失せた


もはや失うものは何もない


燻る火種をかき集め


新たな炎を燃やすため


足元をじっと見詰める





                 離婚


実家に帰るという妻の背は


私の、どんな言葉もはねつけている


テ-ブルの上には妻の印の押された


離婚届の用紙が置いてある


二日前の喧嘩の際に


二人とも頭のどこかで早く結論を出したくて


お互いに言ってはならない言葉を


望んで投げつけ合ったように思う


だが


燻っていた思いをさらけ出した時


あまりの衝撃に


二人は言葉を失った


こうなることは分かっていたはずなのに…


でも、


心を映す鏡がないように


本当に大事なものは見えない


これで良かったのだろうか…





                少しずつの今日


目覚まし時計に起こされ


野菜ジュ-スとト-スト2枚の朝食をとる


テレビのニュ-スを見ながら


慌ただしく身支度をして家を出る


「いつもの朝」


そう、「いつもの朝」


でも、「いつもの朝」の「いつも」は明日はない


少しずつ違う今日を生きよう





                  未来


いくつもの月日を越えて


机の引き出しの中にしまった夢は


反故になった約束のように


意味を失っているけれど


今日と明日の境目にある「未来」というペ-ジに


自分の言葉で書いた予想図は


「未来」を「今日」にする


カ-テンの外の未来への道を


NAVIに積み込んで


走り出そう






                 幸せになれよ


控えめに白い花をつけた


あなたとの恋の思い出は


今でも淡く滲んでいる


結果的にあなたの元を去ることになった私に


「幸せになれよ」


横を向きながら言ったあなたの優しさに


今でも胸が締め付けられる


「ありがとう。私、頑張るから、優斗もね」


二人で交わした約束を


私はまだ果たせていない







                昨日までの私


絶え間なく押し寄せる些末な出来事に


追い詰められ


抜け殻のようになった私は


陽光のように漂うばかり


そんな“昨日までの私”に


さらりと別れを告げて


捨て去った夢の欠片を


拾い集める






               「夕やけ、小やけ」


倒れたコップから零れた水が


テ-ブルに地図を作りながら


書類の山を濡らして行く


何事にも冷静で


ずっかりものわかりの良くなった私に


「大切なものは書類ではない」と


あざ笑っているかのようだ


その時


近くの小学校から聞こえてきた


「夕やけ、小やけ」のメロディに


私は胸を打たれる






                 ありふれた日曜日


優しい花が香水のようにかすかに匂い


樹木のおしゃべりする声が聞こえる


煩わしいことだらけの日常に疲れ


やってきた公園で


私は一人寝転んでいる


雲の切れ間から春の陽光が漏れ出し


私の顔半分を照らしている


家族連れの賑やかな声が


風に運ばれて私の耳に届く


私の周りを走っている女の子の屈託ない笑顔に


自分が囚われていた暗い思いは浄化される






                  漆黒の闇


全ての事が煩わしく


全ての事に嫌気がさし


全ての人が信じられず


私は意味もなく


迷路のような夜の街へ出る


喧噪のなかで、孤独感は増し


彷徨っても


彷徨っても


見えない出口に


心は震えるばかり


眠らぬ街のショ-ウィンド-に


一瞬映った自分の姿は


闇の中にすっと消える


私は知っている


答えを出せるのは、自分しかいないことを


漆黒の闇の中でもがき苦しむことで


やがて、夜は明けることも






                 誤解


冬枯れの道を


一人歩く私


小さな誤解が二人の距離を遠ざけた


どんなに言葉を繋いでも伝わらなかった想い


風に煽られた木の葉が宙に舞い


辺りは静かに暮れて行く


思い詰めた眼差しがとらえたものは


少し怒った顔をして


こちらに向かって歩いてくる


あの人の姿





                 愛すること


愛することって


昨日より今日


今日より明日に


その人のことを


より分かろうとすることなのかもしれないと


ふっと


思う





                  裏切り


入り組んだ路地に潜む


悪意にみちた暗い声に


私は立ち竦み


心は内へ内へと向かい


哀しみだけが


心の芯を覆う


もしも…


「あれは君のせいじゃない」


と言ってくれたなら


私は立ち直れたかもしれない


夕食のために買って、まだ手をつけていない


コロッケが、そんな私に微笑みかけている






                  温もり


昨夜の大雨が嘘のような


冬晴れの空に


一つの丸い雲が


ゆっくりと流れて行く


仕事で疲れ切った身体の上に


容赦なく乗ってくる娘の重さは


生きている喜び


そんな二人をエプロン姿の妻が


キッチンで頬杖をつきながら眺めている


ほんわかとした温もりのある日曜の朝








                泣きたければ泣けばいい


泣きたいときには


ただ泣けばいい


涙の流れるままにすればいい


それだけで


きっと君は


少し大人になれる





                 道に迷ったら


あなたの前には


あなたが本来歩くべき道が


いつもある


その道に出会うまでは


道に迷ってもいい


迷って苦しむことで


あなたは必ず本来の道に出会う


でも、その道にたどり着いたら


全てを捨てる覚悟で


その道を突き進め





                  普通


「普通」で「平凡」であることが


つまらないことだと思っている君


「普通」とか「平凡」であることの幸せは


それを失って初めてわかるもの


もし、君が明日突然事故に会って下半身を失ったとしたら


君は「普通」の生活すらままならなくなり


恋人は君のもとを去っていく


君の「普通」で「平凡」な人生は、君を支えている人たちによってある


だから、「普通」で「平凡」な人生を送れることに感謝し


精一杯生きてほしい


それが君を輝かせることだから





                  友達


辛くて苦しい時、悩んでいる時


何も聞かずに聞いてくれる人


それが、本当の「友達」だ


答えは自分で見つけ出すものだから


聞いてくれるだけでいい


ただ、じっと真剣に


あなたの目を見つめながら


耳を傾けてくれる人


そんな人を持とう






                   孤独


謎めいた夜


ぽつんと浮かぶ無人駅に


一人立つ私


ホ-ムの上の駅名を記した標識を


煌々と明かりが照らしている


来るかも分からない列車を待つ私を


厳冬の、茫々とした闇夜が囲んでいる







                  夢の続き


夢に挫折して田舎へ帰るバスに乗る


車窓から見える川面が


朝陽を受けて銀色に輝いている


もう諦めたはずなのに


まだ心の中に燻っている炎


かさぶたとなった「自分の弱さ」に触れていると


夢とともに捨てた友の顔が


浮かんでは消えていく


やがて


高速道路を下りたバスのフロントガラスが


見慣れた、懐かしい風景をとらえる


その時


私は、夢の続きを見るために


かさぶたを破る決意をする





                 希望の灯


物憂げな顔の君


思い詰めた眼差しの先には何がある


君は今、夜の底にいて、もがき苦しんでいる


絶望の淵にいる


でも、生きている限り


君の側には、希望の灯がある


ただ、それは


今君が手に持っているものや


今君がしがみついているものや


今君が見ている方角とは


全く別のところにある


だから、一度すべてを捨てて「心」を解き放せ


あるいは、今の状態をから逃げようとせず、真正面から対決しろ


あるいは、開き直れ、「命でもなんでも持っていけ」と


そうすれば、きっと希望の灯が見えてくる


まだ小さい希望の灯が


深い夜に浮かぶ




                   再会


心地よい春風が


緑の街路樹の間を


擦り抜けて行く


反対側の歩道を歩く


懐かしい君の姿を見つけ


僕は横断歩道を


走って渡り


君の背に声をかける


変わったようで変わらない君と


変わらないようで変わった僕は


遠い記憶の欠片を手繰り寄せながら


他愛もない会話を交わすだけ


今ならやり直せるような気もするけれど


それはきっと僕の勘違い


だよね





                 家族写真


冬の匂いのする晩秋に


翌年の年賀状に載せるための


家族写真を毎年撮っている


いつも華のある笑顔のママ


その隣で、これぞ大黒柱という顔をしているパパ


妹はいつも恥ずかしそう


そして、私はいつも得意げな顔


でも、ある年からパパの隣にママはいなくなった


離婚したから


写真の中の私と妹の顔に浮かんでいるのは硬い笑顔


数年後の写真には


白髪交じりの、張りのない顔のパパと


疲れた笑顔の私だけ


家族写真というけれど


写真の中にはいないママも


交通事故で亡くなった妹も


私には大切な家族


私はどんな家族写真を


残すのだろうか


見知らぬ町


引っ越しを繰り返し


見知らぬ町で出会った


見知らぬ人たちは


車窓から見える風景のように


私の後ろへ、後ろへと流れて行く


重い孤独と同居している私の


研ぎ澄まされた心がとらえようとしているのは


虚空に浮かぶ真実


空白の世界に


私は自分の気配を同化させる





                     幸せ


雪の夜の物語のように


「幸せ」は頼りなく、儚い


そのことは誰しもが知っていて


「幸せ」をつかんだ刹那


喪失への不安と恐怖が訪れる


結局


「幸せ」は夢に見た光景のようでもあるけれど


水面に反射してキラキラ輝く光のように


人の心をとらえて止まない


限りある命なら


一瞬の「幸せ」に溺れたい






                日常


ゆるゆると揺れる日常に


心を滑り込ませることにも慣れ


ほどほどの真面目さと


ほどほどの嘘と


ほどほどのお世辞と


ほどほどの一生懸命さで


時を流して行く


封じ込めたあの日の夢に


今一度出会うために


白紙の頁に


新しい言葉を書き始めよう






                   告白


生暖かい風の吹く夜


浴衣姿の君は


眩いほどに美しく


少し暗い花火大会の会場に


蛍火のように


溶け込んで行く


少し重い告白のメ-ルを送った僕に


「じゃあ、花火でも観に行く?」


と返事を寄越した君


打ち上げ花火が頂点でボンと音を立て


星の瞬きとなって降り注ぐ


「さっきのメ-ルのことだけど」


「うん」


「もらわなかったことにしていい」


そういう返事が来ることも考えてはいた


「そっか」


「だって、あなたの口からちゃんと聞きたいじゃない」








                 喧嘩


思考が欠落し


ただ、ささくれ立った言葉だけが


空中で飛び交う


放たれた言葉は毒の矢となって


相手の一番弱いところに突き刺ささり


傷口からは黒い血が流れ出る


大事な人だからこそ、話し合おうとしたはずなのに


好きだからこそ、分かってもらおうと話し合ったはずなのに


いつしか言葉は相手を傷つけるためだけの道具になって行く


相手を傷つけたはずの言葉は、やがて自分のところへと戻り


今度は自分を傷つける


言葉に依存し、言葉に裏切られ、言葉に傷つく


でも


言葉には必ずしも「真実」はない







                  道程(みちのり)


片付かない過去と


日々の生活に少し疲れ


巡りくる季節を追って


ふらりと旅に出る


空には秋の雲が浮かび


眼下には


茅葺屋根の民家が点在する


いつか見たような風景が


乾いた心を癒す


ふと立ち止まると


見えなくなっていた自分の道が広がっている


私は「一人ではない」と気づく


これまで、この道を切り開いてくれた


多くの人たちの想いを胸にしまい


前に進む覚悟をする


凪いでいた風が


静かに動き


私の背を押す





                  憂い


ジャズの流れる喫茶店


重低音が店内を震わせる


何もかもがうまくいかず


心は止めどなく萎えて行く


私を支えていた「自信」は


ボロ雑巾のようになり


薄闇の底で


私は悲しい雄叫びをあげる


慰めでもいい


「大丈夫だよ」と言ってくれる友の声が聞きたい






                  母、そして天国


雨上がりの、まだ湿り気を帯びた空気の中で


木々は生気を取り戻す


焼けつくような苦しみや、深い絶望や


涙が出るほどの喜びに出会い


「生きる」ことの大切さを感じることができたのは


いつも変わらぬ、あなたの愛があったから


雲が切れて晴れ間が現れ


鮮やかな虹がかかる


透き通った空の中に


あなたは隠れていて


いくつになっても繰り返す


私の悪あがきを眺めている


母さん


そろそろ、そちらへ行く準備をしてもいいかい


もう疲れちゃったよ


この世というヤツに





                   天女の化身


「父が亡くなったの…。私は、父に大好きだと言いそびれてしまったの…」


電話の向こうの震える君の声


「そう…」


君がかけている電話の相手が、その父であるとは言えない


あまりに純粋で


あまりに繊細な君の心は


傷つきやすく、脆く、壊れ


天女の化身となった


君を心の病に陥れた絶望から


私は君を救うことができなかった


「でも、大丈夫。お父さんは、君の気持ちをよく分かっていた。それに、君のことを


いつも大好きだと言っていたよ」


どこまでも澄みきった君の心に


私は、いつもと同じ返事をする








                 そんな時…


小さな公園のベンチで

親子が並んで座っているのを見て

優しい気持ちになった時


お母さんから届いた

何気ない手紙に

気持ちが安らいだ時


仕事をしている最中に

遠い故郷のことが

ふっと頭に浮かんだ時


テレビのごくありふれた

ホ-ムドラマを見ていて

なんだか目頭が熱くなった時


日頃はほとんど口をきかない

父の気持ちを

知りたいと思った時


目の前を歩く老人の背中を見て

ばあちゃんのことを思いだした時


通勤電車の車窓の

流れゆく景色を

ぼんやり眺めている時


たとえば

そんな時…


そんな時

きっとあなたの心は傷ついている


コタツに入って

温かいコ-ヒ-でも飲みながら

そっと泣いてみるといいよ






                夜の底


夜の底が神経を高ぶらせ


時を刻む無機質な音だけが耳に響く


不確かな「生」に戸惑い、眠れぬ夜


思考は暗い渦に巻き込まれ


不安を増殖させる


果てしなく深い孤独の沼に怯え


私は、涙もなく慟哭する


ふと見上げた写真立ての中の


いつものように微笑む母の顔に


かろうじて


生きる勇気を与えられる






                 心模様


朝の刺すような冷気が


部屋を覆い尽くす


ベッド横のサイドテ-ブルの


携帯がメロディを奏で


今日も人生の1コマがスタ-トする


昨夜、ささいなことで始まった喧嘩の末に


「あなたは何も分かっていない」と言った妻


突然妻が遠い存在となり


これまで幸せだったはずの日々は


無残に色褪せ、錯覚となる


キッチンに立つ妻は


いつもと変わらないけれど


味噌汁の湯気の向こうで


歪んで見える


妻の心模様の何も見ていなかった私は


突き付けられた妻の心の叫びを受け止め


一条の光を取り戻すため


妻の眼差しの奥の海に飛び込む







                  絵の具箱


絵の具箱の中には


たくさんの色があって


1つ1つがあなた自身


あなたはそれを自由に使って


自分の人生を色づけできる


それなのに


あなたは何故そんなに暗い色ばかり使うの


あなたの絵の具箱の中の


まだ使っていない色は


もう1人のあなた






                 青空


開け放した窓から見える


真冬の透き通った青空の


清々しいほどの悲しみは


死の懐のように深く


私の虚飾な心を打ちのめし


光の華となって


煌めいている





                曖昧な恋


パソコンの中の自分とは違う自分


嘘の中に事実はないけれど


事実の中には嘘もある


PCの中で始まった恋は


曖昧に色づいて


宙に漂い、私を苦しめる


事実の海に落ちる勇気も


終わらせる勇気もない私は


ただ戸惑い、途方に暮れる





                くしゃと笑う


くしゃと笑う貴女(あなた)が好きだ


いかにも楽しそうな、その顔は


小さな花の群れのよう


「笑」という字は


くしゃとした


あなたの笑顔に似ている






                    風


風の中に消えてしまいたい


しがらみも、苦しみも、悲しみも


意味のない言葉とともに巻き上げて


暗く深い闇の、この荒野を


吹き抜ける一陣の風となれ


風が去った後には


何事もなかったかのように


静謐が訪れるだろう






                  最後の贈り物


雨音が次第に激しくなる


きっと雨水は外の路面を川のように流れているだろう


私と君を繋いでいた糸が切れ


自然に別れを選んだ二人


別にどちらも悪くなかった


君の荷物がすっかりなくなった部屋で


私は虚空を見つめながら


「さようなら」と言って見る


ふと、机の上を見ると


そこには一枚の紙があり


君の丸っこい字で


「いろいろ、ありがとう」と書かれていた


君からの最後の贈り物








                 砂上の楼閣


白んだ空気が内包する


ありきたりの分別と


どうでもよい毀誉褒貶に


気付かないふりをして


蟻のように


せっせと紡ぐ日常に


病巣が根をはっている








                   棘


リモコンでテレビのチャンネルを次々と変える


その度に画面は違う世界を切り取って見せるけれど


私は何も見てない


「そんなこと、たいしたことじゃないと思うよ」


私がした相談に


あなたが放った何気ない一言は


小さな棘となって


私の胸に突き刺さり


純重な苛立ちとなっている


私の心の中に芽生えた疑問符に


あなたが応えてくれる日が来るのだろうか…







         生きる


春の気紛れな風が樹木を揺らしている

「この間の健康診断の結果が出たんだけど」

夕食の席で妻の美優が言う

「うん」

すでに食事を終えた夫の智和が答える

「再検査を受けて下さい…、だって」

「再検査?」

「そう、子宮の…」

「大丈夫だよ。オレも前に肺の検査でそういうことがあったけど、問題なかったし」

軽く答える智和に、美優は不満げな顔をする


再検査の結果、美優は子宮癌であることがわかった

「まだ、初期だから、治るって」

努めて明るく振る舞う美優の顔には

不安が張り付いている


癌の治療という重みは

美優の心にざわめきをもたらし

あれほど明るかった美優が

時々塞ぎこむようになる

知らぬ間に入り込んだ小さな亀裂


癌が腸に転移していることが分かったのは

それから半年後

何となく予期していた美優は

医師の説明を他人事のように聞く

これまで考えたこともない

自分の寿命について考える


何をする気も失せ

気怠く日々を過ごす

一方で、強く智和を求めながら

一方で、智和が疎ましくなる

智和が優しくすればするほど

美優の神経は逆なでされる


剥き出しにされた感情を

「夜」の重さが押しつぶす

底知れぬ「死の恐怖」に、美優は静かに狂い

素知らぬ顔で寝ている智和を叩き起こし

八つ当たりする

時には

「死にたくない」と言いながら、一晩中泣き続ける

駄々をこねることでしか、生きている実感をつかめない


毎夜のように繰り返される修羅場は

智和の心をも蝕み

冷静な思考力をはぎ取る

その度に智和は

自分の無力さを思い知る


葛藤の末、智和が辿り着いた術は

美優の苦しみ、苦しむ姿を

ただ、ひたすら受け入れて

時に、美優の気持ちが落ち着くまで

強く、強く抱きしめ

「大丈夫だから」と言ってあげること


冷徹な現実を受けとめ

少し落ち着いた美優に

旅に出ることを提案する


真っ赤な紅葉が見たいと言う

美優のリクエストに応え

京都へと旅する


先ほどまで雨に濡れていた紅葉に

強い光が差し始め

やがて、山肌に虹がかかる

「きれいだね。智和みたいだ」

「何も言わなくてもいいよ」

美優の伝えたいことが、今は手に取るようにわかるから







               咲けない花



鈍色の部屋のテ-ブルの上の携帯は

一向に鳴る気配がない


いつものように

喧嘩の仲直りのきっかけを失い

意地を張っているだけのことだと

きっとあなたは思っている


目に入るのは

あなたのための編みかけのセ-タ-

あなたからもらったネックレス


あなたの残り香のある、この部屋で

私はあなたからの電話を待っているのか

自分でさえ、もう分からない


私とあなたの心を隔てているものは

些細なことに違いないと思うけれど


私は、溢れるほどの陽の光を浴びながら

咲けない花のような、もどかしさをずっと感じていて

それがいつからか私の心の中に

小さなしこりとなって根付いている


まだ何も気付いていないあなたへの

別れの言葉を、陽にかざしてみる


そんな時、携帯が鳴る

「ねえ、優香、俺が悪かったよ。ごめんな」

作ったような、あなたの明るい声が遠くで聞こえる





                別れ


コンビニのゴミ箱の前に落ちている

空のペットボトルが風に揺れている


肩まであった髪の毛を

ふんぎるつもりで、ばっさり切った


冷たい風から守るマフラ-は

まだ元カレからの贈り物


腕を組んだカップルとすれ違い

少し前の自分を重ねている


手と手を重ねた日もあった

ベットでキスを交わした日もあった

二人で幸せを紡いでいた日々だった


あの日の青い空はもうなく

チラチラと雪が舞い落ちる


昨夜見つけてしまったPCの中のあなたのメ-ル

まだ、探してしまうあの時の自分


足元に転がってきたペットボトルを拾い上げ

思い出とともに、ゴミ箱に投げ捨てる






                飛べない鳥

 

飛べない鳥のように

君はただ空を見上げていた

 

夢を見失いかけていた君に

僕はありきたの言葉しかかけられなかったけれど…

 

雪が融け、日差しが優しくなった頃

君は僕の不器用な愛を受け入れた

 

移り行く季節とともに

二人の愛は、さまざまに彩られ

アルバムのペ-ジが増えていく

 

二人で出かけた遊園地

触れ合う手と手の温もりは

どこまでも続く幸せへの道

 

夕陽を受けて走る列車の中で

そっと渡した誕生日プレゼント

夢の鼓動が聞こえてくる

 

小さな誤解

意地をはる二人

 

言葉に翻弄され

答えを見つけられない日々

 

小さな公園のベンチで

少し距離を置いて座る君と僕

 

まっすぐ前を見つめたまま

君は別れを切り出した

 

手のひらの上に乗せたはずの幸せは

水滴のように零れ落ちた

 

見飽きた風景に風穴を開け

限りある命を、精一杯燃やした恋

 

飛べない鳥のように

僕はただ空を見上げてみる






                   家族


 一 突然の父の死

底冷えのする朝

定刻通りに電車が滑り込む

ホ-ム上には通勤客が列をなしている

その時だった

一人の男がすっと前に出て

ふわりと空へ飛んだ

 

平凡な朝の気配が食卓を包む

父はいつものように家族に笑顔を振りまき

いつもと同じように家を出た

 

高校生だった私

昼休みに担任から呼び出され

父の事故を知らされた

紅葉が色づく季節だった

 

鉄道会社の人に頭を下げ

葬式で、参列者から向けられた意味ありげな態度

周囲からは憐みと好奇な目を寄せられ

いい尽くせない悔しさに身を震わせた

 

母はただ狼狽え

姉はあの時から口をきかなくなり

弟は荒れてしまい

暗い影に覆われた家族は

音をたてて崩れてゆく

 

二 答えのない問い

あれから一年

家族の心はまだひび割れたままだけれど

少しずつわだかまりが溶けていた

大学を辞め、就職した姉は

しっかり前を見て歩き始めている

荒れていた弟も、最近、調理師になりたいと言う

母だけが、時折押し寄せる喪失感に

打ちひしがれている時もあるけれど

私たちなりに支え合っている

 

私には父との楽しい思い出しかない

忙しいのに、時間を作って一緒に遊んでくれた

家族旅行でも、たくさんの写真を撮ってくれ

いっぱいの思い出とともに残っている

いつも笑顔で明るく陽気だった父

いつも優しかった父

いつも私を支えてくれた父

 

私が落ち込んでいた時

たとえどんなことがあっても

明日を信じていれば

きっといいことがあると言った父

それなのに

父はなぜ私たちに何も告げずに

あんな、辛い死に方をしなければならなかったのか

「なぜ」

「お父さんは明日を信じられなかったの?」

「信じたくとも信じられなかったの?」

「空を飛んだ時、何を思ったの?」

「私のことを思った?」

答えのない問いが

空に木霊する

 

底冷えのする朝

定刻通りに電車が滑り込む

ホ-ム上には通勤客が列をなしている

私はいつものように列の後方に立つ

「私は、明日を信じるよ、お父さん」

 




                タイムカプセル

 

夜が深さを増す時間帯に

そっと帰宅する瑛太

玄関ドアを開けると、硬い空気が瑛太に向かってくる

物音をたてないように

2階の自分の部屋へあがる

鉛のような1日が終わる

 

「今日も帰りは遅いんですか」

朝食を済ませ、鞄を持って玄関に向かう瑛太の背に

“も”という部分を強調して、妻が冷たい言葉を浴びせる

「たぶん…」

「わかりました」と言う声は廊下で聞く

いつからか夫婦の会話は敬語になっていた

「家族」というものが

風に揺れる紙ヒコ-キのように

頼りなく、切ないもののように思える

 

妻とうまくいかなくなって、もう2年くらいになる

夫婦は元々他人なのだから

価値観の違いを理由にはしたくないけれど

ことごとく衝突し

しかも

気の強い二人は、折れることを知らず

深い沼に沈むばかりだ

 

修復しようと二人で話し合っても

すでに冷え切った関係からは前向きな答えは生まれない

二人の関係を維持しているのは

「子供のため」という理由だけ

でも、それは口実に過ぎない

答えを出すのを先延ばしにして

気怠い仕事と酒の中に逃げ込む

 

二人の間に愛情はないのか

瑛太にはもう分からなくなっていた

妻の無表情な顔からは

何も感じ取ることができないけれど

恐らく自分も同じ顔をしているのだろう

時間は風化されて砕け落ちる

 

小学校の時の同級生から

タイムカプセルを掘り起こすという知らせを受けたのはそんな時だった


30年ぶりに訪れた小学校は様変わりしていた

校門を入ると、懐かしい顔が勢ぞろいしている

掘り起こされたタイムカプセルの中から

自分のものを取り出す

 

筒の中に入っていたのは

父の写真と1枚の紙

そこには

「パパに会いたい」と書かれていた

その瞬間

当時の自分の思いと感情と情景が蘇る

空を見上げると、無数の波紋が広がっている






              置き去りにした日々

 

春の柔らかな匂いが立ち込める

 

なだらかな坂を下りると

黙り込んだ中学校の校舎が見えてきた

今は学校は春休み

 

もう二度と来ることはないと思ったこの土地に

私は今、息をひそめて立っている

 

そう、それは

哀しみの染み込んだ「置き去りにした日々」に折り合いをつけるため

 

京子が小学5年の時、父親の会社が倒産した

毎日繰り返される両親の激しい喧嘩

私と妹は、布団を被ってそれに耐えた

結局、離婚し、6畳一間で母子3人の生活が始まる

 

病気がちだった母親にできる仕事は限られていて

収入は極度に少なく、生活することすらままならない

食事は1日1回夜のみ。ごはんに醤油をかけて食べるだけの日も多くあった

着るものは、母がどこからもらってきたのかわからない古い服

たまにしか入れない風呂

外で、着飾った子供が両親と手をつないで歩く姿を見るのが一番辛かった

「再び朝は来る」と、本には書いてあったけれど

苦しい朝なら来ない方がいいと、どれほど思ったことだろう

 

中学に入学すると、学校でのいじめは酷くなった

笑顔の裏に潜む陰湿な企て

すっと近づき「臭い」と言い

古くよれよれの服を着ている私が通ると

「貧乏がうつる」と言う

以前好きだと告白された男の子にまで「陰気な顔」と言われる

言葉の暴力に、仮面の下の私の心はズタズタだった

 

それでも家に帰れば

塞ぎがちな母に「大丈夫だから、母さん」と言い

貧しい生活を嘆く妹を宥める

それが家族の中での私の役目だった

 

私なりに分かっていた

母は母で生活を支えることで精一杯だった

だから、私は子供としての自分の感情は出さないようにしていた

 

だが、そんな私の精神も限界にきていた

いつものように学校に行き

もはや日課となったいじめを受ける中で

私の中の、黒くドロドロと煮えたぎったものが爆発した

 

直接私にいじめの言葉は言わなかったけれど

いつも、その仲間に入っていた山村さなえの、その白い腕を

美術の時間用に持っていた彫刻刀で、すっとなぞった

赤い線が走り、その後血が噴き出した

「きゃ-」

叫んだのは、さなえではなく、周りにいた生徒たち

教室中に悲鳴が飛び交い、騒然となる

すべての音が消え

私は他人事のように、静かに眺めていた

 

母と私でさなえの家へ行く

さなえの両親の罵声に

母は私の後頭部に手をやり、私の頭を強く押し下げ

自分も一緒にひたすら頭を下げ謝るばかり

家へと帰る道、母は私に一言も声をかけなかった

言葉のかけらが宙を彷徨っていた

 

さなえの両親が警察沙汰にはしなかったので、一応は収まった

それからというもの

学校でのいじめはなくなったが、恐いものを見るかのように

みんなが遠くから取り巻くようになった

私は中学の3年間、先生以外とはほとんど口をきかなかった

家では、母が腫れ物に触るように、私の機嫌ばかり取っていた

 

高校生になると、私はすぐにアルバイトを始め、そうした生活から少しずつ脱出していく

高校卒業後デパ-トに勤め自立した私を見て安心したのか、2年後に母は亡くなった

私は妹を大学へ入れるまで、亡くなった母親の代わりを務めた

 

中学校の周りを歩く

校庭の中に古いベンチが見える

みんなが昼食の弁当を食べている時に

京子がいつも座っていたベンチ

 

母が悪いわけではないことは、今ならわかる

元々、内気で、気の弱かった母が、一人で2人の子供を養うことは無理だった

まだ家が裕福だった時から、母は自分のことしかできない人だった

私とか妹を守るなんて無理だった

そういう人だったのだ

でも、当時、心の中ではそういう母を許していなかった

 

もちろん、「置き去りにした日々」に折り合いをつけられるはずもなく

出口の見えない感情を持て余しながら、駅へと向かおうとした時

少し俯きながら、坂を下りてくる一人の女性の姿が目に入る

何年経っていても覚えている

それは、山村さなえに違いなかった

京子は引っ越して、他の地域に住んでいるが、さなえはまだここにいた

 

さなえが顔をあげ、京子と目が合う

「京子ちゃん」さなえのほうが先に声を発した。驚きのあまり、その場に立ち尽くすさなえに、私はゆっくり近づいて行く

「お久しぶりです」

京子の言葉に、さなえは、みるみる涙をためていく

「会いたかった」

そう言ったさなえ

「あの時は、本当にごめんなさい。ちゃんと謝っていなかった」

私の口から、あの時言えなかった言葉が自然に出ていた

「私こそ、ごめんなさい。私にはみんなの苛めを止める勇気がなかった」

「そんなことわかっていたわ。わかっていながら、あなたを傷つけてしまった」

「優しいのね、京子」

今になって思えば、いじめが始まる前、一番仲の良かったのがさなえだった。そのことすら、今ようやく気づく。それに、私がさなえを傷つけた時、さなえは一言も発しなかった。腕から血を流しながら、ただ、悲しそうな顔で私を見ていただけ。すべてが蘇った。

「大丈夫、傷、残っていない」

そういう私に、さなえは腕をまくって見せ

「ほら、大丈夫」

うっすらと赤い線がまだ残っているのに……。

「会えて良かった」

もう一度、さなえが言った

「ありがとう。さなえの優しさが本当に嬉しい」





                 ひとひらの恋

 

行き場のない後悔に苛まれるだけ

「会いたい」

「あなたに、会いたい」

 小さな諍いから喧嘩になり

お互いに傷つけあった

「ごめん、亜美、僕が悪かった」

悪くもないのに謝ったあなた

でも、意地をはってしまった私

結局、二人は別れることになる

あなたは、私が初めて本気で好きになった人だった

 

あれから1年半

時は幻のように過ぎ

二人の共通の友人のさとみから、あなたに新しい恋人ができたことを知る

そんなあなたに対抗するように、私は何人もの男と付き合う

でも、私の中の喪失感を埋めることはできず


今ならまだ遅くないと思い

もう一度二人でやり直したい、と書いたメ-ルを何度送ろうとしただろうか

でも、あなたの心の中に、もう私はいないかもしれない

そんな思いが、送信ボタンを押す手を止める

素直になれない私

まだ自尊心を守ろうとしている私

虚ろな風が心の中を吹き抜ける

 

秋が寄り添いはじめた頃

あなたがさとみと結婚したことを、さとみから知らされる

羽をもがれた小鳥のように

私は蹲ることしかできない

時間(とき)に身を委ねるという、ありきたりの方法で

私も他の人と普通に結婚するのであろうか

 

それからどれほどたったであろうか

私が道を歩いていると

「亜美ちゃん…、だよね」

後ろからの声に振り向くと

そこには、あなたの姿があった

思いがけない再会に、私の心は乱れる

ぎこちない会話だけで、逃げるように別れた私

 

偶然の再会から1か月後

突然、あなたから電話があり

「今日、さとみと3人で飲まない?」と誘われた

私は悩んだが誘いを受け、指定されたバ-へ行く

そこに、さとみの姿はなかった

「さとみは、仕事で来られなくなった」

さざ波のようなざわめきが私を襲う

 

酔いが回るにつれ

あなたは言ってはならないことを話し始める

「俺、ずっと亜美のことが忘れられなかった」

「だから、何度も亜美にメ-ルしようと思った。でも、さとみから亜美には新しい恋人ができたと聞かされて、思いとどまった」

さとみもあなたのことを好きだったなんて知らなかった

神様のいたずらに、鼓動する胸

「そうだったの」

でも、私はそれ以上は言わなかった

 

あなたの告白は、私を苦しめ、私を深い沼に落とす

心の襞をめくられるような痛みに決着をつけるため

私はあなたにメ-ルする

私も同じ思いであったこと、今でもあなたのことを好きだということ

そして最後に、私の恋を終わらせてほしいと書く

 

失われた日々は取り戻せないけれど

思い出のレストランの向かいの席で

「今からの24時間は、すべてを亜美のためだけに使う」

と、あなたは努めて明るい表情を作って言う

二人は限られた時間を愛おしむように、濃密なデ-トをし、一夜をともに過ごした

翌日の昼、公園で向き合う二人

「もう24時間がたってしまったね」

寂しそうなあなた

あなたは手を出して握手を求める

「じゃあ、元気で」

「うん。あなたもね。さようなら」

あなたの口に軽くキスをする

 

あなたから離れ、凛として一人で歩きだす私

背中にあなたの視線を感じながら

やがて角を曲がり、あなたのことを感じなくなった時

それまで堪えていた涙が溢れる

胸の底に、ひらりと落ちた恋

目の前の、いつもと変わらぬ、おだやかな風景が

ぼやけて、揺れる





                  笑顔

 

笑顔は他人(ひと)を幸せにする

とりわけ、滝本ミクの笑顔に、松宮徹は惹かれていた

 

職場のマドンナ的存在のミクは、徹より3歳年下

清楚で綺麗で、かつ上品なミクは

いつも社内外のイケメン達に囲まれていて

地味で、真面目だけが取り柄の徹には

遠い存在に過ぎなかった

 

砂利の敷き詰められた道を抜け

叔母の眠る墓へと向かう

その時、墓参を済ませ、こちらへ戻ってくる一人の女性の姿が目に入る

それが、滝本ミクだとわかるまでに時間はかからなかった

 

喫茶店で話をしようと誘ったのは、意外にもミクのほうだった

窓から差し込む夕陽が、ミクの顔半分を照らしている

小さな笑顔を作って

「母のお墓があるんです」

そう言ったミクは美しかった

「そうだったんだ。僕は叔母の墓参りに来たんだけど。まさか同じお寺だったなんて、偶然だね」

 

仕事以外で会話したことの、ほとんどなかった私に

その日、ミクは、それまで胸にずっとためていたであろう両親のことを話した

それは恐らく、彼女なりに徹のことを見ていて

この男なら、話しても、何も言わずに受け止めてくれると思ったからに違いない

それが、徹には嬉しかった

 

ミクの父親は浮気を繰り返しては母親を苦しめたという

さらに、そのことが原因で会社も潰してしまった

母親は働きに出て家庭を支え続けたが、病に倒れ帰らぬ人となった

だが、ミクの母親はどんなに苦しい時でも、ミクに対して笑顔を絶やさなかったという

ミクの笑顔は、そんな母の心を受け継いだものだと思う

 

 

その日を境に、二人は少しずつ距離を縮め

付き合うことになった

ミクが選んだ男が徹だということがわかり

周囲は驚いた

 

職場の新年会の帰り

2次会に行くというみんなを残し、二人は家路に向かう

電車に乗り、二駅過ぎたところで、ミクは

「あっ」と声をあげた

母親の形見のイヤリングの片方がなかった

 

慌てて新年会の会場だった焼き肉店へ戻るが

そこに、イヤリングはなかった

酷く落ち込むミク

だが、どうしようもなかった

 

翌日、徹は病気ということにして会社を休み

朝から、ミクのイヤリングを探しに出かけた

店の人に断りを入れ、周辺を探す

何かの拍子に落ちたと思われるイヤリングは、幸い店の近くで見つけることができた

携帯でミクに、仕事が終わったら迎えに行くと連絡する

 

会社から出てきたミクを車に乗せ

ミクのマンションまで送って行く

まだショックの抜け切れないミクの笑顔は少し寂しげだった

「部屋へ来てほしい」というミクの言葉に応え

初めてミクの部屋へ入る

 

まだ立ったままの徹が、コ-トのポケットから紙に包んだイヤリングを出して渡す

「えっ、あったの」

ポッと明るい表情になり

「私のために、今日探してくれたのね。ありがとう」

「それから、これも受けとってほしい」

そう言って、徹が差し出したのは、婚約指輪と手紙だった

「その手紙は、僕からミクに渡してほしいとお父さんから頼まれた。亡くなる前、もう会話のできなくなったお母さんが、ミクのことをお父さんに託すために書かれた手紙だった。お父さんが、僕にも読んでほしいというので、読ませてもらったけれど、愛情いっぱいの言葉がそこには書かれている」

徹は、イヤリングを見つけた後、ミクの父親と連絡を取り、会っていた。

「それから、お父さんにミクのお母さんの写真を見せてもらった。それでわかったんだ。ミク、君の笑顔は、君を守るために絶やさなかったお母さんの笑顔そのものだった。僕は、その君の笑顔が大好きだ。だから、君が笑顔を絶やさないで済むように、君を一生守る。結婚しよう」

ミクは返事の前に、徹に抱きついていた

「ありがとう、徹さん。嬉しい」







































奇跡

 

高垣杏奈が松本聡と出会ったのは

台風被害にあった地域の

ボランティア活動に、杏奈が参加した時だった

聡の黙々と作業に取り組む姿が印象に残ったものの

それ以上のことはなかった

 

聡から食事に誘われたのは

それから2か月後

聡の事は心の底にはあったけれど

もう記憶から消えようとしていた頃だ

アドレスの交換は、ボランティア活動の仲間全員としていた

突然の誘いだったが、軽い気持ちで会うことにした

 

12月の冷たく静かな雨に、新宿の街は濡れていた

待合せ場所に早く着いてしまつた杏奈に

ナイフのように尖った風が突き刺さる

会おうとしたことに、少し後悔する

 

ス-ツ姿でやってきた聡は

ボランティア活動の時とは別の顔を見せ

杏奈のことをまっすぐ見つめながら

仕事に対する熱い想いを語った

 

酒の勢いを借りたのだろうか

「杏奈さんには、今付き合っている人いるんですか」

あまりに単刀直入な質問に

「特に、いないけど」

私は考える暇もなく答えていた。本当は、何人かの男に付き合ってほしいと言われていたけれど

「えっ、本当ですか? 信じられない。杏奈さん、絶対にモテると思うんだけど」

「恋愛に臆病なんです、私」

半分本当で、半分は嘘

「じゃあ、僕と付き合ってくれませんか。まずは、友達からでいいんで」

静かで無口だと思った男は、意外にも明るく話し好きで積極的な男だった

 

あれからもう3年

多少の倦怠期もあったけれど

二人は着実に愛を育み

最近では、お互いに結婚のことが頭にあった

まだ、聡からのプロポ-ズはないけれど

 

春の野に菜の花が咲く頃

二人は婚前旅行に出かけることにした

独身最後の旅になるかもしれないから

少し奮発して、3泊4日の旅に出る

 

小川の流れる音が聞こえる旅館の部屋で

聡は、永遠(とわ)の愛を誓うかのように

杏奈の目の奥をじっと見つめて、プロポ-ズした

鼻の奥がツンとする

その日、聡が杏奈に渡したものは、婚約指輪ではなく

聡が用意した二人で暮らすマンションの部屋の鍵だった

 

好天に恵まれた旅の最終日

レンタカ-を運転し続けた聡に

多少の疲れがあったのだろうか

カ-ブの続く山道で、スピ-ドを出し過ぎていた対向車をよけきれず

二人を乗せた車は、谷底へと落ちた

聡は病院へ運ばれた1時間後に亡くなった

杏奈は、足を骨折したものの命を失うことはなかった

咄嗟に杏奈を庇おうとした聡のハンドル捌きがあったから

 

世の中の全てに現実感が失せ

余白だらけの1か月が過ぎる

骨折の治った杏奈は

聡の契約したマンションの部屋へ向かう

聡の両親ですら知らない部屋

 

鍵を開け部屋へ入ってすぐに感じる聡の気配

廊下を抜けて、居間のドアを開ける

テ-ブルの上にあったのは

聡の名前が記入され、印を押してある婚姻届の用紙と婚約指輪だった

そこには、聡の強い意思があった

「聡……」

私は、深い、深い森の中で迷ってしまった子供のように、その場に蹲るだけ

 

しばらくして、杏奈は静かに聡に語りかける

「聡は、この部屋で私が来るまでずっと待っていてくれたのね」

その日、杏奈はその部屋に泊まった

きっと、聡が会いに来てくれると信じて

 

眠るまいと思いながら、眠りの中へと落ちていく

「杏奈」

自分を呼ぶ声に、目を開ける

「聡…」

「ごめん、杏奈。来るのが遅くなって」

「大丈夫、私は聡の事を信じていたから」

「杏奈、こんな僕を愛し続けてくれて“ありがとう”。それが言いたかった。大切な君を、僕は、ずっと、ずっと守ろうと思った。なのに…」

「もう何も言わないで。お願い、強く抱きしめて」

聡が杏奈をぎゅっと抱きしめる

「聡、愛している」と言おうと思ったのに、言葉が出ない。立ち上がって、声を出そうとした時、目が覚めた。

夢であることは分かっていた。それでも、会えたことが嬉しかった。でも、聡がずっと「過去形で」話していたことが辛かった。

杏奈がソファ-から起き上がり、聡のいた場所に目を移した時

奇跡は起きていた

旅行中、聡のために買って渡したキ-ホルダ-がそこに置かれていた

事故で大破した車の中にも、他のどこにもなかったキ-ホルダ-

あるはずのない、この部屋の鍵の付いたキ-ホルダ-

杏奈は、そのキ-ホルダ-を握りしめながら、聡が本当に来てくれたことに感謝する

「ありがとう、聡。愛している」

先ほど声に出せなかった言葉を、「現在形」で、見えない聡に向かって投げかける

その時初めて、杏奈の目から涙が落ちた。

 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

詩集(あなたへ) シュート @shuzou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ