「アリー!」

《こんにちは、七笑さん。やはりお二人、ご一緒だったんですね》

「あれ? でも、どうして?」


 さっきと同じようにざっくりしすぎの質問だったが、パソコンの持ち主同様、アリーはすぐに理解してくれた。


《私はデジタルな存在ですから、別ID間でも意識の共有・融合が可能なんです。ましてや健さんと七笑さんは、ただでさえ一緒に行動されることが多いですし、こうして一時凍結からの解除も二人分、同時に行ってくださいましたから》

「つまり、あなたは……ええっと……」

《はい。今お話させていただいている私は、健さんのアリーであると同時に、七笑さんのアリーでもあります。本当は意識の融合をしてはいけないのですが、凍結解除と同時に健さんは、そちらのプロテクトも解いてくださったんです。ありがとうございます、健さん》

「いや、この方が話しやすいしな」

《そうですね。私も二つの顔で同時にというのは、さすがにちょっと混乱してしまうかもしれません》


 アリーの小さな頭が、おかしそうに小さく揺れる。七笑には、彼女の笑顔まで見えるような気がした。間違いなく自分の、いや、自分たちのアリーだ。


「じゃあ司さんは、車の中でこの作業を?」

「ああ。イージー・ヘヴン社のマスターサーバーに侵入、もとい、アクセスしてね。ついでにこうして、PCからも彼女を操作できるようにさせてもらった。まあこれは、メンテナンス用に元からあったプログラムを、ちょっと拝借しただけだが」

「そ、そうですか」


 すぐに言い直してはいるが、つまりはハッキングとかクラッキングとか呼ばれる類いのことを、堂々とやってのけたのだろう。単なる記者というだけでなく、技術面に関しても筋金入りのスキルを持っているらしい。


「それと、真のところで見た論文検索サイトを、逆にしばらくフリーズさせておいた。むしろそっちの方が、時間がかかったけどな」

「あ! そうか!」


 神宮司たちがALLに関する情報をあわててオープンにして、白を切ることを防ぐためだろう。司らしく、抜かりのない対応である。


「で、あとは彼女と録音アプリをスマホで立ち上げてから、神宮寺の部屋に乗り込んだってわけだ」

「そうだったんですね」

《お二人に、もうお会いできなくなってしまうと思っていたので、私もとても嬉しかったです》


 アリーの言葉に、七笑も心から嬉しくなった。同時に自然と口が開く。


「あたしも嬉しいよ、アリー。でもごめんね。一つ、あなたに謝りたいの」

《どうされましたか?》


 モニター内の彼女はむしろ気遣うように、こちらを覗き込む仕草をしてくれた。

 ああ、本当にアリーだ。気が利いて、優しくて、仕事ができる美しい友人。


「あたし、ほんの少しだけとはいえ、あなたのことを疑っちゃったの。ごめんなさい!」


 両手を合わせた七笑は、今回の事件の一連の経過と、その過程でアリーも共犯ではないかと考えてしまったことを正直に告げた。


「アリーも、むしろ被害者だったのにね。本当にごめんなさい」


 音声のみの対応ということも忘れて、モニターに向かって心から頭も下げると、逆にアリーに同じ仕草を返されてしまった。


「そういうことだったのですね。いえ、私こそ健さんのアクセスログなどをしっかり守れず、申し訳ありませんでした」

「とんでもない! 悪いのは全部、神宮寺たちなんだから!」

「そのとおりだ。それに君は最初から、俺たちの味方として振る舞ってくれていたじゃないか」


 あとを引き取った司の言葉に、七笑は思わず、「へ?」と間抜けな声をもらした。


「最初から味方として、ですか?」

「そうだ」

「ええっと」

「なんだ、忘れたのか? これだから、バーベルばかり担いでジャージで出歩く女子は、困る」

「う、うっさいなあ、もう! それに今日はれっきとした私服です!」

「ファストファッションで買った、普通の服だけどな」

「ど、どうしてそれを……」

「見ればわかる」


 なぜか勝ち誇った顔をされてしまったが、司の指摘は図星で、今日の七笑は量販店で買った、なんの変哲もないフリースとデニム姿である。だが、私服といえばこの手のものしか持っていないのだから、仕方ないではないか。


《ふふ、やはりお二人は息が合っていますね》


 おかしそうに口元に手を添えた、アリーのシルエットが揺れている。息が合っているかどうかはともかく、言われてみればこうやって司と憎まれ口を叩き合うのも、なんだか久しぶりのような気がする。

 彼も同じ気持ちだったのかもしれない、「まあ、アリー自身に証明してもらおう」と話を戻した顔が、少し苦笑しているように見えた。


 あらためてモニターに向き直った司は、パソコンの内蔵マイクがさらにしっかり音を拾えるよう、少しだけ声を張り上げた。


「アリー、あらためて膝の靭帯について知りたいんだが、教えてくれるかい?」

《かしこまりました、健さん。ヒトの膝には五本の靭帯があり、合わせて……三十万と八百件の論文やジャーナルがヒットしました》

「あっ!」


 七笑もすぐに思い出した。そうだ。アリーは最初から、膝には五本の靭帯があることを、こうして公言していた。


「OK。そのうち、ALLについてはどれぐらいある?」

《ALL、膝の第五の靭帯と言われる前外側靭帯に関しては、リハビリテーション、トレーニング等の論文や記事が、合わせて二万四百一件です。そのほとんどが、海外の文献ですが》

「そっか!」


 理解した七笑は、明るい笑みを二人に向けた。司もまた七笑、そしてアリーと順に見つめて、微笑みとともに頷く。


「アリー。君にとってALLの存在は、すでに当たり前のことだったんだな」


 そういうことだったのだ。神宮寺たちが国内の論文をブロックするなどして存在を覆い隠そうとしたにもかかわらず、アリーは最初からALLの存在を認識し、むしろ当たり前のものとして捉えていた。


「あれ? でも、イージー・ヘヴンからの妨害とかはなかったの? アリーはもともと、あそこのプログラムなんでしょう?」


 七笑が顎に指を当てると、司が今度は、にやりとした笑みを浮かべた。


「アリーも最初は、ALLの存在を認識していなかったんじゃないか?」

《はい。膝の回旋動作を制御し、前十字靭帯を補助するALLの存在を私が把握したのは、ALLアプリが公にリリースされてから三日後、ちょうど鰐淵亜美さんが襲われた日くらいからです。開発段階や世に出て数十時間のうちは、海外の文献もほとんどヒットしなかったのですが――》

「ですが?」


 繰り返した七笑を振り向いて、今度はアリーが微笑んだように見えた。


《私自身の中で新たなアルゴリズムを構築するなどしながら検索を続けた結果、じつは多数のALL関連論文や、記事があることにすぐ気づいたんです》

「常に学び続けているんだな。さすがだ」

《ありがとうございます。私は学習型のAIですし、むしろそれがお仕事でもありますから》


 司とのやり取りを聞いて、七笑はまたしても「そういうことね!」と目を見開かされた。

 つまり自己学習型AIであるアリーは、みずから妨害を突破してALLの存在をあっさりと学んでいたのである。


「凄い! ほんとに凄いんだね、アリーは!」

《ありがとうございます、七笑さん。二十ヶ国語に対応したインターフェイスと、自己学習・自己認識型AIを搭載した擬似人格プログラム。あなたの素敵なスポーツライフ、フィットネスライフを常にサポートするデジタル・セクレタリー。それが私、All Life Lighthouse for Youの頭文字をこの名にいただいた、Ally Laurenceです。どんなことでも、お気軽にお声がけ下さい》


 立て板に水の調子で一息に言ってのけたアリーは、


《……というのが、私の宣伝コピーです。でもちょっと長いですよね。ふふ》


 と、ふたたびおかしそうに小首を揺らしている。


「いや、まさに看板に偽りなしじゃないか。できる女性は違うね」

《ありがとうございます、健さん。できるかどうかはさておき、女性というキャラクター設定はたしかです。じつは開発段階では、男性バージョンの私もあったらしいですよ》

「へえ」


 それを聞いて、七笑は男性型のアリーを想像してみようとした。が、どうも上手くいかない。


「でもやっぱりアリーは、女の人だよ。あたし、今のあなたしか想像できないなあ」

「そうだな。それも、美人で優秀な女性秘書だ」


 頷いた司が「そういえば」と思い出したように付け加えた。


「アリー、ちなみに君のルックスはどんな設定になっているんだ? 髪型が何パターンかあるのは知っているが」

《残念ながら今の姿以外には、私に決まった容姿は設定されていません。本来がAIですし》


 苦笑する仕種で首を傾げた彼女は、そのままいたずらっぽい口調で続けた。


《ですが、あえて申し上げるならば――》

「?」

《あなたの隣にいる女性、ということでイメージしてください。もちろん私の方は、健さんのセクシーなルックスを存じ上げていますけどね》

「え……隣って……」

「そ、それも決まった口上というか、お約束の文句なんだよな?」


 揃って動揺し始めた七笑と司の口調に、アリーはますます楽しそうに続けたものである。


《つまり健さんの場合は、言うまでもなく七笑さんということです。これまでも常に、おそばにいらっしゃるようですし》

「お、おい、アリー! そりゃないだろう!」

《なぜです? いつも元気でジャージやバーベルが似合う活動的な女性は、デジタル世界の私から見ても、とても魅力的ですよ? ね、七笑さん?》

「ちょ、ちょっとアリー! リアクションに困る振り方、しないでよ!」


 あたふたする二人の主人を見つめながら、モニター内の美人秘書は楽しげに口元に手を当てていた。

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