如月きさらぎクリニック』というその場所に到着した二人は、司の案内で通用口から建物に入り、廊下の先にある《院長室》というプレートの下へと向かった。目的の部屋の前で立ち止まり、そのまま司がドアをノックする。


 ドアはすぐに開き、一人の女性が顔を覗かせた。


「いらっしゃい、健ちゃん。待ってたわ」


 にっこりと笑う彼女が自分と同じように小柄で、しかも個性的な見た目をしていたため、七笑は面食らってしまった。


 中学生と言っても通用しそうな童顔に、やたらと大きい玩具じみた眼鏡。しかも髪型が茶髪のツインテールなので、《Kisaragi》と肩口に刺繍された白衣も逆にリアルさが乏しく感じる。なんだか、コスプレイヤーみたいな院長先生だ。


 そんな女医と「同級生」だと語っていた司が、片手を挙げて軽く頭を下げる。


「日曜に悪い。よろしく頼む」

「全然気にしないで。雑用もたまってるから、どうせ出勤しようと思ってたし。とりあえず入って」


 二人を中に招じ入れてソファーを勧めた如月医師は、すかさず自身も対面に座り、七笑を興味深そうに見つめてきた。


「こんにちは。あなたが患者さんね。あ、患者ってわけじゃないか」

「は、はい。鈴野七笑です。よろしくお願いします」

「こちらこそ。あたしは如月まこと。こう見えても、ここの院長でスポーツ整形外科医だから安心して。ついでに言うと、健ちゃんとは大学の同級生」

「はあ」

「もっとも、あたしは医学部で彼は文学部だったけど」


 医学部と文学部なのにどうして知り合いなのだろう、と七笑が内心で首を傾げると、如月は心を読んだかのように教えてくれた。


「情報学の授業、ようするにパソコンの授業で仲良くなったの。プレゼンソフトの使い方とかを健ちゃんが丁寧に教えてくれて、実習とかでもかなり助かったんだ。あたしが無事医者になれたのは、健ちゃんのお陰でもあるってわけ」

「そうだったんですね」


 納得した七笑が頷くと、いたずらっぽい口調で付け加えられた。


「あ、でも別に付き合ってたとかじゃないから、心配しないでね」

「おい、真――」


 不機嫌そうに割って入る司をあっさりと無視して、如月は続ける。


「ず~っと、ただの友達のまんま。健ちゃんったら一緒に食事するとき、あたしがノーブラでお店に行っても、わざわざ自分のジャケットかけてくれるぐらいだし」

「おま……! あれはわざとだったのか!?」

「当然でしょ。あたし、あんたがゲイじゃないかって今でも疑ってんだから」

「俺はストレートだ!」


 どうやら司は、このとぼけた女友達には完全にペースを握られてしまうらしい。逆に言えば、それだけ素の自分をさらけ出せるということか。


 ふーん。


 七笑がなぜか複雑な気持ちでいると、まったく同じ言葉が如月の口から聞こえてきた。


「ふーん」


 にっこりと笑った彼女が、ますます興味深そうにこちらを見つめてくる。


「な、なんでしょう」

「七笑ちゃんて、ウエイトリフティングの選手なのよね?」

「あ、はい」


 自分のプロファイルに関しても、事前に司から伝えられているのだろう。


「そっか。ウエイトリフターかあ」

「あの……」

「そんな風に見えないわね」

「そうですか?」


 先生こそ医者に見えないんですが、とつっこみそうになった七笑がなんとか踏みとどまっていると、如月は笑顔のまま軽く両手を振った。


「ああ、ごめんね。可愛いなあって思っただけだから」

「ど、どうも」


 とりあえずぎこちなく下げた頭を、だが七笑はすぐに跳ね上げる羽目になった。


「でも良かった。健ちゃんにも、やっとこんなに可愛い彼女が――」

「違います!」

「違う!」


 期せずして、返事がハモってしまった。はっとして隣を見ると、司はバツが悪そうにあらぬ方向を見ている。


「あはは、失礼。でも息が合ってるのはたしかじゃない。結構、結構。素直じゃない残念イケメンだけど、今後とも仲良くしてやってね」

「真、俺をからかってる暇があったら――」

「はいはい、七笑ちゃんのMRIでしょ。いつでもいけるわよ」


 友人の抗議をふたたびスルーした如月は、そう言って七笑の両脚を手で示した。


「七笑ちゃん。膝の中身、ちょっと確認させてくださいな」

「膝、ですか?」

「うん。もちろんどこも悪くないのは知ってるし、単なるメディカルチェックだから安心して」


 たしか司さんもそんなこと言ってたっけ、と七笑が隣に目を向けると、視線に気づいた彼が、やはり安心させるように首を縦に振ってくれた。


「わかりました。じゃあ、お願いします」


 心強い気持ちが湧いてきた七笑は、童顔の女医に向かってしっかりと頭を下げた。




 MRIの撮影自体は、至って簡単だった。大きなトンネル状の機械に、仰向けで胸から下を入れる形で入って二十分程度。撮影中の音がうるさいと七笑も聞いたことがあったが、大型のヘッドフォンを貸してくれたので、それもほとんど気にならなかった。むしろ適度な固さのベッドについ、うとうとしてしまったほどだ。


「はい、おしまい。ほんとに怪我してたら、他にもいろんな角度から撮んなきゃいけないから、この倍以上かかるんだけどね」


 如月の声がヘッドフォンから聞こえて七笑は、はっと意識を取り戻した。


「ふふ、七笑ちゃん、寝てた?」

「す、すみません!」

「ううん、かまわないわよ。でも健ちゃんに、寝顔見られちゃったわね」

「ええっ!?」


「断じて見ていない!」という必死な声をマイクが拾ってくれたので、七笑はほっとしながら撮影を終え、如月に勧められるまま自分も操作室へと入った。


「よし、んじゃ一緒に見てみよっか。綺麗な膝だし、クリアに撮れてるわよ」


 如月の声を合図に、大きなモニターの前に司と並んで座る。


「これが七笑ちゃんの、膝の中身。当たり前だけど、どこも痛んでるところはないわ。ていうか、むしろ丈夫な膝って言っていいわね。ウエイトリフティング選手だから半月板はんげつばんとかが磨り減っててもおかしくないと思ってたんだけど、全然そんなことないし。あ、半月版っていうのはこれね。簡単に言うと、膝の間にあるクッションみたいなものよ」

「へえ」


 モニターはタッチスクリーンになっており、七笑を挟んで司とは逆側に座った如月が、画像を指先で拡大しながらわかりやすく、そして丁寧に説明してくれる。きっと患者さんに対しても、こんな感じなのだろう。もし怪我をした友人がいたら、このクリニックを紹介してあげようと七笑は純粋に思った。


「もちろん、骨と骨を繋ぐ靭帯も無事。ほら、メインの四本とも綺麗なまんま。あたしは素人だからよくわかんないけど、きっといいフォームでバーベルを持ち上げてるんじゃない?」

「ありがとうございます!」


 コーチではないが、スポーツドクターからそう言ってもらえるのはやはり嬉しい。

 にっこり微笑んだ七笑だったが、ふと頭の片隅に何かが引っかかるのを感じた。


 あれ?


「どうかした?」


 会ってすぐに感じたことだが、如月は相手の心の機微を読み取るのがとても上手い。今も、七笑の微かな表情の変化を見逃さなかった。


「いえ、ええっと」


 なんだっけ。なんか、違うような……。


 何がどう違うのか、自分でもはっきりしない。けれど、違和感があることだけはたしかだ。間違いない。どこかが、何かが違う。

 すると。


「それで、はどうだ?」

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