第四章 真相
1
司が七笑を連れて向かったのは、さいたま市内にあるというクリニックだった。
彼が運転するミニクーパーの助手席で、七笑は単刀直入に訊いてみた。
「ALLについて調べてたって、一体どういうことですか? アリーが何か、事件に関わっているんですか?」
「いや、アリーは関係ない。そこは安心してくれ」
「?」
わけがわからないという七笑の表情を、一瞬だけ横目で見た司は「詳しくは、病院に行ってから話すよ。その方が早いしな」と穏やかに付け加えた。
「そんなことより――」
ハンドルを操りながら、司は逆に訊いてきた。
「昨夜は本当に、無事だったんだな?」
「え? あ、はい。お陰様で」
「本当に本当だな?」
「? 本当に本当ですけど?」
怪訝な顔で七笑が首を傾げると、なぜかしどろもどろな台詞が続いた。
「いや、それならいいんだが万が一、その、なんだ、ええっと……」
「?」
いつかのデジャヴみたいだ、と七笑は思った。あれはたしか、NASCから送ってもらうときだったっけ。
「司さんこそ大丈夫ですか? インタビューしてくれた日の帰りも、そんなでしたよね?」
「俺は大丈夫だ。それよりも、君の身体だ。ようするに――」
「ようするに?」
「もし君が犯人、つまり小山内に」
「?」
「ぼ……」
「ぼ?」
「ぼ、暴行というか乱暴というか、ひどい目に合わされていたら、整形外科以外の病院にまずは行かなきゃいけないと、その、思ってだな……」
「は?」
何言ってるの、この人? と眉間にしわを寄せた七笑の顔が、一瞬遅れて真赤になった。
「!! ななな、何言ってるんですか! なんにもされてないに決まってるじゃないですか! そもそも今までだって、そんな経験ありませんっ!」
聞かれてもいないことまで告白して、七笑は司の二の腕を思い切り引っぱたいていた。
「うわっ! 危ないだろう!」
「司さんの方が危ないです! セクハラですよ、セクハラ!」
「す、すまない。無事なら本当にいいんだ」
「だから無事だって、言ってるでしょうが! あたしだって二十二の女の子です! か弱い乙女に、変なこと聞かないでください!」
「……か弱くはないだろう」
「なんですってえ!?」
「い、いや、なんでもない。とりあえず今は勘弁してくれ。君だって、事故りたくはないだろう?」
「む……たしかに」
渋々ながらも矛を収めてあげると、司もほっとしたようだ。「それはさておき」と落ち着きを取り戻した声が続ける。
「今日の診察も、もちろん大それたものじゃない。身体のメンテナンスぐらいの気持ちで、MRIだけ撮らせて欲しいんだ。代表選考会の前にも、大会には出るだろうし」
「ええ、まあ」
まだ唇をとがらせていた七笑だが、「あれ?」とすぐに首を傾げた。
「司さん、まさかあたしの試合スケジュールとか、調べてくれたんですか?」
「一応、取材対象だからな。大体この前、ウエイトリフティングについても勉強しておけと、君自身が言ったじゃないか」
「別に、勉強しろとは言ってませんけど」
だが司は、本当に調べてきていた。運転したまま、七笑たち東京オリンピック代表を目指す選手たちの、主だった試合スケジュールをそらんじてみせる。
「代表選考会の全日本選手権は五月末だから、まだ約三ヶ月ある。怪我をしていたりすれば別だが、なんらかの形で実戦を入れて最後の仕上げをしたいのは誰もが同じだろう。全国レベルの大会となると三月の高校選抜ぐらいしかないが、幸い君たち大学生や社会人も四月以降に合同記録会や、国体の都道府県予選とかが入ってくるんじゃなかったか?」
「はい、そうです」
うわ、ほんとに勉強してくれてるんだ。
ウエイトリフティングの話題ということもあって、七笑の顔からも険しい表情がすぐに消えていった。
「あたしは合同記録会と国体予選、両方出るつもりです。試合してた方が楽しいですし」
「なるほど、君らしいな。そして一ヶ月後にいざ本番、というわけだ」
「はい」
「頑張ってくれ。応援している」
「はい! ありがとうございます!」
すっかり機嫌を直した七笑は、「あ、そうだ」とスマートフォンを出してアリーを立ち上げた。ALLについて調べているという司の言葉がふたたび脳裏をよぎったが、アリーは関係ないと彼自身も言っていたし、問題ないはずだ。そもそも七笑自身が、彼女を心から信頼している。
いつものように、ショートカットのシルエットが画面一杯に浮かび上がった。
《どうしました、七笑さん?》
「うん、ちょっとスケジュールで確認したいことがあって。ねえアリー、今年の春の合同記録会って、何日になってたっけ?」
優秀なデジタル・セクレタリーは一秒の間も置かず、すぐに教えてくれた。
《四月六日、七日の二日間となっています。会場は駒沢オリンピック公園体育館で、例年通り帝都女子体育大、
「オッケー。じゃ、いつもどおりだね」
《そうですね。四月の第一土曜日、日曜日というのは例年と変わりませんし、会場も昨年、一昨年と同じです。全日本選手権前の貴重な実戦の場ですし、頑張ってください》
「うん。ありがとう」
そこで終わるかと思いきや、《ところで七笑さん》とアリーが言葉を続けてきた。
「どうしたの?」
《現在の位置情報によれば、お車でさいたま市方面へと向かわれていますね?》
「そうだけど?」
《七笑さんは、運転免許を持っていらっしゃいますが、普段は徒歩や公共交通機関での移動ばかりです》
「うん」
《そして最近の通話、通信履歴、さらにご出発前の部屋での状況などから察するに――》
「な、何よ」
嫌な予感がした。この賢すぎる友人、また余計なことを言い出すのでは……。
《司健さんと、ドライブ中と推察します》
「そ、そうですが、それがなんでしょうか?」
平静を装うつもりが、またしても敬語になってしまった。だがアリーはそこには反応せず、数十分前に部屋で聞いたような、いや、あれ以上に朗らかな声で続けたものである。
《デートですか? どうぞ楽しんでくださいね。ご要望があれば、近隣のレストランやプレイスポット情報も、いつでも提示させていただきます》
「病院です!」
《え?》とシルエットが首を傾げたような気もしたが、七笑は有無を言わさずアプリを閉じた。直後におそるおそる司にも顔を向けたが、彼は軽く肩をすくめただけで、淡々と運転を続けていた。
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