「鈴野さんが、ウエイトリフティング競技を始めたきっかけは?」


 当然下調べは済んでいるはずだが、司が本当に興味津々といった顔で最初の質問を投げてくれたので、七笑も乗せられるようにスムーズに答えることができた。


「あたし、高校一年までは体操部だったんです。でも全国レベルの強豪校だったから、凄く競争が激しくて」


埼玉光栄さいたまこうえい学園だったな。体操はもちろん、水泳や陸上競技でもオリンピック選手を輩出している名門だ。俺でも名前は知っているよ」

「はい。それで案の定、団体戦のメンバーにすら入れなくて凹んでた一年生の冬に、新設の女子ウエイト部の顧問の先生が、スカウトしてくださったんです」

「なるほど」

「あとから知ったんですけど、体操出身のウエイト選手って結構多いらしくて」

「ほう。なぜ?」

「体操選手って、他の競技に比べて柔軟性や身体のコントロールに優れていて、しかも体幹たいかんが強いんですけど、それってウエイトリフティングにもすごく大事な要素なんです」

「体幹という言葉は最近よく聞くけど、身体から手足を除いた胴体の部分っていうこと?」

「はい」

「そこが強いということは、つまりバーベルを支える土台が、もともとしっかりしてるっていう解釈でいいのかな?」

「そのとおりです。でもバーベルだけじゃなくて、身体の動き自体の土台でもあるんです。今言われた手足だって、根っこは胴体に繋がっていますよね? 鞭が綺麗にしなるのと同じで、体幹が安定していると素早くてスムーズな動きができるんですよ」

「ああ、なるほど。バーベルを素早く受け止めたりする動きにも、関係してくるわけだ」

「はい!」


 聞き方、上手いなあ。


 話しながら、七笑は素直にそう思った。司の質問はわかりやすく、しかもタイミングがいいので、こちらも気持ちよく話すことができる。スポーツは専門外だし興味もないと豪語していたが、少なくとも今はまったくそんなことが感じられない。


「スカウトされたとはいえ、ウエイトリフティング転向をすんなり受け入れたということは、筋力に相当自信があったとか?」

「自信ってわけじゃないですけど、体操時代からたしかにジャンプ力はありました。床運動とか跳馬は、得意種目でしたし。反対に上半身を沢山使う、段違い平行棒とかは苦手で」

「上半身の筋力はない、と?」

「はい」

「なのに、ウエイトリフティングにすんなり適応できたのか?」


 司の表情を見るに、演技などではなく純粋に疑問に思っているようだ。眉を寄せて首を傾げる仕草がなんだか少年のように見えたので、七笑は笑いながらつっこんだ。


「司さん、あたし自身についてはストーカーみたいに調べてるくせに、ウエイトの競技そのものについては、あんまり勉強してないでしょう?」

「あ、いや……すまない」


 返事もまた素直なものだったので、ますます笑ってしまった。


「ウエイトは、上半身はほとんど使わないんです。脚力で上げるんですよ」

「え? そうなのか?」

「はい。だって、ときには百キロを越えるような重さを、上半身だけで引っ張り上げられるわけないじゃないですか。床を力強く踏んで、その反発力を上手に使うんです。だから、ジャンプの動きにも通じるんです」

「ああ、力学でいうところの、作用反作用の法則か」

「あ、そうです! それです!」


 七笑自身は物理は苦手科目だったが、高校時代の先生や久保田がバーベルが上がるメカニズムをわかりやすく教えてくれたお陰で、ウエイトリフティングに繋がる力学用語だけはよく理解していた。


 何度も頷いた司は「ちなみに、ストーカーってわけじゃないが」と苦笑しながら、いつの間にか取り出していた手元のノートに、ちらりと目を走らせた。


「だから、垂直跳び七十五センチというわけか。これってすごい記録なんだろう? NASCの女子選手測定記録では、歴代トップタイだとか」

「!! そんなことまで知ってるんですか?」

「ウエイト連盟にも一応、取材申請をしたんだ。そうしたら君がインタビューを受けるなんてめずらしいから、ぜひいろいろ聞き出しておいてくれと逆に発破をかけられてね」

「そ、そうですか」


 相変わらず、連盟の広報部は七笑を広告塔にしたいらしい。困ったものだ。


「で、頼みもしないのに君のプロファイルやエピソードが、メールで沢山送られてきたんだ」

「あたしの体力測定の記録まで?」

「いや、エピソードの一環としてね。NASCで行われた女子選手の合同体力測定で、一人だけぶっちぎりのジャンプ力を披露して喝采を浴びたと」

「はあ」


 言うとおりの出来事が数ヶ月前にあったのは、事実ではある。とはいえ、それだけの話だ。


「同席していた女子バレーボール代表の監督が、なかば本気でスカウトしそうになったとも書いてあった」

「外国人監督のかただし、大げさなリアクションだっただけですよ。今からまたバレーボールに転向して、ものになるわけないじゃないですか」


 七笑は大きく、首と手を振ってみせた。


「それに――」


 目の前の記者を見つめ返して、にっこりと続ける。


「あたし、ウエイトが大好きですから。今のところ、辞める気なんてこれっぽっちもありません」


 自然と口にした台詞だったが、司も「君らしいな」と目を細めて深く頷いてくれた。


「もう少し、続けてもいいかい?」

「はい、もちろん」

「じゃあここからは、君と指導者の関係について聞かせてくれ。鈴野さんはどんな大会のあとでも、コーチに恵まれました、先生方に感謝しています、といったコメントを必ず残しているね」

「うわ、インタビューの答えとかまで全部、連盟は送ってきたんですか?」

「いや、これは俺が自分で調べたんだ。言っただろう? 一人のアスリートとして、きちんと取材させてもらうと」

「……ありがとうございます」


 こちらをじっと見つめる視線に、また強い光と好奇心が宿っていたので、七笑はさり気なく目を伏せた。ちょっぴり顔が熱い。


「それだけ、監督やコーチとの絆は強いってことかな」

「あ、はい!」


 続けられた声に、あわてて顔を上げる。


「高校からずっと頑張れているのは、やっぱり先生方がいい指導をしてくださるからです」

「その高校のときから、久保田さんとは顔見知りだったと聞いたけど?」

「ええ。顧問の先生も久保田先生の昔の教え子さんで、その繋がりで月に一、二回特別コーチとして来てくださって」

「ほう。そういう出会いだったのか」

「はい。お陰で特に高校のときは、ぐんぐん記録を伸ばすことができたんです。今もですけど、本当にまわりの人に恵まれていると思います」


 七笑の脳裏に、高校時代の匂いや風景が甦る。新設の、それも女子部しかないウエイトリフティング部で、部員は七笑を含めたったの五人しかいなかった。練習場所は、古いバーベルと手作りのプラットフォームが置いてある小さなプレハブ。そこでかけがえのない仲間たちと、来る日も来る日もバーベルを上げ続けて過ごしたのだ。「あたしたち、日本で一番バーベルと仲良しの女子高生かもね」などと、よく皆で笑ったものである。大学まで競技を続けたのは七笑ともう一人だけだが、所属や立場に関係なく彼女たちとは今でも連絡を取り合っている。


「充実していたんだな」


 遠くを見るような七笑の表情に、司はふたたび目を細めてくれた。


「はい。とっても!」

「で、瞬く間にウエイトリフティングに魅せられた君は、高二の夏に全国高校女子選手権、言わば女子のインターハイで初出場にして準優勝という鮮烈なデビューを果たした、と」

「無我夢中で試合してて、気がついたらって感じでしたけど」


 鮮烈かどうかはわからないが、仲間たちがとても喜んでくれたことをよく覚えている。何よりも、県予選も含めて皆でウエイトの試合に出ることそのものが、とても楽しかったことを。


「団体戦も、楽しかったなあ」


 七笑のつぶやきを聞いた司が、「ん?」という顔をした。


「団体戦?」

「あ、はい。ウエイトって団体戦もあるんですよ。順位ごとにポイントが決められていて、各階級の代表選手の合計ポイントで競うんです」

「へえ。それは盛り上がりそうだ」

「ええ。団体戦のある大会って少ないんですけど、あたしは大好きです。みんなで戦ってる実感があって」

「でもそれは、違う階級にそれぞれエントリーできるくらい、選手が揃っていることが前提だろう?」 


 質問を聞きながら、七笑はあらためて思った。


 やっぱりこの人、頭がいい。


「ええ。ただでさえ競技人口が少ないスポーツの、しかも女子種目ですから、団体戦にエントリーできない学校も少なくありません。でもエントリー人数は上限しか決まっていない場合が、ほとんどなんです」

「てことは、例えば二人で団体戦に臨むチームもあれば、五人で臨むチームもあるということ?」

「はい。でも二人だけでも、それぞれが自分の階級で優勝すれば獲得ポイントは大きいわけです。だから一概に、人数だけで勝負が決まるわけじゃないんです」

「そういうことか。じゃあ今も君が出る場合は、帝都女子体大の四十九キロ級は、高ポイントが確実ということだな」

「う~ん、どうなんでしょう。まあ毎回、チームメイトは表彰台以内のポイントは期待してくれてるみたいです」


 それはそれでなかなかプレッシャーがかかるのだが、七笑はいつもチームメイトからの期待に応えてきた。応援されるほど力を発揮するという、ある意味お調子者の性格もあるのかもしれないが。


 眉をハの字にして謙遜する姿を見て、司は軽く笑って質問を続けてくれる。


「その階級だけどウエイトを始めたときからずっと、一番下の四十九キロ級?」

「はい。ルールが変わる前は四十八キロ級でしたけど、なんにせよ一番軽い階級です。背も小さいですし、もともと体重が増えにくいみたいで。だから減量の心配もいりません」

「へえ」


 答えた司は二、三度頷いてから、七笑の上半身にさっと視線を走らせた。


「な、なんですか」

「いや、失礼。そういう要素もあるんだな、と思ったんだ。申し訳ないが、君の言うとおり勉強不足だったからな。ウエイトリフティングが階級制で、選手によっては減量をする必要があることなんて、すっかり想定外だった」

「階級を上げると当然、競い合う重量も大きくなりますから。あえて下の階級で勝負するために、試合前とかはかなり食事に気を使ってる仲間もいますよ。でもたしかに、そんなことまで知ってる人って少ないかも」

「大変だな。ボクサーみたいなものか」

「まあ、あそこまで極端ではないでしょうけどね」

「いや、でも貴重な話だ。君の言葉どおりウエイトリフティング選手が減量で苦労することもあるなんて事実は、知らない人が多いと思う。まさにそういう部分を記事の中で、伝えていきたいと思っているんだ。もちろん記事をきっかけに、鈴野七笑という選手やウエイトリフティングそのものに、興味を持ってもらえるように」

「は、はい。ありがとうございます」


 力強い目線とともに語られて、七笑はまた俯いてしまった。


 ――ほんとに、ちゃんとした記者さんなんだ。


「よし、こんなところでじゅうぶんかな。逆に君の方から、是非語っておきたいことはあるかい?」

「いえ、大丈夫です」


 視界の端でスマートフォンのカバーが閉じられたので、なんとか気を取り直すことができた。 

 すると、


「七笑ちゃん?」


 顔を上げたタイミングで、近くを通りかかった男性から声をかけられた。

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