第三章  襲撃

 十日ほど後。


 司との待ち合わせ時間を確認しようと、七笑はアリーを立ち上げた。


《おはようございます、七笑さん》

「おはよう、アリー。今日の司さんとのインタビュー、二時半にNASCでいいんだよね?」

《はい。十四時三十分から二階のカフェラウンジで、三十分ほどの予定です。そのあとは十五時半から、そのままNASCトレーニング体育館で練習です》

「オッケー、ありがとう。じゃ、今日もよろしくね」


 そうしてアプリを閉じようとしたとき、《あ、少々お待ちください》とアリーが若干、急いだ声で言葉を続けてきた。


「え?」


 待てと言われたこともそうだが、そんなリアクションまで人間っぽいことにも、同時に驚かされた。


 ほんとに、〝中の人〟でもいるんじゃないの?


 しげしげと画面を見つめる七笑に、落ち着いた口調に戻ったアリーが告げた。


《こんなニュースが報道されています。七笑さんも、どうぞお気をつけて。では、失礼します》


 スマートフォンの画面が、自動的にウェブブラウザに切り替わる。

 それを見た七笑の口から、「あっ!」という声が漏れた。



【アスリート襲撃事件、またも発生 今度はバドミントン須藤選手】

 先月から連続発生中のトップアスリート襲撃事件が、昨晩またしても発生した。今回の被害者は女子バドミントンの人気選手、須藤すどう悠里ゆうりさんで所属する実業団チームでの練習からの帰路、これまでの事件と同じように背後から突き飛ばされたという。一緒に歩いていた友人によれば、犯人は上下とも黒いジャージ姿で顔にもマスクとキャップを着用していたため、目立った特長はわからなかったとのこと。幸い須藤選手は膝を軽く擦りむいた程度で、大きな怪我には至っていない。



 読み終えるのと同時に、スマートフォン本体が手の中で大きく震えた。発信者名は――司健。


「もしもし?」

「君は大丈夫か?」


 用件も言わず、司はいきなり確認してきた。彼もニュースを見たのだろう。


「はい、ありがとうございます」

「そうか。良かった」


 優しい声音から、この前以上に心配してくれていることがわかった。それもあって、七笑も素直に続けることができた。


「でも正直、ちょっと怖くなってきました……」

「だろうな。念のため今日は、俺が車で送り迎えしよう。家はどこだ?」

「え?」

「ああ、いや、教えるのが嫌ならいいが、できれば送り迎えさせて欲しい。君を守るためにも」

「ありがとうございます。でも、帰りは大丈夫ですよ。インタビューが終わったあと、トレーニングがあるので」


 だが意外にも司は、「帰りの方が危ないだろう。夜なんだから」と譲らなかった。


「でも司さんは、それまでどうするんですか?」

「君のインタビューを、原稿に起こしながら待っている。どうせ会社に戻ってやらなきゃいけないことなんだ。むしろその場ですぐに取りかかれて、仕事がはかどるよ」


 記者らしく、パソコンを持ち歩いているのだろう。


「ほんとに、いいんですか?」

「ああ。むしろ、俺にとっても好都合なんだ」

「ふーん」


 そんなものかと思いつつ、七笑も素直に好意に甘えることにした。夜道を送ってもらえるなら、それに越したことはない。


「じゃあ、よろしくお願いします。といっても近いですけどね。あたし、赤羽あかばねで一人暮らしなんです」


「赤羽? なんだ、NASCのそばなのか?」

「はい。そんなに都会じゃないですけど、大学にも近くて練習に集中できるので、強化指定に選んでいただいたときに引っ越したんです。家賃も手頃だし」

「そうか。素晴らしいな」

「え?」

「本気でオリンピックに出たいって気持ちが、表れているような気がするよ。前向きな姿勢が君の持ち味だと、久保田さんも仰っていた。そういうのは素敵だと、俺も思う」

「ど、どうも」

「じゃあ一時間前ぐらいに、部屋の近くまで行こう。それでいいか?」

「はい、ありがとうございます!」




 昼過ぎに現れた司の車は、意外な車種だった。

 七笑の住むマンションには駐車場がないので、「ちょっと先の、道幅の広いところでハザードを焚いている。赤い車だ」との電話に従って敷地を出ると、一時停車中の真っ赤なミニクーパーがすぐに見つかった。運転席のウインドウが降りて、司が小さく手を挙げている。


「わあ! 顔に似合わず、可愛い車に乗ってるんですね」


「お邪魔します」と乗り込みながら、つい率直な感想を口にしてしまった七笑だが、言われ慣れているのか、司は軽く肩をすくめただけである。


「ほっといてくれ」

「ミニクーパー、好きなんですか?」

「ん? ああ」

「何か、思い入れがあるとか?」


 昔の彼女が好きだったとか? とからかってやりたくなったが、さすがに踏みとどまった。


 ていうかこの人、付き合ってる女性とかいるのかしら?


 シートベルトを締めた七笑は、運転席の姿をさり気なく確認してみた。だがペアアクセサリーっぽい物などは、司の身体には何も見当たらない。もちろん、左手に指輪があるわけもない。


 七笑の視線に気づかないまま、ハザードランプを消してふたたびエンジンをかけた司は、ちらりと視線を投げてから答えた。


「『アーバン・スイーパー』だ」

「は?」

「知らないのか? 新宿を舞台に凄腕のトラブルシューターが活躍する、南条アキラの名作コミックだ。その主人公が、赤いミニクーパーに乗っている」

「……あの、司さんてオタクだったんですか?」

「そういうわけじゃない。むしろアーバン・スイーパーを知らない方が、めずらしいだろう。アニメやドラマ化もされているぞ。ジャージで出歩いてバーベルばっかり持ち上げてる女子は、これだから困る」

「バ、バーベルは関係ないでしょ! そっちこそ、ほっといてください」


 ついジャージで出歩いてしまうのは図星だったが、悔しいのでそこはスルーしておく。


「まったくもう。なんで直接会うと、こんなに失礼な人になるんですか」

「別に、これが普通だ」

「はいはい、わかりました。もういいです。普通に失礼な司さん、早く行きますよ」

「……運転するのは、俺なんだが」


 いつの間にか前回と同じような調子のやり取りになっていたが、そのお陰か七笑の心から、今朝感じたささやかな恐怖心がするりと消え去っていった。いざ出発したあとも、師匠の久保田が無事退院してきたことや、亜美が今日からチーム練習に復帰したらしいことを笑顔で伝えたほどである。


 ドライブとすら呼べない十分ほどの乗車の後、二人は無事NASCに到着した。そのまま、エントランスロビーから直接階段で行ける二階のカフェラウンジへと上がる。ここは特に入館許可がいらないエリアなので、取材や合宿中のアスリートへの面会によく使われる場所だ。


「じゃあさっそくだけど、インタビューを初めてもいいかな。三十分もかからないと思う」


 初めて会ったときと同様、「経費で落とせるから」と二人ぶんのアイスコーヒーを買ってきてくれた司が、スマートフォンのボイスレコーダーを立ち上げて言った。


「はい。いつでもどうぞ」

「OK。では、よろしくお願いします」

「お、お願いします」


 めずらしく丁寧な言葉をかけられたので、七笑はぎこちない会釈を返す羽目になった。だが司はそれをからかうようなこともなく、軽く微笑んでいる。


 あ。


 顔を上げて、すぐに気がついた。目が合った彼の瞳が、強くきらめいたように見えたからだ。何かスイッチが入ったらしいときの、あの光だった。


 インタビューがスタートした。

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