第三章 襲撃
1
十日ほど後。
司との待ち合わせ時間を確認しようと、七笑はアリーを立ち上げた。
《おはようございます、七笑さん》
「おはよう、アリー。今日の司さんとのインタビュー、二時半にNASCでいいんだよね?」
《はい。十四時三十分から二階のカフェラウンジで、三十分ほどの予定です。そのあとは十五時半から、そのままNASCトレーニング体育館で練習です》
「オッケー、ありがとう。じゃ、今日もよろしくね」
そうしてアプリを閉じようとしたとき、《あ、少々お待ちください》とアリーが若干、急いだ声で言葉を続けてきた。
「え?」
待てと言われたこともそうだが、そんなリアクションまで人間っぽいことにも、同時に驚かされた。
ほんとに、〝中の人〟でもいるんじゃないの?
しげしげと画面を見つめる七笑に、落ち着いた口調に戻ったアリーが告げた。
《こんなニュースが報道されています。七笑さんも、どうぞお気をつけて。では、失礼します》
スマートフォンの画面が、自動的にウェブブラウザに切り替わる。
それを見た七笑の口から、「あっ!」という声が漏れた。
【アスリート襲撃事件、またも発生 今度はバドミントン須藤選手】
先月から連続発生中のトップアスリート襲撃事件が、昨晩またしても発生した。今回の被害者は女子バドミントンの人気選手、
読み終えるのと同時に、スマートフォン本体が手の中で大きく震えた。発信者名は――司健。
「もしもし?」
「君は大丈夫か?」
用件も言わず、司はいきなり確認してきた。彼もニュースを見たのだろう。
「はい、ありがとうございます」
「そうか。良かった」
優しい声音から、この前以上に心配してくれていることがわかった。それもあって、七笑も素直に続けることができた。
「でも正直、ちょっと怖くなってきました……」
「だろうな。念のため今日は、俺が車で送り迎えしよう。家はどこだ?」
「え?」
「ああ、いや、教えるのが嫌ならいいが、できれば送り迎えさせて欲しい。君を守るためにも」
「ありがとうございます。でも、帰りは大丈夫ですよ。インタビューが終わったあと、トレーニングがあるので」
だが意外にも司は、「帰りの方が危ないだろう。夜なんだから」と譲らなかった。
「でも司さんは、それまでどうするんですか?」
「君のインタビューを、原稿に起こしながら待っている。どうせ会社に戻ってやらなきゃいけないことなんだ。むしろその場ですぐに取りかかれて、仕事がはかどるよ」
記者らしく、パソコンを持ち歩いているのだろう。
「ほんとに、いいんですか?」
「ああ。むしろ、俺にとっても好都合なんだ」
「ふーん」
そんなものかと思いつつ、七笑も素直に好意に甘えることにした。夜道を送ってもらえるなら、それに越したことはない。
「じゃあ、よろしくお願いします。といっても近いですけどね。あたし、
「赤羽? なんだ、NASCのそばなのか?」
「はい。そんなに都会じゃないですけど、大学にも近くて練習に集中できるので、強化指定に選んでいただいたときに引っ越したんです。家賃も手頃だし」
「そうか。素晴らしいな」
「え?」
「本気でオリンピックに出たいって気持ちが、表れているような気がするよ。前向きな姿勢が君の持ち味だと、久保田さんも仰っていた。そういうのは素敵だと、俺も思う」
「ど、どうも」
「じゃあ一時間前ぐらいに、部屋の近くまで行こう。それでいいか?」
「はい、ありがとうございます!」
昼過ぎに現れた司の車は、意外な車種だった。
七笑の住むマンションには駐車場がないので、「ちょっと先の、道幅の広いところでハザードを焚いている。赤い車だ」との電話に従って敷地を出ると、一時停車中の真っ赤なミニクーパーがすぐに見つかった。運転席のウインドウが降りて、司が小さく手を挙げている。
「わあ! 顔に似合わず、可愛い車に乗ってるんですね」
「お邪魔します」と乗り込みながら、つい率直な感想を口にしてしまった七笑だが、言われ慣れているのか、司は軽く肩をすくめただけである。
「ほっといてくれ」
「ミニクーパー、好きなんですか?」
「ん? ああ」
「何か、思い入れがあるとか?」
昔の彼女が好きだったとか? とからかってやりたくなったが、さすがに踏みとどまった。
ていうかこの人、付き合ってる女性とかいるのかしら?
シートベルトを締めた七笑は、運転席の姿をさり気なく確認してみた。だがペアアクセサリーっぽい物などは、司の身体には何も見当たらない。もちろん、左手に指輪があるわけもない。
七笑の視線に気づかないまま、ハザードランプを消してふたたびエンジンをかけた司は、ちらりと視線を投げてから答えた。
「『アーバン・スイーパー』だ」
「は?」
「知らないのか? 新宿を舞台に凄腕のトラブルシューターが活躍する、南条アキラの名作コミックだ。その主人公が、赤いミニクーパーに乗っている」
「……あの、司さんてオタクだったんですか?」
「そういうわけじゃない。むしろアーバン・スイーパーを知らない方が、めずらしいだろう。アニメやドラマ化もされているぞ。ジャージで出歩いてバーベルばっかり持ち上げてる女子は、これだから困る」
「バ、バーベルは関係ないでしょ! そっちこそ、ほっといてください」
ついジャージで出歩いてしまうのは図星だったが、悔しいのでそこはスルーしておく。
「まったくもう。なんで直接会うと、こんなに失礼な人になるんですか」
「別に、これが普通だ」
「はいはい、わかりました。もういいです。普通に失礼な司さん、早く行きますよ」
「……運転するのは、俺なんだが」
いつの間にか前回と同じような調子のやり取りになっていたが、そのお陰か七笑の心から、今朝感じたささやかな恐怖心がするりと消え去っていった。いざ出発したあとも、師匠の久保田が無事退院してきたことや、亜美が今日からチーム練習に復帰したらしいことを笑顔で伝えたほどである。
ドライブとすら呼べない十分ほどの乗車の後、二人は無事NASCに到着した。そのまま、エントランスロビーから直接階段で行ける二階のカフェラウンジへと上がる。ここは特に入館許可がいらないエリアなので、取材や合宿中のアスリートへの面会によく使われる場所だ。
「じゃあさっそくだけど、インタビューを初めてもいいかな。三十分もかからないと思う」
初めて会ったときと同様、「経費で落とせるから」と二人ぶんのアイスコーヒーを買ってきてくれた司が、スマートフォンのボイスレコーダーを立ち上げて言った。
「はい。いつでもどうぞ」
「OK。では、よろしくお願いします」
「お、お願いします」
めずらしく丁寧な言葉をかけられたので、七笑はぎこちない会釈を返す羽目になった。だが司はそれをからかうようなこともなく、軽く微笑んでいる。
あ。
顔を上げて、すぐに気がついた。目が合った彼の瞳が、強くきらめいたように見えたからだ。何かスイッチが入ったらしいときの、あの光だった。
インタビューがスタートした。
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