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噂をすれば、ではないがNASCを出たところでスマートフォンをチェックすると、司からメールが届いていた。申し訳ないが時間のあるときに電話が欲しいという旨が、またしても丁寧な文面で記されている。
その場で七笑は、彼の連絡先を呼び出して電話をかけた。念のため、名刺に書かれていた電話番号も登録しておいて良かった。
呼び出し音がちょうど二回鳴り終わったところで、司の声が聞こえてきた。
「もしもし?」
「あ、司さんでしょうか? 鈴野です」
「ああ、どうも」
「メール、確認させていただきました。それでお電話差し上げたのですが――」
彼の文章に影響されたのか、自分までやたらと丁重な言葉遣いになってしまい、七笑はこっそりと鼻の頭にしわを寄せた。
もちろんこちらの表情はわからないだろうが、返ってきた司の言葉は、初めて聞く優しげなものだった。
「わざわざありがとう。それで、君は大丈夫なのか?」
「は?」
「今、どこにいる? 無事か?」
「ええっと、今はNASCです。無事というか至って元気です、はい」
何言ってんの、この人?
だが、すぐに理解した。
「あ、ひょっとして――」
「なでしこジャパンの鰐淵選手が、襲われたんだろう?」
予想どおりだった。ああ見えて、司は七笑のことも心配してくれているらしい。
「君は別に、事件に巻き込まれたりしていないんだな?」
「ええ。もちろんです。ありがとうございます」
「そうか、何よりだ。NASCってことは、さっそく彼女のお見舞いに?」
「はい。ちょうど今、会ってきました。打撲だけだそうですし、なでしこの合宿にも予定どおり参加しています」
「それは良かった」
一昨日とはうって変わって、なんだかいい人になっている。あのときがたまたま、機嫌が悪いだけだったのだろうか。
変な人、と肩をすくめつつ、七笑の頭に別の疑問が浮かんだ。
「あれ? でもなんでワニちゃんのお見舞いに、って思ったんですか?」
「仲良しなんだろう? ネットやスポーツ雑誌で君のことを調べたら、書いてあった」
彼の答えを聞いて、ちょっぴりいたずら心が湧いた。今日はなんだか優しいし、言ってやろう。
「それって、ウエイトやあたしに興味が出てきたってことですか? じゃなかったら、単なるストーカーとか?」
「何をアホなことを。一応、君が取材対象だからだ」
「…………」
アホ呼ばわりの上、またしても「一応」扱いである。
……やっぱり、一昨日とおんなじじゃない。
見直しかけて損したわ、ともう一度顔をしかめていると「というわけで」と続けた司は、意外なことを言い出した。
「鈴野さん、うちのサイトで正式に取材させてもらえないか?」
「へ?」
「インタビュー形式なんだが」
「インタビュー?」
「ああ」
「あたしに?」
「そうだ」
「何を?」
「…………」
スピーカーの向こうから、「大丈夫か、この子」というつぶやきが聞こえたような気もするが、七笑が文句を言うよりも先に気を取り直した声が流れてきた。
「うちのサイトで、連載形式のインタビュー記事を予定しているんだ。パリオリンピックを目指すマイナー女子アスリートたちの奮闘ぶりを、本人の口から語ってもらうという内容でね。で、せっかく知り合ったことだし、よければ第一回に出て欲しい」
「はあ」
亜美が言っていたとおり、七笑自身はインタビューや取材が大の苦手である。聞かれたことには素直に答えられるのだが、なんというか、それこそ亜美のような魅力もない自分の顔や姿が大勢の人に見られると思うと恥ずかしくて仕方がない。しかもウエイト連盟の広報部が持ってくるインタビュー依頼はなぜか、「赤丸急上昇中の、キュートなウエイト姫に迫る!」みたいな企画ばかりなのだ。競技の認知度を上げようとする努力はわかるが、マイナーアイドルを売り込む弱小芸能事務所みたいになっている気がしないでもない。
だが今は、なぜか別の感想が頭に浮かんだ。
なんだ、ちゃんと仕事してるじゃん。
あのやる気のない、かつ失礼な態度が第一印象だったため、こうして司からきちんと仕事の話をされるのが、なんだか新鮮に感じる。
無意識のうちに、七笑は少し顔をほころばせていた。
「君に関する記事はこれまでもあまりないようだし、どうやらインタビュー嫌いっぽいこともわかっている。だから無理強いはしない。ただ、その気になったらぜひ連絡してくれ。そうだな、一週間後までに決めてくれればいい」
「あ、はい」
「もちろん、マイスポはきちんとしたスポーツメディアだ。俺自身が責任を持ってインタビューさせてもらうし、あくまでも一人のアスリートとして君を紹介する。文面も必ず事前にチェックしてもらう。そこは信じて欲しい」
「はい」
ふたたび笑みが浮かんでくる。少なくとも仕事に関しては、司は誇りを持って真摯に取り組んでいるようだ。
「まあ、そんな感じで焦らずに考えておいてくれ。ああ、あと――」
「?」
ん? と眉を上げたところで耳にもう一度、優しい声がかけられた。
「本当に、君も気をつけろよ。同一犯かどうかもわからないが、元アスリートだけでなく現役のトップ選手、それも女子選手が狙われたのも事実なんだし」
「はい、ありがとうございます!」
スマートフォンを耳に当てたまま、七笑は元気に頭を下げた。
焦らずに考えてと司は言ってくれたが、七笑は翌日にはもう「インタビューの話、お受けします。よろしくお願いします!」と、彼に電話をかけていた。
「司君が担当なら、絶対に大丈夫だ。彼はパソコン関係の記事で、いくつも賞をもらっているほどの男だぞ。しかも英語もフランス語も堪能だそうだ」
退院した足で直接指導に来てくれた師匠の久保田が、そう言って後押ししてくれたことも大きい。逆ストーカーではないが、「司健」という名前で試みに検索してみたところ、
《第三回メディア・情報評議会 総務大臣賞:司健『老人とウェブ ~全世代に愛されるインターネットメディアの在り方とは~』(ITモード 二〇二〇年七月号記事)
《文化庁デジタルハードレビュー大賞 特別賞:司健『自分の〝デジタル身の丈〟を知ろう』(ウェブコラム『失敗しないスマホ/タブレット選び』より)
《フランス大使館特別表彰:司健『触れてみよう! 日本のネット文化』(二〇二一年度 日仏学園中等部特別授業)
といった情報が、実際に表示されて驚いた。会社でやらかしたどころではなく、本当に優秀なIT記者だったのだ。
「司さんて、じつは凄い人なんですか!?」
スマートフォンの画面を見た七笑が驚くと、久保田はおかしそうに笑ったものである。
「まあ彼は、自分からそんなこと言わないからなあ。ああ見えて、遠山の金さんみたいなところがあるし。でも、イケメンでできる男だってことは、七笑もこの前会ってわかっただろう?」
よくわからない例えだし、見た目だけは悪くないこともたしかに認めるが、
「大臣から表彰されちゃうような、記者さんだったなんて……」
今度は素直に「記者さん」と呼びつつ、七笑はつぶやいた。言われてみれば、あの鋭い眼光やメールでの丁寧な言葉づかい、そして気遣いは「できる」男ならではのような気もする。
でもなんで、直接会うとああなのかしら。
一度しか顔を会わせていないものの、どうしてもあのやる気のない態度が、先に頭に浮かんでしまう。
今度のインタビューは、ちゃんとしてくれるといいな。
どこかの表彰式で撮られたらしい、きりっとしたスーツ姿の彼の写真を見ながら、七笑は小さく肩をすくめたのだった。
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