遊子らの明日を晴れと願う

幕間慶

各動点を少女A、Bとする。

 毎日が日曜日になった。

 この場合の日曜日というのは、仕事が休みの日という意味である。サービス業にはそんなもん関係ねえよと一ヶ月前までなら大型連休を死んだ目で迎えていた人たちもここ一週間ほどは童心に返ったように晴れやかな顔面を取り戻しているはずだ。そういった意味では、世界はきっとヒトが人として生き始めてから初めての心底からの安寧を手に入れていたかもしれない。昼夜問わずランダムに選ばれた家を原材料にしたキャンプファイヤーを家人含め楽しみ、大人の手が気まぐれに振り回した傘が傍を通りかかった人の目を突いたって、誰も泣いてなどいないのだから、世界はついに平和を迎えたのだ。

 軽く蹴り出した爪先に当たって転がっていったジュース缶から茶色く変色した液体がとぽとぽ溢れて道を作る。僕が手に入れたものではない。自販機は疾うに公開解剖の憂き目に合ってその腹の中身を恥じらいもなく晒し、内の内臓もとい缶ジュースはこじ開けた人々によって好きに持ち出され、ばら撒かれた。適当な物資集積所に行けば山と積まれた食料に並んでそのプルタブが引かれるのを待っている。誰かが口をつけたはいいものの途中で飽きて放り出していったのだろう。それを咎めるのはもはやナンセンスとされる。空は一面分厚く灰の色を垂れ込めさせて、太陽の位置取りも困難だった。

「そこ、ガラスを割るの。鍵取って」

「……割れない」

「さっき拾ったバールを使うの」

「あ、開いた」

 ひそりとした声が僕の鼓膜を撫でた。その宛先は僕ではないと見るまでもなく明らかだったが、妙な引力を持つ温度の声に引かれて持ち主を探した。潮風が鼻の先を舐める寂れた海沿いで、会話の発生源は防波堤に腰掛けた二人の少女だった。高さのある防波堤から投げ出した足の下にはテトラポッドがひしめいている。きっと夏の制服なのだろう、二対の白いカッターシャツと紺色のプリーツスカートはサイズに違いが無いように見えた。傍にはスタンドも立てずに横倒しに乗り捨てられた自転車が二台。両方ともシルバーの塗装に印象も何もあるかという普遍を体現したような何の変哲もないデザインで、あれが学校の自転車置き場に並んでいたらどうやって発掘すればいいのかわからないほどほとんど見分けがつかない。人間の女性の年齢を見積もるのは大変に難しいことだが、僕はその二人を手足の長さと横顔の雰囲気から高校生ぐらいだろうと見当をつけた。

 二人は尻の下にスポーツタオルを敷いて、顔を寄せ合って一人の手の中にある何かを一心に見つめていた。よくよく見ればそれはもう大部分の人類には必要不可欠なものとカウントされていたスマートフォンで、会話の内容から察するに何かゲームをしているらしいと知れた。

「……ここの暗証番号……」

「うーん……」

「この脱出ゲーム、攻略サイト無しでやるのはやっぱり厳しかったんだって」

「でもネット使えないじゃん」

「そおだけどお」

 「脱出ゲーム」という言葉には聞き覚えがあった。プレイヤーが密室に閉じ込められた状態からゲームはスタートする。密室の中に少しずつヒントと攻略ポイントが散らばっていて、アイテムを手に入れたり暗号を問いたりしながら鍵の掛かった外界への扉を開けるため奮闘するのだ。二人は寄せ合った肩どころか頬をくっつけるようにして一つの小さな画面を熱心に覗き込んでは、ああだこうだと二次元の部屋の中を探索して回っているらしい。

 きっとここらで人類の歴史は終わりでしょうという宣言が投げやりに放たれてから、世界は緩やかに理性の退化の一途を辿っている。しかしそれは崖から一気に転落するようなものではなくて、重力に背を押されて少し駆け足になるような小さな傾斜の坂道を下っているようだった。最初の二日はもちろん混迷を極めた。しかし興味深いことに、温められた料理が時間が経つと冷めるように、燃え上がった人々の暴挙は徐々に沈静化していき、そして誰も泣かない平和な世界が訪れた。原因はきっと様々だが、尤も大きなものは薬だろう。

 最初に綻びの糸が発見されたのは海外の青年の死亡事件だった。死亡というのもこの場合はどうにもしっくり来ない。なぜなら青年は砂のように崩れて消えてしまったからだ。だからきっと印象に素直になって称するならば消滅事件としたいところだ。都市伝説だと思われていたそれは、またたく間に全世界を実体を持って飛び回った。体の一部に突然罅が入り椿の花のようにぽとりと落ちて、拾い上げる間もなく砂のような細かな粉塵になって、それも風に吹かれて消えてしまう。誰が言い出したか、その現象は「風化」と呼ばれた。大抵肘先や膝下のような手足の損失から始まるそれは、血を流すこともない断面図から範囲を広げて、本人そのものを砂に返してしまう。砂になった人の表情に苦悶の文字は全く見当たらず、どころか笑って消える人もいた。そうして原因不明の「風化」は世界中に根を広げ、解決策も見いだせず、諦めて自分の番を待ちましょうと人類は匙を投げた。

 どんどん人が砂になってスペースが空いていく地球上に、終わりが目前に待つ日常で仕事をする人間は皆無に等しい。宣言を理解した瞬間紙幣は食えもしない紙切れと化した。銃社会では風化に怯えさっさと死んだ方がましだと叫ぶ人たちによる銃の奪い合いで人が死んだ。精神病を患っていた女が気力を無くした友人に自分の抗鬱剤を分け与え感情に膜を張ることを教えてやったところ、だんだんそれが広まって、毎日髪を抜いていた女は神様のように扱われるようになった。そういう薄っぺらい幸を授けてくださる神様がたくさん蔓延るようになった。

 一度死んだ電気や水道のようなライフラインは、しかし風化の広まる速度に見当がつかず衛生上の悪影響を懸念した心優しいボランティアの人々によって一部地域は日々の運用を再開した。とはいっても報酬が発生しないのだから、気まぐれで家を焼かれて発電所に住むついでにちょっと計器の様子を見ている、という程度らしい。つまりいつ止まってもおかしくはない状態だった。電力が足りない地域や食品を扱う店の冷蔵庫は使い物にならず、消費が追いつかなかった食べ物が腐った匂いが路上を霧のように覆っていた。

 少女二人の足元を埋めるテトラポッドがせき止めている波はどんよりと黒く濁って、砕ける飛沫とともに饐えた匂いを撒き散らしている。波間から時折水を吸って白い団子のようになった腕や背中が垣間見える。かもめは彼女らを見つけて降り立つも、見向きもしない様子に餌のおこぼれを諦めてまた飛び立っていった。

 彼女たちは体つきこそ似ていたが、髪の長さで違いは一目瞭然だった。肩に掠るくらいのセミロングの髪の少女が、小石を拾ってアスファルトに何かを書きつけ始めた。削れた石による白い線は粗い目のアスファルト上では可読性に乏しい。もうひとりの後ろ髪が少し跳ねているショートカットの少女が「太陽、四、風、十二、ダイヤモンド、六……」と読み上げるそれを書き連ねる。暗号を解く鍵のメモだろうか。

 彼女、少女、という呼称ではどうにも紛らわしさが払拭できないので、髪が長くメモをとっていた方を少女A、ショートカットでスマートフォンを操作している方を少女Bと仮に名付けることにした。閑話休題。

 小石を手放して振り返った彼女――少女A――と再び頬を寄せた少女Bがふと眼球の向きだけ動かして隣の顔を見た。擦れる産毛に擽ったいという苦情を申し立てる雰囲気ではない。色の薄い唇の隙間から這い出てきた舌が一度表面を湿らせて、また唇の内へ引っ込んでいった。

「そういえば私たち、処女のまま消えちゃうんだねえ」

「いいじゃん、これがほんとの処女喪失だよ」

「なにそれ、くだらねー」

「そもそも処女の定義ってなによう。ちんこじゃなきゃ処女のままなの?」

「あたしに聞かないでよ」

 理性の蓋を取り払い欲望の鍵を無くした世界にはたくさんの薬物が溢れた。病院で処方されていた正規の薬は勿論のこと、今までアンダーグラウンドでこっそり流通していたビビッドな夢を見せる薬も一気に大放出。赤字覚悟なんてラベルも無視して、掌の上には色とりどりの粉末や錠剤が乗せられた。独り占めしようとしたり、出し惜しんで他人をコントロールしようと企む人々も在ったが、自分の握れる数よりも横目に流される数の方が圧倒的に多く早々に誰も見向きしなくなってしまったらしい。誰だって砂漠の砂をどれだけ握ろうが気にしやしないのだ。そうして皆々幸せな光景を昼夜問わず仮初の世界に展開して、誰も泣かず誰も怒らず薄笑いを顔に貼り付けてついでに垂れた涎を拭うことを忘れた街が完成した。薬に手を出していない人間も勿論存在しているが、彼らはその分感情を失ったように生きている。

 インターネット上にも爆発的にウイルスが増えて、個人の端末などネットにアクセスした瞬間現在位置も個人情報も抜かれて公に晒し上げだ。理性という脳が溶ける少し前にほとんどの人間はインターネットと日常を切り離した。すっかりふやけた脳味噌で生きている人々が人口の大半でも、未だ薬を常用せず生の暴力のぶつける先や性欲を発散させる宛を探している人種というのも存在する。彼らは抵抗もしないサンドバッグよりも、陸に上げた魚のようにのたうち回って逃げようと藻掻く様が見たいのだ。彼女たちも先の口ぶりからして、それらの人間を避けるためインターネットの利用は控えているようだった。

 少女Bが膝下をぶらぶらと遊ばせて、通学用の靴が防波堤の側面を何度も叩く。そのうちローファーから踵を抜いて黒いハイソックスに包まれた爪先で引っ掛けるようにして弄んでいたが、一際強く吹いた風にバランスを崩して爪先からもすっぽ抜けていった。

「あ」

「あーあ」

 少しくたびれて艶を失った小さな革靴はテトラポッドの隙間に転がり落ちる。二人してその行方を目で探していたが、やがて諦めたのかほぼ同時に顔を上げた。

「何してんのさ」

「靴が逃げたんだよ」

「なにそれ」

 子供を極めたような言い訳をした少女Bの体を肘で軽く小突いて、ふと思い出したように少女Aがスカートのポケットを探る。取り出された鮮やかなパッケージに、僕はすわ薬だろうかと少し身構えたが何のことはない、ただのチョコレート菓子のようだった。甘い匂いが腐臭と潮の匂いの空気の中をくぐり抜けて鼻先を撫でる。目にした少女Bの顔が一気に輝いた。持ち主の指によって薄紙が剥かれる様を今か今かと待っている様子は餌皿を前に「待て」を命じられている犬そっくりだ。

「あ」

「あー」

 口を開けろという命の母音に応じて従順にぱっかりと開かれた唇の中へ、薄い板状のチョコレートを小さく割った欠片が押し込まれる。彼女のポケットの中、体温に近かったそれは少し溶けているのか、摘んでいた指に栗色が付着していた。親鳥のように菓子を与えた彼女は自分の分も割って口に運び、指先の汚れも舐め取って、まだ大半が残っているチョコレートを脇のアスファルト上に置いた。

 妙に生温く譲らない芯を持つ風に頬を打たれて僕は目を細めた。きっと台風がやってくるのだ。夏休みが終わったばかりのこの時期の少し迷惑な風物詩とも言える自然災害。本体が訪れる前の空気を裂いて唸る風の音を聞くと、心が浮足立って落ち着かない気持ちになる。何も分かっていない赤ん坊が振り回す玩具のように、根を張る場所を忘れたかのような内心のさざめきを持て余してしまう。彼女たちもその気配を察したのか空を振り仰いだ。

「台風かな」

「あー、そうかもね」

「アメリカだとハリケーンなんでしょ。牛とかも巻き込むでっかいやつ」

「へー。じゃああたしたちのことも一緒に飛ばしてくれないかな」

「ふーん?」

「そしたらどっか行けそうじゃない。台風っていつもどっか遠くから来てどっか遠くに行くじゃん」

「ヘルメットいるね。怪我しないように」

「じゃあ台風でどっか行く前にこれ脱出クリアしよう」

 風に吹かれる髪の毛を手で押さえる隣の体に凭れかかって少女Bがゲームの再開を提案する。彼女は髪が短いから邪魔にはならないのだろう。髪をまとめようと手首に嵌めていたゴムで奮闘している少女Aにはお構いなしに「はーやーくー」と急かしている。足を振るのは癖なのか、またぶらぶらと膝下を遊ばせるも彼女の踵を守っていた靴は片方しかない。早々に踵を勢いよくぶつけた痛みに悶絶していた。結局風が強すぎて上手くいかなかったのか、少女Aは髪を括ることを諦めて同じく画面を覗き込み、あれだこれだと二人で言い合いながらゲームを進め始めた。時折風に吹き上げられた彼女の髪が踊っていた。

「あっ」

 電子で構成された扉の鍵が解錠される音が鼓膜に届いて、波間に浮き沈みしているブイや養殖の名残だろうぼろぼろになった網を手持ち無沙汰に数えていた僕は振り向いた。驚嘆を含んで発された声はどちらのものかわからなかった。

 小さな画面を見下ろす二つの頭は動かない。流れてゆく映画のエンドロールを見つめるように、彼女たちがどれぐらいの時間と努力をゲームクリアに費やしたのかは知らないが、その終わりに到達した余韻から抜け出せずにいるようだった。

 二つ分の小さな呼吸と、ゲームのBGMのクラシック曲と、台風の前兆の子供の風と、水死体を抱いたまま打ち寄せては砕ける波の音。どれぐらい聞いていたか定かではないが、やがて遠くで微かに雷鳴が響いた。その音が氷を溶かしたようにようやく二人の強張っていた体から硬直が解かれる。

「脱出できちゃったね」

「終わっちゃった」

「ああ……」

 終わっちゃった。どちらともなく再びそう呟いたとき、ほんの僅かな亀裂の音が差し込まれた。うっかり聞き逃してしまってもおかしくはないその崩壊の音はしかし、誰の耳にも明らかだった。互いのどこだと二人の目が素早く走る。なだらかな喉が小さく震える。きっとその胸の内側には肋骨を破る勢いで叩く心臓が在るのだろう。

「あ……」

 落ちたのはスマートフォンを支えていた少女Bの手首だった。端末を握った指の形をそのままに地面に落ちた手首は、接地するなりざらりとその身を無くして灰色の塵になって、間断なく吹きつけていた強風に攫われて空気に散った。スマートフォンはアスファルトで一度跳ねて、テトラポッドの群れの中へ投身自殺を華麗なフォームで決めていた。

「うそっ」

 少女Aが小さく叫ぶ。そう言えば現実が言いなりになると祈るような声だった。

 先刻よりも大きな音で少女Bの体に罅が入る。落ちて失くなった右手首から縦に大きく割れ目が走る。震える少女Aと裏腹に当人であるはずの少女Bは、理科の実験で沸き立つフラスコの中身を観察するような目で、不思議そうに風化の進む自分の体を見下ろしていた。

「今じゃなくたっていいじゃない」

 少女Aが隣の肩を掴もうとしたのか両手を伸ばし、しかしそこから崩れていくのを恐れたのだろう、結局彼女に触れることはできなかった手は中途半端な高さで虚しく空を掻いた。

「だって、やっと親もいなくなったのに! あんたはあの家に居なくていいんだよ! やっと、やっとだよ、あたしたち」

 足を遊ばせる少女Bを窘めていた大人気取りを取り払って、少女Aは地団駄を踏んで泣き喚く子供のように叫ぶ。伸ばした黒髪を激しさを増した風に任せ、台風の前兆は彼女の裡の揺れる激情に呼応するようますます声高く唸りを上げる。白い羽毛を持つかもめの姿はもうどこにもない。

 言い表す言葉を見失ったのか、奥歯を音がしそうな程に噛み締めた片割れに、ようやく口を割った少女Bは場に似合わないふてぶてしさで胸を張った。細い肩を怒らせている少女Aは破裂寸前の風船のような張り詰めた空気を放っているのに、頓着した様子もなく傲岸不遜という言葉を体現するかのように言い放つ。

「あたしたちの為に世界が終わるんだ。これはあたしたちの革命だよ。あたしたちの勝ちだ」

 彼女たちの意思も意図も世界は知ったこっちゃない。赤旗を振りかざし先陣を切るわけでもなく、ゲバ棒片手にバリケードストライキを敢行するわけでもなく、偶偶起こった事象を都合よく自分たちの武器にする。彼女はこの世界に起きている風化という終焉の現象を自分たちの背景に敷こうという傲慢を全くの衒いなくぶち上げてみせる。僕からしてもなんとも馬鹿馬鹿しい思い上がりだったが、高さを増した波の音の中、言い切った彼女の言葉にはそうと思わせる力が香るのが妙に愉快だった。

 そうしている間にも彼女の罅割れは徐々にその道を進めている。手首から始まった罅は半袖の下へ入り込んでいた。

「あんたはさ」

 少女Bは唇の片端を吊り上げ不遜に笑う。

「あたしの名前呼んで、そんでもう二度と、誰の名前も呼ばないで」

 きっとそれは相手にとっては絶望の言葉だったのではないかと僕は想像する。

 私はお前を置いていくと宣言されて喜ぶ人間がいるものだろうか。

 案の定、告げられた言葉を理解するや否や少女Aの顔が泣き出すのを堪える寸前の、お世辞にも整っているとは言い難い表情に歪んだ。食い縛った歯の隙間から、大半を吐息で構成された呪詛にも近い恨み節の意を持つ言葉が絞り出された。

「ゆるさない」

 ピキ。

 誰かが息を止めた。

 少女Bの風化とは異なる音程の、ひどく顔を歪めていた少女Aの頬に小さな罅割れが走った音だった。

 彼女が白い指先でそこへ触れる。

 二人の目が大きく見開かれる。

 見守っているだけだった僕も、思わず立場を忘れて声を上げていた。同時に自身では如何ともし難い事象によって地面に崩れ落ちてしまっていたから、その衝撃も相まってというのは否めない。

「にゃあ」

 はっと二人の瞳がこちらを向く。四つの茶色がかった目玉が僕を見る。黒い毛を持つ僕がその球体の中に映し出される。すっかりぼろぼろになって元の色もわからなくなった首輪を彼女たちの瞳の中で久しぶりに見つけた。

「……ねこ」

 「風化」はほとんどの場合において自然に、そして突発的に発生する。自然発生の場合は手足のような比較的体の中心から離れていて、分断が容易な箇所から崩れていく。しかしほんのごく僅か、そうではないケースも噂として人々の口から耳へと流れていた。本人が風化を強く望んだ場合、手足ではなく、頭部や首、胸といった身体の核に近いところから風化が始まるというものだった。都市伝説の扱いだったそれは現実だったと僕の目の前で証明が行われている。

「小さな生き物はすぐに風化が進むって、ほんとだったんだ」

 僕の四肢はもう消えていた。彼女たちが見ている中、僕の四肢の付け根から頭に向かってどんどん砂になっていく面積は広がっていく。砂になったしりから吹き飛ばされて、いくらかでも彼女たちのところへ届けば僕は彼女たちの肺の中へ残るのかも知れないが、風向きはてんで真逆の方向だった。

 でも君たちが今見るべきは僕じゃない。

 ぎりぎり残った声帯を震わせて鳴いた僕の声が届いたのか、彼女たちは引きつけられるようにふっと互いへ目を戻した。

 アスファルトにぽつりと雨粒が落ちた。いつの間にかすっかり明度を落とした空は、今や重苦しい雲が立ち込め、埃っぽい匂いは避けられない予兆を運ぶ。

「ばっかじゃないの」

「知るか、ざまあみろ」

 二人は互いに手を伸ばして、背を抱いて、しがみついて、スカートから覗く膝を絡み合わせ、そして別々の形に唇が動く。僕の耳はもう砂になっていたから聞こえない。未練がましく二人を追い続けた目だけは最後まで残っていて、迫る風化に追い立てられて紡いだ音はわからないが、彼女たちが感情を忘れた世界で互いの喪失に憤って、泣いて、そして笑っていたことにひどく安堵して、そして僕は。

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