第十話 下灘ものがたり

 田園地帯を抜けると、線路脇の生い茂った草が車窓を隠す。

「ヒナミってさ。いっつもアクセサリー持ってるよね?」

 窓の外を見ていたミホは、体をヒナミの方をむけた。

 ヒナミは胸元から勾玉を取り出した。紐で首から下げ、服の中に入れていた。

「知ってたんだ。」

 いつも首から下げていたけれど、外に出さないようにしていた。特に学校では。

「なにか、大切なものなんですか?」

 チサトちゃんも、横からヒナミの勾玉をのぞく。

「うーん。昔ね、小学校に入る前、近所の砂浜にいったんだ。そしたら、亀が転がっててね、仰向けで。」

「亀って、仰向けになっても起き上がれるんじゃありませんでしたっけ。首の力で。」

 チサトちゃんがいった。

「うん。そうらしいね。でも、その亀は起き上がれなかったみたい。」

「それで、それで。」

 ミホが体を乗り出す。

「亀は海の方へ帰っていったんだけど、その後、波打ち際に落ちてた。」

「海に帰っていったってことは、海亀さんだったんですね。」

「見た目は海亀じゃないなんだけどね。手足があるし。」

 そういいながら、ヒナミは正面を見た。通路を挟んだむかい側の座席。緑色の椅子の上を亀が歩いていた。甲羅の大きさが十センチくらいの、小さな亀だ。

 ヒナミは二、三度まばたきをした。すると、亀は消えていた。


 列車がカーブを曲がると、視界が一気に開ける。

「わあ。」

 チサトちゃんの口か声が漏れる。

 山肌にしがみつくように敷かれた線路。車窓より眼下に広がるのは、漁港、そして青い海。

『まもなく、下灘。下灘です。』

 駅に到着した。

 運転士さんに切符を渡して、ホームに降りる。ヒナミたち三人しかいない。

 列車が発車すると、周囲は一気に静かになった。打ち寄せる波の音と、時おり通り過ぎる車の音だけが聞こえる。

 ベンチに座る。目に入るのは、青い空、青い海、かすんで見えるあの島は、何島だろうか。

「いいところ、ですね。」

 チサトちゃんが、ポツリといった。

「うん。いいところだよ。」

 ミホも、ポツリといった。

「この海のむこうにも、人は住んでいるんですよね。」

 チサトちゃんがいった。ヒナミは頭の中で日本地図を広げる。

「そうだね。むこう側は、山口県の防府の辺りだね。」

 ヒナミがいった途端、ミホが口を開く。

「ヒナミ、算数できないくせに、社会はすごいよね。」

「一応、ほめてもらったと思っとく。ありがと。」

 ヒナミはミホにむかって笑みを浮かべた。

「もしも、むこう側の誰かも、今、海を見ていて、私と同じように、きれいだなって思っていたら、ちょっと嬉しいな。」

 チサトちゃんはつぶやくようにいった。詩人だ。

「また、来ようか。夕日も綺麗らしいよ、ここ。それに、たぶん、星も綺麗だから、お母さんがいいっていったら、夜に来ようよ。」

 ヒナミは海を見ながらいった。広い広い海原を渡って来た風が、ヒナミの長い髪を揺らした。

「お弁当、食べよっか。」

 ヒナミはいった。

「ずっと、こうしていたいな。三人で。」

 膝の上にお弁当を広げながら、チサトちゃんがいった。


 一時間ほどで、松山いきの列車が到着した。ヒナミ、チサトちゃん、ミホ。三人それぞれ、入り口で整理券を取って乗り込む。

 列車の座席に並んで座る。順番は、ミホ、ヒナミ、チサトちゃんだ。列車はゆっくりと走り出す。

 ヒナミは列車の後ろを見た。離れていく、下灘駅が見えた。


 三つ目の駅をすぎた頃だろうか、ヒナミは片方の肩に重さを感じた。視線をむけると、ミホが寄りかかっていた。眠っているようだ。

 ヒナミは小さく微笑んだ。

「ねえ、ヒナミさん。」

 チサトちゃんが話しかける。ミホを起こさないように、かといって列車のエンジンの音にかき消されないように、声の大きさに気を付けているのがわかる。

「前から訊きたかったことがあるんです。いいですか?」

「いいよ。」

 チサトちゃんは一度、深呼吸をした。

「どうして、ヒナミさんは私を助けてくれたんですか?」

 そんなの、決まってるじゃないか。

「だって、チサトちゃんがひかれそうだったから。」

 他に、理由があるはずなんてない。

「でも、そのせいで、ヒナミさんの足が……。」

「うん。ドジちゃったね。」

 ヒナミはチサトちゃんがいい切る前にいった。わざとそうした。

「ドジった?」

 チサトちゃんは首をかしげる。

「うん。ドジった。チサトちゃんを助けて、私も車、よけるつもりだったのにね、小石につまずいて。大事なとこで駄目なんだから。」

 ヒナミはニッと笑顔を浮かべた。

「ヒナミさんも、助かるつもりだった……。」

「うん。」

「後悔してないんですか?」

「後悔か、考えたことなかったな。」

 後悔先に立たず、という言葉は後悔したときに思い出す。うん。チサトちゃんを助けたこと、ヒナミは後悔してない。

 ヒナミはチサトちゃんの手を握った。相変わらずスベスベだ。

「ヒナミさんの手、マメだらけ。」

「いっつも杖を握ってるから。」

「でも、あったかい。」

「いきてるからね。それでいいでしょ。」

 ヒナミの手、チサトちゃんが握り返す。

「ずっと、ヒナミさん、自分が死ぬ気で私を助けてくれたんだと思ってました。」

「ごめんね。自分の命とチサトちゃんの命なら、ちょっと悩む。」

 こんなところで、カッコつけたりしない。チサトちゃんには本音で話す。

「いきようとするんですね。やっと、わかりました。わかったつもりになってるだけかもしれないけど、わかりました。生き物は、最後までいきようとするんですね。」

「うん。そうだね。」

 ヒナミの肩に、チサトちゃんはもたれかかる。

「ヒナミさん、私ね、決めました。転校しなくていいように、頑張ってみます。出来ること、全部やって……。頑張っちゃいます。見てて、くれますか?」

「うん。」

 ヒナミは、チサトちゃんの肩をそっと抱き寄せる。

「少し、疲れました。寝ていても、いいですか?」

「いいよ。松山に着いたら、おこすから。」

 それから間もなく、チサトちゃんの寝息が聞こえはじめた。ミホとチサトちゃん、両肩を貸しながら、ヒナミは微笑んでいた。とっても、嬉しかった。

 結局、松山でチサトちゃんとミホに起こされるヒナミだった。


 次の日、月曜日。

 ヒナミは学校に着くと、階段を上り、教室へいった。朝のホームルームまではかなり時間がある。いつも通りだ。

 あれ、教室のドアが閉まっている。いつも、チサトちゃんが先に登校していて、このところはドアも開けておいてくれたのに。

 まあ、そんなこともあるだろう。

 ヒナミは片方の杖から手を放した。腕に止めるバンドがあるから、杖はダラリと腕にぶら下がる。ドアの取手を握り、力を込める。

 開かない。鍵がかかってる。

 チサトちゃん、まだ来てないんだ。珍しい。

 階段を降りて、職員室へいく。誰かが来るのを待って、開けてもらったほうが楽かもしれない。でも、なんだかそれはいやだ。一番はじめに登校した人が、教室の鍵を開けることになっている。

 職員室の前まで来る。

 杖を壁に立てかけて、職員室のドアをノックしようとすると、その前に開いた。中にいた立花先生が、開けてくれたんだ。

「おはようございます。教室の鍵ですね。」

 ヒナミはうなずく。

 立花先生は、壁にかかっている鍵を手に取り、ヒナミに手渡す。

「チサトちゃん、今日はお休みですか?」

 ヒナミは立花先生の顔を見上げた。あれ、今、立花先生はヒナミから目をそらしたような。気のせいだろうか。

「はい、チサトさんはお休みとのことです。少し、体調を崩されたとか。」

 そうなんだ。昨日、無理させちゃったんだろうか。放課後、お見舞いにいこうかな。

「ありがとうございます。」

 ヒナミは鍵をポケットに入れると、首を曲げてお辞儀をして、杖を握る。


 体育館のはしっこ、ヒナミは壁にもたれて授業を見ていた。

 体操服姿のミホは、飛んできたボールをたやすく捕らえると、ドリブルで相手チームの人たちの間を抜けていく。

「すごいな。」

 ヒナミはつぶやいた。

 ボールが転がってくる。立花先生がヒナミにむかって転がしたものだった。

 ヒナミは座ったままボールを抱きかかえた。小柄なヒナミには小学生用のボールでも大きく感じる。

 立花先生は、黙って一番近いゴールを指差す。使っていないゴールだ。

 ヒナミはゴールめがけて、座ったまま全力でボールを投げた。放物線を描き、ボールはゴールのリングに当たり、床へ落ちた。

 床の上で跳ねるボールを、ヒナミは見つめていた。


 放課後、ヒナミはチサトちゃんの家、小さな洋食店にやって来た。ミホも一緒だ。

「あれ?」

 ミホは声をあげた。

 店の扉は閉まっていて『臨時休業』の札が出ている。

「どうしたんだろう。」

 ヒナミはつぶやいた。返事はなかった。

「あら、あなたたちチサトちゃんのお友達?」

 通りかかった女の人が声をかけた。買い物帰りの主婦って感じの人だ。近所の人だろうか。

「はい。」

 ミホが返事をした。

「チサトちゃん、大丈夫なの。昨夜、救急車で運ばれてたけど。」

 女の人は心配そうな表情を浮かべる。ヒナミはミホと顔を見合わせた。


 当たりだった。受付で『森松チサト』の名前を出すと、病室を教えてくれた。救急搬送されるとしたら、この病院だと思った。

 小児科の、一室。ミホはノックしてから、ドアを開ける。

「チサト、大丈夫?」

 ミホが入った後、ミホにドアを抑えておいてもらいながら、病室に入る。

「いらっしゃいませ。」

 チサトちゃんはベットにあおむけで横たわり、スマートフォンを触っていた。ヒナミたちに気が付くと、スマートフォンはサイドテーブルに置く。

「大丈夫なの?」

 ヒナミが尋ねる。

「ええ、大丈夫ですよ。ちょっとした風邪です。叔父が、心配して救急車を呼んでしまったんです。お騒がせしました。」

 ヒナミはベットの横の丸椅子に座った。

「すぐ元気になりますからね。また三人でどこかいきましょう。」

 チサトちゃんの言葉に、ヒナミとミホはそれぞれうなずく。

「どこか、いきたいとこある?」

 ヒナミが尋ねると、チサトちゃんは天井を見上げる。

「うーん。思いつきません。」

「そういえば前にいってたよね、チサト、瀬戸大橋見たことないって。」

 ミホがいった。

「うん。引っ越して来たときは、飛行機でしたから。」

「夏休み、いってみよっか。ね、ヒナミ。」

 ミホの表情は、輝いている。

 瀬戸大橋を渡ろうと思ったら、特急列車に乗らないといけない。海沿いに東へ。前みたいに簡単にはいかないだろう。お母さんだって、簡単には許可してくれないと思う。

「瀬戸大橋、いいよね。下に海が広がってて、まるで空を飛んでるみたいで。」

 ヒナミは以前、渡ったときのことを思い出しながらいった。

「空を。すごいですね。私、いきたいです。」

 チサトちゃんは大きな声で、元気よくいった。よかった。そんなに体調が悪いわけではなさそうだ。

 ヒナミは首の後ろへ手を回す。

 皮の紐に通して、首から下げていた赤い勾玉。手探りで紐の結び目を解く。

「チサトちゃん、お守り。」

 ヒナミは、紐を横たわるチサトちゃんの首に紐を回し、後ろで結んだ。

「いいんですか? 大事なものなんじゃ。」

「大事なものだから、今、チサトちゃんに貸したげる。今度、返してね。」

 チサトちゃんはうなずく。

「ヒナミさん、ミホ、わがままいって、いいですか。」

 ヒナミも、ミホも、黙ってうなずく。

「私、少し寝ようと思います。眠るまで手を握っててくれませんか。」

 ヒナミはチサトちゃんの手を握った。その上からミホも手を重ねる。

「おやすみなさい。ヒナミさん、ミホ。」

「チサト、おやすみ。」

「おやすみ。チサトちゃん。」

 チサトちゃんは、ゆっくりとまぶたを閉じた。


 チサトちゃんの寝息が聞こえはじめると、ヒナミとミホは手を放した。

「帰ろっか。」

 ミホは小さな声でいった。

「うん、帰ろ。」

 ヒナミも小さな声で返した。

 そっと、病室を出て、廊下を歩く。

 前から、女の子が歩いて来るのが見えた。五、六歳だろうか。銀色の短髪、青い瞳。ウミだ。薄いピンク色の、看護師さんの服を着ている。

「チサトちゃんのこと、よろしくね。」

 すれ違いざま、ヒナミはいった。

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