猫は一雫の願いをきいた

最中 空

猫は一雫の願いをきいた

たった1つ願いが叶うのならなにがいい?

居酒屋なんかで、たまに話題の切れ間にしおりみたいに挟み込むつまらないけど明るい話題。

いつもならば、適当に

「宝くじが当たればいいな」

とか

「素敵で紳士な彼氏」

なんて答える、その方が盛り上がるし望まれるような回答だから。

でも、今はそんな戯言を言って居られない、何故かって?

本当に叶いそうな状況だからだ。


この話を語るには、1時間ほど前に私の身に起きた夢のような現実について語らなければいけない。


日付をひょいと跨いだ深夜二時。

部屋の大掃除をしようと思い立った。

人生何度目かの失恋をしてその感傷に任せて、断捨離をしようと思ったなんて言う在り来たりな理由ではない、決してそんな陳腐な理由では...ない。

彼の気配を消したかったのだ、そう。それだけ。

私の好きになれなかった彼の物を一つ一つ、ああなんてつまらない男と、ああなんてつまらない時間を使ったのかと怒りに任せてゴミ袋に投げ込む。

そんな時、見覚えのない紙袋が目に留まった。

手のひらに乗るほどの大きさの、よくある、土産屋などで小物を入れてもらうアレだ。

開封した跡がないことから察するに、きっと誰かから頂いてそのままにしていたのだろう。

中身が気になり手に取り、乱暴にテープを剥がし袋を逆さまにする。

手のひらにコロンと落ちてきたのは

ガラスで出来たなんとも不細工な猫のストラップ。

褒めるところを探すとしたら、冷んやりと冷たいと言うところだけであろう。

窓から差し込む街灯の灯りを受けて、少しだけキラキラと輝いている。安っぽく。

はい、捨てましょう。

30を目前にした女がこんなもの使える訳ないでしょう。

誰がくれたのかは分からないけど、これは趣味じゃない。ゴミよ、ゴミ。

少し離れた位置にあるゴミ袋に、ピッチャー振りかぶって投げ...

「待って!!!!!」

大きな声が鼓膜を揺らし、思わずストラップを握りしめる。

「痛い痛い、優しく持ってよう」

拳の中がビリビリと振動する。

恐る恐る、指の力を解放する。人差し指、中指、薬指、小指。

「えへへ、はじめまして!君の願いをひとつだけ叶えてあげる。なんでもいいよー」

「は?いや、なに?」

「君の願いを叶えるためにずーっと待ってたんだよ、あの袋の中で」

「...それはごめんなさい。え?あなたはなに?」

「詳しくは言えないんだ、規則だから。ただ君の幸せを祈って僕を君に贈った人がいる。それだけだよ」

「誰からもらったから覚えてないのよ、誰からなの?」

「分からない」

「え?」

「僕には人間は全て同じに見えるんだ。それに長い間僕を見もしなかった君には全く意味のない質問のように思うけど?」

「それを言われると弱いのよね。まあいいわ、願いって?」

「僕はひとつだけ願いを叶えたら、自由になれるんだ。自由に好きなところへ行ける。そう聞いてるんだ!だから、君の願いを早く言ってよ。長いあいだ湿気っぽい暗い所にいたから、外に出たくてうずうずしてる」

「それも、ごめんなさいね。ただ、そう言われたって急に浮かぶものでもないわよ」

「なんでもいいよ、君ってきっと適当な人間でしょ。お金?恋人?ああ、不老不死は無理だよ。物や人、目に見えるものにしてくれる?」

「目に見えるものねー。難しいなぁ」

「ああ、じゃあ考えてる間に、とりあえずお茶でも出してよ。暖かいのね」

「随分図々しいのね、まあいいわ。少し待ってて」

「うん」


そして今に至る。

何となく腹が立ったから、舌の痺れるほど甘いココアを用意する事にした。

少量の牛乳とココアとお砂糖を鍋の中で練り込む。

そうね、願い事ね。

やっぱりお金かしら?お金があれば大抵のことは出来るものね。でもたった一つの願い事に使うには余りに勿体無い気がする。

自分で努力すれば手に入れることが出来るものに、たった一つを使うの?

それも嫌ね。

彼氏も論外。自分でどうにかするわ。

適量の牛乳を鍋に流し込み、コンロに火をかける。うんと待たせてやろうと とろ火で。

そうね、どうしようかしら。

美貌!あら、これはいいわね。とびっきりの美人になるの。誰もが振り向くようなそんな、オードリーヘップバーンみたいなね。

...でも、それじゃ私じゃなくなるわ。色々と困りそう。

難しいのね、意外に。

タイムトリップなんてどうかしら。

好きな時間にいつでも旅行する、これこそロマンよね。

でも力って目に見えないもの?


「ねえ」

「なにー?」

「なぜ目に見えるものでなければならないの?」

「簡単だよ、確認できるから」

「...そう」

「見えなければ僕が本当にしたのかどうか分からないでしょ?」

「そうね...分かったわ。ありがとう」


その基準で行くと駄目だ。

私しか移動しないのだから誰の目にもそれが起こったかどうかは見えないものね。

ティースプーンに1匙、砂糖を山盛りで鍋に満遍なく振りかける。おまけにもう1匙。

ぽりつと波紋を描く水面のように揺れる甘い香りがキッキンを満たす。

鼻から胸にいっぱい吸い込み、苦笑。

そうだわ、思い出した。

甘い飲み物を飲まない私の家になぜココアがあるのか。

あのしょうもない男が、夜眠れないと言うから買ってきたのよね。

ホットミルクじゃ味気ないからって。

当たり前のように戸棚に収まっているからさ考えもしなかったわ。

いつのまにか毎晩、マグカップにコーヒーとココアを並べてなんて事の無い話をしてから眠りにつくのが習慣になっていた。

寝つきが悪かったのはそのせいね。

振り返ると、7割ほどいっぱいになったゴミ袋と得体の知れない喋るガラス細工。

......。

願い、ね。

会話がしたかった、あと一度だけ。

必死に謝ってくれたら、理由を聞かせてくれたら少しは貴方の事を考えてもいいわ。

他の女の子をスマートフォンの画面に大切に収めていた理由。

私には無くて、その子にはあった物。

何故そうしなきゃいけなかったのか。

罵り投げつけた想いに、ただ謝るだけで 私の知りたい事は何も分からずじまいだったの。

今度は金切り声をあげたりしない。約束するから、教えて欲しいの。

鍋に落ちた涙が、瞬間に茶色く染まった。


「どうしたの?喜ばれるなら分かるけれど泣くほど悩むような事?」

「違うのよ、ははっ。ごめんなさいね。人って...時々こうやって口に出さずに考えて泣いたりする生き物なの」

「悲しくて?」

「違う...悲しいわけじゃないの。ただ、なんで私...。そうね、えっと、分からなくて泣くのよ」

「分からなくて?」

「分からないことが何より苦しいの」

「そうかー」

「ええ」

「僕には理解はできないけど、答えは出てるに分からない振りしてるんだろうね」

「え?」

「分からないなら僕にとってそれは無なんだよ。ありもしない見えないもの。それが形になるなら分かっているんだろうと思ったんだけどな」

「.....」


ボコボコと生まれる気泡と音が滲んだ視界を急にクリアにした。

慌てて鍋の取っ手に手をかける。

「あつっ..」

何をやってるのかしら。火を消してティースプーンで膜を取る。

猫って、きっと猫舌だからこのままでは飲めないわね。

深緑の陶器のマグカップをココアで満たす。

牛乳のこびり付いた鍋に水を注いでシンクに置いた。


そうだわ、私の願い。

これ以外思いつかないの、待たせた時間に伴わない結果が申し訳ないけどね。


ストラップの紐を左手の人差し指に通して猫を視線の高さに合わせる。

猫は何も言わずに、持ち上げられてこちらを不思議そうに見ている。


「なに、急に。僕の持ち方は優しくなったねえ」

「ねえ、決めたわ」

「思ったよりも早かったね、何にするの?」

「このマグカップを彼にとどけれくれるかしら?あなたのお茶は飛びっきりに美味しい珈琲を淹れるからもう少し待っていて」

「彼って?」

「この写真の男、暖かいままでお願いね」

「なんでも叶うのに、そんな事でいいの?」

「ええ、今の私には一番出来ない事だから」

「分かった、それじゃあ君の願いはマグカップに入ったココアをその人に届ける。だね」

「勿体無いと思う前にさっさとやっちゃって頂戴」

「分かったよ、そうそう、ちなみにお茶は要らないんだった。僕は飲む事が出来ないのをすっかり忘れていたよ」

「ふふふ、そうよね。私も気づかなかったわ。ありがとう、よろしくね」

「それじゃあ、やるよ」


瞬間、私の右手から熱と重みが溶けるように消えた。


「はい、届けたよ。これで僕の仕事はおしまい」

「ご苦労様、待っていて。すぐに豆を挽くすから。何処かへ行く前に少しだけお話ししましょ」


猫の身体に亀裂が走る。

ハッと息を飲む前に、静かに崩れて床にバラバラと散らばりただのガラス片になった。

え?

机の上に置いたスマートフォンがヴーヴーと鳴り出した。

...さあ、私はどちらを先に片付けたらいいのかしら。

目をつぶり甘味の残る息を吐き出して、一歩だけキッキンから遠ざかった。

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