発動方法に見る魔法教育

 現代日本のファンタジー小説において、魔法を使う方法には、以下の3つがあると以前書きました。


 1.体内の魔力を練って、外に放出する

 2.呪文を唱えて、望む事象を引き起こす

 3.何らかの方法で魔法陣を書き、そこに魔力を込めることで効果を得る


 私が読んできたファンタジー小説の中の魔法は、杖や魔術書の有無といった差はあっても、大抵このどれかに属しているかと思います。

 宝石が持っている魔力を代価として魔法を利用するなどの方法もありますが、前回から特に異論もなかったので、今回もこの3つを使用させていただきます。



 以前はここから、"人間がどのように魔法を開発したのか"ということを考えました。

 今回はこの使用方法から、魔法が広く普及するためにはそれぞれどのような問題があるのか、よくある魔法学校ではどのような教育がなされるものなのかということを考えていきたいと思います。


 これらを考えることによって、ある程度魔法使いがどのような人々なのかを想像することができるかもしれません。


・使用方法と教育

・気功型魔法について

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・使用方法と教育


 魔法の使用難易度は小説によってまちまちですが、基本的に大きな効果を得ようとすればするほど、難易度は高くなります。


 高難度の魔法を修得するには、才能か、もしくは特別な機会が必要になることが多いでしょう。特別な機会とは、精霊に伝授される、伝説的な魔導師に師事して特訓する、古代の魔術書から修得するというようなものです。


 学校に通うことで得る世界もありますが、これを特別な機会というかどうかは微妙なところで、基本的にそこで大きな効果を得られる魔法を学ぶという設定は、珍しいように思えます。


 高難度の魔法は、扱う人自体が少なく非常に専門性が高いということは、直感的に理解できます。

 では比較的小さな効果を生む魔法はどうでしょうか。多くの場合低難度であり、そこに専門性はみることができません。


 しかし本当にそうなのでしょうか。

 技術を利用するには、いくつかの知識や技術が必要になるというのが世の常です。既存の技術や仕組みを利用するために我々は義務教育を受け、さらに専門的な分野にすすむのであれば専用の教育を受けるのです。


 例えばあらゆる学問の前提技術は文字です。文字の読み書きという前提技術がなければ利用できない技術は沢山あります。そのためにまず義務教育では文字を習うのです。


 魔法も技術であるとする以上、例外ではないでしょう。

 仮に誰にでも扱えるのであれば、それは技術者が専門性を下げる努力をした結果ですが、ファンタジー世界において、魔法がそのような工夫を受け入れるような立ち位置にあることは少ないと思います。


 つまり、魔法を使用する人物は、何かしらの教育を受けている可能性が高いということになります。


 そういうわけで使用方法に基づいて、必要になるであろう前提知識や前提技能を考えてみたいと思います。どのような教育を受ければ、その魔法技術を使用することができるのでしょうか。

 また、社会的にどのような分野が発展している必要があるのかがわかれば、魔法学校のカリキュラムや街の様相といった枝葉に当たる部分まで作ることができるかもしれません。


 便宜上、冒頭の3つの魔法の使用方法について、順に気功型、詠唱型、筆記型と名付けたいと思います。

 気功と魔法は違うとは思うのですが、使用方法や描写(例えば異世界転移した主人公が魔法を使う訓練をする等)を見ると内丹的な思想が見られることは確かでしょう。


 また、魔法学校は多くのファンタジー小説ででてくるため、実現可能な教育機関として扱いたいと思います。

 その根拠はファンタジー小説で出てくるからというものだけで、その在り方の歴史や教育体制の整備にどれほどの課題があるのかなどといった大きな問題はここでは放っておきます。


 あえて言及するなら、実際、本小説でファンタジー小説の年代に相当するだろうとした1200年代には、俗世間向けの学校があったようなので、その在り方はともかくとして不可能ではないと思われます。



・気功型魔法について


 さて、気功型は"体内の魔力を練って外に放出する"という方法です。

 詠唱型との差は、必要になるのがイメージだという点です。転生物に多く見ることができますが、そのほとんどが物事の構造を理解してイメージすることで、より強い効果が得られるというものです。


 では必要となるのは、科学的な知識でしょうか。

 多くの転生物の主人公は、中世の住人と比較すれば高度な科学知識を有しているために、同じ魔法でより多くの効果を得ることに成功しています。


 "我々の世界の科学的な知識と異世界の構造が完璧に一致して、本当にそれがファンタジーなのか、何故魔法やモンスターといった存在があるのにそれ以外は同じなのか"などの問題はおいておくにしても、それ以外に重大な課題が一つあります。



 それは"体内の魔力"という概念の理解です。ファンタジー世界の人々は、体内の魔力をどのように認識、理解するのでしょうか。


 例えば、現実世界に生きる私たちですが、どれほどの人が気功というエネルギーについて理解があるでしょうか。


 私個人としては、気功法なるもので人体の不具合を正すという技術にはなぜか信頼はあります。整体に行ってなんとなく実感したことがあるわけで、状況としてはファンタジー世界における魔法未習得者と同じような立ち位置でしょう。


 しかし理解という意味では、(せいぜいがWikiを読む程度のことしかできませんが)まともな感想を抱くことはできません。

 現実世界で提言されている非科学的エネルギーにはプラーナやらオドやらありますが、どのエネルギーに対しても多くの人がおそらく同程度でしょう。気功には一定の使用人口がいる以上、習得のためのメソッドなるものは存在しているわけですが、現代日本の教育を終えた人間でも正しく理解することは難しそうです。


 果たして中世の教育でそういった類の概念が理解できるかどうかは疑問です。

 もちろん現実世界の気功とファンタジー世界の魔法には普及率に大きな差がありますので、もし現実世界で非科学的エネルギーがもっと普及していたのなら、理解は高まるかもしれません。


 それを抜きにしても、"魔力を練る"という点においては教育がなされなければならないでしょう。

 そこにいかなる方法があるのかはわかりませんが、気功についての資料を読んでいる限りでは、気とは何かというな座学と、瞑想などの実践的な修行、あとは実体験が必要なようです。


 瞑想のような修業を行う実践的な学問、魔力についての学問、それとイメージをするために必要となる(科学的な)知識の習得。

 特別な設定がない限り、気功型魔法を採用するファンタジー世界の学校では、このような教育が行われることでしょう。



 特別な設定とは例えば、"生まれてから成長していくにつれて自然に魔力を操れるようになる"という設定です。

 "5歳の時になんらかの儀式があってそこで魔法能力が鑑定される"というような設定は割と多くみられるかとは思いますが、それ自体に大きな矛盾はないでしょう。我々の体にもも、成長過程において様々な変化があるわけで、どこかのタイミングで魔力操作にまつわる器官の変化があることは不自然ではありません。


 現実世界に置き換えて考えてみると、我々が自らの肉体を操るとき、よほど専門性が高い動き(スポーツ用具や楽器を操る等)をしないかぎり、それは特別な意識無しに行うことができます。


 そうであるならば、たとえ気功型であったとしても魔力の理解という東洋哲学的な思考訓練は必要なく、ある程度の実践的学習を行うことで、魔力は利用できることになります。学校はより難度の高い操作のための訓練を行ったり、科学的知識を身に着ける場所になる事でしょう。


 気功型魔法の普及難度と教育について考えた場合、この設定の有無で事情が変わってくると考えられます。


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