勇者の作り方

 多くのファンタジー小説では、武力がテーマとして書かれています。


 "武力、暴力をテーマとしている物が娯楽である。"と文章にすると、我々が野蛮だと思いがちな、古代ローマのコロッセオと似通うものがあります。


 それだけ社会が安定していて我々の日常生活が武力からほど遠いものである、というように考えることもでき、それはとても幸せなことではないかと思います。






・作品の中での英雄


 ファンタジー世界に欠かせないものは、魔王やそれに類する闇の軍勢と、それに立ち向かう勇者や冒険者でしょう。人外の力をもつ英雄は、多くの苦難の末魔王を倒します。

 この流れがファンタジー小説でしょう。


 とはいってもこのようなストーリーは使い古されたものであり、結局これもゲーム的だと捕らえられたのか、社会的心理なのか、魔王を倒した後の話だとか実は魔王が客観的にみたら正義だっただとか、いろいろなバリエーションが出てきました。


 今では、悪の帝国を滅ぼしてやったーやったーと喜ぶ、そんな一直線な小説は減ったように思います。


 スーパーマン対バッドマンという映画でも、一方的な正義や武力はいかがなものかということをアメリカ社会全体で考えるという描写がありました。

 結局は巨大な敵がでてきてヒーローが市民を危機から救って話はうやむやのまま終わってしまいましたが、最近では正義対悪という単純な構図は減ったようです。



 一騎当千のキャラクターも社会や国家の前には敗れる、というのはどの著作でも一般的な流れのように思えます。


 ガンダムシリーズで育った私としては、無双する主人公も無敵ではないのだという情操教育をされ続けたためか、人外の力を持つ英雄という存在はあまり好きではありません。


 そのせいなのか、本小説でも長いこと無視してきたというか、認めない論調が多かったのではと思います。






・権力者と勇者、社会と武力


 魔王という人類の危機、闇の軍勢という神々にとっての危機によって、勇者や英雄はファンタジーに登場します。


 人外の力を持つ者たちは核兵器や戦艦みたいなもので、中世以前の社会であればやはり魔王には勇者を、巨大な化け物には英雄をぶつけなければ勝てないという構図になっています。


 ではそれらの危機に勝利した暁には、その人外の力を持った個人のことを人間社会はどう見るでしょうか。


 これは前の頁に書いた武器屋の話と繋がるのですが、武力は社会のもとにコントロールされるのが時代の流れです。

 "その力を行使するかどうか"という決定権が完全に個人の意思の中にある場合、それはあらゆる立場の大多数の人間にとって、吹き荒れる暴力となんら大差ないでしょう。


 例えるなら火薬庫の隣に火を持った男が立っている状況です。そのような状況を社会は許すでしょうか。武力は意志を持っていてはなりません。



 一方で王も自分が所持する軍隊の中で最も精鋭部隊である近衛兵でも太刀打ちできないとわかったなら、その存在を認めるわけにはいかないでしょう。勇者の善性を信じるというのはうかつですし、周りも認めないでしょう。


 自分より人望が厚い英雄を認めず殺すか幽閉してしまう、というのは欧州の歴史では珍しいことではありません。



 指導者は自分が法律的にも武力的にも保証された存在でなければなりません。王が権力が欲する時、武力をどのように整えるか、というのは非常に重要な問題でした。


 史実中世においては個人の武に頼る騎士戦術や、それに対抗するための小規模な集団戦術で武装しました。どちらも専門的に武力を扱う集団であり、権力者は自分の周りに武力を配置することに成功しています。


 近世にもなると武力を持った特定の人間、団体が特権を持つことがなるべくないように、権力者が気を使うような様子が見られるようになってきます。


 中央集権を保つためには大きな権力を持つ集団が王一派以外にあってはいけません。


 武力で言えば、王個人の腕力では太刀打ちできるはずがないので、個人の武技に頼るような状況では困るわけです。武力が権力の一つの担保であるため、個としての武力を抑え、集団として組織しなければ意味のある武力にならない、という状況にする必要があるのです。



 また、すこし話は外れますが武官と文官のいがみ合いというものも発生します。

 上記と同じような理由(クーデターの阻止等)から、やはり文官は武力をコントロールしたがり、実際にそれは補給や金銭などの書類的な問題により成功します。


 戦争は複雑かつ大型なものに変わっていきます。補給計画や外交状況から戦う計画を綿密に立てるのは文官の仕事であり、実際に武官が現場で砲撃命令や突撃命令を下す状況まで場を整えるには、 文官の苦労がありました。


 どこをどう攻めるのか、進軍ルートはどうか、何日間の工程が必要なのか、そのための物資は、資金は、補給ルートはと、緻密な計算があった上で初めて攻撃できるというのが大型化した戦争です。


 武官視点で書かれることが多いファンタジー小説は、文官や官僚的な争いに邪魔されている展開が多く見られます。

 しかし国という意識が出来上がった時、個人の国に対する意識は国という生命体が危機に陥れば陥るほど真剣になるわけで、例え文官が力を持ったとしても国の害悪になるような展開には早々ならないと思われます。


 物語では邪魔な存在として疎まれがちな文官とて、国の勝利を真剣に考えます。そもそも巨大な戦争になると彼らの力なしには、馬は一歩も歩けないし大砲の中に砲弾入れることも難しいわけです。


 戦争は時代を追うごとに兵数も兵科も増え、それに伴って補給物資も増え、そうすると国や国際社会レベルの計画というものが大事になっていきます。文官にとっては言う事を聞かない軍事力はすべてを滅茶苦茶にされる恐れがありむしろ邪魔になってきます。

 政争によって武官に権力を削ぐというイベントは良く起こりますが、このような事情も一つありました。



 いずれの方法を用いてもコントロールできない武力的な英雄は、何かしら罪にかけて処刑するのが正しいやり方となります。


 もしそれがいやなら勇者は不可能にならないうちに、国を作るか奪うかして王となるのがよいでしょう。


 自分が一番武力を持っているのなら、それができてしまいます。歴史の中にはそういった国家もめずらしくはありません。しかし物型の中の勇者は謙虚であることが多いので、そんな場合でも自分の武力に枷をつけようとするでしょう。そうしたら立憲君主制国家が誕生するかもしれません(むしろこれは、立憲君主制志向の我々だからこそ、勇者は謙虚であるように書かれるのかもしれません)。



・勇者の生産方法


 さて、ファンタジー世界は中世的な世の中だという前提で本小説は話をしてきました。この小説を通して色々考えてきた今でも、やはりそう考えるのが妥当だろうと筆者は思っています。


 そして魔王が倒される、治安維持のシステムが出来上がるなどして世が安定すれば、しばらくするとやはり近世的な社会が到来するでしょう。

 物流が活発になり、権力者はますます資産を増やし、未開の地を踏破し自国の領土にしていきます。特殊な性質を持たない小国は大国に編入されていきます。



 共通の敵がいなくなれば、今度は権力者同士で国家の利益をめぐって争いを始めることになります。

 そうなると敵はどこか一方にいるわけではなく近隣諸国全部が味方であり、敵ということになります。経済的な問題もそこには当然絡んでくるわけで、利害関係は複雑なものになり、国際社会での立ち位置や内外の世論というものが重要になってきます。



 そんな中で人外の力をもつ者がいたとして、その人達――少々語弊がありますが以後勇者とします――は国内外からどのような扱いを受けるでしょうか。


 勇者は仮に一万の軍勢と同程度の武力を持ち、その存在は限られている、というような描写をされることが多いように思えます。


 この一万人相当というのが考察の上では少々曲者で、単純に一万人力の武力を発揮するのか、戦力がだいたい一個師団相当であり単独でいかなる状況の戦場にも対応でき任務をこなせる能力を持っているということになるのか、微妙ながら対応に大きな差が出てくるような違いがでてきます。


 どちらにせよおそらく戦争に利用されることになるとおもうのですが、その前にどのような条件で勇者は誕生するのか考える必要があります。



 勇者の誕生にはいくつかのパターンがあります。


・神や精霊などが一方的に啓示と力を与えて魔王に立ち向かわせる

・神や精霊などの力を人為的におろして、魔王への対抗策へとする

・先天的な素質と後天的な努力によって力を手に入れる

・先天的な素質によって、国が製造した兵器に適合する


 概ねこのような感じでしょう。

 まず驚異的な身体能力を持つ戦士が、どれくらい供給されるのかというのが大きな問題です。戦争はあらゆる場所で行われ、長期的なものになっていきます。補給計画が重要であるという事は、本編でも触れたことがあります。勇者も兵器としてみれば話はそんなにややこしくなく、所持数が物を言うことになります。


 もし勇者が先天的に生まれるものだとしたら、それはつまり人口に対してある一定の割合で発生する、というように考えられます。

 そうするとその国の経済規模だとか、領土量だとかという一般的な話になってしまうのであまりここで書く必要はありません。従来通り、大国が弱小国を打ち負かせばいいのです。




 特定の血筋、種族というのであればある程度は供給されるでしょうが、その家系が過剰な政治力を持たないよう注意しなければなりません。


 精霊などの上位者から突発的に与えられるのであれば数は少なそうですが、人間同士で戦うために上位者の権力が介入するかどうか、という前提によって大きく変わることでしょう。


 何かしらの人為的な方法によって勇者が生み出されているのであれば、それは製造技術として確立されているという事です。技術である以上その世界の法則の中にあるということで、おそらくその世界の人間社会が順当に発展していけばどの社会も持ちうることでしょう。現代で言えば核技術に関する攻防を参考にすることができます。



 こういった前提をもとに、次回は近世の戦時中という条件下でいくつかのケースを見ていきたいと思います。

 あと一つ、一騎当千のキャラクターを考えるとき、どの国家も勇者発生条件は等しく所持しえて、偏りがないものとして考えなければならないでしょう。このルールを設定しなければ、主人公最強で俺TUEEな設定になり、そういった小説はそもそもこういったことを考える必要はないだろうと考えられるためです。どちらかといえばここ最近書いていることは、ファンタジー風味の戦記物向けの思索でしょうか。


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