ファンタジーの社会的考察

翻訳とファイヤーボール

 この章からはファンタジー小説のなかでも直接主人公に絡んでこないような、大枠の舞台設定について書いていきます。


 今回は言語についてです。

 異世界転生し、世界中を旅する主人公は大抵言語に悩みます。


 後者であれば世界共通語を設定することでなんとか言語に関する問題を解決することはできますが、そのような手を使ってもまだ多くの突っ込みがはいることがあります。



・翻訳ものという見方

・言語の成熟度と差

・呪文をあらわす言語


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・翻訳ものという見方


 言葉が通じるのかどうか、方言をどのように処理するのかという事に加え、カタカナ語の処理や、日本語的な慣用句をどうするのかという問題まで様々です。


 最後の二つのことへの解決策、理論武装方法としては、翻訳物を参考にするという手があるでしょう。


 現代では数々の翻訳物が我々の身の回りにあります。書籍だけではなく、音声と字幕の両方で差を見ることができる映画という媒体もあります。


 我々にとっては翻訳物は異世界言語を扱っているようなものです。

 結局、日本語を使っていないファンタジー世界は、異世界の言語をすべて和訳して文にするというスタンスをとるわけで、ファンタジー小説の言語の扱いは翻訳物と同等考えていいでしょう。



 翻訳物での方言や和製英語の扱われ方を見てみると、読んでいる限りではなにか特別な制約や縛りがあるわけではない、として良いように思われます。


 日本人にわかりやすいように適切な言葉を使って書くのであって、もし仮にその言語特有の言い回しがある場合は訳注が書いてあるにとどまるでしょう。



 また英語はともかく、ドイツ語については慣用句や言葉の作り方が日本語と似通う点があります。あいにく言語に詳しい友達がいないのでわかりませんが、言語が形作られていくうえで、ある程度の共通点が生まれると考えても良いでしょう。



 これらのことから、カタカナ語や慣用句については許されるべきではないかと思います。以前書いた共通認識の利用にあたるからです。ただ四字熟語などは、言いたいことを短縮してうまいことまとめる技術であり、もし必要ないなら使わないという選択もあります。



・言語の成熟度と差


 別の問題もあります。

 言語は民族の成果なので、形勢されてから間もない社会では語彙数自体が乏しいという特徴がありますし、違う経緯で育った言語では分野ごとの語彙数にも差がでてきます。


 そこをどう処理するのか、という点はもうわかりません。もはや不可能ではないかとも思います。

 例えば喋り言葉が古文的な言い回しだと、うっとうしくてしょうがないでしょう。社会や歴史、などという言葉が中世にあったのかどうかは定かではありません。


 これらのことを忠実にしようとするなら、こういった話が始まってしまいます。

 たまにカタカナ語等に読み手からの突っ込みが入り、書き手が苦しむ時がありますが、言語について突っ込むということは不毛です。


 なぜカタカナ語に突っ込んで、文化レベル的になかったであろう単語等に突っ込まないのか、という話です。

 言語を厳格にするのは、表現を主とする小説にとって致命的です。



 また単語に対する印象というのも言語ごとに関わります。例えば魔法という言葉ですが、英語で辞書を引くと良いイメージが出てきます。日本語でもまるで魔法のようだというと奇跡だとか幻想的だとか、割とポジティブなイメージがあります。


 しかしドイツ語の辞書を引いてみると、口語の欄に馬鹿騒ぎやがらくた、くだらないものと出てきます。


 どういった歴史の経緯――例えばケルト神話とキリスト教のいがみ合いがそれっぽいとは思います――からこのような意味が付与されたのかは全く分かりませんが、民族によってはこのように異なる意味合いを持つ可能性もあるのです。



 もう処理しきれる話ではありません。

 言語に関する問題は、それ自体が深く物語に関わってこない限り、触らないほうが良いでしょう。



・呪文をあらわす言語


 これらについて考えていくと、魔法の名称についても困難が見えます。

 例えば炎の玉と書くのか、ファイアーボールと書くのか微妙なところでしょう。


 叫ぶには英語が語呂もいいし分かりやすいし調べやすいという利点があります。

 カッコよさという点からドイツ語が採用されることも多々あります。

 突っ込みどころを回避するのであれば日本語のみで書くのが適しているようにも思えます。


 ただ世界観を保つためには魔法についてはオリジナル言語を固有名詞として使うのが、おそらく一番理にかなった手でしょう。


 書くほうも読むほうもめんどくさくなってしまいますが、ドラゴンクエストのようにいくつか専用の呪文を用意して、あとは描写で火の玉だとか、さらに勢いをまして燃え盛っただとか補えば解決することと思います。


 呪文と言えど言語ですから、おそらく魔法の成り立ちと密接なかかわりがあるはずで、設定や世界観と連動して考える必要が出てきます。


 そうすると、"神の言葉"ということでオリジナル言語を出すか、"和訳してある"ということで日本語を採用するのか妥当、となります。


 これらは単に作品の雰囲気の問題という範囲に収まる話だとは思いますが、言語に対する問題を見始めるとここにも影響が出てしまいます。



 このように言語に関する問題は、多角的に見る必要があります。ある程度は、"分かりやすいようにしてある"ということで、書き手も読み手も納得しなければ、話は進まないでしょう。


 同じように度量衡や名前にも問題が出てきていますが、言語は民族に深くかかわっています。こだわり始めるととんでもないスケールになる可能性があるうえ、共通認識と世界観を天秤にかける必要があります。最終的にはオリジナルと日本語を使って回避するしかないでしょう。


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