歴史とファンタジー
傭兵という軍事サービス
この章では現実世界の歴史という切り口からファンタジーを見ていきます。ファンタジー世界に直接的に関わる要素が控えめになるかもしれませんが、様々な角度からファンタジー世界を考察していく一環としてお読みください。
今回取り扱うのはイタリアです。第一部では主に中世ドイツを軸に話をすすめましたが、中世のイタリアはどのような様子だったのでしょうか。
欧州が発展した大きな要因はいくつか考えることができますが、その一つがイタリアという土地でした。イタリアは立地条件が特殊で、そのために他の国とは大きく違う歴史を歩むことになります。今回は1000~1500年の歴史を見てみたいと思います。
以前書いたように、ドイツとイタリアでは随分と様子が違いました。騎士が主戦力であったドイツと比べてイタリアは傭兵が主力だったのです。
この傭兵からは冒険者について多くのヒントを得ることができます。どのような経過をたどって彼らが傭兵に軍事力を頼ることになったのか、今回はイタリアの歴史や特質に焦点を当ててみます。
・専門化する戦争
・欧州の経済事情とイタリア商人
・傭兵というサービス
・危険と対策、都市国家の存続
・イタリアと傭兵の行く末
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・欧州の経済事情とイタリア商人
イタリアで傭兵が一般的になってきた1300年頃の欧州は、全体としてどのような状況だったのでしょうか。
当時の欧州はどこもお先真っ暗な状態でした。
黒死病、紛争、格差社会、寒冷化する気候、木材(エネルギー)不足という問題に欧州全土が苦しみました。
人口が激減する一方で、活発化した交易が光明をもたらします。
まずバルト海(スウェーデンやフィンランドなどに囲まれた海)周辺には、南の方から塩が入ってきます。
これによってニシンやキャベツの塩漬けが作れるようになり、北方の食糧事情が改善します。まもなく人口は回復し労働力も増えました。
反対に北方からは木材が輸出され、蔓延する燃料問題を解決します。北方の海運は木材輸送に適していました。
さらにドイツでは銀を掘ろうと躍起になった人々が、鉱山関係の技術を発達させました。探鉱、精錬の他に、運搬、換気と排水など、鉱山業の技術は必要なものが多かったのですがどんどん発達します。
これによってお目当ての銀の他にも、銅や錫、石炭に鉄といったものも掘りだせるようになります。
そしてよほど秘匿しようとしない限りは技術は出回ります。
こうした交易が作り出した循環によって、欧州全体は豊かになります。
欧州内の交易品は食塩、ニシン、木材、金属に加え、穀物や羊毛などがあげられます。
これらの品物を"消費財"と言います。庶民に日常的に需要があるような物品が出回ることで、市場が活発になるのです。
そんな貿易で優位に立っていたのはやはりイタリアの商人達でした。穏やかな地中海に面し、アフリカやアラブとの玄関口であるというその立地から、イタリア人はもともと商売慣れしており、すでに大きな資金を持っていたのです。
彼らは欧州各地の技術的に遅れた地域に踏み込んでいって、塩鉱脈や錫鉱山の開発をすすめたのです。
商人はどんどん力をつけていきます。
国王、教会、領主などが何らかの事業、たとえば海運や鉱山開発、長距離貿易などを行う際には、イタリアの銀行家から資金を借り受けることになりました。
しかしキリスト教的には貸付業というのは悪行に類されます。ヴェニスの商人のような書かれ方をされるのが当時の商人達です。当時の権力者はそれを理由に借金を幾度となく踏み倒しましたし、それができなかったときは破産もしました。
イギリスの国王が破産した時には、その影響を受けて欧州全体が不景気になったこともありました。遠方の出来事で物価が変動する、という状況まで経済は発達したのです。
欧州の経済が発達すればするほどイタリアの商人は力をつけ、イタリアの地方分権は強固なものになります。
・専門化する戦争
だいたい西暦1000年から1500年くらいまでの話です。
外部からの襲撃を退けるためにドイツでは騎士が発達したと書いてきましたが、イタリアでは民兵部隊が組織されました。古代のように、市民が都市の危機に立ち上がって戦争に加わったのです。
中世を迎えたイタリアの主な外敵はドイツの騎士でした。
"神聖ローマ帝国の全騎士がイタリア半島になだれ込めばイタリアの征服は容易だ"というのが当時の騎士とイタリアに対する欧州全体の評価でした。それだけ騎士に対する信頼は厚かったのです。
しかし1176年、ドイツ騎士は攻めていったイタリアでパイク(ものすごく長い槍)集団に敗北します。
イタリア都市間の一時的な同盟が作ったこのパイク軍ですが、騎士に対しては有効に働きました。
この戦闘集団は攻撃というよりは防御の意識が強い集団でした。
貿易商や職人が多かったイタリアですので、お金や居住地を守るという意識が強かったのです。彼らにとっては都市を守ることこそが第一目標でした。
というのも、交易に適した位置にあるイタリアは、富を国内ではなく交易によって生むことができます。他の欧州国家と比べて、経済力は都市自体の特産品や土地の広さに依りません。
イタリアの都市国家にとっては隣国を侵略することで得られる利益は薄かったので、とにかく自分たちの都市を守ることが必要でした。
アルプスから自分たちの富を略奪しにやってくる他国の騎士やならず者に対して、商人たちは領主に防衛施設の建築を望みましたが遅々として進まず、ついには自分たちのお金で市壁を建ててしまいます。
そうすると、自然と都市運営体制も変わり始めます。
商人たちが関わり始めることになるのです。伝統を持つ貴族と実質的な支配権を持つ商人達が、てんやわんやの大騒ぎを繰り広げました。
富を持つものが権力を握ろうとすれば、当然まとまる物もまとまりません。
都市単位で大きな力を持つことができるイタリアは、群雄割拠状態になってしまいました。
とはいえ攻めてくるドイツ騎士に対しては、都市同士が協力して防衛をしなくてはなりません。
そこで北イタリアの都市は同盟を結び、騎士の突撃に有効な槍を揃えた軍隊を用意することになりました。槍を構えて騎士に向けるだけなら必要なノウハウは少なく、また自分たちの都市を守るという目的なので、この守備兵は当初、民兵(専門的な軍人ではなく武装した民間人)でした。
いくら長い槍を持っていたからと言って、一人では当然騎士に立ち向かうことはできず、槍衾は穴が開いてしまえばひどく脆いものでした。
騎士に比べて専門的な訓練は少なくて良いものの、突撃してくる騎士に対して4段5段の槍衾を形成する必要のあるパイク兵は、息のそろった運用が大切となってきます。
パイク兵集団は高い集団戦闘技術を必要としたのです。
しかし社会は古代ローマ帝国の時期ほど単純ではありません。
昔のように"親族一同で盾を並べてお互いを死守する"という強い絆を持つ社会ではなくなってしまったのです。格差社会による不信感というのも原因の一つです。
また、商人達は"戦争という自分たちが参加するのは、実は不効率なのではないか"という点に気が付いてしまいます。
野山を駆け回るごつい男と机にへばりついて書類仕事をするひょろい男では、どちらに分があるか明らかでしょう。
そこで彼らはお金を払って、自分たちの代わりに戦闘を請け負う兵士を雇うことにしました。ここにお金で雇われる戦闘集団が誕生することになったのです。1300年後半にもなると、民兵は完全に時代遅れなものになります。
鎧を貫くことができるクロスボウは大変強力でした。
熟練したパイク兵集団は騎馬突撃をものともしません。
歩兵だけでは追撃や側面を防御する術を持たないので、やっぱり馬も必要になります。
こうして槍兵、弩兵、騎兵の兵科が戦場に登場することとなります。
これらを連動させて有機的に動かすための戦闘技術は、ますます高度なものになっていきました。親から子へ受け継ぐ騎士戦術とはわけが違い、集団での戦闘技術が必要なのです。
この"戦争の複雑化"も傭兵を登場させる一因となりました。
この軍編成もまた、地方分権を推進させました。これが騎士であればまた話は違ったことでしょうが、当時の王侯貴族にはこれらの複雑な兵科指揮を行う技術がなかったからです。
騎士に対抗するためにパイク兵集団が生まれ、パイク集団は傭兵を誕生させ、高度な指揮技術は傭兵の専門性を高め、軍事力を操るノウハウを持たない貴族の地位を下げた。
これがイタリアで起こった傭兵の発生とその影響です。
・傭兵というサービス
イタリアの都市を略奪するのはドイツ騎士や冒険家の集団でした。
この冒険家というのはアルプス辺りを探検していた集団のようで、時には1万人という大人数で集団を形成し、イナゴの群れのようにイタリア北部の都市に略奪を仕掛け、次第にイタリアに住み着くようになります。
この集団の指導者はそのうち、"略奪するより兵隊として契約を結んでイタリアに安定して住み着く方が安定するだろう"と考えるようになります。
一方でイタリアの商人も、外部勢力に対して別の外部勢力を雇って戦わせようと考えました。
傭兵を雇うには当然お金がかかります。
都市国家に住む人々は傭兵というならず者に対して、税金を払わなければなりませんでした。
来るかもわからない略奪者に対して、傭兵を雇う必要があるかどうか。
つまり、"税金を払って自分の財産を守ってもらうかどうか"という話が、まだ傭兵を用いた軍事形態が固まってない頃には問題になりました。1200年頃の話です。
都市と傭兵の契約は、初めのうちは一回限り、もしくは短期間でのものが主流でした。
なにしろ来るかどうかも分からない略奪に備えるというシステムだったので、日常的にお金を払って稼働させておくのは、当時の市民にとっては不効率のように思えたのです。
傭兵は一度の防衛戦に備えて招集するという具合でした。
この一度限りの契約というのは、デメリットがいくつかあります。
まず短期間契約は値段が高くなります。傭兵側からすれば契約を終えたあと、再就職先がみつかるかどうかという話があるので当然でしょう。
加えて、明日は敵という状況になるかもしれないので、お互い過剰な報酬や信頼を期待することができませんでした。
短期契約を結んでいるうちは、都市国家と傭兵の仲はあまりいいものではありませんでした。この状況は双方にとってありがたくありません。戦争が長期化したり頻繁に起こるようになったこともあって、"傭兵団と長期契約をせざるを得ない"というのは都市国家の市民たちも理解し始めました。
傭兵という軍事サービスはこのような流れで形作られました。
・危険と対策、都市国家の存続
傭兵と長期契約を結ぶことで友好関係になってきましたが、傭兵と関係性を高めていくのは、それはそれでデメリットがありました。
傭兵団というのは武力をもった集団ですが、都市国家そのものには他の抵抗力はありません。"都市と傭兵"という関係を見ると、実行力を持つ傭兵が都市で力を持とうとしたとき、都市はそれを止める軍事力がないのです。
案の定傭兵団は武力を盾に都市運営に関わろうとし始めます。当たり前のことですが、これは役人(都市運営に関わる商人)からするとどうしても避けなければならないことでした。
集団をまとめ戦場で指揮する傭兵の隊長の事を、コンドッティエーレといいます。
コンドッティエーレは都市国家と契約を結び、契約に応じた兵数を集め、都市国家に軍事力を提供します。
都市国家の役人がこの軍隊の監査を行い、本当に契約が履行されたか、どれくらいのサービスを受けたかどを判断し、それによって賃金を払います。
イタリアの役人たちは傭兵の手綱を握るために心を砕きました。コンドッティエーレを相手に、政略結婚のようなことも頻繁に行われました。
しかし一方で、一つの傭兵団をずっと取り立てるということもできません。なぜなら一つの傭兵団ばかり優遇すると、他の傭兵団が不満を貯めて反乱を起こすかもしれないからです。
複数の傭兵団の利害を調整して互いに競わせながら、パワーバランスを見て取り立てるということがイタリアの各都市で始まります。
次第に役人は"大きな兵力を持った傭兵団の存在を認めていると、危険が大きくなる"ということに気が付き始めました。
この危険をなくすためには、より小さい傭兵団と契約する必要が出てきました。都市と傭兵というくくりで見れば、傭兵の危険性は武力によるので、その武力を削ぐには傭兵団の規模を縮小すれば良かったのです。
では具体的に契約はどの程度の規模まで小さくなったのでしょうか。
当時の軍事的な単位は"ランス"でした。
騎士が持っている馬上槍、ランスが語源です。
騎士一人に従者が2人から5人付き添うのが一般的であり、つまり1ランスは6人程度という事になります。当時の主力は騎士でしたので、その騎士がどれくらいいるかというのが単位になったのです。
今でいう分隊のようなものでしょうか。軍事力が商業化されるにあたって、この辺りはきっちりと定められていったものと思われます。ランスに所属する兵士たちは戦場では互いに支援しあい、非常に緊密な信頼関係を結んでいました。
初期の傭兵団は、50ランスから100ランスの集団で組織されていました。
以前書いたように、イタリアのみならず各国の指導者も傭兵をあてにし始めます。1350年頃から始まったイギリスとフランスの百年戦争にも、イタリアの傭兵部隊がフランス側に参加しています。フランス側に6000人ものジェノバのクロスボウ部隊がいたとされる戦いもあるので、おそらく1000ランスの傭兵部隊がフランスに呼ばれたのでしょう。フランスは裕福だったので、お金に物を言わせて傭兵を雇いましたが、対して貧乏なイギリスはロングボウ兵を育成することになりました。
その集団の経済力が軍隊の規模に直結する時代になったのです。イタリアで生まれた軍事サービスが欧州に普及し、戦争の商業化が始まったといえます。
フランスとジェノバの傭兵がどのような契約を結んだかは定かではありませんが、イタリアでは先ほど述べた"大きな傭兵団が持つ危険性"から規模は縮小され、最終的には1ランス単位での契約が成されるようになります。
役人たちの努力は実を結び、"大量にあるランスと雇う側の都市国家"という買い手市場を作り出すことに成功しました。
こうした役人の努力により、都市国家は"強力な指導者によって一つの大きな国になる"ことなく存続していく事になります。
余談ですが、フリーランスという特定の団体に所属しないで個人の技能一本で活動する形態が現代でもありますが、この言葉の語源は傭兵にあります。
まだ雇われていないフリーな状態にあるランス、というわけです。
・イタリアと傭兵の行く末
都市国家は究極の地方分権です。
都市国家が力を持って残り続けるという事は、逆にいえば大きな勢力が誕生することができないという事でもあります。
1500年にもなると中央集権に成功したフランスやスペイン、オーストリア、オスマンの侵攻が始まり、都市国家はまるで歴史シミュレーションゲームの全体マップの四角の一つのように盤上の駒に成り下がってしまいます。
イタリアがここから先、悲惨な歴史を歩むことになってしまった背景には、都市国家や傭兵が関係したのです。
ランスは人数的にも性質的にも冒険者たちが組むパーティーに酷似しています。
以前どこかの項目で、冒険者はイタリアのような商業都市、都市国家の方が発達するかもしれないと書いたのは、イタリアには傭兵という稼業が発達した経緯があったためでした。
またそのうえで"傭兵と冒険者は様子が違うようだ"としたのも、このように在り方や立ち位置が違うためです。
傭兵隊長コンドッティエーレがギルドマスターと考えることもできます。本編では発達の舞台が中世ドイツという前提を建てたため考えが限られていました。
冒険者は昔はモンスターの大攻勢に対抗するための義勇兵軍団だったのかもしれません。
その後大規模運用の必要性がなくなり、依頼主の要望にあった冒険者を振り分けるという団体に変化していったと考えることもできます。
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