第8話 快調な朝、怪鳥の朝、エルフは諦め悪くも町へと帰る

 早朝。

 フラニーは外で騒ぐ鳥の声に目が覚めた。


「ううー、うるっさいわね・・・」


 機嫌を損ねた様子で、寝ぼけ眼を擦りながら五畳の広さの部屋の片隅にポツンと置かれたベッドから這い出ると、おぼつかない足取りで窓に歩み寄り鎧戸を開ける。

 ロッジの脇、馬小屋との間にある広いスペースで、三匹の小動物が飛んだり跳ねたり、時には取っ組み合いをしてピーチクパーチク騒いでいた。

 その光景をボーっと眺めながら耳を澄ますと、


「キョロキョロ、チチチチ、ジージー、ピョロロ、キャッキャ、キューキュー」


 と、インコのような鳴き声を発しているのがわかる。

 フラニーはため息を吐いて、右手で頭を掻いて呟いた。


「思えば、インコも人の言葉喋る個体がいるわね。インコとハーピーって、似てるのかも・・・」


 鎧戸を閉めると、薄暗い部屋の中で下着姿でベッドに戻り、ベッドの脇に掛けてあった深緑色の膝上までの丈のシャツを纏うと、前を琥珀のボタンで閉じて腰に剣帯を締め、扉の方へ。

 途中、レイピアを付けようか逡巡して、結局それは今は必要ないと判断してリビングに出る。扉を出て右に首を巡らせると、隣の部屋は扉が開け放たれており既に部屋の主は起きているようだ。

 リビングの玄関側の窓から外を伺うと、畑の方にセージと母ハーピーの姿があり、一緒に作物を選定して収穫しているようだった。

 改めて思い知る。


「そりゃ、眼中にないか・・・。あれじゃ、まるで夫婦だものね・・・」


 なんだか急に虚しくなって部屋に戻る。

 彼がガランジャと戦っていたのを遠巻きに目撃した時、怖気付かずに援護に駆けつけていれば、多少は違っただろうか。


「タラレバか・・・」


 フラニーはため息を吐いてレイピアを剣帯のカラビナに取り付けると、ロッジの玄関口に向かった。





「セージ、それは少し小さくない?」


 ラーラに指摘されて手にしたキュウリをしげしげと眺める大男。


「小さいか?」


「あと一日待った方がいいわ。そっちの隣のを取って?」


「そうか」


 以前の彼だったら、ハーピーのラーラが畑に入る事は絶対に許さなかっただろうし、こうして共に作業するなど考えられなかったが、今のセージはラーラの事を性処理の相手ではなくパートナーとして扱ってくれている。

 それは、とても嬉しい事であり、心地の良いものだった。

 何より、以前の彼ならばラーラの言う事に一切耳を傾けなかったが、今はちゃんと会話が成立している。

 嬉しさが滲み出ていたのか、彼女の顔を見てセージが首を傾げる。


「おい、俺が間違えたのがそんなにも嬉しいのか?」


「ふふ、ごめんなさい。そうじゃないわ」


「うん?」


「こうして、普通に話せるのが嬉しい。以前の貴方は、もっと距離があったから」


「そうか・・・。死にかけて良かったのか?」


「それは別。無茶はしないでね」


「わかっている」


 二人はそんな会話を終えると、畑仕事を再開した。

 三匹の子供達がじゃれ合う声が、遠巻きに聞こえてくるのが止む。

 セージとラーラが畑仕事を中断して畑から出ると、飛び跳ねながら駆け寄って来た。


「ママー」

「とうちゃー」

「おなかへったー」


 肩をすくめる二人。

 ラーラは小さめの笊に乗せたキュウリとトマトを抱えて、馬小屋に足を向ける。


「子供達に食べさせてくるから、お客さんの相手をしてきて?」


「たまにはスープにしたのを食べないか?」


「火を通すと、子供達ぐずるから。香辛料入れた物は、お腹壊すし」


「そうか・・・。人間と同じ食事というわけにはいかんのだな」


 ひどく残念そうな顔をするセージに、ラーラが微笑み掛けて言った。


「気にしないで。逆に人間は、火を通した方が身体にいいのだから」


「すまんな。客が帰ったら、昼は一緒に食べよう」


「ええ」





 セージがロッジに戻ると、玄関口のバルコニーの階段脇で手摺に寄り掛かかるフラニーの姿があった。

 既にレイピアを腰に下げ、旅立つ準備が整っているように見える。

 セージは何も言わずに階段を上ると、玄関の扉を開いて言った。


「飯は食うか?」


「いいわよ。どうせ味しないんでしょうし」


 そう言ってフラニーが階段を下りていく。

 下りきったところで、振り向いて言った。


「あのハーピーと、結婚してるの?」


「ハーピーに結婚という概念はないがな。同じ様なものだと思っている」


「あ、そう・・・」


 フラニーは背を向けてため息を吐く。


「何にしても、ハーピーと言えば旅人に空から不意打ちをかけて追い剥ぎするような卑劣で汚らしい魔物よ。人の気持ちだって簡単に裏切るでしょうし。せいぜい気をつける事ね」


「それはいいが、そんな軽装で町まで大丈夫か。ゴブリンが出たと、ラーラは言っていたが?」


 しばしの沈黙。


「ふん。こう見えてもね。私、レベル4の冒険者なの。多少は魔法も使えるしね。ゴブリンの一匹や二匹大したこともないわ」


「そうか、達者でな」


 冷たく言い放って部屋に入ろうとするセージ。

 簡潔に会話が終わってしまった事に慌てて、フラニーが言った。


「あー! あー! でも枝払いもしてない悪路を歩くと道に迷っちゃうかもー!?」


 興味なさげに彼が振り向き、気怠そうに視線を投げかけてくる。


「エルフなのに、森で道に迷うのか?」


「悪かったわね生まれ育った森じゃないのよ!」


「やれやれ・・・、森の民が聞いて呆れるな。ちょっと待ってろ」


 そう言ってロッジに入って行くセージ・ニコラーエフ。

 ややあって、鎧替わりなのか獣の鞣革のマントと一体化している様なハーフコートに身を包み、右腰に弓筒と20本の矢、背中に両刃の大斧、左手に短弓という出で立ちで出てくるやフラニーを見下ろして言った。


「狩のついでだ。通りまでは送ってやる」


「あ、ありがと・・・」


「ちょっと待ってろ」


 そして、馬小屋の方へ。

 少し離れて付いていくフラニーを他所に、馬小屋に顔だけ忍ばせて母ハーピーと会話するのが聞こえてきた。


『エルフを送ってくる。狩のついでだ』


『遠くに行くの?』


『そこまでではない。町に出る通りまでは送るつもりだが』


『そ、わかったわ。気をつけてね』


『子供達を、あまり森の深くには行かせるなよ』


『大丈夫よ。わかってる。家の周りで遊ばせるわね』


『そうしてくれ。飛ぶ練習はさせてるのか?』


『少しずつね。でも馬小屋より高い所からは練習させないわ。落ちる事しか出来ないから』


『無理しない程度にな。おい、ガキども、ママの言う事をちゃんと聞くんだぞ』


『『『あーい』』』


『行ってくる』


『行ってらっしゃい』

『いてらー』

『おとうちゃいてらー』

『てらー』


 家族っぽいやり取りを見て、無性に虚しさが増してくるフラニー。

 半ば落ち込んだ様子のエルフ娘を見て、彼女の元にやって来たセージは呆れる様な顔をして言った。


「家族が恋しいなら、くにに帰ればいいだろう。そんな軽装で冒険者が務まるでもないだろうに」


「うっさいわね! この鈍感朴念仁! あんな退屈な場所に未練なんかないわよ!」


 話を振っておいて興味なさげに歩き出すセージ。


「さっさと行くぞ。狩に使える時間も限られているのだからな」


「うわー! この冷徹男! うわー!」


「やかましいエルフだ・・・。おら、さっさと行くぞ。お前も宿を探さんとならんだろうが」


「ちょーイラつくこいつ、うわー!」


 彼、セージ(誠司)の中のエルフ像は、清楚で気品にあふれたお淑やかでありながら武芸に優れたお嬢様と言ったイメージだったのだが、ただの町娘と変わらぬ性格のフラニーに多少なりとも幻滅しており、彼女の態度・言動に被りを振って道を急いだ。

 もちろん、セージ(誠司)の勝手な思い込みなのだが、彼女の態度は美しいエルフ娘を恋愛対象から外すのに十分すぎた。

 さっさと獣道に入って行くセージを追って、フラニーは再び懸命に早歩きしなくてはならなかった。

 エルフが森の民と言っても、そう悪路に精通しているわけではないし、エルフの全てが狩人というわけでもない。

 隠者として山林で生活するセージに比べて、明らかに森での行動に劣っていたのだ。

 鬱蒼と生い茂る枝の間を掻い潜り、倒れたり倒木しかけた樹木を躱して歩くセージの歩調は軽快だった。

 必死に彼の背中を追いかけながら、エルフ娘、フランチェスカ・エスペリフレネリカは後悔していた。

 巨大な猛獣に挑んだ戦士に、女癖の悪そうな悪役然とした外見と、レベル3冒険者を軽くあしらった戦闘力に惚れ込み、付いて来てしまった事を。

 何より、勝手に独り身だと思い込んで、押掛女房になれると思い込んでいた事に。

 ただ、世間的には卑しく、汚らしく、卑劣で残忍な臆病な魔物とされて来たハーピーとネンゴロの関係だった、というのは今でも納得が出来ない。

 一度町に戻り、気持ちを整理してそれでも、という想いがあったら、もう一度尋ねようとは考えていた。


(出て来ちゃったけど、やっぱりハーピーに負けたなんて納得できない。ほとぼりが冷めたらまた会いに来てみよう)


 何だかんだで、諦めの悪いフラニーであった。




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