第7話 二人の褥、一人の褥
馬小屋は、一応は全周を壁で囲まれた木造の建物ではあった。
ただし、床は無く土の露出した地面に直接触れる為、決して人が住む環境ではない。
建物は、5メートル角の四角形で、中央に丈夫な柱を備え、二頭の馬を住まわせる事が出来る。
とはいえ、馬を所有しているわけではないので無用な長物なのだが、セージ・ニコラーエフの記憶としては北から流れてきた当時は愛馬が居たようなので、その名残なのであろう。
馬を繋ぎ止める為に木の板を組み合わせて仕切られた二つの部屋的な柵があり、その右側で子供達がばたばたとはしゃいでいた。
ハーピー達の寝床用なのだろう藁の山が引き散らかされ、馬小屋中に埃が舞っているのを見るなり、セージが不機嫌そうに吠えた。
「お前ら、いい子にしてないと追い出すぞ」
「おとうちゃんー」
「おとー」
「ちゃーん」
相手にしてもらえて嬉しいのか、叱られているのに翼を頭上に振り上げて無邪気な微笑みを向けてくるハーピーの子供達に、怒っ気を抜かれて大きくため息を吐く。
仕切りに掛けておいたシーツを掴むと、子供達を見下ろして言う。
「無茶苦茶にしやがって。散らかした藁を元通りにしろ」
「元どおりー?」
「どおりー?」
「どうやってー?」
「丸く平たくだ」
「まるまるー!」
「ぺたぺたー!」
「くるくるー!」
言われた事が分かっているのか分かっていないのか、子供達は嬉々として仕切られた部屋を円を描くように駆け回り、足で、翼の先で、散らかった藁を叩きだした。
不思議と叩かれた藁は部屋の真ん中に集められ、小高い小さな丘のような形になった。
その上に、セージは片手で器用にシーツを広げると、ぽんぽんと表面を叩いて見せる。
「コレは何だ?」
「ふかふかー」
「ほかほかー」
「すやすやー」
「ああ、そうだ。ベッドだ」
「「「べっどー?」」」
「乗ってよし。暴れるなよ」
「「「わーい!」」」
一斉にピョコンと、即席のベッドに飛び乗るハーピーの子供達。
遊び足りないとゴロゴロと寝返りをうつが、1分と経たずにウトウトし始めて寝息を立て始める。
セージは被りを振ってため息を吐いた。
「子供というのは・・・」
「セージ・・・」
隣からラーラの声が聞こえ、そちらを覗いてみると既にシーツを敷いた藁の上に美しいハーピーが腰をかけて微笑み掛けてきていた。
その傍に屈みこんでキュウリとトマトを差し出して言う。
「好きに遊ばせてたのか」
「こんなに安心できる場所、ここ以外にないもの。森の中はいつだって危険と隣り合わせよ。ここに来るのだって、外敵に襲われないかヒヤヒヤしたんだから」
「それと放置するのは違うと思うが」
「たまにはパパに面倒見てもらわないとね」
「しかし、子供が居るとはな」
「この間あったばかりじゃない」
しばらくの沈黙。
セージが困ったような怒ったような表情でトマトとキュウリを差し出す。
ラーラはトマトを受け取ると、翼の関節で器用に持って一口食べ、心配そうにセージの顔を覗き込んできた。
「何かあったの? 少し雰囲気が違うし。あのエルフと浮気?」
「馬鹿を言うな。あいつが勝手に付いてきただけだ」
「じゃあ、何?」
再びの沈黙。
考え込むようにセージは被りを振ると、ゆっくりと話し始めた。
「落ち着いて聞いてくれ」
「なぁに?」
「俺は、一度死んだのかもしれない」
ラーラの目付きが鋭くなる。
どんな嘘を吐くのかと、見定めるように。
セージは、この娘にはちゃんと話すべきだと感じて、相手の反応を気にすることはせずに続けた。
「スクーラッハ寺院で、治療を受けて助かったんだが、記憶が曖昧でな。色々と忘れている事が多いらしい」
「私の事も?」
「最初は思い出せなかった。子供達の事も、最初は達の悪い魔物かと思ったくらいだ」
「酷いのね」
「そう言われても仕方がない。それに、」
「うん」
「俺は、俺であって、俺でない誰かがこの中に混在している」
意味を測りかねて睨みつけてくるラーラに、その目を直視出来なくなってそっぽを向いて言うセージ。
「日本人って知ってるか?」
「ニホン人? 何処の国の人?」
「多分、別の世界だ」
「よくわからないけれど・・・」
「別の世界の俺と、今ここに居る俺は、同じ時間に命を落とすほどの大怪我を負ったんだ。と思う」
「そうなの?」
「いや、向こうの世界の俺の方が先に死んだんだろうな。気がついたら、目の前に巨大な熊がいて、襲い掛かってきて。死に物狂いで戦って倒したんだ。それでも、スクーラッハ寺院に連れ込まれなければ、やはり死んでいただろう」
そう話すセージの顔を覗き込むラーラは、何処と無く寂しげに彼の瞳の奥を伺っていた。
ラーラは気付く。
少し前のセージであれば、その瞳に宿していたのは狂おしいほどに狂気に満ちた、荒れ狂う戦士の物で、彼の方からラーラを奪うように抱く事はあっても気休めであれ気遣う様子は微塵も見せた事がない。
娘達の事も、いつ頃から抱けるようになるか、あるいは、時折山小屋に訪れる狩人や木こりを相手に商売しろなどと言ってくるほどのクズっぷりだったのだが、今、目の前にいるセージ・ニコラーエフらしき傷だらけの男は子供達を不器用ながらもあやし、ラーラに彼女の事を忘れていた事を謝罪する程度の気遣いはしている。
(今の彼の言葉はよくわからないけれど、もしかしたら本当のセージは、ガランジャに殺されてしまったのではないかしら・・・。別の世界のセージ? は、ほんの少しだけ長く生きていて。でも、死んでしまって・・・。この世界のセージの身体に入った? そして、運良くスクーラッハ寺院まで生き長らえた・・・)
もちろん、ラーラの勝手な妄想ではあるが、さりとてあり得ることではないかとも思えた。
「どうかしたか?」
口調は相変わらず無愛想な怒り口調なのに、何処と無く優しさが滲むセージの言葉に、ラーラが微笑む。
「ううん。今の貴方、前よりも優しい目をするようになったかもって」
「そうなのか?」
「ふふ・・・。ほら、いらっしゃい」
ラーラが翼を大きく広げ、藁の山にシーツを掛けただけの簡易なベッドの上で腰掛け、両脚を同じ様に大きく開いて見せる。
セージは何処と無く、彼女の中に入っていくのは間違いなのではないだろうか、と言う疑問を抱きながらもその魅力に抗う事が出来ずに彼女の両脚の間に膝をつく。
ラーラが大きく開いた翼を彼の大きなよく鍛えられた背に回して包み込み、自らの胸の中に彼の顔を埋めて耳元に吐息を吹きかけるように言った。
「前の貴方は怖かった。でも、そこが好きだった」
「あ、ああ・・・」
「でも、今の貴方の方が好き・・・。優しい目をしている。私を、ちゃんと見てくれている気がする・・・」
「そうか・・・。善処する・・・」
「難しい言葉を言う様になったのね」
翼の関節でセージの頭をそっと掴む。
関節の先には、人間でいう手にも似た、しかしそれよりもずっと小さな手の平のような場所があり、細い指が三本出ている。
その「手」で、セージの顔を起こすと、熱い視線でじっと見つめる。
セージは、吸い寄せられる様にラーラの背に両腕を回して彼女の顔に近付き、唇を奪った。
「遅い・・・」
フランチェスカ・エスペリフレネリカは、固いベッドの上で仰向けに寝転がって野獣の様な男が襲い掛かってくるのを待ち構えていた。
身も心も準備は万端だ。
しかし、エルフの女としては男を貪るなどはしたない極みなので、まずは拒絶から入らなければ、と思う。
嫌がるエルフ娘はしかし、無理に彼女の身体を抑えつけて欲望をぶつけてくる
そこで初めて上げる、はしたない喘ぎ声。
(ああ! これこそが、待ち望んでいた結末! 内心ではオークとか熊とかに襲われたいとか変態みたいな事想像してたけど、本当に襲われたらきっと殺されちゃうし。そう考えると、理想の彼氏よね! ハーピーと中良さげにしてたのは減点だけど)
毛布をギュッと抱きしめて固いベッドの上でゴロゴロと寝返りをうつ。
(そしてそして、孕まされちゃうんだわ! そしてそしてこう言うの! 『お前は俺の子を孕んだ。だからもう、お前は俺の物だ』きゃーーーーー!)
非常に残念な妄想エルフ娘である。
(それにしても遅いわね・・・。物音一つしないし・・・)
そーっと、ベッドから降りて扉に聞き耳を立ててみる。
玄関の扉が開かれる音が聞こえた。
木の軋む音。閉められる軽い衝撃音。
明らかに大男の大きな足音が近付いてきて、ガチャリっとドアノブをひねる音が聞こえ、
(き、きたーーーーー!)
慌ててベッドに潜り込み毛布を頭から被ると、ギリリっと建てつけの悪い扉が開かれる音が聞こえ、それなりに勢いよく閉められた。
(きちゃった! とうとう! この時がー!)
心臓がバクバクと悲鳴を上げる。
毛布を剥ぎ取られたら、まずどんな顔で驚いてあげよう。
襲い掛かってきたら、どんな罵詈雑言で罵ってやろう。
そして、罵られて怒り狂った彼が、フランチェスカ・エスペリフレネリカを滅茶苦茶に襲うのだ!
足音が遠のく。
(・・・・・・・・・・・・ん?)
遠のいた足音。壁の向こうでベッドの軋む音が二度ほど聞こえ、静かになった。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・んんんんん???)
さっとベッドから飛び出て、軽快な足さばきで音もなく壁に駆け寄ると、隣の様子に聞き耳を立て、やがて安らかな寝息の音が聞こえてきて悟った。
完全に、エルフ娘の事など眼中になく、完璧なまでに、無防備に、
(寝たーーーーー!!!!! なんで!? どうして!? こんな美少女がいるのになんで普通に寝られるのよ!?)
そんなのは嘘だ、と言わんばかりに聞き耳を立て続け、「ぐおー」というイビキが聞こえ始めたところで諦めた。
「あはは・・・ははは・・・。本気で、気遣いだけで泊めてくれたのね・・・。つまり、明日本当に追い出すつもりという事ね・・・」
がっくりと肩を落としてベッドに腰を掛ける。
そもそも本気で犯すつもりだったなら、冒険者ギルドで他の男どもがしたように妙な優しさを見せるものなのだろう。
所が、最初から、わざわざ、フラニーに嫌悪感を抱かさせようと値踏みする様に視姦してきたり、付いてきたら犯すぞなどとうそぶいてみたり、まるではなっから嫌われようとしていたようではないか。
ちょっとばかりタイプな男だったからと、荒々しい物腰に勝手にその気になって付いてきて、ハズレですと言わんばかりに捨てられた子猫の様な気分だ。
そもそも、夕刻にやってきたハーピー達とはかなり親しげに見えた。
その時点で、「無い」と気付くべきだったのか。
フラニーは呆けた顔のままベッドに横になり、毛布を頭から被る。
そして・・・朝までふて寝した・・・。
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