(9)

「グ……グルリット中佐……今度、問題を起こしたら、き……君の生首が禁軍・枢密院の真ん前に飾られる事になるから覚悟しておきたまえ」

 ランダ大佐の顔は真っ赤になっていた。微妙に呂律が回っていない珍妙な口調だが、笑う訳にはいかない。下手に笑おうものなら、中佐より先に私の生首が展示される羽目になる。これは、大佐が本気で怒っている証だ。

 この状況で、唯一、私にとって幸運な事が有るとすれば、今日1日の内に経験した事のせいで、感情が麻痺している事ぐらいだ。つまり笑い出した挙句、物理的な意味で首を失なう心配は無い。

「そりゃいい、任務以外で死んだ最初の『鋼の愛国者』として、俺の名前が、デカデカと歴史に刻まれる事になりますな」

 言っている事は減らず口だったが、実の兄を失なった直後だけあって、その口調には、いつもの陽気さは無かった。

「き……貴様……なら、貴様を殺す前に、不名誉除隊にして『鋼の愛国者』の資格を剥奪してやる……」

 今度は口から泡を飛し出したが、これは更に怒り狂っていると云う事を意味している。

「はぁ、お好きなように……」

 ランダ大佐も、本当にグルリット中佐を不名誉除隊にする事など出来まい。グルリット中佐は、単なる「鋼の愛国者」最強の戦士では無い。2番手にさえ大差を付けた「最強」……今の時代における「最強」のみならず「歴代最強」の候補の1人なのだ。

「シュミット大尉……」

「はッ……はいッ‼」

「君には期待していたんだよ。君こそが、私亡き後の13=1の候補の1人だろうとね」

「はいッ‼ありがとうございます‼御期待に沿えるように……」

「だから、君は御期待に沿えなかったんだよ」

「えっ?あ……あの……その……」

「君達2人には、追って懲戒処分が出るだろう。死ぬまで昇進は無いものと思え。せいぜい長生きしたまえ、シュミット大尉。そして、君が、かつて教官として『可愛がった』教え子の部下になる屈辱をじっくり味わってくれたまえ。私も、長生きを望めぬ部隊の一員である以上、その時の君の顔を生きて見物する事は出来まいがね」

 そして……幸か、不幸か、ランダ大佐にとって、私は「怒鳴り付けたり処罰したりする価値すら無い」者だったらしい。

 香港警察から受け取った捜査情報は灰になった。「兄」附きの下士官1名も粉々になった。軍用車1台も同様。そして、無関係な香港の民間人多数が死傷。

 輸送船に残っていた魔導大隊の面々と輸送船の乗務員は、ほぼ全滅。まだ全員の解剖が終った訳では無いが、少なくとも今の所、解剖所見に書かれている医学的な死因は「急性心不全」がほとんどらしい。要は「急に心臓が止まって死んだ以外は良く判りません」と云う意味だ。おそらくは、「水」の力を持つ上霊ルシファーによるもの。我々の目の前で、「太陽」の力を持つ上霊ルシファーが魔導士官の体温を「ほんの少し」上げて瀕死の状態にしたように、人間の体内の「水」に「ほんの少し」の「何か」を行なえば、魔導の徒であっても、あっさり死ぬのだろう。そして、それを防ぐ手段は、従来科学にも神秘科学シアンス・ゾキュルトにも無い。我々の「鎧」を除いては。

 そして、魔導大隊の指揮官であるヨハン・グルリット中佐は死亡。医学上の死因はこれまた「急性心不全」だが、神秘科学シアンス・ゾキュルト的には誰かに行なった霊的攻撃を破られた反動……俗に云う「呪詛返し」だ。

 もし、ロンベルグ少尉が行なった霊的攻撃が破られても、力量が数段上のグルリット中佐が攻撃失敗による反動を代りに受ければ、余程の事が無い限り耐える事が出来る……筈だった。

 だが、敵の術者は、自分に向けられた霊的攻撃を別の者に向ける呪法を使っていた。……そして、その「別の者」こそが、よりにもよって、上霊ルシファーだった。俗な言い方をすれば、ロンベルグ少尉は「気付かぬ内に自分から神に呪いをかけてしまう事になる」罠に、見事に嵌ったのだ。

 会議と称する叱責は終ったは良いが、何もする事が無くなった。しかし気付いたら、もう外はすっかり暗くなっている。

 基地の食堂で夕食をとるが、どうやら、感情が麻痺している時は、味覚も麻痺するものらしい。「不味い」とさえ感じないモノを、無理矢理、喉の奥に流し込み続けた。

 万が一、水の力を持つ上霊ルシファーの言っている事が本当であれば「上霊ルシファーの中でも特殊な存在ではあるが、上霊ルシファーの一種に過ぎない」らしい「神の秩序アーリマン」の1人であるテルマ。

 機密扱いになるような研究をやっていた学者の養女であるらしいコ事務官。

 我々の「鎧」の起源に関して、私が知らない何か……それも、機密扱いの可能性が有る情報を知っているらしいエメリッヒ博士。

 ほんの1日の間に、自分の周囲の人達に何かの疑念を持つようになっていた。

 その事を相談出来る者は……居ない。マヌケな事に、今になって、ようやく、自分が生きてきた「世界」が如何に狭かったかを思い知った。

 そして、私達の通常の任務の性質上、戦いで死ぬのは、自分か敵かの少なくとも片方だ。目の前で、仲間や無関係な市民が殺傷される光景を私達が目にするなど想定されていない。あんな光景を目にした事が、「鋼の愛国者」としての任務の遂行に、何らかの悪影響を与えないか、自分でも心配になる。

「シュミット少尉、相席させていただいてもよろしいでしょうか?」

「えっ?あ、どうぞ」

 そこに居たのは、魔導大隊のロンベルグ少尉だった。しかし、私達は、お互い、黙ったままだった。居心地の悪い時間が過ぎていく。

「多分、私は不名誉除隊でしょう。任務中の重過失が理由で」

 どれ位、時間が過ぎただろう。少なくとも、食事が冷めるには十分な時間だったのは確かなようだ。ロンベルグ少尉が、ようやく口にした事は、あまりに重い話だった。

「ちょっと待って下さい。軍で訓練を受けた魔導士官が民間人になるなど……」

 そう、言わば人の姿をした「兵器」である魔導士官が民間人になるなど、通常の歩兵に喩えるなら、除隊後に自宅に突撃銃を持ち帰る事が出来るようなものだ。だから、魔導士官は、通常、除隊しても一生予備役となる。この場合の予備役とは、辞書の「予備役」と云う項目に書かれているような事に加えて、恩給その他の特典の代りに軍の監視下に置かれると云う意味だ。もし、軍法会議で有罪判決が出るような場合でも、魔導士官に限っては、減給・降格・懲戒などの次に重い刑は仮釈放も恩赦による減刑も無しの無期懲役になる。

「もう、私は魔導士官では有りません。肩書を除いては。その肩書も、間も無く剥奪されるでしょう」

「えっ?」

上霊ルシファーに攻撃を仕掛けるような真似をすれば、どんな霊的存在でも無事では済みません。少なくとも、人間が先天的素質と訓練のみで契約を結べるような霊的存在では……。私に力を与えてくれていた『守護天使』は消滅しました」

「そ……そんな……」

「私が、再び、魔導の力を使えるようになるとしても、一から修行をやり直して以降です。何年かかるか判りません」

「そ……その、魔導士官の訓練の事は良く知らないのですが、今まで、何年ぐらい……」

「子供の頃からの十年前後の訓練が……一瞬にして無駄になりました」

「あ……何と言えば良いか……」

「でも……中佐は命まで失なった……。私のせいで……」

「どのような方だったのですか」

「部下には慕われていました……何か有っても、まず部下を庇うような方でしたので。しかし、上からはあまり良く思われていなかたようです」

 その点では、弟の方のグルリット中佐と同じようだ。いや、そうか……そう云う事か……。このような場合に、彼女を庇ってくれるであろう上官は……数時間前に命を落してしまった訳なのか……。

 ふと、「もし、自分がロンベルグ少尉の立場なら、明日から、どう生きていくのだろう?」と云う答の出る筈の無い疑問が脳裏に浮かんだ。今までの生涯で積み上げてきた全てが、一瞬にして消え去った後も、いつ終るとも知れぬ人生が続くのだとしたら……。

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