(8)

「そ……そんな……私は……まさか……」

 他の魔導士官に支えられて、やっと立っているロンベルグ少尉は、苦しげな表情で、荒い呼吸の合間に言葉を紡ぎ出していた。

「少尉、ヤツを知っているのか?何者だ⁉」

 ロンベルグ少尉に肩を貸している魔導士官は、そう尋ねた。

上霊ルシファーです」

 ロンベルグ少尉の代りに私が答えた。

「嘘だ……」

「それでは……」

「冗談じゃない……」

 魔導士官達の間に動揺が走る。

「テメェ……」

 自分の兄の応急手当をやっていたグルリット中佐が「大禍津日神」の力を持つ上霊ルシファーに怒りの眼差しを向ける。

「あの小僧を引っ込めろ。宣戦布告の代りにしてはやり過ぎだ」

 上霊ルシファーが、どこかに無線で連絡する。彼女の視線の先に有る存在……「護法童子」の姿は消えていった。

「うおおおおッ‼」

 魔導士官の1人が、上霊ルシファーに向って走り寄り、そして、殴りかかる。

「馬鹿か?」

 その士官の拳が上霊ルシファーに届く前に、彼は地に伏した。服から覗く肌と云う肌が真っ赤になり、滝のように汗が流れている。

 通常の「魔導」は、上霊ルシファーには通じない。しかし、普通に殴ったとしても、そもそも、相手は、好きな時に触れもせずに「魔導」であっても防ぐのがほぼ不可能な方法で、我々の命を奪える化物だ。

「この馬鹿の体温を少々上げたが、治療すれば助かる筈だ。今は見逃す。とっとと帰れ」

「何が目的だ⁉何故、わざわざ現われた⁉何の為に、この惨劇を引き起した⁉そして、私の姉のかたき……あの水の力を使う上霊ルシファーは、どこに居る⁉」

 私は叫んだ。

「へっ?」

 理由は不明だが、上霊ルシファーは、一瞬、間抜けな顔をして、間抜けな声を上げた。

「すまん、その『お前の姉のかたき』が、お前に代れとさ」

 そう云うと、上霊ルシファーは耳に付けていた無線機らしき小型装置を私に投げて寄越した。

 私は、それを耳に付ける。

「おい、危険だぞ‼」

 私の「兄」が、そう叫んだが、私は無視する。

『もしもし……』

「聞こえている」

 日本語だ。そして、日本で遭遇した時と違い、音声は変性させていないようだ。しかし……どこかで聞いたような……私の良く知っている誰かの声に似ている気がする。

『私にも姉が居る。亡き姉を想う貴方の気持ちは理解出来ないでも無い』

「ふざけるな……」

『姉のかたきを討つ機会を与えてやろう。当分は香港近辺に居る。「鎧」込みで我々の元に来い。我々の居場所は、貴方達が「神の秩序アーリマン」と呼ぶ我々の同類が検知出来る筈だ。ただし、「鎧」が起動していれば、我々も「鎧」の大まかな位置は検知出来ると警告しておく』

「同類⁉何を言っている⁉」

『知らされていないのか?貴方達が「神の秩序アーリマン」と呼ぶ存在は、「神」……つまり、貴方達が上霊ルシファーと呼ぶ存在の一種に過ぎん。少々、特殊な「神」ではあるがな。そして、「鎧」の動力源は、「太陽」と「冥界」……2つの神の力を使える特殊な「神の加護を受けた者」の能力を移植したものだ。どうやれば、そんな真似が可能かまでは、私には想像も付かないが、私達「神の加護を受けた者」には、起動した「鎧」を着装した状態の貴方達は「2つの相反する神の力を同時に持つ者」のように見える』

 ツジツマだけは合っている。しかし、それを言えば、正気の人間の言っている事も、狂人の戯言も、真実も、よく考えられた嘘も、同じ程度には「ツジツマが合っている」場合がほとんどだ。いや、下手をすれば、狂人のタワ言や、よく考えられた嘘の方が「ツジツマが合っている」場合だって、いくらでも有り得る。

『では、質問に答えよう。我々の当面の目的は、貴方達の「鎧」から動力源を奪う事。我々の側にも「鎧」を作る技術を持つ者は居るが、動力源だけは製造が不可能……少なくとも量産は困難なのでな』

「当面?別に、もっと先の目的が有るの?」

『究極の目的は、「世界政府」を名乗る者達のせいで、この世界から失なわれようとしている2つのモノを存続させ、可能なら人民の手に取り戻す事だ』

「何なの、その『2つのモノ』って?」

『知れた事だ。「自由」と「民主主義」に決っている。次に、私の友が、この場に現われた理由だが……単なる様子見の筈だったが、予想外の事が起きていたのでな』

「じゃあ、この惨劇は予想外の事だとでも言うつもり?」

『我々も一枚岩では無い。手を組んだ連中が、ここまでの真似をするとは思わなかった。私としては、命を奪うとしても、軍人と権力者だけにしたかったが……無関係な者達を巻き込んだ事は言い訳のやりようも無い』

「ちょっと待って、『ここまでの真似』と言ったわね?ここが見えているの?」

『私の今の居場所を知りたいなら、残念なお報せだ。その無線機には、小型カメラが付いていて、それで見ている。それは、くれてやるから、貴方達で分析するがいい。私達と手を組んだ者達が、どれほどの技術力を持つか推測ぐらいは出来るだろう』

「仲間の情報を渡すと言うの?」

『保険だ。貴方達と手を組むなど論外だが、流石に、牙無き者達を平気で踏みにじる連中を無条件に信用する気にもなれない』

「保険?」

『もしもの場合には、共倒れをして欲しいが、今の所、貴方達が圧倒的に不利だ』

「案外、正直なのね」

『どうかな?』

「もう1つだけ聞かせて。その仲間を、完全に信用出来ないと言うなら、仲間が何者かぐらい教えてもらえない?」

『アメリカの黒人解放運動組織「選ばれし黒曜石カル・オブシディアン」。ブリテンと世界政府からアイルランドを独立させようとしている「アイルランド解放軍」。日本を世界政府から独立させようとしている「黒桜隊」。朝鮮半島を世界政府から独立させようとしている「義烈団」。フランク・グルリットとか云う名の獣化能力を持つ元・世界政府禁軍士官。私が把握しているのは、これ位だ』

「待って、黒桜隊と義烈団は対立している筈じゃ……」

『そうだ。そして、反目し合っている者達を纏め上げた正体不明の組織が有る。「亡命者エグザイルズ」を名乗る連中だ』

 その言葉を最後に無線機は沈黙した。……だが……。

 今度は、私が軍から支給されている小型無線機の通知音が鳴り出した。

『ミリセント少尉‼無事なのか⁉』

「テ……テルマ?」

『何が起きている?』

「一言で説明は……」

『では、これだけは教えてくれ。何故、急に妨害電波が消えた?』

「えっ?何の事です?」

『九龍城地区で、君が日本で戦った2体の上霊ルシファーの片方、水の力を持つ上霊ルシファーが何かの力を使った。そして、それと前後して……軍用無線の周波数に合せた強い妨害電波が使われた』

「待て‼」

 その時、グルリット中佐が叫んだ。いつの間にか、我々に背を向けていた「大禍津日神」の力を持つ上霊ルシファーは、我々の方を振り向いた。

「今、私に喧嘩を売っても、お前たちなど、一瞬で全滅だ。『鎧』込みで来い。私達の居場所は判る筈だ。もっとも……『鎧』殺しの『鎧』も待ってるけどな」

 私はヤツから渡された無線機を外す。ふと、その無線機の表面に印刷されている、見た事も無いマークと、意味が良く判らない単語が目にとまった。

 英語で「青い歯」とは何を意味するのだ?

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