(8)

「犯罪組織同士による抗争が複数件発生しています。県より避難勧告が出されました。徒歩で御自宅や職場や学校に戻れない方は、事態が収まり交通が回復するまで避難所へ避難して下さい。最寄りの避難場所はS神宮、M学園、K小学校、K大学医学部、ブリヂストンおよびアサヒシューズの工場です」

 駅のアナウンスが聞き取りにくいほどの喧騒。駅員や警官にくってかかる人、何故か喧嘩を始める人、人込みを無理矢理かきわけようとする人。JR久留米駅内は、かなりの混乱が起きていた。

「M学園かK大学医学部が理想だったんだが、これじゃ無理だな」

 最寄りの避難所の内、駅に近いのは、M学園だけど、さっきまで、あたし達が居た駅ビルとは反対側の出口まで行かないといけない。一方、S神宮やK小学校は、駅ビル側の出口が近い。この状況では、いつ、駅の反対側に行けるか判らない。

「他の所だと、何が問題なの?」

「筑後川の近くだろ、特にS神宮は筑後川の堤防のすぐそばだ」

「えっ?」

「間違っても、筑後川の近くで、力は使うな。誰かと戦う羽目になったら、それで不利になったとしても、少しでも、筑後川から離れろ。無関係な人を巻き込む可能性が有る時は、特にだ」

『なるほどね。「無関係な人間を巻き込まない」事を最優先にするなら、中々、賢明な判断ね』

 いきなり現われた瑠璃ちゃんが、そう言った。

『どう云う事?』

『ウチも、姉さんも、実は「神」としての「力」は、それほどじゃないのよ。単純で判りやすい「力」って意味ではね。でも、ウチらは、言わば「神を支配する神」。ウチも、姉さん達も、海や川や湖や地下水脈に居る「水の女神」を自由に支配し使役する事が出来る』

『じゃあ、その……まさか、あたしと、瑠璃ちゃんの姉さんの巫女が、S神宮で戦ったりしたら洪水でも起きるの?』

『洪水を起こせない事も無いわね。けど、もっと簡単で派手な方法がいくらでも有るから、そっちがオススメ。まぁ、見世物としては、結構、面白いわね。巻き込まれる人間は、別の感想を抱くかも知れないけど……生きて「感想を抱く」事が可能なら』

 何を面白がってんの、この『神様』は……。

「この辺りに、高架下なんかから、駅の反対側に出る道は有るか?」

 瀾ちゃんが、厳しい表情で、そう聞いてきた。

「有るけど、こんな事初めてだから、行けるかどうか判んない」

『あの〜、お取り込み中悪いんだけど……居るよ、この近くに……もう一人の巫女が』

 いきなり瑠璃ちゃんは、そう言った。

『え? どこ? いつの間に? どこから? どうやって?』

『とりあえず、こんな感じかな』

 次の瞬間、あたしは「その人」の大体の場所が判った。距離・方向・移動速度・どちらの方向に移動しているか。

 そして、「その人」も、あたしが「その人」の居場所を感知した事を知ったようだった。

 距離と方向からして……そして、動きからして……え? 駅の改札の向こう側? ホームの階段を上ってる?

 あぁ、言われてみれば、そうだ。「筑後川、それも、筑後川と宝満川の合流地点よりも下流」を渡って、久留米に入る「道」は道路とは限らない。

『貴方が私の妹の新しい巫女ですね。妹と貴方に話が有ります』

 丁寧な口調の真面目そうな大人の女性の声。いや、これも、声と云うよりテレパシーみたいなモノで、『丁寧な口調の真面目そうな大人の女性の声』に聞こえたのも、多分、瑠璃ちゃんとの性格の違いのせいだろう。

『面倒そうなんで断わる。逃げるよ、治水』

 なんか、向こうの神様の方が立派そうな気がする。あたしが引いたのは、ハズレ籤ならぬハズレ神かも知れない。

『うるさいよ』

『瑠璃、貴方は、いつもそうですね。お気に入りの人間と、つるんで遊ぶ事には熱心でも、自分から進んで人間達を護ろうとはしない』

『ウチらは、そもそも、そう云うモノでしょ‼ 巫女と、せいぜい、巫女の身内ならともかく、それ以外の人間達を護ってやる義理でも有るの⁉ 珊瑚姉さんこそ、ウチら5人の中では……いや「神」の中でも変わり者なのよ‼』

『変ってないのね。昔も同じ事を言っていた……』

『姉さんだって、昔と同じ。本物の「神」のくせに、ずぅ〜っと長ぁ〜い間、人間が空想した人間に都合の良い神みたいな真似をし続けて、何が面白いの?』

 そうか、そう云う事なのか……。

『何となく判ったよ。クサい言い方だけど、この世界の真実ってヤツが』

『何?』

『神様が本当に居たら、基本的には「厄病神」なんだね』

『あ〜、それに関して残念なお報せが有るけど、いいかな?』

『何?』

『実在してんだよ、ウチら。「本当に居たら」じゃなくて、本当に居るの』

「瀾ちゃん……」

「どうした?」

「例の人、すぐ近くに居るみたい」

「え? どう云う事だ?」

「JRで久留米まで来たんだと思う。ここの駅の中に居る」

「そいつ、フザケてるの……いや、あっちこっちで騒ぎを起してるのは囮なのか? それとも、あの騒ぎを引き起してしまったせいで、移動手段が鉄道しか無くなったのか?」

「どうするの?」

「逃げる事で事態が解決する訳じゃないけど、逃げないのは、もっと論外だな。もう一人も、この状況で身動きが取れなくなってる事に期待するしか無いか……」

 瀾ちゃんが、そう言って、あたしの手を握った。

「でも、話は通じそうな相手だったよ」

「え?」

「いや、向こうの『神様』が、こっちに話しかけてきてさ……」

『面倒くさいから逃げよう‼ 面倒くさいから逃げよう‼ 面倒くさいから逃げよう‼』

 いや、もう、どっちみち、面倒くさい事になってるよ、瑠璃ちゃん。

『そうやって、ずっと逃げる気なのですか? 自分の巫女のかたきも取らずに…』

 今度は、もう一人の「神様」が、いきなり気になる事を言い出した。

『アレと喧嘩する気? しかも、アレとの喧嘩にウチとウチの巫女を巻き込むつもりなの?』

『どう言う事?』

『後で話す。ウチの馬鹿姉が、おっぱじめるつもりの喧嘩に巻き込まれたら、満に続いて治水も死ぬ』

『でも「あれ」は人と私達の両方にとって危険な存在ですよ。それでも……』

『うるさい。そんな面倒な事は「人間の守護者」を気取ってるかみなり野郎にでも任せときゃいいのよッ‼』

「どうした? また、例の神様が何か……」

 瀾ちゃんが心配そうにそう言った。

「いや、何かややこしい事になってるみたいで……」

 その時、声をかけたのは、M学園で会った瀾ちゃんの同級生だった。

「お〜い‼ 高木ぃ〜‼」

「すまん。私の知合いのせいで、更に、ややこしい事になったようだ……」

「凄い事になってるな……」

 人込みを掻き分けて、やって来た……ええっと……。

「そう言えば、名前を聞いてなかったような……」

「何でもいいだろ。油虫並男とか」

 冷めた口調で、酷い事を言う瀾ちゃん。

「ええええええっと、望月です。望月敏行」

「あ、瀾ちゃんの妹の治水です」

「で、高木と…治水さん…は、どうすんだ?」

「S神宮かK小学校に避難する。いくぞ。離れるな。あと、望月、お母さんには連絡したのか?」

「えっ? お袋? 連絡?」

「この調子だと、いつ、電話の回線がパンクするか判んないぞ。早い内に、今の状況と、いつ帰れるか判らない事を、お母さんに連絡しとけ」

「お袋は、今、ベトナムに出稼ぎに行ってる。……なんで、俺、当分は一人暮らし」

「出稼ぎ⁇ あと、それ県警にバレたら、マズいだろ」

「それ、お前の家も同じだろ」

「私は鳥栖の伯父さんの家に居るから大丈夫だ」

「あ、そっか……。ともかく、お袋の勤め先がベトナムの企業からソフトの下請開発を受注したんで……4月からは日本こっちで作業出来るけど、今月末までは客先常駐」

「そう言や、そうだったな……。でも、この状況だと、向こうでもニュースになってる可能性が高いから、無事だって事だけは伝えられる内に伝えといた方がいい」

 やがて、駅の外に出ると、駅前の道路では、ほとんどの車は路肩に止まっていて、歩道は人込みでごったがえしていた。

「車道を歩いても大丈夫です。車の方は、なるべく、車を止めて、徒歩で避難所へ言って下さい。近隣の駐車場を開放しています。自転車やバイクも使わないで‼」

 一面の黒雲に覆われている空を飛ぶヘリから声が響く。

「おい、避難所に、この人数が入るのか?」

 望月くんが、そう言った。

「判んないけど、行くしかないな」

 瀾ちゃんは、そう言って歩き出した。

「あれ?」

 いつしか、この時期にはめずらしい小雪が宙を舞い出していた。

 その時、もう一人の巫女が、あたしの居場所を探っている事に気付いた。

『え? 子供連れ』

うしろに居る男二人は、一人は人じゃ無いモノの血を引いてて、もう一人も変な力が使えるみたいね。でも、あの子供達は…多分、普通の人間ね』

 駅の入口、エスカレーターを降りた所に、『その人』の姿が有った。

 黒い革ジャンにサングラスの二十代後半ぐらいの女性。

 その後には、連れらしい旅行用のスーツケースを持った二人の中年の男性が居た。一人は、背が低く痩せていて、もう一人は、背はそこそこ、太り気味で、サングラスに帽子を付けている。

 そして、『その人』は、両脇に居る、あたしより3〜4歳ほど年下らしい男女一人づつの子供達と手を繋いでいた。

『瑠璃ちゃん。結局、どうすれば良いの?』

『あんた、家の机の上にオモチャの……ヒーローだっけ? あんなの飾ってるけど、ホントに、あんな恰好して悪人をブチのめしたい訳じゃないでしょ?』

『当り前だよ。そんな事を考えるのは子供だけだよ。それも、TVやネット番組でヒーローものが放送されてた昔の時代の』

『ウチの馬鹿姉の話に乗ったら、満を殺した奴と戦う羽目になる。めでたくヒーローデビューだね。でも、あんたは、満や、あんたの母親みたいに、戦って命を落す可能性が高いわね。その一方で、そこに居るあんたの片割れや、その仲間から下手に力を借りたら、やっぱり同じ事になる』

『……えっ⁈ いや、待って、どう云う事?』

『満を殺したのは、あんたの父親。それをやらせたのは、かなりタチの悪い神。そして、あんたの片割れは……多分だけど、満のかたきを取る為に、自分の父親を殺すつもりだよ。そして、ウチの馬鹿姉は、あんたの父親を唆して満を殺させた神と喧嘩しようとしてる。当の本人達が気付いてないだけで、ウチの馬鹿姉とあんたの片割れのやろうとしてる事は、ほぼ一緒』

 ええええ⁇ 待て、待て、待て、待て、待て。何がどうなってるの⁇

「どうかしたか?」

 瀾ちゃんは、あたしの様子が変な事に気付いたらしい。

「いや、何でも無いよ。何でも無い。ホントに何でも無い……」

 自称「神様」。その姉だと云う別の「神様」。そして、自称「神様」の言ってる事が本当なら、あたしと自分の父親を殺そうとしているらしい、あたしの「お姉ちゃん」。誰を信用すりゃいいんだよ?

『気を付けなよ。あんたの片割れが、ウチの馬鹿姉の目的が自分と一緒だと気付いたり、逆にウチの馬鹿姉が、あんたのそばに、自分と同じ事を考えてるヤツが居るって気付いたら、話は更にややこしくなる』

 いや、そんな事言われても、あまりに無茶苦茶かつ非現実的で、頭の整理が追い付かないよ。

『よ〜く考えてよね。次の巫女が居ない状態で、あんたに死なれたら、ウチが困る』

『ちょっと待て……どう云う事? もし、瑠璃ちゃんの巫女が居なくなったら、どうなるの?』

『ウチは人との絆を失なう……。そして、人との絆を失なった「神」は……何て言うかな……う〜ん……あんたの脳味噌の中に巧く説明出来る概念が無いんだけど……すご〜く雑な説明をすると……心や意志を失なって「神」じゃなくなり、まぁ、ええっと……単なる力や自然の摂理になってしまう。そして……ウチら姉妹全員の巫女が居なくなったら……ウチらを通じて人間との絆を結んでる、地球上の全ての「水の女神」に同じ事が起きる』

 ちょ……ちょっと待ってよ……。何か、あたし、思ってたよりすご〜くデカい事に巻き込まれてるの?

「どうかしたか?」

 瀾ちゃんが、あたしの方を見てそう言った。

「な……何でも無い……」

「そうか……はぐれるなよ」

 瀾ちゃんは、あたしの手を取ると再び歩き出す。

「あの……高木……俺の手は……」

「馬鹿なのか、オマエ?」

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