(7)
「あれ? 今日は、お父さんや伯父さんは?」
駅ビル内のうどん屋『玄洋』の店員さんは、瀾ちゃんに、そう声をかけた。
「二人とも仕事です。そう言えば、おっちゃん……じゃなかったオーナーは?」
「齢だからね……今日も体が痛いって言って休み」
店員さんは、そう言うと、注文の品を並べた。
あまりと言えば、あまりな事を聞いたばかりなので、あたしは平静を装うのが精一杯だが、瀾ちゃんは、結構、平然としてる。
桜姉さんは、丸天うどん。
あたしは、かしわうどん。瀾ちゃんには、何が起きるか判らないから、食える内に食っとけ、と言われたけど、流石に食欲が湧く状況じゃないので小サイズだ。
「おまえなぁ……」
「何か?」
「……あ、桜姉さん…柚子胡椒取ってくれる?」
「ほい」
「じゃあ、葱を取ってもらえます?」
「自分で取れ、チビ」
そして、瀾ちゃんの前に有るのは……。
「人の金で食う昼飯は、さぞ美味かろう……」
心なしか、桜姉さんの声が、昔のホラー映画の怨霊の声みたいに聞こえる。
「育ち盛りですから」
瀾ちゃんは、大盛り肉うどん(追加トッピングで、ごぼ天と温泉卵)を一口すすると、かしわおにぎりをパクついた。そして、また、うどんを一口。次は、稲荷ずしを口に運ぶ。
「栄養のバランスが良くないんじゃないか?」
「じゃあ、夕食で野菜を補いますよ」
「ああ言えば、こう言うな……。で、合格したの?」
「残念ながら……」
「まぁ、滑り止めは
「あたしが、あの手の服、苦手なの知ってて言ってるでしょ」
「……えっと……で、お前は?」
「なんとか合格です」
相変わらず、お行儀は悪くないのに、食べる速度は、妙に速い瀾ちゃん。
「瀾ちゃんが言ってた、伯父さんの知合いがやってる飲食店って……」
「そう、ここ」
「そう言えば、お前の父さんって、何やってるの?」
「肩書はNGOの理事ですけど、実際には、生活費の方は株が中心で……」
「投資家か何かなの?」
「いえ、昔、祖父の姉夫婦が会社を作る時に、祖父が、かなりの金額を出資して株主になって、祖父が死んだ後、その時の株式を相続したんですよ」
「どこの会社だ?」
「門司にある高木製作所ですけど」
「え〜‼ お前、あそこの親類だったの⁉」
「そうですよ」
「念の為に聞くけど、高木製作所って、作業用パワードスーツの
「ええ、そこです」
「治水……」
「なに?」
桜姉さんの声の調子が、一瞬にして変った。
「喜べ……私達、大金持ち様の親類だぞ……」
天国に居るような顔をしてる桜姉さん。
「ん⁇ ちょっと待て、姉夫婦って、言った? 昔は、婿養子なんかは別だけど、結婚したら旦那さんの名字を名乗るのが普通じゃなかったっけ?」
九州各県では、私が小学生の頃に「強制的夫婦別姓」「改姓禁止」の条例が成立した。条例成立以降は、結婚や養子縁組をしても、名字は元のままだ。と言っても、桜姉さんは、条例成立前に母さんの養子になったので、名字はあたしと同じ「眞木」だ。その条例の表向きの理由はともかく、本当の理由が、「関東難民」かを判別する方法の1つが「この辺りでは、ほとんど無い名字か?」だったのは、子供でも知っている。
そして、それ以前の夫婦同姓の時代は、結婚の際は、奥さんの方が名字を変えるのが普通だったらしい。
「結婚した頃に、夫婦そろって実家と縁を切りたい事情が有って、相手の名字を名乗ろうとしたんですが、じゃんけんで負けたのが、祖父の姉の方だったみたいで」
「何か、ややこしい一家だな……」
「あと、ついでに、そんなに儲けてませんよ。
「えっ? そうなの……?」
「基礎研究や設計や試験は得意でも、大量生産のノウハウはイマイチなので……」
「あぁ、だからブランドは『高木製作所』なのに、実際に作ってるのは韓国や台湾や東南アジアの企業なのか……」
「もう、設計の拠点も海外に移す事を検討してるみたいですよ」
「桜姉さん、何で、そんなに詳しいの?」
桜姉さんと瀾ちゃんの妙にマニアックな会話についていけなくなるあたし。
「いや、私が入社する前だけど、カイシャで高木製作所製のパワードスーツを使う話も有ったけど結局NGになったらしくて……」
ちなみに、桜姉さんは、よく、職場の事を「カイシャ」と呼んでるけど、その桜姉さんから前に聞いた話では、主な
「ごちそうさま」
いつの間にか食べ終ってた瀾ちゃんはポーカーフェイスのまま、そう言うと、軽く頭を下げた。
「ちょっと、トイレ行ってきます」
「あ、じゃあ、あたしも……」
ちょうど食べ終わった(と言っても、量は瀾ちゃんの半分ぐらい)あたしも瀾ちゃんに付いて行く。
一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた桜姉さんを尻目に、瀾ちゃんとあたしは、トイレに入った。
「治水も、ここ、良く来てるの?」
「うん、まぁね」
「あ、そっか、ここのオーナーさん、母さんとも知合いだしな」
「へ〜、そうなんだ……。ところで、本当に…その……」
あたしは、だんだん、声を小くして言った。
「強い緊張や恐怖を感じた場合、やってしまう場合が多いそうだ。私もやらかさない自信は無い。出せる内に出しといた方がいい」
年頃の女の子が、一緒にトイレに行ってやるとは思えない、遠回しで殺伐とした会話。
「これから、何が起きるか判んない以上、昼食が、消化吸収が良くて炭水化物が多いもので助かった。すぐにエネルギーに変ってくれる」
「う……うん……」
言ってる事とは裏腹に、妙に、その『強い緊張や恐怖を感じ』るような事態に慣れてるような……。多分、まだ、教えてくれてない事も有るのだろう。
『ねぇ、瑠璃ちゃん……何で、こんな、ややこしい事になってるって、教えてくれなかったの?』
『いやぁ……ウチの同類の事は、ある程度は判るんだけど、人間がやってる事は、ちょっとね』
トイレに入って、膀胱と腸内を空にしながら、瑠璃ちゃんに聞いてみたが……つくづく、役に立たない神様だ。
喫茶店で、瀾ちゃんが教えてくれた事が本当なら、その『瑠璃ちゃんのお姉さんの巫女さん』が、
そして、その騒ぎの台風の目は、よりによって、あたしだ……。
『瑠璃ちゃんのお姉さんの巫女さんは、今、どこに居るの?』
『さっき、筑後川を渡った』
『どの道路を使ったか……なんて判んないよね』
『判る訳無いでしょ、人間が勝手に作った道路なんて。でも、渡ったのは、筑後川と宝満川の合流地点よりは下流ね』
だとすると、その人が使った道は、国道三号線と、県道十七号線では無い。(現在の所有者 兼 管理者は、今は亡き「国」ではなく、国連と㈱日本再建機構だけど、ともかく「国道三号線」と呼ばれてる道路だ)
『え〜っと、その人が、今、居る場所だけどさ……ブリヂストンの工場って判る?』
『わかんない』
駄目だ、こりゃ。
『とは言え、ある程度以上、近くに来れば、治水にも判る筈よ。但し、その場合、姉さんだけじゃなくて、姉さんの巫女にも治水の居場所は判ってしまう』
『その「瑠璃ちゃんのお姉さんの巫女さん」は、あたしや瑠璃ちゃんが、その「巫女さん」の大体の場所が判るって知ってるんだよね』
『うん』
『ねぇ、瑠璃ちゃんの話と、瀾ちゃんの話を総合すると……その人は単なる囮なんて事は無いの? で、その人に気を取られてる隙に、別の誰かに遠くから撃たれるとか……』
『あ〜、あ、そうかもね。だとしたら、人間って、結構、頭が良いかも。でも、向こうの目的は、あんたを殺す事より、拉致する事の方の可能性が高いから、撃ち込まれるのは……人間は何って呼んでたっけ……あの、人間や動物を眠らせるアレ』
『麻酔弾?』
『そうそう、その麻酔弾かもよ。だったら、命は助かるかも』
『それを防ぐ方法は?』
『思い付かない。今のあんたでも、条件さえ良ければ、町1つ滅ぼせるし、周囲の人間の感情や体の状態を読めるけど、遠くから飛び道具で狙われたら、対処方法は、そうそう無いわね。……ホント、人間も進歩したモノね。あぁ、無関係な人間を巻き込んでOKなら、いくらでも手は有るけど、こう云う話をすると、何故か、満も、あんたの母さんも怒り出したんだけど……』
フザけるな、この駄目神様……。
『ねぇ、よく判んないんだけど、何で、あんたも、満も、あんたの母さんも、こんな話すると、怒ったり、イラついたりするの? 時代が下るほど、何故か、そんな反応する巫女の割合が多くなってるような気がするんだけど……』
『本気で言ってるなら、私と瑠璃ちゃんの縁を切りたいんだけど、出来る?』
『ええ〜‼ そんなぁ……ウチと云う者が有りながら、他の女に走るの?』
『フザけてると、本気で怒るよ』
『どこが気に触ったか判んないんだけど、ちょっと大人しくしとけばいいの?』
その時、
何だ⁇ と思って見てみたら、災害通知アプリだ。このアプリ入れてから、通知音が鳴るのは初めてかも。
アプリの画面に表示された地図の広川の辺りに赤い点滅が付いている。瑠璃ちゃんが言っていた「瑠璃ちゃんのお姉さんの巫女」がらみだとしたら、場所がおかしい。
画面を操作して詳しい情報を表示させる。
「何なの……これ?」
そこに表示された情報が本当なら……まるで、私が生まれる前の脳天気な超大作ヒーロー映画だ。
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場所:
福岡県広川町の九州自動車道・広川サービスエリア(上り)
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災害種別:
異能力者または犯罪組織によるテロ・抗争
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災害による影響:
九州自動車道は上下線とも通行止め
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詳細:
複数名の異能力者と4m級の軍用パワーローダー2機の抗争が発生。犯罪組織が、大型トラックで運搬していた軍用パワーローダーを、違法な自警行為を行なっていた異能力者が発見した事により、抗争が発生したものと見られる。パワーローダー2機は上り方面に向け逃走。パワーローダーに損傷を与えた異能力者(複数名)は、ほぼ無傷と見られるも行方不明
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ご近所に戦闘用ロボットが現われて暴れるかも知れません、と警告されても、「見かけたら全力で逃げる」以外の選択肢は思い浮かばない。
訳が判んないまま、席に戻ると、瀾ちゃんは一足先に戻ってて、桜姉さんは、どこかに電話していた。
「治水、職場に戻らないといけなくなった」
電話を終えた桜姉さんは、そう言った。
「災害情報アプリで通知が有ったコレ⁇」
そう言って、私は、
「……多分、すでに、そのアプリの運営団体にも連絡が行ってて、もうすぐ通知が来るだろうけど……複数件の
桜姉さんが、そう行った途端に、災害情報アプリの通知音が鳴った。
画面を見ると、今度は、鳥栖から基山にかけた数ヶ所で赤い点滅が有った。拡大してみると、どれも、高速道路のインターチェンジ近辺や幹線道路上で、しかも、大半が下り線で起きている。
「……就職してからどころか、こっちに来てから十年で、初めてだな、こんな事態。……鉄道もバスも一時運休で、幹線道路は通行止めだ。そろそろ、久留米を含めた十近い市町村に、避難か外出制限の勧告が出る筈だな」
桜姉さんや、桜姉さんの職場「レコンキスタ」は気付いているだろうか? あたしは、さっき、瀾ちゃんから聞いた話のおかげで、事件のパターンが見えた。
事件が起きているのは、博多から熊本に到る道筋だ。そして、久留米より熊本側に有る広川と、久留米より博多側に有る鳥栖や基山では、逆の車線で事件が起きている。
つまり、博多方面から久留米に向っているグループと、熊本方面から久留米に向かっているグループが、それぞれ、複数あり、その途中で、違うグループ同士が戦闘を起してる……らしい。
「ここの最寄りの指定避難場所は?」
瀾ちゃんが、妙に冷静な口調で言った。
「M学園、S神宮、K小学校、あと少し遠いがK大学医学部。ブリヂストンとアサヒシューズの工場も敷地を開放してくれる予定だ。そこのどこかなら、県警か広域警察の警官が来る」
その時、瀾ちゃんの心拍数が、一瞬だけ上がった。
「じゃあ、避難場所に行くか……どこにするかは、外の状況見て決めようか」
瀾ちゃんは、そう言って立上った。
「いい判断だな」
「いくぞ」
瀾ちゃんは、あたしの手を取った。
「無事でな……」
桜姉さんも、席を立った。
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