第1章「姉妹」
(1)
「ねぇ〜、
脳天気な声で、そう言ったのは、瑠璃ちゃん。数日前から、あたしの前に現われるようになった、自称『海を司る竜神の女王である娑伽羅竜王の娘』だ。
声と言っても、多分、テレパシーみたいなモノだろうけど。
「見て判んないの? 食事中」
「『見て』もナニも、ウチに目玉は無い。より正確に言えば、肉体そのものが無い」
本人(いや、人じゃなくて神だとすると『本神』か?)は、そう言ってるが、一応は、瑠璃ちゃんの姿は見える。十歳か、もう少し下らしい女の子だ。
もっとも、瑠璃ちゃんが一旦姿を消した後、服装や髪型、顔の特徴を思い出そうとしても、何故か思い出せない。でも、次に現われた時には瑠璃ちゃんだと判る。
しかも、彼女が現われるようになってから、買い物に行ったりしたけど、あたし以外には、彼女は見えないらしい。
だとすると、この姿も幻みたいなモノなのだろう。
「で、暇だったら、どうするつもりだったの?」
「言いたい事は、頭に思い浮べれば、ウチに伝わるから。まぁ、まだ慣れてないから仕方ないけどね」
「だから、何がしたいの?」
「どっかで、ぱぁ〜ッと派手に遊ばない?」
「あのさぁ、遊びに行く気になるの? 瑠璃ちゃんが言ってる事が本当ならさぁ……」
「うん、
瑠璃ちゃんは、あっけらかんとした調子で、そう言った。
「他界した。亡くなった。身罷った。天に召された。黄泉路を降った。おくたばりあそばした。実体でなくなった。あと、魂の行く先は、ウチの管轄じゃないから、よく判んない。ちなみに死体は原形留めてない」
「なんで、そんなにデリカシー無いの……まるで……」
「『満の亡霊が現われたら、多分、同じ事を言うだろう』って思ったよね? そりゃ、ウチら『神』は
まぁ、確かに、満姉さんも、瑠璃ちゃんと同じく、自分の事を「ウチ」と言ってた。今のあたしと同じ位の齢まで、横浜で育ったの満姉さんが、何故、一人称だけ、こっちの方言なのかは、最後まで良く判んなかったけど。
こんな調子で、深く考えれば考えるほど、次から次へと疑問が湧いてくる。
おかげで、まだ、作り話でも聞いているような気がする。
いや待てよ、瑠璃ちゃんとの会話がテレパシーみたいなモノだとすると、瑠璃ちゃんは、本当に自分の事を「ウチ」と呼んでいるのか? ……ああ、頭がこんがらがる。
「ええっと、そんなモノなの? で、だとすると、その内、瑠璃ちゃんの性格は、あたしに似てくるの?」
「話し方なんかは、段々、あんたに似てくるかも。そう言えば、満が、ウチを継承した直後は、満も同じ事を言ってた。あんたのお母さんが生き返ったみたいだ、ってね」
十年前、富士山の噴火で、静岡県と愛知の大半、そして関東甲信の半分以上が壊滅した、ちょうどその頃、母さんのお兄さん…
その一家で唯一生き残ったのが満姉さんだ。
満姉さんと、満姉さんの同級生で、家族を亡くした桜姉さんは、母さんの養子になり、そして、あたしが中学1年の時、その母さんも仕事で北九州に出掛けて、たまたま立ち寄ったビルで起きた火災事故のせいで死んだ。
以後、満姉さんの女癖の悪さ…男癖の悪さでは無い、念の為…のせいで、満姉さんと桜姉さんが大喧嘩しつつ、いつの間にか家事はあたしの担当って事になり、そんな調子で女3人で一つ屋根の下で暮してきた訳だ。
「で、何で、あたしなの? そりゃ、あたしん
「分家なんてのは、人間の都合や理屈で、ウチには関係ない。それに、その信心ってのが問題で、下手に信心深いと逆に巫女には向かない」
「じゃあ、あたし、どうすればいいの?」
「好きにすれば? あたしの巫女になったあんたの先祖達は、ず〜っと、自分の好きにしてきた。あえて力を使わなかったのも居れば、困ってる他の人間の為に、ウチの力を使ったのも居る。あんたの母さんも、あんたの母さんが死んだ事で、次に巫女になった満も、自分なりにあのマヌケな頭で考えて、ウチの力をどう使うかを決めてきた……とは言え、ここ何代か、巫女は若死にが続いてるからねぇ、あんまり、変な事に関わんないでよ……」
そう。瑠璃ちゃんの話が本当なら、満姉さんも数日前に死んで、しかも、母さんの本当の死因は事故じゃないらしい。
「ま、それに、ウチの巫女になったと、あいつらにバレたが最後、厄介な事になるしね」
「『あいつら』って誰⁇」
「人であって、人じゃない者の血を引いてる連中の中でも、ウチを元々『自分達の神』だと思ってる奴らよ。ウチを人間に取られたと思ってて、取り返すつもりみたいね。それ以外にも色々と…」
「それって、『異能力者』のこと⁇」
富士山の噴火の更に前、あたしが生まれてさえいなかった、二〇〇一年九月十一日のあの事件から始まった『混乱の
『異能力者』と一纏めに言われているけど、改造人間に、先天的に力を持ってる人に、修行で力を身に付けた人、能力の由来を科学的に解明出来てる人達から、霊能者や超能力者としか呼べない人達、あげくには人間かどうかも不明なのまで、様々らしい。
ネットのニュース配信(その中でも、中学生のあたしが見ても、かなり駄目にしか思えないヤツ)なんかでは、「
「ま、おいおい、教えるわ。まぁ、この久留米の辺りは、ウチの事を『元々は自分達の神だ』って思ってる連中の巣窟だしね。あと、少し離れた所だと、
「聞きたくなかったよ……」
「それに、他にも……あ……これは、もう少し、はっきりしてから教えるわ」
「はいはい、嫌な報せだったら、心の準備が出来そうな時に教えてね……」
桜姉さんは、テロや犯罪を行なう異能力者の取締が専門の
血は繋がっていないけど、一緒に育った桜姉さんが、危ない目に遭う度に胃が痛い思いをしてきたのに、あたしまで、そんな目に遭うなんて、真っ平だ。就職した次の年に、『レコンキスタ』の中でも突撃部隊である通称『レンジャー隊』の一員になれた事を喜んでた桜姉さんだが、今にしてみると、心配する方の身にも成ってみろ、と皮肉の一つも言いたくなる。
とは言え、二〇〇一年九月十一日以前の、あたしが知らない「世界」に戻る事なんて無いだろう。その時代を懐しがっていた担任の先生(当時、定年間際)は居たけれど、その先生が話してくれた二十世紀の様子は、おとぎ話にしか思えなかった。
富士の噴火以降、治安が回復してない関東や「関東難民」の人達が住んでいる
と言うか、そもそも、あたしは、その「異能力者」になってしまったらしい。
「ところでさぁ、『満姉さんが死んだ』なんて、桜姉さんや、おばあちゃんに、どう説明すれば良いの⁇」
「ウチに振られても、人間社会の事はイマイチ判んないんで……」
役に立たない神様だ。
「ごちそうさま」
そう言って、あたしは食器を流しに持って行く。
「食事かぁ……食事って面白いの?」
「え? 神社とかのお供え物なんかは、神様の食事じゃないの?」
「え〜っと…何から説明すればいいか……そうね、まず、基本的に、あの手の場所には、ウチらの同類は居ない。人間の言葉で云うなら……精霊とか魔物とか魑魅魍魎とか人間の死霊が居る事は有るけど、ウチらとは全く別の連中よ。ウチらがパシリとして使う事は有るけど、仮にあの手の連中が、どんだけ力が強くなっても、ウチらみたいな『神』には成れない。それに、お供えしてもらっても、ウチらは、基本的に、
納得出来るような、何かが引っ掛かるけど、どこがおかしいか、具体的に判んないような、何とも言えない妙な理屈だ。
瑠璃ちゃんの言った事の、どこが、どう変だと思ったのか、頭を捻りながら、食器や鍋を洗うのは、とりあえず後回しにして(もしくは、桜姉さんに押し付ける事にして)、烏龍茶を入れてたマグカップだけをすすぐ。
「さて、瑠璃ちゃん、いつものヤツおねがい」
瑠璃ちゃんに「例のアレ」を頼んでみた。
「あのねぇ……ウチは神様なの。それも、この地球上の水神・竜神の頂点に立つ
「親の七光だね……。それに『五人の娘の一人』って、この前、末っ子だって言ってなかった?」
「あんたねぇ…ウチの巫女なのに、あのクソ女と同じ事を言うんじゃないわよ‼」
「誰?」
「天照大神とか言う、このチンケな国の中だけではデカい顔してる、猿山の雌ボス猿の、そのまた分身のチンケ神よ‼」
「なんとなく判った。『喧嘩するほど仲が良い』って事だね」
「違うわよ‼」
「照れてる、照れてる」
S神宮の神主をやってる親類が、この会話を聞いたら、卒倒するだろうなぁ。
「人間達が、あそこで祀ってるつもりになってる『筑後川の神』も、ウチの舎弟…いや、女神なのに舎『弟』は変か…ともかく、あれも、ウチのパシリなの‼ ウチのパシリの、そのまた神主が、ウチの言う事に異論を唱えるんなら、あの神社ごと筑後川に沈めるまでよ‼」
「わかったから、食器乾かすのに力を貸して」
洗い終ったばかりのマグカップが、みるみる間に乾いていく。水を操る瑠璃ちゃんの力で、水を水蒸気に変えているのだ。
……パリン。その音と共に、乾かしてたマグカップが割れた。
「えっ⁈」
「早く乾かそうとしたらかよ。短時間に大量の水蒸気が出現すれば、こうなるわよ。人間の言葉で言うなら『水蒸気爆発』ってヤツね」
目の前で起きてる、コレさえ無ければ、あたしだって、瑠璃ちゃんが、自分の妄想の産物だと信じるんだけどさ……。
「そう言えば、明日、何か大事な事が有るんじゃなかった?」
第一志望の高校の合格発表の事かなぁ? 人間的な事を気にする『神様』だな、ほんとに……。
「無理だよ。満姉さんが言うから、受けてはみたけどさ……。まぁ、滑り止めの近所の女子高には合格してるし……何か女子高って性に合わないけどさ」
あたしの第一志望であり、家から自転車で通えるM高校は、県内の公立進学校の中でもトップ5に入る難関だったりする。入試の結果も、正直、ギリギリで合格ラインの外、と言った所だった。
とりあえず、割れたマグカップを片付けるのは後にして、食器棚から大き目のガラスのコップを取り出し、冷蔵庫の中の炭酸水と自分で作ったジンジャーシロップを注ぐ。
食卓の椅子に座ると、手製のジンジャーエールをゴクゴクと飲む。何かアルコールっぽい味がするような気がしないでもないので、シロップの作り方を変えた方がいいかも知れない。
「えっ? ああ、『高校』かぁ……そう言えば、その『高校』ってやつは、初体験だなぁ。ちょっとドキドキするかも」
「いや……ちょっと待って……何の事だと思ったの?」
「う〜んと……明日、あんたにとって、大事な事が有るのは判ってたけど、何なのかまでは良く理解出来なかったのよ……ここ数百年、人間社会の変化は、ちょっと目紛し過ぎるんで、イマイチ、理解が追い付いてなくて」
その時、玄関の方から、車の音がした。
「ただいまぁ〜」
桜姉さんの声。
「瑠璃ちゃん。話し掛けられると気が散るから、しばらく引っ込んでてくれない」
「はいはい」
瑠璃ちゃんが消えたのを確認し、あたしは、玄関の方に向かう。
「あのさ、今時、こんな時間に中学生が1人しか家に居ないってバレたら、児童虐待容疑で、警官なのに手錠に腰縄付けられて県警に連行されるよ。ところで、御飯どうする? って……」
桜姉さん以外に、知ってる顔が一つに、知らない顔が一つの計三人。
「外で食べて来た」
「私も、一緒に……」
「私も言った方がいいですか?……
三人の内の一人は、言うまでもなく、さっきの「ただいまぁ〜」と云う声の主である桜姉さん。
次の一人は、おばあちゃん。正確には、あたしのお祖母ちゃんの妹で、母さんが死んで以降のあたしの法律上の保護者。現在は老人ホームで、本人曰く「悠々自適」の老後を満喫中。
最後の一人は、見知らぬ女の子だ。
いや、その時、あたしは、その子を女の子だと思ったけど、服装はデニム地のコート、黒一色のタートルネックのセーターに、これまたヨレヨレの綿パンに、登山靴か何かに見えない事もない妙にゴッツいスニーカー。あたしも人の事を言えた義理じゃないけど、男の子でも違和感のない服装だ。髪は、男の子でも、これ位の長さの子は居るだろうって感じの中途半端な長さ。ビミョ〜にボサボサだけど、お洒落のつもりでわざとやってるのか、櫛を入れてないのか、判断に困る髪型だ。
声は女の子っぽいけど、あたしより一回り低い身長と、ぶっきらぼうな口調のせいで、声変わり前の男の子のような気もしないではない。
背中には登山用らしい大きめのリュック、両手には、厚目の生地の、これまた大きめのボストンバッグが1つづつ。体は小さいけど、力は結構有るのかもしれない。
「ええっと……誰?」
「あの……本当に、誰も、私の事を言って無かったんですか?……その…私の…妹に」
「え? あたしが、この子の妹? じゃあ、この子は、あたしのお姉ちゃん? って、あたしより、体小さいじゃない‼」
「そんな事を言うのは、あんまり感心出来ないな」
怒ってるような調子では無いが、機嫌が良さそうにも思えない口調だ。
たしかに、言われてみれば、ツッコミ所は、そこじゃなかったかも知れない。
「満のいつものアレだよ。毎回、面倒な事を後回しにして、手遅れになってから大騒ぎだろ。この
桜姉さんは、いつもの事だ、と諦め気味みたいだ。
「私も満ちゃんが話してると思ってたんだけど……、ともかく、この
おばあちゃんは、そう説明したけど、あたしが聞きたい事は、他にも色々有った。
「まずは、あたしの、お父さんの事から説明してくれない。今まで、お父さんの事、誰も、ロクに話してくれた事、無かったよね。あたし、お父さんの名前も知らないんだよ」
「じゃあ、その内、私から話す」
そう返事をしたのは『お姉ちゃん』だった。
「それと、父さんの名前は高木雄介。先月の中頃から仕事で海外に行ってたけど、数日前から行方不明だ。異能力者絡みのテロに巻き込まれたらしい」
ちょっと待って……先月の中頃って……。
満姉さんも、ちょうど、その頃、仕事で海外に行って、そして同じく数日前に……。
「もし、父さんに万が一の事が有ったら、
自分のお父さん…あたしのお父さんでもあるが…の事なのに、「お姉ちゃん」の口調は、妙に淡々としたものだった。
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