世界を護る者達/第一部:御当地ヒーローはじめました

@HasumiChouji

プロローグ:5年後

 無数の傷を負った『虎』は、ついに力尽きた。

 私と治水おさみが出会った頃から、私達と共に戦って来た、人工知能搭載の4輪バギーATV『虎』こと『チタニウム・タイガー』のコンソールには、故障箇所の一覧が表示されている。端的に言えば「今まで何とか動いていたのが奇跡」と云う状況だ。

「チタニウム・タイガー、私だ」

「声紋照合完了:コードネーム『ニルリティ』と識別」

 『虎』のコンソールに、そう表示される。

「スーパーユーザ権限で、今から言う命令を実行しろ」

「スーパーユーザ・パスフレーズをお願いします」

「我が身、既に鉄なり。我が心、既に空なり」

 私はパスフレーズを唱え、そして命令を告げた。

「私がお前から三百メートル以上離れるか、今から十分以上経過するか、少なくとも一方の条件を満したら、自爆シーケンス1を開始。そして、この命令を最後に、外部からの操作を一切拒絶しろ」

「了解。御武運を、『ニルリティ』」

 私達の『鎧』の名前の由来であると同時に、私が戦った中で最も恐るべき敵の一人だった護国軍鬼・零号鬼の愛刀にして遺品である斬超鋼刀『ゼロ』。

 伯父の形見である大型斬超鋼刀『鬼哭』。

 私は、この二本の刃を背負い、両手に治水を抱きかかえ、『虎』から降りる。

 『虎』に積んでいる他の武器は置いていくしかない。とは言え、銃器類は、ほぼ弾切れなので、使える武器は、この二つの斬超鋼刀ぐらいしか無いが。

 深呼吸をして、心を落ち着かせ、私は走り出した。

 やがて、後方から爆発音が響く。だが、今の私には、戦友の死を悼む余裕すら無い。

「『羅刹女ニルリティ』‼ 『ガルーダ』だ‼ そっちの位置を把握した。そっちのほぼ、東南東、約三〇キロだ。今、そっちに向ってる」

 無線通信が入る。

「こちら『ニルリティ』。『虎』『熊』『鮫』『豹』全て失った。『護国軍鬼・四号鬼』は故障箇所有るが、まだ動かせる」

 呼吸を整えようとするが、心拍数が上がり、息苦しさを感じる。これから言わねばならないのは、最悪の報せだ。

「『護国軍鬼二号鬼』は大破。装着者の『ラーヴァナ』は死亡。同行していた『シルバー・ファング』も死亡。『ヴァルナ』は重症。敵は新型の『鎧』を実戦に投入していた。こちらが確認したのは2機。『ヤマ』の生死と居場所に関する情報は入手出来なかった」

 しばしの間の、重苦しい沈黙。

「……嘘だろう……?」

 先方も声が震えている。

「『ヴァルナ』は、助かる傷なのか⁉」

 コードネーム『ガルーダ』こと荒木田光あらきだひかるの問いに、私は言葉を詰まらせた。

「大丈夫なのか⁉ 容態を報せろ‼」

 ヴァルナ……水の神。それは、私達の親の世代が、組織ネットワークの原形を作った時、私達の母親が名乗った秘匿名コードネーム

 その名前コードネームは、ある能力ちからと共に受け継がれてきた。そして、今、その名前コードネームを名乗っているのは、私の半身である眞木まき治水おさみだ。

「約一時間前に、糜爛性ガスを使われた。意識は有るが混濁ぎみ。とりおり痙攣と呼吸困難。脈拍と血圧は現在低下中、不整脈ぎみだ」

「おい、お前が居ながら、何故……」

「判ってる‼ でも、死なせない‼ 私が絶対に死なせない‼」

 その絶叫は、願望であり、祈りだった。私にとって、生涯最初の祈り。

 通信回線を通して送られて来たのは、溜息と呼ぶには悲痛な、嗚咽と呼ぶには静かな、意味を成さぬ微かな音。

 無線の向こう側の光の、言葉にならぬ想い、声にならぬ叫びが伝わってきたような気がした。

「こっちには、医療チームも居る。合流出来れば、ある程度の治療は出来る」

「判った」

 光の声も、私の声も、感情を押さえたものになっていた。

 「ある程度の治療」……それが何になるのか……そんな想いを必死に押し殺した。

 網膜投影式モニタには、光達までの方向と距離が表示される。その方向に向い、ひたすら走り続ける。何も考えず、ただ、走り続ける事だけに集中しろ、と自分に言い聞かせながら。

らんちゃん……」

 治水の弱々しい声。爛れた顔に無理に笑みを浮かべている。

「死ぬのって……ちょっと怖いな……やっぱり……」

「馬鹿…馬鹿…馬鹿」

 言葉が紡ぎ出せぬまま、走り続けた。父の行方を探し続けて辿り着いた、この異国の乾いた荒野の中を、必死に走り続けた。

 治水…水を制御し鎮める者。瀾…大波・荒波。私達が生まれた直後、まだ私達の両親が離婚する前、「女の子であれば水に関係する名前を付ける」と云う母親の一族の慣習に従って付けられた名。同じ日に、同じ親から生まれ、静と動、秩序混沌を意味する2つで1つの名前を与えられた、もう一人の自分。

 彼女の濁った目に光が戻る事はあるまい。

 鼻は匂いを、舌は味を感じる事は二度と無く、肌は元に戻らず、仮に愛する男性が出来ても、その子供を産む事は不可能だろう。

 もし、自分だったら……残りの一生を、そんな状態で生き続ける事に耐えられるだろうか?

 それでも、それでも、生きてさえいてくれれば……でも、そう思うのは、私の我儘なのか?

 いや、大丈夫だ、きっと元の体に戻れる。私の目も舌も皮膚も内蔵も、全部、治水にあげるから……。

 どれだけの時間が経っただろうか? どれだけの距離を走っただろうか?

 突然、足がもつれ、倒れる。立ち上ろうとするが出来ない。鎮痛剤で脳を騙してはいても、傷付き疲労した体は、言う事を聞いてくれない。

 何年も酷使し続けた、筋肉が、骨が、靭帯が、最悪の局面で、主人わたしの意志を完全に拒絶した。

 この『鎧』護国軍鬼・四号鬼は、あくまで、私の動きを増幅するものである以上、基本的には、中の私が動けなくなれば、それまでだ。

 だが、手は有る……かすかな希望だが。

「『四号鬼』制御AI、緊急用の自動動作は可能か?」

 出来る事は限定されているし、通常時の私の筋力と鎧の人工筋肉の力を合せた時よりも出せる力は落ちるが、中の私が動けなくても、『鎧』を動かす事は出来る。

「装着者の肉体に重大な損傷が見られます。自動動作による負荷の結果、装着者の肉体の損傷が、重篤な後遺症が残るレベルにまで悪化する可能性が有る為、短時間の動作しか許可出来ません」

 文字通り「緊急回避」以上の事は出来ない状況だ。とは言え、少しでも仲間との距離を縮める事は不可能では無い……いや、不可能では無いと信じたい。

「全力疾走なら何分間可能だ?」

「装着者の肉体の損傷が許容範囲内に収まると云う条件の元での推定時間は三○秒前後です。なお、不測の事態により、装着者の肉体の損傷の悪化が、予想よりも短時間で閾値いきちに達っした場合は、その時点で自動動作は停止します」

 そんな短時間で、しかも、事前に覚えさせている動作+αぐらいしか出来ない状態では、気休め以上の事など不可能だ。

 またしても、以前やらかした無茶のツケだ。「工房」の連中も、余計な機能を付けてくれたものだが、元はと言えば、私が、初めて、この『鎧』を実戦で使った時に、あまりにもバカな真似をやってしまったせいだ。

「どうすれば……どうすればいいんだ?」

 治水は、まだ、この腕の中に有るが、その様子を見るのが怖い。

 何とか動かせる首を回して周囲を見渡すと、乾いた空気の中、どこまでも広がる荒野が、そして、大昔の映画の書き割りの夜空を思わせる、どこか現実味の無い妙に鮮明な星々が目に入った。

 モニタに写っている情報は、仲間達が近付きつつ有る事を示していた。……そろそろ、地平線のこちら側…視認可能な距離に入った筈だ。

「治水……大丈夫だ……助かるぞ」

 だが、その時、ある情報がセンサより送られ、モニタに表示された。私が、「それ」が起きる可能性を考慮する事を、あえて拒み続けた事態が発生してしまった事を示す情報だ。

 最初に、伯父が、いつも、言っていた言葉が頭に浮かんだ。

 誰かの命を奪った報いを、いつか、受けるかも知れぬ。「その時」が来たならば、決っして目を逸らさず、自らが行なって来た事の報いを見据えろ。

 しかし、次に、私の脳は、目に写った情報の意味を理解するのを拒んだ。私の心は、絶望の真実から目を逸らす事を選んだ。

 見さえしなければ、嫌な事が消える筈など無いのに。自分だけなら、地獄に堕ちる覚悟は出来ているつもりだったのに。

 人を護るためでも、自分にとっては悪人でも、誰かに死をもたらした者は、自分も死に迎えられるのならば、私の大事な人では無く、私の命を奪って下さい。彼女を修羅の道に引きずり込んだのは私です。死ぬべきは、彼女では無く、私です。

 ああ、私は、誰に祈っているのだろう?

 その時、私の『祈り』に答えるように、目の前に現われたモノは……。

「そ…そんな馬鹿な⁇ どう云う事だ⁇」

「えっ? この姿? 瀾ちゃんの中に『神の姿』についてのイメージが無かったのと、あたしが人間なら8歳ぐらいだからだよ」

「お前は、一体……⁇」

「自己紹介が必要? あたしは海を司る娑伽羅サガラ竜王の娘・瑠璃るり。瀾ちゃんが、治水の次の『巫女』だよ」

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