あばら屋病室の独白

もざどみれーる

あばら屋病室の独白

 枕にあたらぬ左の耳が、何やら小さな枯葉の幾層にも重なるやうな音を聞く。頭を少しばかり傾けると、その出所はすぐに知れた。───茶羽根を背負つた、一匹のゴキブリである。

此奴こやつは、一體いったい何故、この俺を喰らはぬのだらう?」

 不圖ふとそんな事を思つてゐると、今宵もまた飽きもせずに就寢を告げる鐘の響きが、突然、秋の夜長に見事にカァーンと貼りゐた。

 この未だ寒からぬ夜に、人の世の既に冬であるを知るは、果たしてこの俺だけなのだらうか。

 ───等と、いささ浪漫派風ロマンテイツクとでも言へさうな事を考へて居る我が身を餘所よそに、先刻さつきのゴキブリは相もはらず垂れた觸角しょっかくかすからしつつ歩いたり止まつたりを繰り返して居る。

成程なるほど、道理で自然派の全く無くならぬわけだ」

 等と詰まらぬ事を思つた自分をじつに詰まらぬ男だと空虚に反芻する間も無く、其の自然派にかんする短い考察アイデイアが妙にストンと胸に落ちて、それから頭の中に一ッ飛びに移つたかと思ふと、そこに早速思辯的しべんてきなる居をゴツゴツ構へ出すのを感じた。

 が、人間といふのは甚だ厄介な生物で、幾ら高尚で思辯的な觀念かんねんを得た所で、ほんの一瞬をたともなれば、またたちまちの内に日々の雜念ざつねんに大層もてあそばれるやうに成るものなのである。


 斯樣かやうに小さくて大きなゴキブリ君よ。どうかそろそろ、俺を休ませてはれぬだらうか?


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