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和さんに助けられてから早くも3日が経ち、体育祭当日になった。空には雲が少しあって、快晴とは言えないが、絶好の体育祭日和になったことは間違いなかった。
窓の外の雲が風に煽られて流れていくのを見つめる。今日は程よく風もあって、3日前のようにぶっ倒れる危険性は少なさそうだ。
「今日もちゃんと水分補給しろよ」
まったりと体操服に着替えていると、更衣室に入ってきた優がそんなことを言った。その言葉に俺は苦笑を漏らす。
「あれ以来ちゃんと水分補給しているのを優も見てるだろ?心配し過ぎだよ」
「心配し過ぎてそんなことはないだろ」
ごもっともで。
「早く着替えて来いよ。クラスの奴ら待ってるから」
「あ、え、優着替えるの早すぎじゃない!?」
さっき入ってきたはずの優がもう着替え終わって更衣室の外へと消えていくのが見えた。俺の言葉には軽く手を振るだけだった。
優が出て行ったことに焦りを感じた俺はすぐに体操服を着て更衣室を出た。女子更衣室から何人か出てくるのが見えた。
靴を履き、外に出ると春独特の生暖かい空気が肌を包んだ。既に後輩たちが何人もグラウンドに並んでいて、熱気があふれていた。
時計を見ると集合時間まで少し時間があった。ストラックアウトに向けて少しでも体力を温存するためにグラウンドまでゆっくりと足を進める。他の人たちは俺を追い抜いて仲間たちの元へと走っていく。互いに笑い合い、ふざけ合ったりと様々だ。
そんな幾つもの背中を見送りながら、ふと寂しさを感じた。来年この場所に自分はいないと思うと、まだいたいなと思った。数年前までは早く卒業したくてたまらなかったのに。時間とは恐ろしいものだ。
丁度タータン近くに差し掛かった時だった。校舎側の階段から見知った女の子が下りてくるのが見えた。助けてもらった時は腰くらいまであった藍色の髪が今日は首近くでまとめられていた。周りに友達と思われる人は居らず、一人だった。
俺は彼女の方へ向かった。改めて3日前のお礼を言おうと思ったのだ。
彼女の近くへ寄っても彼女は俺に全く気付かない。真横に並んでもこちらを見向きもしない。ずっと正面を向いたまま何か考え込んでいるようだ。
いつ気づくかなと思っていたがいつまで経っても気づかない彼女に痺れを切らした俺は、自分から声をかけることを選んだ。
「こんにちは、和さん」
「えっ」
声をかけると和さんは驚いた様子でこちらを向いた。ポカンと口を開ける彼女に向かって俺は口の端を少しだけあげて笑いかける。彼女はハッとしたようで慌てて俺に挨拶した。
「こ、こんにちは達哉先輩!えっといつから横に・・・?」
「さっきから」
そう答えると彼女の顔が少しだけ青褪めた。俺が想像していた反応とは逆の反応に俺の方も戸惑う。俺はもっと驚いて、気づかなかったことに大げさなほどに慌ててくれるものだと思っていた。
「す、すみません・・・!気づかなくて!」
「え、いや、そんなに謝ることじゃないよ。なんかむしろこっちがごめんね。気を使わせてしまったね」
「そんなことはないです!」
和さんは激しく首を振る。その仕草に少しキュンとする。なんてかわいい子なんだろう。健気で真面目だ。
気付けば俺は和さんの頭を撫でていた。首を振っていた和さんが固まる。俺はなんだか小動物を撫でているような気分になる。
「俺らが先輩だからってそんなに真面目に接することはないんだよ。もっとフラットに、軽くていいんだよ。少なくとも俺と優は」
あまりに真面目に接されるとこっちも真面目な先輩を演じなくちゃいけなくなる。堅苦しい上下関係が俺は苦手だから。後輩に気を遣わせながら先輩をしたくはない。
俺の言葉に和さんは何かを感じたようだ。黙り込んでしまった。
「・・・さて、自分のクラスの所に並ぼうか」
気付けばグラウンドに着いていた。存外短い道のりだった。
俺は和さんの頭から手を離し、未だ黙る彼女を置いて自分のクラスの元へと行こうと足を一歩踏み出した。
すると、突如手を掴まれた。振り返ると和さんが俺の手を掴んでいた。和さんの春の陽気のような程よく温かい体温がじんわりと俺の手に広がる。
「ど、どうかした?」
わずかな動揺を見抜かれないように俺は穏やかに聞き返す。和さんは頭を垂れたまま、ちょっとでも気を逸らしてしまえばこのグラウンドいっぱいに満たされている熱気に飲み込まれてしまいそうなほどの声で言葉を紡いだ。
「私、今日男女混合のリレーでアンカーを走るんです。もし、優勝したら、聞いてほしいことがあります」
そう言うと、彼女は顔を上げて俺の目をまっすぐ捉えた。その真剣そのものの表情に俺は思わず息を呑む。
「私のクラスが一位になったら、放課後、部室へ来ていただけますか」
きらりと潤む真摯な瞳に俺は気付けば頷いていた。俺が頷くと同時に少しだけ強く掴まれていた手が解放される。
「約束ですよ」
少しだけ形がよいとは言えない白い歯をめいいっぱい見せながら彼女は笑った。その表情に胸が高鳴り、そして締め付けられた。
彼女にときめいたままの俺を放って、和さんは俺に背を向けてクラスメイトの元へと走り出した。
その場に取り残された俺は優が怒りながら迎えに来てくれるまで和さんが消えていった方を見つめていた。
周りから見ればかなり変だったに違いない。
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