第一話 何度目かの出会い

 ある朝、優が風邪を引いたというので、一人で登校した。体育館の階段を駆け上がり、武道場を目指す。いつもは朝からにぎやかなはずの体育館も、今日はボールの音一つ聞こえなかった。

 うちの高校は、体育館の二階に武道場がある。教官室と隣接してあるその場所では、時々体育の先生の怒鳴り声も響いてくる。どうしてここに建てられたのだろうかと、入部当時は何度も思ったものだ。

 障子のような引き戸を開けて武道場の中に入る。独特の汗臭い匂いと、竹刀や薙刀などの木の匂い。俺はこの独特のにおいが好きだ。なんか、すごく落ち着くのだ。

 壁の端に荷物を置き、自分の薙刀を手に取る。始めた当初は重かったそれは、いつの間にか自分の手に馴染んで、すっかり軽いと思うようになってしまった。時が経つのは、早いものだ。

 後をふり返り、鏡の前で素振りをしようとする。そこで、俺は気が付いた。俺のほかに、誰かいたことに。

 その子は綺麗な藍色の髪をポニーテールにしてまとめ、体操服姿で素振りをしていた。その手には、俺と同じように薙刀があった。

「・・・えっと、新入部員?」

 思わず、俺は声をかけた。何故なら、俺と優以外に朝練をしている部員を見たことがなかったからだ。

「あ、成瀬先輩。」

 彼女はいきなり声をかけられても動じずに、俺の名前を呼んだ。

「えっと・・・俺君に名前教えたっけ。」

「七緒先輩からよく話を聞いているもので。」

 サラリと優の名前を彼女は口にした。どうやら、優とはそれなりに親しいようだ。

「君は、優とはよく話すのかい?」

「はい。よく図書室で話をさせて頂きます。」

 愛想よく、テンポよく、彼女は素振りを止めて返事をした。汗が少し滲んだ藍の髪はきらきらと輝いていて、ふと、いつ見たかもわからない夏の夜空を思い出した。

「えっと、薙刀をして長いの?」

 一糸乱れぬ彼女の素振りはここ最近始めたばかりでできるものでもなかった。薙刀を振って彼女は長いのだろうかと思って聞いてみる。

「そんなことはないですよ。せいぜい、1年くらいです。」

「1年!?すごいね・・・。才能があるんだね。」

 そう言うと、彼女は顔を顰めた。そこで俺はハッとなった。

 もしや、地雷を踏んでしまったのではないかと、彼女を怒らせてしまったのではないかと、思った。

「あ、えっと、さ、才能があるのはいいことだよ・・・!」

 フォローをしようと口から言葉が飛び出る。けれど、彼女は依然と顔を顰めたままだ。

「き、君の薙刀を振る姿は綺麗だよ!とても綺麗だ!だから!一年って聞いて、驚いたんだ!さ、才能があるんだろうなって!」

 慌ててフォローをし続ける。俺の言葉が届いたのか、彼女は顔を勢いよく上げた。その顔は、りんごのように赤く、体は小さく震えていた。どうやら照れてしまったらしい。

「・・・あなたはそう言う人でしたね。」

 ボソリと、彼女が何か言った。俺にはそれが聴こえなくて、聞き返すとなんでもないですとそっぽを向かれてしまった。

 その姿が妙にかわいくて、後輩は皆可愛いものだとしみじみ思った。

「そ、そろそろ時間ですよ!」

 顔を赤く染めたまま、彼女は時計を見て言った。時計を見ると、彼女の言う通り、そろそろ8時30分を指そうとしていた。

 俺は持っていた薙刀を片づけようとした。しかし、彼女の方が先に俺の手の中から薙刀を取り、一緒に片付けてしまった。

「あ、ごめん!ありがとう!」

「いえ、後輩の務めですから!」

 白く整った歯を思いっきり見せて、彼女は笑った。その姿に、どこか懐かしく感じた。

 荷物を持って引き戸まで向かうと、そこには自分の自分の荷物を持ったままの彼女が待っていた。

「先に行ってくれてよかったんだよ?」

「折角ですし。」

 そう言いながら、彼女は引き戸を閉めた。俺と彼女は並んで階段を下りる。

「そう言えば君の名前は?」

 ふと名前を聞いていないことに気づき、彼女に問いかける。彼女は一瞬何をいっているのか分からない、というようすだったがやがて、

「あ、ああ。名前ですね。名取和です。」

と淡々と言った。

「あ、俺は成瀬達哉。よろしくね、名取さん。」

 そう返すと、彼女は眉をハの字にして、切なそうな顔で「はい、成瀬先輩。」と言った。彼女のその表情に戸惑いながらも、俺は笑い返すことしかできなかった。

「ところで、名取さん。」

 階段を下りきり、更衣室へと消えようとした名取さんの名前を呼んで引き留めた。

「なんですか?」

 キョトンとした顔で俺の方に振り返る。首を傾げる姿にちょっとキュンとしたのは内緒だ

 彼女はよく見ると色白で、小顔で夜空のように黒い目は大きくて。学校でも一、二を争うくらいの美人だった。

「えっと、俺とどこかで会ったことある?」

 そう言うと、彼女は黙った。まるで彼女だけ時間が止まったかのように、ピシッと固まってしまった。

 またまずいこと言ったかなと内心焦った。けれど、暫くして彼女は

「・・・ないですよ。」

そう言い切った。

「そっか。」

 懐かしさも、彼女と会ったことあると思ったのも、俺の勘違いだったようだ。

「じゃあ、また放課後。その時には手合わせして欲しい。」

「分かりました。よろしくお願いします。」

 そう言って、彼女は更衣室へと消えた。

 俺も体育館を後にし、予鈴を聞きながら教室へと向かった。

「名取・・・和・・・。」

 教室へ向かう途中、その名前を何度も反芻した。反芻すればするほど、懐かしさがこみ上げてきた。

「・・・本当に、俺らは一度も会ったことはないんだろうか・・・。」

 そんな疑問を頭に残しながらも、俺は教室のドアを開けた。


こうして、高校3年の夏、俺は綺麗な藍色の少女・名取和と出会った。

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