第6話 三本目は言わんでもわかるよな?

 うさ耳が動いたその瞬間、やつの本体が動き出すよりも速く。

 それまで伏せていた木片の矛先をついと上げ、迎え撃たんと腰溜めに槍のごとく構えを取る。

 大口を開け俺に食いつかんと突進してくる化け兎の、狙うはその口膣―――!


「歯を立てねえで喉まで使うんだよオラァ!!」


 切っ先が兎の頬肉に接触し、その衝撃がかいなを通して全身を痺れさせる。

 それと共に伝わる、生きた肉を貫いた事による生理的嫌悪感。


「んほおっ……!」


 瞼の裏に火花が散るような衝撃だが、それでもこの手だけは離してなるものかと全身の筋肉を緊張させる。

 しかしどれだけ力を込めようとも手放さないようにするのが精いっぱいで、木片をそれ以上深く突き刺す事は出来ず。口内にうまく突き刺さった木片がその長さの分だけ俺とやつとの間に距離を作りその突進は直接届いてはいないが、こんな棒きれ一本だけで勢いを殺しきれるはずも無く、衝撃が俺の身体を後退させる。

 だが俺の力だけでは無理でも―――別の力を利用すればどうだ?

 俺は吹き飛ばされる勢いのまま、手にした木片の柄がその進路上に存在する、やつに半分ほど折られてしまった大木に触れた瞬間に手を離し、再び回避のため素早く地面に身を投げ出した。


「よっしゃやっ―――んぎゃあっ!」


 作戦は上手くいったが―――俺はやつの巨体を完全には躱しきれずに吹き飛ばされ、地面を転がった。

 くるくると視界がまわる。

 天と地の忙しない入れ替わりがしばらく続き、別の樹にぶち当たる事でようやくその動きは止まった。

 叩き付けられた痛みと、狂った三半規管による強烈な乗り物酔いに似た吐き気。それらを我慢し飛びそうになる意識を繋ぎ止め、あの兎がどうなったのかを確かめるために立ち上がる。

 ふらつく足取り。だが泣き言は言ってられない。


「……すげえな、獣の生命力ってのは」


 兎の息はまだ有った。

 口からおびただしい量の血を流しながら、それでも兎は生きていた。

 しかしささくれ立った木片を、手を持たない動物が自力で引き抜く事は不可能だろう。まともに動く力も残っていないようだし、死ぬのは時間の問題だ。もう脅威は無いだろうと判断して、俺は次に自分の身体を見やる。

 幸い骨などは折れていないみたいだけど……勢いよく転がったせいで、また身体中が擦り傷だらけだ。

 特に掌が酷え。

 ささくれだった木片を全力で握りしめて身体が吹き飛ばされるような威力を受け止めていたせいで、ズタボロになっている。

 まぁ……死ななかっただけ良かったと思うしかないよな。

 痛みに耐えながら身体に刺さった木や石を引き抜き、俺は大きく息を吐いてから兎のそばに腰を落とす。


「まあ、お前も俺を殺そうとしたんだ。悪く思わないでくれ」


 大丈夫だとは思うが、念のため死ぬのを確認するまでここに座り込んで待つとしよう。

 しばらくすると呼吸のために上下していた身体の動きも無くなり、ぐったりと力が抜けていったのがわかった。

 死んだかな。

 それから十秒秒。

 ……三十秒。

 ……二分。


「……」


 …………五分。


「え、自動でアイテムに代わったりはしねえの?」


 戦利品が欲しけりゃ剥ぎ取ったり解体しろって事か? やだよ道具も無えんだぞ。


「いやまぁ、普通に考えりゃ倒したモンスターが自動でアイテムになるなんてゲームの世界だけの話だけどさぁ、ステータス画面とかモロにゲームみたいだったし、もしかしてって思うじゃん?」


 誰に弁解してんのかわかんないけど、思うじゃん?


「まあ無理なもんはしゃーないか……苦労して相手したのに見返り無しってのはちょっと残念だけど、どうしようも出来んよな。死体は……森の動物が食ってくれるだろうしこのままでいいか」


 そうじゃなくてもそのうち土に還んだろ。このサイズの死体を埋めるための墓穴なんて道具無しで掘れる気もしないしな。道具があっても嫌だけど。


「さて、んーじゃこれからどうすっか。こんな化け兎が居るって事は近くに街なんかは無いって考えた方がいいかもしれんけど、そろそろ服とか着たい感」


 身体の大きさから考えて、この兎は何年、下手すりゃ何十年と生きていたはずだ。そんな土地で人が落ち着いて暮らせるとは思えない。

 こいつが脅威にならないくらい強い人達が住んでるって可能性も考えられるけど、その場合はせっかく転生した俺の人生が即行で詰んでしまう可能性も出てくるのであまり考えたくはない。

 まだこの世界の事は右も左もわからない状態だしこっちの住人と敵対するとは限らないけど、今の俺にどんな力があるのかわからないし不安材料は少ないに越した事はないはずだ。とりあえずは引き続き現状把握に努めるか。


「けどこのまま森に居ても始まんないし、どっか移動するっきゃ無いのも確かよのう」


 しかし森の中で迷った場合ってどう動けば良いんだ? 一番高い場所に行くってのは山で遭難した場合だったっけ?

 だが今居る森は、見て来た分には植物による起伏はあるものの平地と言ってもよさそうな感じだし、歩いてたら突然崖から落ちちゃった、なんて事は無さそうだからそこまで気を使う必要も無いよな。

 という事は、同じ場所をぐるぐる回るってのが一番可能性が高くて怖いのか? それなら道中の樹に適当な印を付けて、気を付けながら進むとしよう。

 というか知らない森の中に突然放り込まれてるんだ、何の道具も無しで迷うなってのがそもそも無理な話じゃない? だから進路については正直あんまり考えたくない。というか既に迷っていると言っても過言では無いだろう。


「そーなんです、 遭難してるんです!」


 誰も居ないのをいい事にクソ寒い言葉を叫びつつ、兎を相手にしていた時とは違い深く考える事を放棄して鼻歌を歌いながら歩く。

 前途が多難過ぎて笑うしかないけど、せっかくの異世界だ。満喫しなくちゃ損ってやつだろう。

 諦念は死を招くったって、こんなの俺のせいじゃないもんね。


 なお、人はそれを現実逃避と言う模様。


 気分が乗ってきた俺は、そこらへんに落ちていた良い感じの枝を両手に取り三本のタクトを振るいながら闊歩する。ちょっと楽しくなってきた。

 そして脳内のオーケストラが俺の指揮に従い、演奏が山場を迎えた所で股間に強い衝撃を受けた。


「ぎゃん゛っ」

「きゃあっ」

「おうっ、玉が、僕の玉が……」

「いた……ひっ」


 股間を抑えて痛みに耐えていると、怯えた風な幼女と目が合った。


「きゃ―――」

 やべえ幼女に叫ばれる。事案だ。またネットニュースに載ってしまう。

 しかし俺の予想に反して少女は慌てたように口に手を当てて悲鳴を抑え、俺が来た方向へと走り出した。

 がかなり疲弊しているのかその動きは遅く、足取りもどこかふらふらとしているように思えた。案の定俺の視界から消える前に樹の根に足を取られて転んでしまい、俺にぶつかった時と同じく小さな声をあげる。

 まあ、走る時に足がちゃんと上がってなかったし仕方ないわ。

 しかし顔面からいったぞアレ、超痛そうだから舐めて治療してあげたい。

 まぁ目の前で顔面からイったのを放っておくわけにもいかないし、とりあえず起こしてあげようか。

 もしかしたら異世界転生でよくあるフラグが立つかもしれないし。おっと、いやこっち来てから初めて見る人間だし?


「あー君、大丈夫?」


 警戒させないよう、声を掛けながら近付き手を差し伸べる。


「や……こないで……」


 後ずさる少女に、震えた声で拒絶される。

 なんでこんな怯えてるんだ? ぶつかっただけなのに。俺がキンタマに受けたダメージの方が絶対大きいだろ。

 しかし理由はわからないが、この子が怯えている事に変わりはない。

 俺はそれまで以上に害意は無いという事を伝えるため、大きく手を広げて何も持っていない、危害を加える気はりませんよという事をアピールする。


「ひっ……」


 おかしい。また怯えられた。

 そりゃ身体と顔も土に塗れて擦り傷だらけでズタボロだけど、そんなに怖がるほどか?

 人類の範疇には収まってると思うんだが……。

 うーむ、どうしようか?

 考えていると、少女が走ってきた方向からまた新たな足音が聞こえてきた。

 落ち葉や木の枝を踏み荒らす音が多数。それも一人や二人の物ではない。もっと大きな集団だ。

 ……状況から察するに、この子はそいつらから逃げてきたのか?

 むむむ。

 どこのどいつか知らんけど、こんな幼女をそこまで怯えさせるなんてきっとロクなやつらじゃないな。どういう教育を受けてやがるんだ。

 俺がそんな事を考えている内に幼女は逃げる事を諦めたのか、俺を無視して木陰に隠れ元来た方を伺っている。

 

 ◇


「おい、見つかったか?」

「いやまだだ、だがそう遠くまでは行ってねえはずだぜ、なんせあの身体だからな」

「ちっ、面倒かけさせやがって」

「まぁそう言うなって。見つけたら次に待ってるのはお楽しみの時間だ」

「やりすぎんじゃねえぞ? 殺しちまったらアレが取れなくて商品価値が無くなっちまう」

「へへっ、わかってんよ。なぁに、ようは殺さなきゃ良いんだろ? いくらでも楽しみ方はあるさ」

「はっ、相変わらずいい趣味してやがるぜ」


 現れた男たちは次々と口汚い言葉を吐く。

 俺はそれを、幼女とは別の木陰に隠れて聞いていた。

 どうやらあれらは全て、あの幼女に向けられた物らしい。

 ……なるほど。詳細はわからないが、予想通りロクな連中じゃないらしい。

 この子の怯え具合から考えて、思っている通りのうんこ野郎だろう。

 ファンタジーな世界だし、あの身なりからするに山賊とかそんな感じかしら。


「ちっ、どこに行きやがったんだあのガキ……オラ出てこい! 今なら手足の一本で勘弁してやるぜぇ、まぁその後に楽しませて貰うがなぁ」


 下卑た笑い声を隠す事も無く、男たちは文字通り草の根をわけるように手にした短刀で茂みをさらいながらこちらの方へと近付いて来る。

 ……俺達が隠れている所までまで来るのも時間の問題だな。

 この距離では今更逃げ出そうにも、動き出そうと木陰から出た瞬間にあの子は見つかってしまうだろう。

 俺はあいつらのターゲットじゃないだろうから、その隙に逃げられるかもしれないが……。

 そんな事を考えているうちにも奴らとの距離は近くになり、俺の方から見えている幼女の呼吸はこの距離でも見てわかるほどに荒くなり、怯えた息遣いが聴こえてくるような錯覚さえも覚えてしまう。


(しかしこの世界に来てからロクな目にあってねぇぞ、クソッタレかよ)


 死んでる時点でクソなのは確定してるけど、それにしたってさぁ!


「ンな所に居やがったぜ!」


 心の中で悪態をついたのと時を同じくして、どうやら別の道から捜索に当たっていた山賊が居たらしく、あの幼女が見つかってしまったようだ。

 ドキッと跳ねた心臓の鼓動はあの子の物か、俺の物か。

 声に呼応し、へたり込んだ幼女の元へと山賊達が集まってきた。


「ハーフの奴隷の分際で、手間ぁかけさせやがって」


 視線の高さを合わせた一人が、幼女の顔に短刀を当てがいながら言う。


「おい、顔は止めとけって」

「眼さえ傷つけなきゃいいんだろ。それ以外なら頬を抉ろうが鼻をへし折ろうが問題ねえさ」

「そうじゃねえ、顔面抉れた女なんて犯したところで楽しくも無いだろ」

「俺は気にしねえぜ?」


 あークソ。何だよその会話は、何をしようって言うんだよロリコンどもめ。

 関わりたくねぇなぁ。

 そもそも俺の座右の銘は、余計な事に関わらないで平穏に生きるだ。そうやって今まで生きて来た。

 俺にはあの女の子を助ける義理も義務も無い。

 この状況はどう考えても俺に関係の無い面倒事だろう。

 だが何故か今、あの不思議空間での会話を思い出す。

 ―――“人が死ぬタイミングはあらかじめ決められている。”

 要約すると、あの女神はそう言っていた。

 ……なんでこのタイミングで、そんな話を思い出すんだよ。クソか。


「ふぅ―――」


 深く息を吐いて頭を掻く。

 ……あぁでも、せっかく生まれ変わったんだよな。


「ふぅ――――――」


 再び、大きく息を吐く。

 ああクソ。クソなのはどっちだ。目が合っちまったんだよ。どうせ1度は死んだんだ、なら―――変わってみるのも、有りなんだろうか。

 そんな夢を見たっていいじゃねえか。

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